第三話
畑で農作業をする人々の姿が見える。これからやってくる冬に備えているのだろう、車の中からでもクワを振り下ろす手に力が込もっているのが分かる。
ただその顔は皆一様に暗い。長い戦争のせいで日々の暮らしは辛くなり、ここのように戦場に近い地域では何時自分が巻き込まれるのか、という恐怖もあるのだろう。
実際に巻き込まれ、戦場と化してしまった村や街はいくつもある。そこに住んでいた人々は自らの力で新しい土地での生活を始めなくてはならない。
国の中心部にある比較的大きな街に住んでいる者はまだいいが、辺境に暮らす者には辛い選択だ。
気温が下がり青空はどこまでも澄んで見える。遠くに見える木々は力強くその葉を四方に伸ばしている。
自然がこれだけ豊かなのに、人ばかりが苦しんでいる。人々は皆思っていることだろう。
「この戦争の先に何があるっていうんだ」
窓の外を流れる景色を見ながら、カサイは思わずつぶやいていた。
「どうされたんですか?」
隣に座る歌姫がこちらを不思議そうに見上げている。
「いえ、なんでもありません。お気になさらずに」
歌姫とその護衛を任されたカサイ、ミヤマの二人は軍用車に乗って第十一戦闘地域に向かっているところだった。
前後には部隊のメンバーが乗っている軍用トラックが走っている。
「いやあ、しかし歌姫と同じ車に乗せて頂けるなんて光栄です!」
ミヤマの調子の良い発言に歌姫が小さく笑みを浮かべながら答える。
「いえ、そんな大したことではありませんので…それに私も明るい方と一緒で嬉しいです。モトムラ大佐が横について下さってたときはちょっと緊張してしまいまして…」
「まぁ、そりゃあ緊張しますよね~!モトムラ大佐は迫力ありますからね~!モトムラ大佐の武勇伝とかも信じられないようなものばかりですからね。ご存知ですかね?あの2年前の…」
「…ミヤマ、お喋りをするなとは言わんが周囲への警戒は怠るなよ。もうすぐで戦闘区域に入るんだからな」
カサイが注意すると、ミヤマは小さく「りょーかい」と答えて窓の外を眺める作業に戻った。小さく「これから面白くなるところだったのに…」とぼやく声が聞こえた。
歌姫は自分も怒られたと思ったのか、固い表情をしたままミヤマとカサイを交互に見上げている。
「歌姫様は何も気にする必要はありません。今はこの後の任務に集中してください」
「はい…」
こうして萎縮して小さくなっている姿を見ると、普通の少女にしか見えない。
しかしこの少女は戦場に立ったその時に、兵士の身の丈を越える重厚な戦車よりも幾千もの戦場をその手腕で駆け抜けてきた司令官よりも重宝され恐れられる存在になるのだ。
「あ、歌姫様!見えてきましたよ!あの建物が今回の作戦本部になります」
ミヤマの脳天気な声が響く中、車は市街地へと入って行った。
作戦本部では既に兵士たちによる戦闘の準備が始まっていた。
大量の小銃と弾薬が配られたかと思えば、どこからか新しい大量の銃器がやってくる。
指令を下された分隊が静かに配置へと着き始める。
行動する兵士の顔は真剣で、流石のミヤマもここに来てからは口をつぐんでいた。
言葉少なに行動する兵士達であったが、その表情に悲嘆の色は伺えない。
皆知っているのだ、今回の戦闘には「女神」がついていることを。
「彼らが今回の作戦に協力してくださっている方々なのですね」
小銃を抱え、小走りで走り出した兵士たちの背中を見ながら、歌姫は言葉を噛みしめるように言った。
「彼らが歌姫、レアル様に協力して頂いているのです。あなたが彼らに力を貸しているのですよ」
歌姫は「…そう…でしたね…」と小さく言葉を漏らすと、兵士たちの背中を見つめたまま黙ってしまった。
「さあ、モトムラ大佐の元へ向かいましょう。大丈夫ですよ、何かあったら私、ミヤマが体を張って歌姫様をお守りいたしますので」
ミヤマの軽い調子も今の歌姫には効果が薄かったようだ。歌姫はわずかに笑みを浮かべて、カサイとミヤマと共に歩き出した。
「…ごめんなさい」
兵士達へ向けられた歌姫の小さな懺悔の言葉は、誰の耳にも届くことは無かった。
今回の第十一戦闘地域での作戦は市街戦となる。戦闘開始後、モトムラ大佐の判断により歌姫が投入される手筈だ。つまり大佐の判断次第では歌姫の出番は無い可能性もある。
そのモトムラ大佐は作戦本部にやってきた三人を相変わらずの貼り付けたような笑顔で迎えた。
作戦本部は廃屋の一部をそのまま利用しているらしく、部屋の片隅には地図や通信機に紛れて食器など生活の名残がそのまま放置されていた。
「ご苦労様。歌姫、あなたは作戦開始二時間後に『歌って』もらいます。よろしいですね?」
「は、はい!」
歌姫の顔が緊張からか少しこわばる。
「カサイ少尉、君達には改めて伝える必要は無いね?任務を無事、全うしてくれることを期待してるよ」
無言で敬礼を返す。
話が終わるとモトムラは他の部隊への指示を出し始めた。どうやらモトムラは歌姫が関わる戦闘に関しては全権を託されているらしい。本来の司令官だったであろう男の軍人が、苦虫を噛み潰したような顔でモトムラの横顔を見つめていた。
「あんな顔しちゃって、いくらなんでもあれは露骨すぎるね、あれで隠してたつもりなのかね?」
モトムラ大佐との話し合いの後、カサイ達の分隊は作戦本部の建物の中の一室を与えられ歌姫の出番を待っていた。
場慣れしているのであろう、ミヤマを始めほとんどの兵士が軽口を叩きあったり、リラックスしているようだった。
「それは是非見ておきたかった!俺たちは待機の指示を出されてたからヒマでしょうがなかったぞ!戦場に来てるのにこんなじっとしてるのは初めてだ」
ミヤマの発言に対し、サカシタがざっくばらんに返答する。どうやら二人はかなり気が合うようだ。口調もいつのまにか砕けたものになっている。
「それに、その待機の原因である歌姫はどこに行ったんだ?俺らがついてなくていいのか?」
「問題無い。色々と準備があるらしく、歌姫は別室で待機している。コトハ伍長と他数人に警護してもらっている」
「ふ~ん、何でカサイ少尉はこっちに?」
「今は神経質になってるだろうから女性に任せたんだ。俺みたいな男がいるよりかよっぽどいいだろう」
「そういえば、サカシタ軍曹は歌姫の活躍を見たことあるの?」
「いや、俺は無いな。確かこの中だとニイダ上等兵だけじゃ無かったかな」
カサイ、ミヤマ、サカシタと、三人の話を聞いていた数人の兵士の視線がニイダへと向けられる。
ニイダは部屋の隅に座って、壁に寄りかかりながら自分の小銃を磨いていた。
「なあ、ニイダ君。君は歌姫の活躍を見たことがあるんだろう?どうだったよ?」
サカシタが話しかけても、ニイダはわずかに視線を上げただけでまた小銃磨きの作業に戻ってしまった。
「無視することは無いんじゃないか?皆気になってるのだ!歌姫がどのように歌い、どのように勝利をもたらすのか」
ニイダの小銃を磨く手がピタッと止まる。
「…歌姫は作戦本部の近くの旧噴水広場で歌い、その歌声をあらかじめ用意しておいた拡声器、通信ケーブル、放送機器を利用して戦場に流す。作戦活動中は…」
「そんなことは分かってる!そうじゃなくて、歌声が流れると何が起きるのかを聞いてるんだ」
「………」
サカシタに発言を遮られたニイダはそれきり黙ってしまった。
見かねたミヤマが場を取り持つように話し始める。
「でもさ、何でわざわざ戦場に出て歌うんだろうね?味方の士気を上げるっていうのは分かるけど、敵軍からしたら歌声だけでいい訳じゃん?」
「録音機器がまだ十分な性能を発揮してないからじゃないのか?」
「確かに我が国の通信技術はまだまだ未発達だけど、今のやり方だったらそんなに違いはないんじゃないかな?」
巨躯のサカシタと比較的小柄のミヤマが二人して首をひねっている光景はなかなかコミカルで、カサイは二人の能天気さに頼もしささえ感じ始めていた。
そのとき、部屋の扉が開かれ、歌姫とコトハ伍長、数人の兵士が部屋へと入ってきた。
兵士の表情が一気に引き締まる。
言葉にしなくとも全員が分かっていた。
殺し合いが始まるのだ。
戦場は静かだった。作戦本部近くで戦闘が起こっている訳もなく、聞こえてくる銃声や兵士の叫びは遠かった。
カサイ達は油断なく周囲を警戒しながらその時を待った。旧噴水広場の真ん中、噴水を背にして立つ歌姫は今は目を閉じたままうつむいて動かない。
戦争が起きてなければこの噴水広場にも彼女のような少女が、家族が、恋人たちが歩いていたはずなのだろうか。
銃声と兵士の叫びが少し大きくなった気がした。徐々に戦線が迫って来ているのかもしれない。分隊に緊張が走る、狙撃兵の可能性を考えるとこんな開けた場所に長時間いるのは生きた心地がしない。
「いよいよだね」
ミヤマは興奮を抑えきれない様子で話しかけてきた。
「警戒を怠るなよ、いつ狙撃されるかわからん」
「心配性だなぁ、大丈夫だって。前もって他の部隊が安全の確保をしてるんだろ?」
「完璧ではない」
「そりゃあそうだろうけどさぁ」
「配置に戻れ、お前と無駄話してたせいで、もう時間だ…」
モトムラ大佐からの指令が、伝令を通して下された。
歌姫がゆっくりと顔を上げる。
機器から流れる始める数多の楽器の音色。
音色は拡声器とケーブルを通り戦場へと届けられる。
機械で音量をギリギリまで上げられたその音色は粗雑で荒々しく、ビリビリと肌に空気の振動を感じた。
ゆったりと奏でられるヴァイオリンの音色。それに続いてオーボエの高音が響き渡る。
歌姫が口を開き、歌声が響き渡る。
澄んだ歌声はピンと張りつめており、静かに広がっていく。
聴いたことのない歌詞だった。
死にゆく者のための祈りを込められた旋律に次第に力が込められていく。
ヴィオラ、コントラバス、トランペット、次々に奏でられる音色が混ざり合う。
楽器の音色は圧力を増し、音色が一体となっていく。
歌姫は一段と声を張り上げ、その高音が曇天に響き渡る。
一瞬、戦場からの音が何も聞こえなくなった。
そして次の瞬間に聞こえてきたのは、
兵士たちの絶叫だった。
「なんだよ…これ」
隣でミヤマが周りを振り返り、呆然とつぶやく。
護衛の兵士たちは皆同じで、信じられないといった表情で周りを見渡していた。
ただ一人、ニイダ上等兵だけは無表情に歌姫を見つめていた。
四方八方から聞こえてくる兵士たちの絶叫と怒号は、反響し、重なり合い、戦場に満ちていく。
まるでコーラスの様に力強く、鎮魂歌に悲哀の色を重ねていく。
カサイは全身の肌が粟立つのを感じていた。
護衛の兵士たちも歌姫の恐怖に飲まれているようだった。
誰しもが、歌声と楽器の音色と兵士たちの断末魔が重なり合うオーケストラに圧倒されていた。
何人が死んでいるのだろう。
殺しているのは紛れもなく彼女の歌だ。
歌の形をした銃弾が、戦場で兵士たちの真横を、頭上を飛び交っている。
兵士は、己を奮い立たせるために声を張り上げる。
兵士は、絶望にとらわれ、その悲鳴を響かせる。
銃声の破裂音が絶え間なく聞こえてくる。
カサイは無意識のうちに震える体を無理やりに抑えながら思っていた。
この少女はただの人間ではない。
もちろん、戦いに勝利をもたらす女神などでもない。
歌に乗せ、死と破滅を撒き散らす死神だ。
歌姫は歌い続けた。
その大きな瞳から、
静かに、涙を流しながら。
歌姫は歌い続けた。




