鼻の下は見えにくい 4
セラフィーナは、すっかり安心している自分を感じている。
ナルが見ていてくれるのなら、怪しいことにはならない。
まずい展開になりそうな際には、ちゃんと抜け道を示してくれるはずだ。
ナルと「繋がっている」と思うと、とても心強い。
とはいえ、心の中に小さな棘が刺さってもいる。
(いいですね? 最初が肝心なのですよ?)
(わかってるわ。あんなに練習したんだもの)
ナルに、そっけなく返した。
心の中の棘のせいだ。
教育係のナル。
その線引きを忘れないようにする必要があった。
ナルは、セラフィーナに、しばしば距離を取ってくる。
彼女が近づくと、意図的に遠ざかるのだ。
それが、駆け引きではないと、わかっていた。
ナルは、自分と親しくなりたくないのだ、と感じている。
理由は、様々、考えられた。
単純にセラフィーナのような女性を好まない、とか。
教育係との立場があるため、とか。
魔術師という存在だから、とか。
さりとて、どうもしっくりこない。
どの理由をあてはめても、ナルの言動はちぐはぐに過ぎる。
セラフィーナと距離を取りたいのなら、近づかせないようにすればいいのだ。
ナルなら、簡単にできる。
セラフィーナを無視したり、受け流したりするのは得意なのだから。
はなから真っ向勝負を降りてしまえばすむ。
なのに、ナルはいつでも「受けて立って」いる。
だから、一瞬であれ、距離が、ぐっと近づいてしまうのだ。
「よく来てくれたね、セラフィーナ」
セラフィーナは、ハッとして立ち上がる。
通された客室でネイサンを待っていたのだが、すっかり忘れていた。
急いで、表情を作る。
ナルに、カボチャ頭と言われる前に。
セラフィーナは、ゆるい「貴族用」の微笑みを浮かべてみせた。
ネイサンに、しげしげと見られ、イラっとする。
それでも、顔には出さないよう、必死で堪えた。
ネイサンの視線は、ねっとりしていて、本当に気色が悪い。
まるで服の下を見られているような気分になる。
そのせいで、嫌悪感に背筋がゾッとした。
「本日は、お招きいただき、ありがとうございます、ネイサン様」
我慢に我慢を重ね、さらりとした口調で、挨拶を交わす。
が、内心では、ナルには言えない不安が渦巻いていた。
教育係のナルの目的は、セラフィーナをネイサンの正妻にすることだ。
けれど、彼女は、正妻になんかなりたくない。
ネイサンに選ばれたくなかった。
選ばれないようにする方法など、ナルは教えてくれないだろう。
だから、ナルには相談できない。
選ばれたら、どうしよう。
選ばれませんように。
セラフィーナの心には、そうした思いがある。
貴族の令嬢が馬鹿なことを、と笑われるかもしれない。
それでも「心」の伴った婚姻がしたいのだ。
本当には、家のことなんて放り出してしまいたかった。
父や屋敷の勤め人たちを見捨てられるのなら、だけれども。
「ネイサン様。私、とても考えてしまったのですけれど、ようやくわかったことがありますの」
「それは、なにかな?」
テーブルにつき、わずかな会話のあと、すぐに切り出した。
ネイサンに先手を取らせないためだ。
と、ナルが言っていたからだ。
セラフィーナは、ナルの指示に、忠実に従っている。
どこまでも無自覚に。
「ネイサン様が、意地悪で、非常に頭の良いかただ、ということですわ」
ネイサンの表情が、少しだけ崩れた。
セラフィーナの言わんとしていることが、わからないのだろう。
もちろん、ネイサンが「わからない」のを想定しての台詞だ。
「私を試しておられるのでしょう?」
「試す?」
「そのように驚いたフリをなさっても、もうすっかりわかっておりますから」
とぼけつつ、ナルに特訓させられた「はにかんだ」笑みを、浮かべた。
うまくいけば、ネイサンはセラフィーナに手出しできなくなる。
「夕食にお招きいただいた時は、舞い上がってしまって、わからずにおりました。ですが、よくよく考えれば、ネイサン様が、ほかの方々より、私を優先されるはずがありませんものね」
「それは……」
「いいえ。当然のことですから、お気になさらないで」
ネイサンの口調に、動揺が見えた。
なにかセラフィーナの思ってもいない「動揺する理由」があるのかもしれない。
とはいえ、セラフィーナは、それすら、どうでもいいと思っている。
ひたすらナルに言われた通りを実践。
「爵位が低い私が、一夜に縋る可能性を、危ぶまれたのですね? ですから、私の貞淑さを試されたのでしょう?」
「セラフィーナ……私は……」
「ネイサン様はアドルーリット公爵家を継がれるかたですもの。なにより貞淑さに、重きをおかれるのは、もっともなことですわ」
ネイサンは動揺を隠しきれずにいるが、セラフィーナは、あえて気づかないフリをした。
そして、あまり言いたくない台詞を口にする。
「ご安心くださいませ。私は、ネイサン様の私室を見せてほしいと、ねだったりはしません。少なくとも、正妻選びの日が終わるまでは」
その日が過ぎても、ネイサンの私室など見たくもない。
足を踏み入れる日が来なければいいと、むしろ危惧している。
(どうだった……? 成功?)
少し不安になり、ナルに声をかけた。
なにかあれば声をかけて、と言っていたにもかかわらず。
(うまくいったようです。あとは、彼を刺激しないよう、当たり障りのない会話を心がけてください。あなたは、無駄に差し出口をきくところがありますから)
(嫌味を言わずにはいられないのね。本当に、ムカつくわ)
(新語を使いこなせるようになって、なによりです)
(あなたの教育の賜物よ)
ツンとして皮肉を返したあと、セラフィーナは気持ちが楽になったのを感じる。
やはりナルとの会話のほうが、ネイサンと話すより楽しい。
ナルは嫌味しか言わないし、セラフィーナも皮肉で返すばかりしているのに。
(ともあれ、これで、彼は、あなたを“無事に”帰すでしょう)
言葉に、芯からホッとした。
ナルが言うのだから間違いないと、自然にセラフィーナは思っている。




