今更尚更 3
セラフィーナは、一瞬だけ驚いて、それから、ふいっと顔をそむける。
そっぽを向く、といった感じではなかった。
会いたくなかった、と思っているのだろう。
察しがつくのは、ナルも同じことを思っていたからだ。
(相性がいいというか、悪いというか)
セラフィーナが、ネイサンから夕食に誘われて以来、感情の抑制ができなくなりつつある。
今だって、本当には、声をかける気などなかった。
ナルは魔術師だ。
転移で、パッと姿を消せる。
たとえセラフィーナに対しては魔力感知できないとしても、気配を察知するのは容易い。
事実、先に気づいていた。
だから、彼女がナルに気づく前に、消えることはできたのだ。
にもかかわらず、その場に留まり、あまつさえ、声をかけている。
月明りに、セラフィーナの瞳が揺らいでいるのが見え、自制が効かなかった。
良くないことだとわかっていて、声をかけてしまっている。
そして、後悔している。
こちらを見ないセラフィーナに、軽い苛立ちを覚えていた。
顎をつかんで引き上げ、その瞳に自分を映させたい。
それから、抱きしめ、唇を重ねるのだ。
セラフィーナといると、たいていは、こんなふうに自分を抑制できなくなる。
彼女は何もしていないのに、勝手に煽られていた。
情けないと、ナルは自嘲する。
早く、この場を去るべきだと思うそばから違う言葉が出ていた。
「あなたを尾行けていたのではありませんよ」
頭にある行動を、実行に移すことはできない。
それでも、なんとかセラフィーナの視線を、自分に向けさせようとしている。
彼女が気づいていなくても、ナルは己の気持ちを知っていた。
必死になっている。
みっともなくも、恰好悪い。
教育係が聞いて呆れる。
まっとうな「貴族」なら、気取った台詞のひとつも吐いて、セラフィーナの横を通り過ぎたに違いないのだ。
彼女の「心」に縋りついたりはしない。
「……わかってるわよ。ナルのほうが、先にいたんでしょ」
ナルは、ぐっと両手を握り締める。
そうしていなければ、なにもかもを放り出し、セラフィーナを抱きしめてしまいそうだった。
もしくは、彼女の元に駆け寄り、跪いていたかもしれない。
まだ3ヶ月経ってはいないのに。
「それは、正解ではありますが、それほど簡単に私を信じていいのですか?」
「たぶんね」
セラフィーナが、ナルのほうに顔を向ける。
呻きそうになるのを、やはり、必死で堪えた。
こちらを向かせたがっていたくせに、視線をそらせたくなっている。
茶色い、彼女の瞳は、小さく揺らめいていて、見つめ続けていると、胸が苦しくなるのだ。
「私の着替えを覗くのに、魔術は使わないって言ってたじゃない」
真剣なまなざしに、ナルは捕らえられていた。
目をそらせたかったが、逃げることができずにいる。
両手を上げて降参してしまえば楽なのに、と少しだけ考えた。
さりとて、物事は、それほど簡単ではない。
「それも嘘かもしれませんよ?」
「嘘だとは思えないわ」
「なぜです?」
「そんなつまらない嘘をつく必要がないからよ」
セラフィーナは、いつだって真っ向勝負。
言葉を飾ろうとはしないし、遠回りもしない。
直線で、ナルにぶつかってくる。
ナルが、ひょいっと避けさえすれば、舞台から転がり落ちるくらいには。
まっすぐなのだ。
「私の部屋に入るのに、許可がいると思っているの?」
「さあ……どうでしょうね」
初めて屋敷に来た翌朝とは違って、セラフィーナは、ちゃんと起きられるようになっていた。
叩き起こす必要はない。
確認すべきこともしたし、ナルが、彼女の部屋に入る根拠もない。
口実や言い訳なしに入るとすれば、理由はただひとつ。
セラフィーナとの関係を変えるためだ。
教育係との役目を投げ捨てて、彼女を乞うのなら、どんな口実もいらない。
セラフィーナに、自分の心を差し出しさえすればいいのだから。
「おかしな返事。ナルなら、扉を叩きもしないで、部屋に入れるくせに」
「そのような真似は、したことがないと思いますが?」
「したかどうかじゃないわ。できるかできないか、よ」
できるかできないか。
セラフィーナは、そう言っている。
が、本心は違うと、ナルは見抜いていた。
彼女が言いたいのは別のこと。
したいか、したくないか。
ナルに、選択をつきつけている。
握っていた手の力を、ナルは緩めた。
ほかの者が相手の時はともかく、ナル相手には、彼女はいつでも真っ向勝負。
真っ向勝負では分が悪い。
いっそ負けを認めてしまおうか。
思いに支配されかかる。
が、不意に、セラフィーナの姿がぼやけた。
視線も途切れる。
月が雲に隠され、辺りが暗くなったのだ。
セラフィーナに、気づかれないよう大きく息を吸い込む。
暗がりでは、お互いに表情を読むことはできない。
ナルは、暗がりを助けとし、負けを認めるとの考えを、捨てる。
膝を屈するのは自分ではなく、彼女でなければならないのだ。
そのためにここに来たのだし、そうでなければ意味もない。
セラフィーナの瞳に吸い込まれる前に、言うべきことを言う。
が、焦燥感からか、少し早口になってしまった。
「私は魔術師ですが、それほど恥知らずではありません」
「そういうつもりじゃ……」
「転移ができるからといって、疑われるのは不愉快ですね」
「違うわ! 私、そんな……っ……」
セラフィーナが、ナルを見下しているとは思っていない。
ただ、ナルが「魔術師」であることは、わからせておく必要があったのだ。
貴族と魔術師との間には溝があるということを。
「良い夜を、お過ごしください。寝坊されない程度に」
言うなり、転移する。




