もふ17 もふもふと誓い
アンドレアが遊んでいる間に、ドン・サンチェスはちょうど良い木陰を見つけてブランケットを敷き、お弁当の支度をしてくれていた。
アンドレアは自分も下働きをしていた事もあり、まめまめしく台所へも顔を出して使用人達を労ったりしていたから、城の使用人達は皆、人間の奥方に好感を抱いていた。
だから、ご主人様と奥方様がピクニックへ行くと聞き、厨房の者達も素敵なお弁当を用意してくれていて、しかも、それはアンドレアの喜びそうな趣向に満ちていた。
木苺ジャムとクリームチーズフロスティングをたっぷり挟んだスポンジケーキ、アイシングを塗ったレモンケーキ、スコーン二種に、薄く切ったきゅうりのサンドイッチ、色々な味のクッキー、それに、二人の思い出のチェリーパイ……。
それらをドン・サンチェスがひとつひとつ口に運ぶ姿をアンドレアは手を合わせて拝まんばかりだった。
「アンドレア姫、全然召し上がっていないではないですか。貴女に喜んでもらいたくてこんなに可愛いお菓子をたくさん作ってくれた料理人達がガッカリしてしまいますよ。」
「大丈夫です。私は充分に喜んでいますわ。」
口の周りを木苺ジャムでベトベトにしながらスポンジケーキを頬張るドン・サンチェスを見上げてアンドレアは言った。
ʕ•ᴥ•ʔ
「そう言えば、アンドレア姫。」
口についたクリームを舐めながらドン・サンチェスは、膝の上のアンドレアを見た。
「貴女はひょっとして、結婚式をしたいのですか? 以前、セニョーラ・カミラがそんな事を言っていたような気がしたのですが。」
「ええと、それは……。」
突然の問いにアンドレアは何と答えてよいやら戸惑った。
確かにちゃんとした結婚式もしないままドン・サンチェスと夫婦になったのは残念な事ではあるが、それは望みすぎというものだ。
結婚式と言っても、結局は儀式に過ぎない。
現に、先日里帰りをした時も、司祭以下、国王や他の人々も、自分の事をドン・サンチェスの妻だと認めてくれていた。むろん、こちらの城の人々も皆。
大切なのは今のこの幸せだ。
アンドレアがそう言うと、ドン・サンチェスは少しだけホッとしたような顔をした、つもりなのだろうが、彼の表情筋は微妙な感情を表現するのが苦手なようだ。あー、良かった、と顔中の筋肉が緩んで、ケーキが口からこぼれそうになっている。
「貴女が俺との結婚を少しでも後悔していると思ったら、申し訳なくて。けど、本当の結婚式は無理でも、真似みたいなことはできるかも知れません。どんな事をするんですか?」
「ええと。」
そう言えば、アンドレアはちゃんとした結婚式を見た事がない。仕方なく、マリアに頼まれて読んでやっていた少女向けの恋愛小説を思い出しながら説明をする。
「場所は、お庭や広場や、お話によっては教会でする事もあるみたいです。マリアさんは大聖堂で入り口まで届くような長いヴェールを着けてヴァージン・ロードを歩くのが夢なんですって。でも、私は、咲き乱れるバラの花のつたうアーチの下が良いなあ。」
「ああ、残念。バラの時期は終わってしまいました。ジャスミンなら城中の庭にはびこって庭師が苦労しているのですが。でも、その下で何するんですか?」
「司祭様の立ち会いの下、神様に結婚の誓いをするんです。」
「なるほど、神様に。」
神様に二人はこれから性交しますと誓うのか。一体、何の為に? 人間と言う奴は、そんなプライベートな事までいちいち神様に相談しているのか。神様もお忙しいだろうに、お気の毒な事だ。
ドン・サンチェスは内心考えたが、賢明にも余計な事は言わないでおいた。
「それと、花嫁と花婿は誓いの言葉とともに、指輪を交換するんです。」
「指輪の交換? 取り替えっこするんですか?」
「えっと、たぶん、お互いの指にはめてあげるんだと思います。」
「なるほど。それなら今すぐにできますね。さあ、指輪を貸して下さい。」
ドン・サンチェスは広げた手をアンドレアに差し出した。
ドン・サンチェスの子供じみた提案にアンドレアの口に笑みが浮かぶ。
熊ちゃんとおままごとの結婚式も悪くない。自分の指輪をはずしてドン・サンチェスの掌に乗せた。
「こほん。」
ドン・サンチェスは真っ赤にしている口をナプキンで綺麗にして、膝に座っているアンドレアの手を取った。
「俺は、貴女がこの縁談を無理矢理押し付けられた事を知っていましたよ。
あの日、貴女はあのまま帰る事もできたのに、そうしなかった。
俺のお嫁さんになりたいと言ってくれた。
その言葉を聞いたその時、俺は貴女の幸せの為にこの命を捧げることを自分に誓いました。
今、同じことを貴女と、貴女の神様にお誓い申し上げます。」
そうして、ドン・サンチェスは、アンドレアの細い指に指輪をはめた。
お遊びだと思っていたのに、指輪を通された瞬間、アンドレアの胸にじんわりと暖かいものがこみ上げてきた。
いつものように、ぬいぐるみみたいに可愛い熊ちゃんを愛でている時のような幸せとはまた、種類の違う幸福に全身が包まれる。
「これで終わり? 後、何かする事はありますか?」
「……。」
ドン・サンチェスの問いに、アンドレアは何事かを囁いた。
「え? すみません、よく聞こえなくて。もう一度おっしゃっていただけますか?」
「……誓いの口づけを交わすのです。」
蚊の鳴くような声でアンドレアは言った。
「口づけ、なるほど。」
ドン・サンチェスはアンドレアの唇に触れようと顔を近づけたが、彼のちょっとだけ突き出た鼻が邪魔をして、先にお互いの鼻がくっついてしまったので、
ぺろっ。
薄いざらざらした舌が、アンドレアの唇を舐めた。
二人は同時に吹き出した。
お互いに顔を見合わせるうち、今までに感じた事のない気持ちがアンドレアの胸に湧き上がり、夫の目を見る。
ドン・サンチェスは、それに応えるように、膝の上のアンドレアに優しくしっぽをからませ、しっぽごと華奢なその身体を抱きしめた。
アンドレアはいつものようにお腹のいちばん柔らかい毛に身体を埋めるようことはせず、その先をドン・サンチェスに委ねた。
そうか。誓いなのか。
指輪は誓いの証なのか。
錬金術師リナレスの指輪の「効果」を疑い始めていたドン・サンチェスだったが、ようやく合点がいった。
遠くの方で波と戯れる松風以外、辺りには人影もなく、誰にも邪魔されることはない。
ドン・サンチェスとアンドレアは二人だけの幸せな時間を過ごした。
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