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枝先の彼女【一年かけて季節を一周する短編集】  作者: 笠原たすき
椿

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39/39

椿( す )

「それじゃあ、よろしくお願いします」


 看護師さんに着替えを渡す。かわりに洗たく物の入った袋を受け取って、ナースステーションを出る。


 おみまいができなくなってから、4日。お母さんのおみまいは、まだ再開できていない。


 コンビニに寄って、ATMを見る。残高は、この間お金を下ろしてから、変わっていない。


 病院を出ると、今日は薄暗い。空がくもっているからだ。


 バス停に向かう道も、暗くて寒い。せっかく小さくなった雪かきの雪も、この間の雪で、また増えている。


 またはじめから、やり直しだ。


 ◇


 アパートの階段を上ったところで、結季さんが部屋から出てきた。いつもの赤いストールを背中にはおって、手にはゴミ袋を持っている。明日は水曜日だから、もえないゴミの日。


「あら水流ちゃん。今日はこの時間なのね」


 結季さんは、こっちを見ると言う。そして続ける。


「もしかして、おみまいに行ってきたの?」


 私は半分、首を振る。


「まだ、おみまいはできなくて……なので、着替えだけ、持って行ってました」


「そうだったの……。遅くまで、おつかれさま」


 私は小さくうなずく。


「それじゃあ、お部屋入って、あったかくしてね」


 結季さんは言って、私はうなずく。結季さんは階段を下りて、私は部屋のカギを開ける。


 部屋に入って、スマホを見ると、LINEの通知が来ていた。お母さんからだ。


 スマホを開いて、返事を送る。すぐに既読がついて、少ししてお母さんから電話が来る。


「もしもし、みっちゃん? 着替え、受け取ったわ。ありがとうね」


 電話だから、いつもより声がガサガサしている。それでも、お母さんの声が聞けて、私はホッとする。


「メモも、ありがとうね」


 お母さんは、続けて言う。


「……別に、大したのじゃないけど」


 私は答える。


「それでも、うれしかったわ」


 お母さんは、優しく言う。


「……具合は、どう?」


「ええ、大丈夫よ」


 私が聞くと、お母さんは、それだけ答える。


「面会、まだ無理そう?」


「そうねえ。そろそろいいと思うんだけどなあ。明日、先生に聞いてみようかな」


「大丈夫になったら、教えてね。すぐ行くから」


「ええ」


「……大丈夫じゃなくても、教えてね」


「ええ、もちろんよ」


 少しだけ、沈黙が流れる。すると、お母さんは言う。


「それじゃあ、今日はもう遅いから、明日また電話するわね。お風呂入って、ゆっくり休んで」


「……うん」


 私は答える。


「ご飯は今日は、何にするの?」


「……昨日の残り」


「そう」


 また少し、沈黙。私は何か言おうとしたけど、すぐ出てこない。


「それじゃあ、また明日ね」


 そして、お母さんは言った。


「うん、また明日」


 だから、私も言う。


 私は、電話を切る。


 少しだけ画面を見つめて、お風呂はもう少し後でいい。


 ◇


 明日、つまり今日。お母さんは、電話の向こうでいきなりせきこんだ。


「ごめんねえ、電話するなり」


 お母さんはそう言うと、またせきをする。


「おかしいわねえ……もうおさまったと思ったのに……」


 そう言って、またせきをする。


「……つらい?」


 私は聞く。それくらいしか、聞けない。


「大丈夫よ。せき止めだって、ちゃんと飲んでるもの。ただ、こんな調子だから、面会のことも聞けなくって……」


「いいよ、そんなこと。今はまだ、ゆっくり休んで」


 私は言う。そして、少し黙る。それから言う。


「電話も今日は、もう無理しないで。また明日、ゆっくり話そう」


「大丈夫よ。せっかく……」


 お母さんは、そこまで言うと、またせきこむ。だから私は、また言う。


「本当に、無理しないで」


 それから言う。


「明日ね、いつもより帰り、早いんだ。あさってが、卒業式だから。明日は午後は準備だけで、準備終わったらすぐ帰れるの」


「そう、卒業式……。もうそんな時期なのね」


「うん。だから、帰ったらすぐ、電話するよ。明日またゆっくり……」


「ああそうだ、待ってみっちゃん」


 すると、お母さんは言う。


「お母さん、明日の午後、検査が入っちゃったの」


「検査?」


 私は、聞き返す。


「そうなの。お母さん、カゼ中々よくならないでしょう。だから先生が一度……」


 そこまで言って、お母さんはまたせきこむ。そして、せきをおさえるようにしながら言う。


「――の検査を、した方がいいって言うの。だから……」


「え? 何て?」


 かんじんなところが聞こえなくって、私は聞き返す。だけど、聞き返した声が、またせきでかき消される。


「……まあ、そんなこと、ないと思うんだけど」


「そ、そう……」


「だから明日はちょっと、電話をもらっても出られないかもしれなくて……」


「ううん、ならいいよ。そしたらあさって、あさって話そ」


 私は言う。そしてつけ足す。


「それこそさ、卒業式の日なんて、もっと帰るの早いもん」


 お母さんは何か言おうとして、またせきをしそうになる。私は言う。


「ほら、だからもう、今日は無理しないで。ゆっくり休んで」


 そして続ける。


「ゆっくり休んで、早くよくなって」


「……そうね」


 お母さんは、静かに言う。


「……それじゃあ、またね」


「ええ。またね」


「またね」


 私は言って、電話を切る。そしてまた、画面を見つめる。


 窓の外では、カラスが鳴いていた。


 何羽も集まって、ギャアギャア鳴いていた。


 ◇


 そしてあさって。卒業式の日。


 紅白の布が、体育館を囲む。


 クラシックの音楽が、ゆったりと流れる。


 その中で、卒業生の先輩たちが、一人一人名前を呼ばれていく。


 私はひざに手を乗せて、いろんな名前を聞いていく。


 普通の名前、珍しい名前、いろんな名前の先輩たちがいる。


 その一つ一つに、ちゃんと理由があるんだろうか。


 私の名前の理由の話は、まだお母さんに聞けていない。


 直接会って、聞きたいから。


 電話じゃなくて、顔を見て聞きたいから。


 私はちらりと、保護者席を見る。


 お母さん、私のときは来てくれるかな。


 そして、卒業式の後、先生に声をかけられる。


「石井(いしい)さん、ちょっと……」


 ◇


 ビーっという音が響く。バスのドアが、ゆっくり開く。


 私は急いでバスを降りて、いつもの坂道をかけ上がる。気持ちだけが、意味もなく焦った。


 首元のマフラーが暑い。だけどほどいている時間ももったいなくて、私はそのまま坂道を上る。


 走りながら、ふと気づく。別に今日くらい、病院前まで乗っていてもよかったのに。いつも通り習慣で、一つ前で降りてしまった。


 気づいたけれど、もう遅い。バスはとっくに、行ってしまった。仕方がない。私は、とにかく走る。


「きゃっ!」


 すると足が、急にすべった。バランスをくずして、転びそうになる。


 私はあわてて、体に力を入れる。なんとか持ちこたえて、立ち止まる。


「もう、なんでこんなところで……」


 つぶやきながら、足元を見る。そして気づく。


 地面がぬれていた。


 雨が降ったわけでもないのに、どうして。不思議に思いながら、私は顔を上げる。そして大きく、目を開く。


 雪が、とけていた。


 冬の間じゅう、ずっととけなかった坂道の雪が、とけてもとけてもまた積もっていた雪が、日差しを浴びてとけていた。


 そして、とけた雪が水になって、坂をずっと流れ下りていた。


 私はだれかに名前を呼ばれた気がして、ハッと後ろを振り返る。


 でも、だれもいなかった。


 行かなくちゃ。私はまた、走り出す。


 ◇


 どうしよう。


 結季さんの部屋の、ドアの前。


 私はチャイムを、じっと見つめる。


 いきなり来て、迷惑だったろうか。


 電話の方が、よかったのだろうか。


 番号だって、教えてもらってたのに。


 私は、少し考える。


 でも、やっぱり、直接話した方がいい。


 こういうときは、特に。


 私はゆっくり手を伸ばして、チャイムのボタンをそうっと押す。


 ことん、と物音がする。それからカチャリと、チェーンが外れる音。ドアが開いて、結季さんが顔を見せる。


「えと……すみません、突然……」


 うつむきながらあいさつをする。結季さんは優しい声で言う。


「こんにちは、水流ちゃん。どうしたの?」


「ええと……」


 だけど私は、何も言い出せない。すると結季さんは言う。


「どうぞ上がって。お茶でも入れるわ」


 私は、首を振る。


「いえ、そういうんじゃなくて……」


 結季さんは、私の顔をのぞきこむ。何か言わなくちゃ。


「ええと、その……」


 でも、何から言えばいいんだろう。頭の中がまとまらない。まとまらないまま、口を開く。


「ええと、実は、お母さんが……」


 結季さんの顔が、少し固くなるのを感じた。


 どうしよう。言う順番を、間違えたかもしれない。


 結季さんを、困らせてしまうかもしれない。


 でも、話しはじめた言葉は、もう消せない。私は顔を上げて、結季さんを見つめる。そして息を吸うと、言葉を続けた。


「お母さんが明日、退院するんです」


 結季さんが、目を見開くのがわかった。


「今日急に決まって、お母さんから学校に電話が来て、それで病院行って、退院ってことになって。今度こそ本当です。退院の計画の書類とかも、先生からちゃんともらったし」


 話しはじめると、今度は止まらなかった。私はべらべらと、いらないことまで多分しゃべる。


「それで、明日うちへ帰れることになったんですけど、その、荷物とかが思ったよりたくさんあって。とりあえず今日、持てるだけ持ってきたんですけど、それでもまだ、いろいろあって……お母さんも退院していきなり、重いものとか持ってほしくないし……しかも明日土曜日で、バスも電車も少なくて、待ったりとかも大変だし……」


 言いながら、結季さんの目が見返せなくなってくる。私はだんだんと、うつむきながら話す。


「本当は、タクシーを呼べばいいんですけど、その、距離もあるから、その……呼んでも来てくれるかわからないし……」


 顔が熱くなるのがわかる。言うのをやめたくなってくる。


 だけど私は、言葉を続ける。やめるわけには、いかないから。


「だから、もし、もし明日、結季さんが予定とかなかったらでいいんですけど、もし予定がなかったら――」


 顔を上げて、言葉を続ける。


「また結季さんちの、車を出してもらえませんか?」


 結季さんがまた、目を開くのがわかった。急に怖くなって、私はまた、目をそらす。ごまかすみたいに、私はつけ足す。


「その……おばさんは、明日忙しいみたいで……なんか、いとこの子の、習い事の送り迎えがあるみたいで……」


 言いながら、じわりと手に汗をかく。そんなことを言ったら、結季さんだって明日、用事があったかもしれないのに。


 やっぱりまず、いちばん最初に、結季さんの予定を聞くんだった。言う順番を、やっぱり間違えた。どうしよう。


 結季さんは、何も言わない。やっぱり予定が、だめだったんだろうか。それともやっぱり、迷惑だったんだろうか。


 私はおそるおそる、結季さんの方に目をもどす。


「あの、結季さん……」


 すると、結季さんは思い切り笑顔になる。今まで見たことがないくらい、大きく口を開く。


「よかったねえ、水流ちゃん!」


「えっ?」


 私は思わず、聞き返す。


「退院、今度こそ決まったんだね! おめでとう! よかった! ほんとによかった!」


 言われて私は、そうだった、となる。


 もうさっき、病院でお母さんと2人で、思い切り喜んで、思い切りはしゃいで、それから一気に、現実的なことを考えなきゃいけなくなって、だから、喜んでいたときの気持ちを、すっかり忘れていた。


 私は、頭をかくと、言う。


「ありがとうございます。その、よかったです」


「うん!」


 結季さんは、力強くうなずく。


「それで、その……」


「ああ、明日だよね! もちろん大丈夫よ! 私ヒマだし、車くらいいくらでも出すわ!」


 結季さんは言って、私は聞く。


「その、本当に、大丈夫ですか? 迷惑だったり……」


 すると、結季さんは、首を振る。


「迷惑なんて、全然ないよ」


 そして、優しい目をして、こう言った。


「自分から頼ってくれて、ありがとう」


 私は目をぱちぱちさせながら、結季さんのことを見返した。


 こっちが頼んだことなのに。


 お礼を言われるなんて、思ってもいなかった。


 結季さんは、にっこり笑う。


 私も、つられて笑った。


 手の汗は、いつの間にか乾いていた。


「――それじゃあ、明日は何時くらいに行けばいいのかな?」


 結季さんは言って、私はハッと、また現実的なモードになる。


 私はポケットに手をつっこむと、病院で書いたメモを出す。


「ええと、手続きとかがいろいろあるので、11時くらいに来てほしいって言ってました」


「わかったわ。じゃあここを10時に出れば、じゅうぶんかな」


「はい」


 私はうなずく。


「じゃあ、私も忘れないように、メモしておくね」


 そう言って結季さんは、くつ箱の上にあるペンを手に取った。それから顔を、きょろきょろさせる。


「ええと、メモ帳、メモ帳は……そっか、今、切らしてるんだっけ」


「そうしたら……」


 私はそう言って、自分のメモを渡そうとする。だけど、時間以外のこともいろいろ書いていたことを思い出して、しまったとなる。すると結季さんは、すっとその場にしゃがんだ。


「じゃ、これでいっか」


 そして、足元にあった、縛った雑誌の束の端っこを小さくちぎると、そこにさらさらと10時出発とメモをした。そして立ち上がると、その紙をくつ箱の上に置く。


「ごめんね、横着者で。こんなところにメモするなんて」


 結季さんは、足元の雑誌を見ながら言う。


「これ、明日のゴミに出そうと思って、縛っておいたのよ。せっかく縛ったのなら、すぐに出しちゃえばよかったんだけど……。私ったらつい、後回しにしちゃって。だらしないところを見られちゃったわね」


 別にだらしなくなんかないのに。そう思いながら私は、結季さんの方を見上げる。結季さんの後ろの壁には、いつもの赤いストールがかけてあった。


 私は、自分のメモをポケットにもどしながら言う。


「でも、ゴミも、もう夜とかに出しちゃいけなくなりますし」


 すると、結季さんは驚いたように聞き返す。


「えっ? そうなの?」


「えっ? はい……」


 今度は私が、聞き返す。


「ええと、大家さんから、お手紙入ってませんでしたか? 4月から、ゴミは当日の朝に出さないといけなくなるって……」


「そう、4月から…………」


 結季さんは、考えこむ。そして言う。


「もしかしたら、チラシか何かと間違えて、捨てちゃったのかもしれないわ。教えてくれて、ありがとうね」


 それから、不思議そうに続ける。


「でも、便利だったのに、どうして急にだめになっちゃったのかしら」


「ああ、それなんですけど」


 私は答える。


「カラスが出るようになっちゃったからって、書いてありました」


「カラス?」


 結季さんは聞き返す。


「はい。カラスが来るようになって、近所の人から苦情が来て、とかなんとか、書いてあって……」


 私が答えると、結季さんは、ああ、という顔をする。


「そっか。確かにこのところ、カラスが増えていたものね」


「最近ほんとに、うるさいですもんね」


「そうね。そうしたら、私も今日からでも、夜にゴミを出すのはやめようかしら」


 結季さんはそう言って、私はあわてて返す。


「でも、結季さんのせいじゃ、絶対ないですよ。下の階の人たちですよ。出し方とか、汚いですし」


「どうかしらね」


 結季さんは、少し考えるように言う。それから続ける。


「でもどちらにしても、今はちょうど、カラスがにぎやかになるころだから」


「そうなんですか?」


 私は聞く。


「そうよ。カラスだけじゃないわ。春は鳥たちがみんな、にぎやかになってくる季節だもの」


 すると結季さんは、さらりと当たり前のようにそう言った。


「春……」


 私はその言葉を、くり返す。


 春一番は、今日も吹かなかった。だけどいつの間にか、春は来ていた。


 ◇


「ご退院、おめでとうございます!」


 看護師さんたちに見送られて、病棟を出る。いつもの病院の廊下が、今日はなんだかまぶしく見えた。


「本当に、よかったですね」


 結季さんが、お母さんに言う。


「ありがとうございます。結季さんには本当に、何から何までお世話になりまして……」


 お母さんは、何度も頭を下げる。


「いえ、いいんです」


 結季さんは言う。


「お元気になられてよかったです。本当に、本当によかった」


 そして、かみしめるようにくり返した。


 3人でエレベーターに乗って、1階に下りる。土曜日だから、1階は暗くて静か。支払いの機械も、今は休止中の札がかかっている。


 入院費の支払いは、後日振り込みで。看護師さんがそう説明したとき、お母さんは少し、ホッとした顔をしていた。金額がいくらなのか、私は知らない。


「出口、こっち」


 正面玄関の方に行きそうになるお母さんに、私は声をかける。


「土曜日は、玄関閉まってるから」


「ああ、そっか」


 お母さんは、振り返って言う。


「みっちゃんの方が、詳しいのね。土日もたくさん、おみまいに来てくれたものね」


「別に……」


 恥ずかしくなって、私は黙った。


「入院中は、お外に出られたりしていたんですか?」


 結季さんが聞く。


「いえ、実は入院以来、全然外に出ていなくって」


 お母さんは答えて、結季さんは明るい声になる。


「じゃあ、久しぶりのお外なんですね」


「そうなんです。久しぶりすぎて、季節もすっかり変わってしまって」


「そうですね。外はもう、ずいぶんあたたかくなりましたよ」


 結季さんとお母さんは、楽しそうに話す。


「でも、大丈夫なの?」


 私は、口をとがらせながら聞く。


「え? 何が?」


 お母さんは、きょとんとした顔で振り返る。


「いや、だってさ……」


 そう言っているうちに、通用口の前まで来る。自動ドアが開いて、お母さんは普通に外に出る。


 あわてて私も外に出る。結季さんも、いつものストールをはおりながら続く。


 外は明るくてあたたかい。そして少し、風が吹いていた。結季さんのストールが、ふわりと揺れた。


 その瞬間、お母さんはなるほどという顔をした。そしてこっちに背中を向けると、思い切り体を折り曲げる。


「……へっくしょん!」


 だから言ったのに。私は思いながら、お母さんの方を見る。


「へっくしょん、へっくしょん!」


 お母さんは大きな声で、くしゃみを連発する。


「大丈夫ですか?」


 結季さんが、心配そうにお母さんを見る。


「おカゼをひかれていたと聞きましたが、もしかしてまだ……」


 それを聞いて、お母さんと私は顔を見合わせる。


「実は、それが……」


 お母さんは言って、結季さんは驚いたように聞き返す。


「花粉症?」


「ええ。そうなんです」


 お母さんは、少し恥ずかしそうに言う。


「おととい、アレルギーの検査をしてもらったら、ばっちり反応があって。これまでカゼだと思っていたのは、どうやら全部、花粉症の症状だったみたいで……」


「そうだったんですね……」


「本当に、ご心配をおかけしてすみません。でも先生に言われるまで、自分じゃまさか、花粉のせいだなんて思ってもいませんでした。先生に言われても信じられなかったくらい。だって、去年まではなんともなかったんですもの。それが入院中にデビューするなんて」


 お母さんは、言いわけするみたいにべらべらとしゃべる。


「それに症状も、目や鼻の症状だけでなくて、せきや微熱も出ていたものですから……。でもきちんと検査をしていただいて、アレルギーの薬を飲みはじめたら、すぐにそれもおさまって、おかげで無事退院できることになったわけですけど……」


 お母さんはそこまで言うと、また大きなくしゃみをした。


「でも、さすがに外に出るとすごいですね。もう一気に鼻ものども……」


 すると、結季さんは言う。


「ああ、おつらいですよね。そうしたら、水流ちゃんといっしょに、いったん中にもどっていてください。出口の前まで、車を寄せます」


「いえ、そんなつもりじゃ……」


 お母さんは言いかけて、げほげほとせきこむ。


「いえいえ、ご無理なさらないでください。駐車場まで、少しありますから」


「そしたら、入ったところにいすあるから、そこに座ってよう」


 私は言って、お母さんは頭を下げる。


「すみません。いろいろお気を遣わせて……」


「とんでもないです。少しだけ、お待ちください」


 結季さんはそう言って、駐車場に向かう。私とお母さんは、また病院にもどる。


 病院の中は、また暗くて、しいんといていた。お母さんと私で、ドアの近くの小さな2人がけにつめて座る。お母さんが近い。


「……本当に、結季さんはよく気がつく人だわ」


「うん」


 お母さんは言って、私はうなずく。


「落ち着いたら、きちんとお礼をしないとね」


「うん」


 私はまた、うなずく。そして思い出す。会ったら言おうと思っていたこと。


「あのさ、お母さん」


「なあに?」


「結季さんにごちそうするおなべ、私、自分で作ろうと思うんだ」


 私は、カバンからスマホを出す。そして、開きかけのレシピサイトを、お母さんに見せる。


「これとか、どうかな。ごうかでおいしそうなのに、具材、豚バラと白菜だけなんだって」


「へえ……」


「……だから、私でもできるかなって思って」


 だけど、言ってから私は気づく。


「でも、さすがにもう、おなべは暑いかな。調べてたときは、もっと寒かったんだけど……」


 すると、お母さんは言う。


「そうしたら、白菜の代わりに、春キャベツで作ってみたらどうかしら。そうしたら、一気に春らしくなるんじゃない?」


「へえ、春キャベツ……おいしそう」


「結季さんも、みっちゃんが作ってくれたら、きっと喜んでくれるわ」


「そうかな」


「もちろんよ」


 お母さんは、力強く言った。私は、へへっと笑った。


「そしたら、がんばって作るね。お母さんも、楽しみにしててね」


「ええ、楽しみにしてるわ。そうしたら、早速結季さんに予定を聞かないとね」


「うん」


 私はうなずくと、ドアの外を見る。結季さんは、まだ来なそう。すると、お母さんは言う。


「楽しみと言えば」


 私は、首をかたむける。お母さんは、優しい声で続ける。


「もうすぐ、みっちゃんのお誕生日ね」


「あ……」


「今年は祝日だから、ゆっくりできるわね。退院が間に合って、本当によかった。その日はお母さんが、おいしいものたくさん用意するからね」


 お母さんは言って、私はぎゅっと、パーカーのえりをつかむ。


「大丈夫よ。お仕事なら、早めにもどれるように、お店の人とも話してるから」


 すると、お母さんは聞いてないのにそう言った。そしてそっと、私の頭に手を乗せた。


「だから、心配しないで。楽しみにしててね」


 私は、お母さんに寄りかかる。


「わかった。楽しみにしてる」


 ドアの向こうに、車が止まった。お母さんと私は、また外に出る。


「お待たせしました。お荷物、トランクに入れますね」


 結季さんが、明るい声で言う。そして私から荷物を受け取ると、よいしょと言って、トランクにしまった。それからバン、とトランクを閉める。


「お待たせしてすみません。どうぞお乗りくださ……」


 結季さんはお母さんに、呼びかけようとする。だけど、お母さんはこっちに背中を向けて、一人で変な方向を見上げていた。


「ああ、すみません」


 お母さんは振り返る。そして、見ていた方を指で差す。


「ちょっと、みとれちゃって」


 なんだろう。私は顔を上げる。


 そして、思わずつぶやく。


「ほんとだ。きれい……」


 お母さんが見ていたのは、大きな木だった。病院の庭に立っている、大きな木。


 そこに、白くてきれいな、大きな花が咲いていた。


 まだ葉っぱも生えていない、ただの茶色の枝の先に、たくさんたくさん咲いていた。


「本当に、きれいですね」


 結季さんも、そう言った。そして3人で、ただその花を見上げた。


 空は晴れて、あたたかかった。カラスがにぎやかに、鳴いていた。優しい風が、ふわりと吹いてきて――


「へくしょーん!」


 お母さんがまた、くしゃみをした。


 私はお母さんを、横目で見る。


 お母さんは鼻を押さえながら、カバンからポケットティッシュを出す。そして、じゅるじゅる言いながら鼻をかみ出した。


「きたなーい」


「しょうがないでしょー、生きてるんだから」


 お母さんは言って、また鼻をかむ。それからティッシュのはじっこをねじると、そのままぐりぐり鼻につっこむ。そのティッシュを、ぐるんと丸めてカバンにしまう。いや、やっぱりきたないって。


 たえきれなくなって、私は言う。


「ほら、もう行こう。いつまで結季さん待たせるのさ」


「あら本当。ごめんなさいね」


 お母さんは言って、カバンを閉じる。そして車に向かって歩き出そうとして――


「へーくしょん!」


 また盛大にくしゃみをした。


「もう、大丈夫ー?」


 私は言って、お母さんは笑う。


「ね。大丈夫かしら、こんなので」


 そしてこう、つぶやいた。


「これからは春が憂うつだわ」

大変お待たせいたしました。「椿」の物語は以上となります。

更新が遅くなったにもかかわらず、ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。


これで『枝先の彼女』も休載箇所を残すのみとなりました。

更新までまたしばらくお待たせしてしまうかと存じますが、気長にお待ちいただけると幸いです。

今後の更新情報は、X及び活動報告にてお知らせいたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。


エンドマークはすべての物語が揃ってから打ちに来ます。また会いましょう。


ありがとうございました。


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本章の漢字表記につきましては、下記のサイトを参考にしながら、読みやすさや演出を考慮した表記といたしました。


「何年生の漢字?」

https://cococara.link/tools/kanji

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