8 王都からの追放
翌朝、朝日が昇り始めたころに目が覚めた。
昨夜はなかなか寝つけなかったけれど、ふかふかのベッドのおかげで体の痛みはなかった。
顔を洗い身支度を整える。
クローゼットには旅に着ていける身軽な服も準備されていて、昨日のうちに侍女たちが鞄に詰めてくれた。
今日の服装は白のブラウスに若草色のジャケットと薄紅色のスカート。
歩きやすいよう、踵の低いブーツも用意してくれた。
旅の途中で飽きないようにと持たされたのは、スケッチブックとノート、ペン。侍女たちおすすめの小説も数冊。
小説のあらすじだけ確認したけれど、一冊はドロドロの愛憎ものだった。
……鞄の奥にそっとしまった。
それとカラフルな飴玉がぎっしりと入った瓶詰めを持たせてくれた。
侍女たちが用意してくれたものを見ていると、なんだか旅行に行くようで、憂鬱な気持ちが少し和らいだ。
「おはよう。準備はいいかい?」
部屋まで迎えにきてくれた殿下が、私の鞄を持とうとしたので大慌てで止めた。
王族を使用人のように扱う罪人なんて前代未聞だ。
渋る殿下をなんとか説得し、鞄を抱えて彼の後ろをついていく。
殿下は黒のハイネックシャツに紺色のジャケットを羽織り、首元にはクラバットを巻いている。
黒のタイトなズボンをブーツインし、腰には剣を下げていた。
今日も殿下の周りにキラキラと光が舞っているように見える。
心の中で推しにそっと手を合わせておく。
すると急に殿下が立ち止まり、後ろを振り返った。
じろじろ見ていたのがばれたかも。
思わず立ち止まると、殿下が私の鞄を素早く取り上げた。
「やっぱり時間短縮で」
にやりとして鞄を持ったまま、どんどん先を歩いていく。
(う……取られた。鞄重いの気づかれてたかな)
私は慌てて殿下についていった。
辺境へ向かう馬車は二台。一台は私たちが乗車し、もう一台には物資が積まれている。
護衛の辺境騎士団は五名。私たち二人とそれぞれの馬車の御者が二名ずつ、総勢十一名での旅だ。
侍女がいないため、旅の間の身の回りのことは自分で行わなくてはならない。
そう謝られたけれど全然問題はなかった。
庶民だった前世はもちろんのこと、今世の私も身の回りの世話をしてもらうことが苦手だった。
私はほとんどのことは自分でできる。逆に殿下はどうなんだろう。
聞いてみると、殿下も人に世話をされるのが昔から嫌いだったらしい。
「悪いことを考える人もいるからね、信用できる人だけを近くに置いていたんだ」
(そういう経験があるのかな……)
馬車は頑丈そうな黒塗りの二頭立てで、装飾のないシンプルなものだった。
中は男性が足を伸ばしてもゆったり座れるくらいの広さがある。
長時間の移動に耐えられるように上質な座席が備えつけられ、折りたたみテーブルまであった。
最初、私は荷馬車の方に乗り込もうとして、そっちは違うと止められた。
罪人が殿下と同乗はできない、と反論したけれど、特別な馬車なのだと説明された。
「この馬車は特別仕様でね。一定の範囲内にいると馬車の中は丸見えなんだ。周りから監視されているから君も、もちろん私も、悪いことはできないってわけ」
殿下は婚約者でもない男女が馬車で二人きりなのを、私が気にしていると思ったようだけど……そこはまったく考えていなかった……。
殿下が御者に合図を出すと、馬車はゆっくりと動き始めた。
窓から外の様子を見る。
馬車の周りを馬に乗った騎士団が、両脇を固めるように配置されている。
ふと騎士の一人と目が合ったので、慌てて会釈をして顔を正面に戻した。
顔を戻すと、今度はこちらを微笑んで見ている殿下と目が合った。落ち着かない……。
王都の喧騒を馬車の中からぼんやりと眺める。
これからもずっと、王都の大聖堂で癒しの聖女として働いているはずだった。
それが私にとっての幸せなのかはわからないけれど……少なくとも誇りは持っていたと思う。
(街の人たちが笑顔で帰っていくのを見送るのは、充実感があって好きだったな……)
馬車は巨大な門を抜け、ついに王都を離れた。
「さて、もう散々顔を合わせているけど、あらためて自己紹介をしようか」
あまりにも慌ただしくて、そんなことはすっかり忘れていた。
「私はハルジュ。年齢は二十三歳。この国の王弟なんていう肩書きがついている。でも私は国政には参加していないし、今は王家を離れて別の仕事をしている。だから普通にしてくれていいよ。特技は剣と、人には見えないものが見える……かな」
(え、何それ。霊感的な……ってこと?)
推しの新たな秘密を手に入れた私は、脳内の殿下データベースに今の情報を叩き込んだ。
(次はわたしの番だ……うう、緊張する)
「わ、わたしはリナリエ・メルダールと申しまして、メルダール伯爵家の長女です。家族は父母、十四歳の妹と五歳の弟がいます。先日学園を卒業した十八歳で、もうすぐ十九になります。特技は癒しの聖術です……たぶん」
「メルダール伯爵……たしか水田の一大領地だったね」
「はい、農地のほとんどが水田です。収穫時期は見渡す限り一面が金色の海になって絶景なんです!」
実家のメルダール伯爵領の主産業は稲作で、広大な領地のほとんどを水田が占めている。
この国のお米事情を支えているのは我が伯爵家なのだ。
領地の話題に思わず熱くなる。はっと我に返り、恥ずかしさに顔をうつむけた。
殿下はにこにこしながら「いつか見てみたいな」と言ってくれた。
社交辞令なのはわかっているけれど、家のことに興味を持ってもらうのはやっぱり嬉しい。
「学園で学んだと思うけど、せっかくだしこの国の地理についておさらいしよう」
自己紹介が終わったところで、殿下はテーブルを出して地図を広げた。
「ここは世界四国の東に位置するアズロア王国。直線で国の端から端まで、普通の馬車ならどんなに頑張っても半年くらいはかかるね」
地図には正方形に近い形をした国の領土が描かれている。
殿下は中心より少し西側、王家の紋章が描かれた場所を指差した。
「ここが王都だ。王都を中心に東西南北、四つの公爵家が領地を治め、侯爵領、伯爵領、子爵領、男爵領と続いていく」
王都を指していた指をゆっくり移動させ、地図の東端で止める。
「そしてこの国の東端、大森林を含めた一帯が辺境と呼ばれる場所だ。ここには何があるか……いや、何があったかは知ってる?」
王弟殿下の質問に、私はうなずいた。
「はい、辺境の最奥には、建国よりも前から『聖霊の森』が存在していました。でも約百年前に聖霊の森は黒く変色し、辺境の大地の植物は失われた。それは辺境が呪われた証だ……と教わりました」
「そう、今や聖霊の森は『黒の森』と呼ばれ、植物の育たない不毛の土地となった辺境は『呪われた地』と呼ばれるようになった……」
殿下は地図に目を向けたまま、硬い声でぽつりと答えた。
「……?」
殿下の様子が気になったけれど、彼はすぐに顔を上げて表情を和らげた。
「これから行くのはそんな場所だ。辺境でも最も東に位置する黒の森の手前、辺境領都に向かう。最短で一週間はかかるかな」
「一週間……」
王都から国の端まで、普通の馬車なら数か月はかかる。
しかし『術具』という聖術を施した道具を使えば、馬に負担をかけずに高速長時間の移動ができるようになる。
この術具のおかげで長距離移動や交易が楽になり、国は大きく発展してきた。遠い辺境も一週間でたどり着く。
それでも一週間。道のりは長い。
王都を出てから馬車は高速移動を続けている。
窓の外の景色がどんどん変わっていく。高速道路を走っているみたいだ。
外を見ると、護衛の騎士にもしっかり術具が発動している。
この速度で馬に乗っているのか……想像して、背筋がひやりとした。
地図で場所を確認したことで、辺境へ向かっているという実感が強くなる。
私は気持ちを紛らわすように、窓の外の景色をじっと見続けた。
◇
休憩を挟みながらも馬車は走り続け、公爵領の街の宿にたどり着いた。
到着の少し前から雨が降り始めていた。
今夜の宿の二階は貸切だった。
シンプルだけど、しっかり掃除が行き届いた清潔感のある部屋に通される。
一人になった途端、どっと疲れが押し寄せてきた。
この道中、罪人の移送とは思えないほど快適に過ごせている。
とてもありがたいのだけど……とにかく殿下の顔が良すぎるのが問題だった。
そのお顔で、気がつくとじぃーっと見られている気配がして、胸が詰まって息がうまく吸えない。
今は話しかけられたとき以外、なるべく殿下を見ないようにしているけれど……。
(やっぱり明日から、荷物と一緒に移動しようかな……)
そんな疲れもあって、ベッドに入ってから眠りにつくまではあっという間だった。




