馬車は行く
剣と魔法の世界を旅する少女。
そして彼女の旅に同行する男がふたり。
久々に晴れた空の下、草原の中を通る一本の道を馬車が進んでいた。
農具を載せるような荷馬車ではなく、仕立ての良い、二頭立てで幌の張られた客車を引くタイプの物だ。
もっとも、天気が良いからか馬車の幌は畳まれており、それに乗っているのが少女と青年の二人だとひと目で分かる。
座席の上で本を開く黒髪の青年は、時折本から目を逸らしては周囲を見回し、同じことを何度も言い出している。
「なあ、獣の気配はないか? 剣を抜く必要があるようなことは」
「ありません」
御者台に座る金髪の青年が、ぴしゃりとした口調でそれを否定するのも、同じだけ繰り返されていた。
金髪の青年、ウィリアムは手綱を握ってこそいるが、御者ではない。
軽装ではあるが、紋章の入った、ところどころ白く塗装された金属を使った皮鎧を纏っている。
それはこの国の、上級近衛に支給される装備だ。
黒髪の青年、アデルバートも飾緒のある黒い詰め襟を着ており、軍職にあるのだろうということがわかる。体は細く、武器のたぐいも見当たらないがその代わり、手にしている他にも横に積まれている本に時折羊皮紙が挟まれている。魔術を駆使する人間によくある傾向だった。
軍属と見て取れる青年二人に対し、少女の姿は少々異様であることを否めない。
紺色の、背中に大きく広がった襟を持つ上着、そこから覗かせるように正面で結んだ赤いリボン。上着と同色、同素材のスカートの、セーラー服なるいでたち。
肩を越える程度に伸びた黒髪を、髪留で半分程をすくい上げるようにして後頭部に留めた姿は、黙っていれば深窓の令嬢のようにも見えたかもしれない。
黒目がちの瞳に、厚すぎない唇、低いとは言わないまでも高くない鼻から太めの眉に伸びるラインはすっきりしているが控えめ。男二人とは随分違った風情の、さっぱりした顔立ち。異国情緒すら感じるほどの、風貌の違い。
――彼女、葉月は異世界人である。
日本という国から来た女子高生、なのだそうだ。
彼女の世界では、馬車というのはおそろしく昔に廃れたものらしい。
乗り、移動を始めた当初には楽しげに周囲を見回していたが、のんびりとした速度に飽きた、と言い出してうつらうつらとしだしたのは、一刻(二時間)は前の事だったように思う。
その彼女が、さっきから妙に腹立たしげにもぞもぞとしていたことには、気がついていたのだが。
「あああ、もうお尻が痛い!」
彼女が怨嗟の滲んだ唸り声を上げて馬車の椅子から立ち上がるなんてことは、ウィリアムには想定できていなかった。
車輪が大きなくぼみにはまりこんで、がたりと大きく揺れる。
大したことなかったはずのその衝撃は、葉月にとっても予想外だったのだろう。勢いに負けてつんのめるようにバランスを崩し、馬車の前方に身を投げ出すような姿勢になった。
「葉月ちゃん!?」
本から目を離す分の一瞬、アデルバートの反応も遅れた。
慌てて本を置き、手を伸ばすも間に合いそうにない。
馬車は勢いこそないものの、高さはそれなりにある。そんな場所から、頭を下にして落ちれば無傷ではすむまい。
恐怖心にか、葉月はきつく目を閉じていた。
「急に立ち上がると、危ないですよ」
ウィリアムは声ににじむ呆れをなるべく隠そうと努力しながら、おそるおそる声をかける。
咄嗟に葉月を受け止めたのだ。……その結果が、肩で腰を担ぎ上げるような形になったのは、ただの偶然であって。
顔が近にくあったのは、その結果の、致し方ない不可抗力だと主張したかったが、一歩遅かった。
「きゃ、きゃああ!」
葉月が思いっきり、ウィリアムの顔を平手で叩いた。
ウィリアムの頬に、赤い紅葉ができあがる。
「……痛いです」
「ご、ごめんなさい……」
頬を軽くおさえて呻くウィリアムには、怒ればいいのかなだめればいいのかわからなかった。
言うほど痛いわけではないが、すこしひりひりする
どうも、葉月には苦手意識を持たれているような気がする。
「ぷ……ふひゃ、ははは! いや、ん、無事で良か、ぶはははは!!」
後方で、アデルバートが吹き出したのが聞こえる。
一度笑い出すと、アデルバートはしばらく止まらないたちらしい。
投げ出された姿勢のままでは座席に戻ることも出来ない葉月を大事な荷物のように受け取り、座らせながらもまだ笑う。
笑われたことが恥ずかしいのか、葉月は膝を抱えて頭を下げ、沈み込むように小さく丸まった。
大きなため息を吐きながら、手綱を握り直そうとして。ウィリアムはじっと自分を見る目線に気がついた。どうしたの? とでも言いたげに首を巡らせてきた馬の毛を撫でてやりながら、彼ははぼんやりと、どうしてこんなことになったのか、思いかえしていた。
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