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99人目の女王・7

「お、おい!」


 背中がひんやりする。

 さっきと同じ声が聞こえる。

 長い、長い落下だと思っていたが、実際は一瞬のことだったのだろう。

 状況の理解が追いつかず周囲を見回そうとしたウィリアムは、ゴン、という音を頭蓋骨から直に聞いた。

 後頭部が痛い!

 鼻も、ものすごく痛い!


「ぁん――」


 何だ、と言おうとして、口が塞がれていることに気がついた。

 痛みに上手く開かない目を無理矢理こじ開ける。

 目があった。

 ウィリアムはまばたきをする。ピントが合わないくらい近い位置にある、黒い瞳孔。

 ――瞳孔?

 目の前のそれが、まばたきをして、ゆっくりと離れていく。

 顔に触れていたものが遠ざかる。

 長い黒髪がさらりと白い頬を流れて落ちる。

 顔の陰影の少なさが、どことなく精巧な人形を思わせる。

 それでも、やわらかそうな頬と、ふっくらとした唇の桜色が、彼女が血の通った人間であると主張していた。

 ウィリアムの上で顔を上げたのは、さっきの少女だった。

 くちびるが重なっていたのだと今更ながらに知り、ああ、さっき鼻が痛かったのは、彼女の鼻とぶつかったせいなのだな、と、呆然と眺めていたウィリアムは理解する。

 さっきの、落下した空間が何だったのかはわからないが、まるっきり夢そのものでもなかったらしい。


「お怪我は――ぁぶっ」


 怪我などないかと思い問うたウィリアムの言葉は、左から来た衝撃に吹っ飛ぶ。

 その正体は、右てのひら。つまりビンタ。


「あの、何――ぉごっ」


 次は右頬。

 もう一度左頬。

 少女は無言のまま、べちっ、べちっという音が繰り返される。

 チラリと見えた、魔法陣の向こう――燐光はすでにない――から、こちらに駆け寄ろうとしたらしいアデルバートが「うわあ」とでも言いたげな顔で後じさりしているのが見えた。その後ろで、女王とガストルも非常に生暖かい目をしている。

 助けて。

 懇願しかけたところで、少女の手が止まった。

 やっとやめてくれたかと思ったところで、ゴン、という音を、頭蓋骨からまた直に聞いた。


「何するのよこの痴漢! おまわりさんこっちです!!」


 ウィリアムへ、マウントポジションから頭突きをかました少女の、それが第一声だった。

 頬の内側の、今朝噛んだ肉のあたりに血の味がするのは気のせいではないだろう。


「ええっと……ごめんなさいね、この世界に、警察はないのよ」

「は? え?」


 女王が、苦笑交じりにそう言って少女へと歩み寄る。

 少女は困惑した顔で周囲を見回し、やがて呆然とした顔で「ここ、どこ……?」と呟いた。

 ふたりの女性を横目に、そーっと近づいてきたアデルバートがしゃがみ込み、小声で話しかけてくる。


「……おまえ、大丈夫か? なんか、容赦無い音がしてたけど」

「かなり痛かったです、特に後頭部」


 同情混じりの声に、一方的にされるがままだった自分の情けなさを恥じ入るような余力もない。

 むしろあの状況で女性に手をあげなかった自分の自制心を褒め称えたかった。

 そういえば。


「さっき、一体何が起こったんですか?」

「……召喚儀式のことか?」

「たぶんそれです」


 あの穴は、落下感は。目線だけで問うたが、伝わったようだ。


「おまえが、新しい女王が落ちてくるのを受け止めようとしたのまでしか見えなかった」


 どうなることかと思ったが、術式が壊れなかったようで良かったよ。そう続けたあたり、あの制止の声はアデルバートのものだったのだろう。

 今はともかく、自分が――そして一応、彼女が――生きていたことを良しと思う他なさそうだ。

 ぐったりと天井に目を向ける。顔を上げる気力もないが、会話は耳に入ってくる。あれは――女王の声だ。


「ようこそ異世界へ。私はこの国の女王――今日からはあなたが、新たな女王となってこの世界を救うのよ」


 凄い言い分だ。誰が信じるんだろう、そんな突拍子もないこと。

 口に出したなら不敬罪と断じられても仕方ないことを考えながら、ウィリアムは石の床の冷たさに身を預ける。

 正直な話、もう、なんとでもなれという気分だった。

 だから。


「――はい!」


 そんな声が続いた時にも、「はい?」と呟いただけで済んだ。

次は24日、金曜日。

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