椿( ひ )
カラスの声で、目が覚めた。だんだん増えているみたい。
部屋を出ると、ユキさんもちょうどゴミを出すところだった。今日は金曜日だから、もえるゴミの日。
「おはよう、ミルちゃん。今日も寒いね」
ユキさんは言って、私はそうですねと答える。
「もうすぐ3月なのに、全然そんな感じしないね」
ユキさんは言って、私はまた、そうですねと答える。
「ミルちゃん、今日もおみまい?」
「今日は……おみまいじゃないです」
「そっか」
階段を下りると、ユキさんは振り返って言う。
「そしたらさ、ミルちゃん。ちょっと相談なんだけど……」
ユキさんは言って、私はユキさんを見る。
「実は昨日、スーパーで白菜が安売りしててね、それでつい買っちゃったんだけど、一人で食べるには量が多すぎて……今日おなべにして食べようと思うんだけど、ミルちゃん、いっしょに食べてくれないかな」
私は、コートの胸の辺りを、ぎゅっとつかむ。
「ええと、でも……」
「お願い。一人じゃちょっと、食べきれそうにないんだ。くさらせちゃってももったいないし、それに……」
ユキさんは、にっこり笑って、続ける。
「一人でおなべって、ちょっとさみしいし」
私はくちびるをぎゅっと閉じてから、口を開く。
「ええと、それじゃあ……」
「やった。じゃあ、今晩ね。ミルちゃんは、苦手な食べ物とかある?」
ユキさんは言って、私は首を振る。
「そっかそっか。じゃあ白菜以外にも、いろいろ入れちゃお」
ユキさんは、楽しそうに言った。そしていつも通り、2人でゴミを捨てる。
「じゃあ、また夜にね」
ユキさんは言って、私はうなずく。
そして、顔を上げて、歩き出す。
◇
部屋のチャイムを、そうっと押す。すると、ユキさんはすぐに出迎えてくれた。ユキさんは、赤いエプロンをして、髪を結んでいた。
中に入ると、部屋はあたたかかった。私は思わず、ぶるっと震える。
同じアパートの部屋なのに、ユキさんの部屋は全然違った。
きれいに片づいていて、物は少なかった。でも、本だけはたくさんあった。
部屋の真ん中に低いテーブルがあって、そこでもう、ガスボンベのコンロの上で、おなべがぐつぐつ言っていた。ガラスのふたの、水滴の向こうに、鶏肉みたいなお肉が見えた。
「あ、あの、これ……」
私は、輪ゴムをしたお麩の袋を、ユキさんに渡す。
「これくらいしかなかったんですけど、よかったら……」
ユキさんは、キョトンとしながら、袋を受け取る。私はパーカーのえりをぎゅっとつかむ。
「え、そんな、わざわざ具材持ってきてくれたの? ごめんね、気を遣わせちゃって」
私は、うつむいて言う。
「すみません、こんな、使いかけので……」
「ううん、とっても嬉しい。お麩ってきっと、おだし吸っておいしいよ! でも……本当にいいの?」
ユキさんは言って、私は、うなずく。
「じゃあ……他にも具材あるし、1人2個で、4つだけ入れようか。残りは持って帰って、ミルちゃんちで使ってね」
ユキさんは言って、私はうなずく。
ユキさんは、手袋みたいななべつかみをして、おなべのふたを少し開けた。湯気が、もわあっと上がる。そしてお麩を入れると、またふたをする。
「他の具も、もうちょっとで火が通ると思うから、あと少しだけ、待っててね」
「あの、お手伝い……」
「いいの。ミルちゃんは今日は、食べるのがお仕事! さ、座って」
そう言って、ユキさんは私にざぶとんをすすめる。そして、きゅうすでお茶を入れて、お茶わんにご飯をよそってくれる。
「さてっ、そろそろできたかな?」
そして、ユキさんはそう言って、おなべのふたを開ける。今度は全開。
ぐつぐつ、という音が、一気に大きくなった。おいしそうなにおいが、いっぱいにした。
おなべには、いろいろ入っていた。鶏肉と、白菜だけじゃなくて、とうふや、しらたきや、ネギや、キノコや、ほうれん草や、にんじんが入っていた。お麩は、おだしを吸って、ふくらんでいた。
「いっぱい食べてね」
ユキさんはそう言って、お皿にたくさん、よそってくれた。
そして、自分のぶんをよそうと、両手を合わせる。私も手を合わせる。
「いただきます」
白菜を一口かじると、はじめて食べる味がした。家のご飯とも、給食とも、違う味。
「おだしとか、口に合うかなあ。もっと、濃い方がよかったかなあ」
私は、首を振る。
「とっても、おいしいです」
「よかった。ありがとう」
お肉を食べると、頭の奥がびっくりしたみたいに、おいしかった。とうふも、しらたきも、キノコも、野菜も、みんなおいしかった。お麩も、普段食べているはずなのに、普段の味と全然違った。
私は、よそってもらったぶんを、あっという間に食べてしまう。
「どんどん食べてね」
ユキさんは、そう言って、またお皿によそってくれる。そして、おなべに、鶏肉と、白菜と、他の野菜を足す。おなべが少し、静かになる。
またあっという間に食べてしまわないように、私はおなべの様子を見ながら、ゆっくり食べる。
ユキさんは、細かい網になっているおたまで、なべに浮いた油やあわを、きれいに取っていく。そして、取ったあわを、水の入ったボウルに浮かべると、またなべのあわをていねいに取る。
「ごめんね、細かくって。私、A型だから、こういうの気になっちゃって」
「?」
「ああそっか。今の子は、何型だからどうとか、言わないよね。昔はよく、言ってたんだって。A型は細かいとか、O型は大ざっぱとか」
「そうなんですね」
「ミルちゃんは、血液型、何型?」
ユキさんは聞いて、私は答える。
「血液型、知らないです」
「そっか。今時は、調べる人も少ないのかな」
ユキさんは、そう言うと、おたまをボウルに入れる。
「じゃあ、星座は? ミルちゃんは何座?」
「星座は、うお座です」
「そうなんだ。あれ? うお座だと、ちょうど今ごろが誕生日?」
「ええと、3月の後半なので、まだ先です」
「そっか」
ユキさんは何か言おうとして、でも何も言わないで、またおたまを手に取る。
「ユキさんは、何座ですか?」
「私? 私はみずがめ座。うお座のお隣だね」
「そうですね」
「私達、おうちも星座もお隣なんだね」
ユキさんは、そう言って笑った。
食べながら、いろいろな話をした。好きな食べ物や、好きな音楽や、好きな芸能人や、好きなマンガ。マンガはあまり読まないけれど、ユキさんが好きなマンガの話をしてくれた。
「じゃあ、好きな授業は?」
そして、ユキさんが聞いた。私は黙ってしまう。少し黙ってから、答える。
「好きな授業は、ないです」
今度は、ユキさんが黙ってしまう。
「授業は、全部キライです」
「……そ、そっか。でもほら、好きってほどじゃなくても、この先生の話だったらおもしろいなーとか、こういうこと知るのって楽しいかもなー、みたいなのってないかな」
「ないです。勉強、ほんとにキライなんです。先生の話とかも、全然頭に入ってこなくて、おもしろいとか全然ないです」
「そっか……」
「テスト勉強とか、しようとしても、机に座ってるだけで眠くなっちゃって……もう、本当に、勉強が向いてないんです。早く働きたい」
ユキさんは、少し考えるように黙った。それから小さく、そっか、とだけ言った。
しばらく無言で、おなべを食べた。それからユキさんは聞いた。
「じゃあ、好きな動物は?」
私は言おうかどうしようか、ちょっと考えてから言う。
「あの……ヤギとか、好きです」
「ヤギ!?」
ユキさんは、びっくりして聞き返す。
「その、小学生のとき、通学路にヤギを飼っている家があったので……」
「なになに、もっと聞かせて!」
ユキさんは、身を乗り出した。
◇
「ミルちゃん、ご飯、もうちょっと足す?」
ユキさんが言って、私は口を押さえながら、しめのぞうすいの最後の一口を、はふはふ飲み込む。
「もう、おなかいっぱいです。ありがとうございます」
答えると、ユキさんはにっこり笑った。
「そう。よかった」
「ほんとにおいしかったです。ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう。やっぱり2人だと、おいしいね。白菜もはけて、よかったわ」
「あの、後片づけ……」
私が言うと、ユキさんは首を振る。
「いいのよ。片づけはあとで私がやるから。いっぱい食べたし、ちょっと食休みしましょう」
そう言って、ユキさんは、結んでいた髪をほどく。髪はするんと言って、元の内巻きにもどった。
「……いいな。髪、きれいで」
私がつぶやくと、ユキさんはにこっと笑う。
「秘けつがあるのよ。そうだ、ちょっと待ってて」
そして、洗面所の方へ行ってしまう。
私は一人になって、なんとなく、部屋をきょろきょろ見回す。
さっきはおなべの音で気がつかなかったけど、加湿器が置いてあって、しゅんしゅんと音を立てていた。
うちにある、100円ショップの水を吸うやつじゃなくて、ちゃんと湯気が出るやつ。
「おまたせっ」
そう言ってユキさんがもどってくる。手には、化しょう品のようなビンを持っていた。なんとなく、高そうだ。
「これ、ヘアオイルなんだ。毎晩、お風呂上がりにつけてるの」
「へえ……」
「ミルちゃんは、まだそういうのは使ってないかな?」
ユキさんが聞いて、私はうなずく。
「せっかくだから、つけてあげる。髪、触っても大丈夫?」
私は迷ったけど、うなずいた。ユキさんは、私の後ろに回ると、手で髪をとかすみたいにして、ヘアオイルをつけてくれた。私の髪はボサボサで、途中で手が引っかかって恥ずかしかったけど、それでもユキさんは何も言わずに、ていねいに髪をほぐしてくれた。
「ほら、見てごらん」
ユキさんはそう言って、最後に鏡を渡してくれた。
鏡に映った自分を見て、私は言う。
「すごい、つやつや」
本当に、普段ボサボサの髪が、うそみたいにつやつやしていた。
「ふふ。すごいでしょ、これ。ミルちゃんにも、ひとつあげるよ。これは無香料だから、学校にもつけていけるよ」
私はあわてて、首を振る。
「いいんです。そういうつもりじゃ……」
すると、ユキさんは言う。
「いいの。これ、タダでもらったやつなの。妹の職場が美容院で、そこでもらって帰ってくるから」
へえ、と私は言う。
「妹さん、いるんですね。美容師さん、なんですか?」
「まだ、見習いだけどね」
私は、くるくるした英語の文字のビンを見る。
「……美容師さんって、こういうのもらえるんですね」
「どうなんだろう、実際はノルマとかがあって、お金を払って買ってるのかな」
「そんな。そんなの、本当にもらっても……」
「いいのよ。妹ったら、いっつもシャンプーとかコンディショナーとか、使い切れないくらい持って帰ってくるみたい。私もそんなにもらっても困るし、ミルちゃんがもらってくれたら、助かるわ」
私は、少し考えてから、言う。
「……すみません。じゃあ……。その、妹さんにも、よろしく伝えてください」
ユキさんは、にっこり笑った。
加湿器が、しゅんしゅん言う。なんだか、あたたかい。少しだけ、眠たくなってくる。
すると、突然、玄関のドアが、ガタガタ言った。私はハッとする。
「風、強くなってきたね」
ユキさんは言った。
「そうですね」
私は答える。風でドアがガタガタ言うのは、ユキさんの部屋も同じみたいだ。
ドアはまた、ガタガタ言う。
「春一番かな」
私は言う。するとユキさんは、うーんと言う。
「あっちから吹いてきてるってことは、きっと北風だから……春一番では、ないかなあ」
「北風だと、春一番じゃないんですか」
私は聞いて、ユキさんは答える。
「春一番は、南風って決まっているの。それも、立春から春分の日の間に吹くものだけを言うの」
「そうなんですか……」
「他にも風速とか、いろいろ基準があるみたい」
「へえ……」
「今年はまだ、吹いてないっけ」
「そうだと、思います」
ドアがまた、ガタガタ言う。
「ねえ、ミルちゃん」
ユキさんは聞く。
「お母さん、具合、変わらず?」
「……はい」
私はうなずく。
「そっか……。おみまいは、おばさんの車で行くことが多いの?」
私は答える。
「おばさんは……いろいろ、忙しいみたいなので……」
「じゃあ、電車で一人で行ってるの?」
私はうなずく。
「どのくらいかかるの? 電車だと」
「バスも乗るので……片道500円ちょっとです」
ドアがまた、ガタガタ言う。
「そっか。結構かかるね」
ユキさんは言った。私はうなずく。それから気づく。
どれくらい、というのは、時間のことを言ったのかもしれない。私は、顔が熱くなる。
「ねえミルちゃん」
でもユキさんは、何も言わずに、また聞いた。
「次のおみまいは、いつ行くの?」
「明後日の、日曜です」
私は答える。
「そしたらさ」
すると、ユキさんは、身を乗り出す。
「私も、いっしょにおみまいに行ってもいいかな。私、車出すから」
私は思わず、ユキさんを見る。
「迷惑かもしれないけど。お母さんに私もあいさつがしたいの」
「そんな……」
「車なら実家にあるの。日曜ならだれも使わないから」
「そんな、悪いです……」
私は、首を振った。
「そうしたら、お母さんに聞いてみてくれないかな。お母さんが、いいっていったらでいいから」
私はぎゅっと、パーカーのえりをつかむ。そして言う。
「でも……私、ユキさんにしてもらってばっかりで……。ご飯も、ごちそうになったのに」
「だって、それは私が誘ったんだもの」
「これも、もらったのに」
私は、ヘアオイルのビンを指差す。
「それは、余り物だもの」
「でも……」
「本当に、気にしなくっていいの。ミルちゃんは、もっと周りを頼っていいのよ」
ユキさんは言って、私はうつむく。くちびるに、ぎゅっと力を入れる。
「それにね」
ユキさんは言う。
「それに、私も同じように、ミルちゃんにもらっているものが、たくさんあるもの」
私は、顔を上げる。
ユキさんは、もう一度聞いた。
「だから、聞いてみてくれないかな」
私は、少しだけ考える。
それから静かに、うなずいた。
だけど、ユキさんが私からもらったものが何なのかは、考えたけど、わからなかった。
次回は、3月27日(金)18時頃の更新予定です。
(追記)
制作の遅滞により、次回更新は延期とさせていただきます。更新日が確定しましたら、活動報告およびXにてお知らせいたします。




