25 行商がやってきた
黒の森の騒動の翌日。もう大丈夫だというマザーを部屋に押し込み、今日一日は安静にしてもらうことにした。
初めて朝の祈りをひとりで行う。
聖霊たちに昨日の薬草のお礼も兼ねて、今日の朝食はちょっと奮発して分厚いベーコンを焼いた。
聖堂の扉を開けて中に入る。朝日を受けて聖霊たちがきらめいている。私は聖霊たちに「おはよう」と声をかけて、食事を祭壇の上に置いた。
黒の森に入ったあとから、いつでも聖霊の光が見えるようになった。基本的に聖霊はどこにでもいて、白い光が瞬きながら、ふわふわとあちこちを漂っている。
特に多いのは聖堂の中と私の部屋だ。それでも森の中で見た数の方が圧倒的に多い。聖霊の生まれる森だからだろうか。
祈りを捧げると聖霊は食事に集まっていく。この不思議な光景もすっかり見慣れて、当たり前のように「次は何を食べてもらおうかなぁ」なんて考えてしまう。
聖霊が身近にいると実感したことで、祈りの時間も今まで以上に心がこもる。何も考えずに聖霊といられるこの時間が大切なものになっていた。
聖堂から修道院へ戻る途中で黒の森が目に入った。
昨日のことを思い出すと、まだ手が震えてしまう。
あれからハルジュ様はしばらく森に入ることを禁じた。安全が確認できるまで騎士団が森を調査するという。
ハルジュ様の話では、あの黒犬は「たまたま飼い主からはぐれた猟犬が野生化してしまったもの」らしい。ほかに獣はいないと言っていたけれど……。
(あの目、あの牙、それに……あの色。本当にただの野犬だったのかな……)
いくら考えてもわからない。ハルジュ様が調査してくれているのだから、私たちは待つしかない。
(早く聖霊たちが静かに暮らせる森に戻るといいな……)
朝食のあと、玄関前の掃除をしていると見慣れない荷馬車がやってきた。
様子を見ていると、私に気づいた男の人が声をかけてきた。
「やあ、初めて見る顔だけど……新しく入ったシスターかい? 今日はマザーはいるかな?」
(あ、もしかして……)
荷馬車には幌がかかっていて中は見えないけれど、今日は二週間に一度の行商の日のはず。
にこやかに挨拶をしてくる様子を見ると、どうやら行商人は王都での私の噂は知らないようだ。私はおそるおそる挨拶を返した。
「お、おはようございます。わたしは少し前からここでお世話になっているリナリエといいます。マザーは足を少し怪我してしまって……部屋で休んでいます」
「ええっ!? 大丈夫なのかい?」
行商人が心配そうに聞くので慌てて説明した。
「もう大丈夫です! 今日は念のため休んでもらっているだけなので」
「それならいいけど……もしかしてあんたが種が欲しいと手紙をくれたシスターかな?」
「あっ! そうです! ちょっとマザーに報告してくるので、食料庫側の入口に回ってください」
ちゃんと手紙は届いていたようだ。私はマザーの部屋に行き、行商が来たことを告げた。
マザーに声をかけると私の好きなように食材を補充してもいいと言うので、行商人に見せてもらうことにした。
荷馬車にはたくさんの食材が積まれていた。前世でもなじみのある食材や、見たことのないものまで……いろいろありすぎて迷ってしまう。
とりあえず卵やベーコン、小麦粉、茶葉など、少なくなっていた食材を補充し、野菜を数種類とパスタ、魚の燻製などを新しく追加した。
そして――私は見つけてしまった。
「おじさん、こ、これ……」
「ん? ああ、変な色だろ? ショーユっていう調味料らしいよ。たしか南の公爵領の街で仕入れたんだっけ。なんかあっちで流行ってるらしくて」
「買います!!」
「お、おう。まいどあり」
前世の記憶が求めていた調味料……醤油。こんな西洋風の世界にある訳がないと思っていた。
(想像以上に近くにあった……!)
これで私の料理のレパートリーは格段に広がる。にやにやが止まらない。
「そんなにおいしいの? このショーユ。俺もちょっと食べてみようかな……」
私のにやけ顔を見て行商人がぼそりと呟いた。醤油は最高の調味料だけど、量を間違えると恐ろしいことになる。使い方を気をつけるようにと声をかけておいた。
「で、これが頼まれた種だ。育てやすい野菜の種と花の種を二袋。この土地じゃ育たないと思うけど」
行商人のおじさんが種の入った袋を差し出してきた。
「この種は何の種なんですか?」
「野菜の方はミニトマトだな。そんでこっちは聖星花だ。これなら初心者でも育てやすいだろうと思って」
野菜は前世の家庭菜園でもおなじみのミニトマト。ちょっとした実験にちょうど良さそうだ。
花の方はこの世界でポピュラーな野花である聖星花。
真っ白で小ぶりな花をつける聖星花は、創世神が最初に作り出した花といわれ、聖花として扱われている。
ちなみに、ゲームでも告白イベントを成功させるための重要アイテムとして登場した。
一年中どこにでも咲くことのできるこの花も、今回の実験にはぴったりだ。
「ありがとうございます。うまくいったらまた追加をお願いするかもしれません」
「ふーん? それならさ、野菜の苗なんかの方がいいんじゃない? 安くしとくけど」
商売上手なおじさんの目がキラリと光る。
(野菜の苗か……)
私は今後の計画を頭に思い描いた。
(父様からあれが届いてから、タイミングを考えてお願いすれば……うん、苗も試してみよう)
「お願いします。ただ準備にもう少しかかるので、また欲しいときは連絡しますね」
「了解。いつでも手配できるように準備しておくよ」
お互いにっこり笑い合う。このおじさんなら、今後もいい買い物ができそうだ。
おじさんに食料を倉庫まで運んでもらい、代わりに昨日採取した薬草を荷台に積み込んでいく。
薬草は修道院の生活費にもなる、大事な商品だ。
「あいかわらず葉や根がまったく傷んでいない、上質な薬草だ。シスターもマザーに採取の技術を教えてもらえるなんて、うらやましいねぇ」
薬草を見て満足そうにうなずくおじさんから、今回の売上金を受け取る。思った以上に高値で売れた。
こうして得たお金は必要な分だけを残し、残りは街のために使ってもらえるよう、領主である辺境伯様へ納める。代わりに何か困ったことがあれば街の人が助けに来てくれる。そうやってお互い助け合って生活してきたのだという。
「それが……しばらく薬草はお休みになりそうで……」
私は黒の森が訳あって立ち入り禁止なのだと説明した。おじさんは「それじゃ今ある薬草は全部買い取るよ」と、追加で薬草を購入してくれた。
「シスターはいいパートナーになりそうだ。じゃあまた二週間後な」
しっかりと握手を交わし、行商人のおじさんは帰っていった。




