夢恋路 ~明治編~15
【桂小五郎】
三月八日、僕は廃刀令の法案が通った事を見届けて、議員を辞職した。
二十八日には施行される。
僕の志のほぼ中心を占めていたものは、これで終わった。
僕の長い長い、大きな約束は終わった。
この後きっと、西郷さん達士族が反乱を起こす。
きっと長い戦が始まる。
きっと、多くの死者が出る・・・
僕はきっと辞職しても尚そんな火中に巻き込まれて行くんだろう。
西郷さんが挙兵をしたらきっと今までの戦とは全く違うものになるはずだ、武器も近代化し、戦の方法も刀ではもうない。きっと、歴史に残る様な大戦になる。
姉さんの世まで語り継がれるような物になるんだろう・・・
廃刀令・・・
姉さんは、もう聞いたのかな・・・
御触書は、出たかな・・・
喜んで、くれているかな・・・
正二郎がずっと僕に付いていてくれて、毎日家に帰ってくれているから姉さんの近況は知る事は出来るけれど、その声を聞く事も、その姿を見る事ももうだいぶ叶ってない。
最後に会ったあの日、幼い忠太郎のあの率直な一言は、かなり堪えた。
しばらくは思い出すだけで涙が出るくらい、堪えた。
正二郎はそんな僕に気が付いていて、見ないふりをしてくれていた。
僕が家に行く度に、姉さんは泣いていたんだ・・・それを忠太郎は傍でずっと見ていた。そして、大好きなお母さんの為に、お母さんが泣かない為に父親である僕に来るなと言った。
僕が子供であっても、同じ立場だったらそう言っていたかもしれない。
大好きなお母さんを泣かせる悪いお父さんに立ち向かったかもしれない。
それよりも、あの時のあのにこやかな笑顔にゾッとした・・・
まるで、知りえるはずのない幼き日の宗次郎の姿を見ているみたいだった・・・
悪意のかけらもない笑顔が、そっくりで、自分の子である事さえ疑わしく思えた。
あの子は、宗次郎の生まれ変わりなんだ・・・
宗次郎はきっと僕から姉さんを奪いに来たんだ・・・僕があまりにも泣かせるから。
やはり辞職しても僕は忙しかった。
交通手段の発達のおかげで僕は左足が動かなくなっても移動にそれほど苦労はしなかった。
もちろんそれは姉さんが正二郎に作らせてくれた杖のおかげで、これのおかげで僕は一人でも歩く事が出来た。
今の形になるのはちょっと時間がかかったけれど、腕のいい傘職人が何度も調整してくれてとっても使いやすい。これは一般にも広く広めなければね。
僕は幸いにも今の今まで生きる事を許されていて、何とか生きている。
ただ、頭痛は止まることはなくて、それは時折意識を失い発作の様な形になる事もあった。
医者は、脳の病気だと言った。
そのうち体は動かなくなるかもしれないと言った。
次発作が起きたら目覚めないかもしれないと、言った。
そうやって僕はこの時代に別れを告げるんだね・・・
その時、姉さんはどこにいるのかな・・・
僕は姉さんに看取られるのかな・・・
せめて最後ぐらい姉さんと一緒にいたいと言うわがままは、神に通るだろうか。
もう一度、もう一度やり直したいと言うわがままは、通るのかな・・・
【おリョウ】
薩摩が荒れている事は私の耳にも届いていた。
西南戦争か・・・
とうとう、始まったのね・・・
西郷隆盛の最後、私は細かい内容まではわからないけれど、西南戦争がかなり大きな争いで長引いたことだけは知っている。それもこれも廃刀令のせいだ。
あんなに人のいい西郷さんの自決なんて、小五郎は知らない方が良いわね・・・
その小五郎が議会を辞めた事は正二郎から聞いていた。でも、相変わらず大久保利通や伊藤君に連れ回されていろんなと所に行っているのだと。
バカな男・・・自ら死に急ぐなんて。
もうどれくらい顔を合わせていないかしら・・・
次に連絡があるその時はきっと、看取る時でしょうね・・・
そろそろ覚悟を決めないといけないのかもしれない。
そろそろ、知らせが来るでしょう。
密かに荷をまとめて、いつでもすぐに持って行けるように準備だけは常にしていた。
子供たちも連れて行かなければならない、父親の最後だもの・・・会わせてあげなければ・・・
正二郎に至ってはずっと小五郎の近くにいたから、きっと会いたいにきまってる。
でも、この子は、忠太郎はきっと父親なんて関係ないんだろう。私さえいればいいんだから・・・
小五郎の実子で、私の預かり子で、宗次郎にそっくりな忠太郎。
これは、私が歪めたものかもしれない、でなきゃ、こんなにも、こんなにも切ないほどに似ているわけがないもの・・・私が宗次郎を手放したくないと思うばかりに、こんな事になったのかもしれない。
そういえば以前、小五郎が私に同じことを私に言ったっけね、自分が会いたいと願いすぎたから私がこの時代に来てしまったんだって・・・本当に、そうだったのかもしれない。
正二郎から、忠太郎が発した強烈な一言を聞かされた。
父親に向かって、帰ってくるななんて・・・さぞ、傷ついたでしょうね。
しかも、私が泣くからなんて、恐ろしい子・・・
見た目は少しずつ成長していると言うのに心の成長がだいぶ遅い、言葉の覚えも正二郎に比べたらずっと遅い。
忠太郎は私たちが引き取った頃の正二郎の年齢と同じはずなのに、幼すぎる・・・
この子は、立派に育ってくれるのだろうか・・・?
正二郎のバラが咲き始めた五月も早々に、その知らせは来てしまった。
京で小五郎が発作を起こし倒れ、危篤だと言う。
・・・バカな男・・・
「すぐに伺います、手配をしてください。」
男はすぐに人力車の用意をしてくれた。
「正二郎!お父さんが倒れて危篤状態です、今すぐ京に向うから準備なさい!」
正二郎は取りみだした表情をしてバタバタと走った。
「忠太郎はこっちに来て?」
私は忠太郎を抱えた。
正二郎はすぐに私の準備していた荷を持ってくれて私たちは京へと急ぐけれど・・・これって何日かかるの?
間に合うものなの!?
歴史上は間に合うはずだ・・・でも、今となってはそれも定かじゃない。
だって私がだいぶ歪めちゃったんだから!
私は・・・私はあの男の死に目に会えなくてもいい・・・でも、正二郎には、会わせてあげたい・・・
神様どうか、どうか間に合いますように!
人力車やら馬車やら駕籠やらを乗り継ぎとりあえず前に前に進むけれど、
人間、やればできるもので・・・5日程で私たちは京の小五郎が所有する別邸についた。
5日ってかなり早いよ。
持っているとは聞いていたけれど結局来る事のなかった京の屋敷。
大きなお屋敷ね・・・きれいに管理されている。
正二郎はすぐさま走って屋敷に飛び込み、私は忠太郎の手を引いてその後を歩いた。
あの時のように、大部屋で寝かされている小五郎。
でも、違うって、すぐわかった。
以前と違って、寝ている小五郎には生気がなかった・・・
取り巻く空気は灰色で、重くて、静かで・・・あぁ、本当に終わるんだって、わかった。
「父様!父様!しっかりなさってください!」
必死に声をかける正二郎、体を揺らして小五郎を起こそうとしている。
私は、正二郎の背後に回って、そっと肩に手を置いた。
「揺すっては、だめよ。」
私の静かなこの言葉に正二郎ははっと我に返った顔をして腰を落とした。
私が医学に精通しているって思っているから、きっと揺らす事が良くないんだって思ったんでしょう。
「息は、あるのですね?」
私は向かいの医師に問いかける。
「はい、今のところはとしかお伝えする事は出来ませんが・・・」
「そう・・・」
青白い顔、最後に見た時より、少し痩せたかな・・・
「これまでも何度か発作を起こされておいででした、その都度半日もせずに意識はお戻りでしたが・・・今回ばかりはお目覚めになるご様子がございません。どうにも手の施しようがなく、大変申し訳ございません!」
医師はその場に深く土下座した。
「今までよく診て下さいました、感謝しております。ありがとうございました。」
私が頭を下げると、正二郎もその横で頭を下げた。
「この後は、私がすべて引き受けます。どうか皆さん、お休みください。」
私はこの屋敷の管理を任されているという男を呼び、部屋を用意するように伝えた。
そして、この部屋の横に、子供たちの寝室を準備させた。
「あなた達も疲れているでしょう?休んでいいわよ?」
そう言う私に正二郎は真っ先に拒否をした。
「自分も、父様の側に・・・」
そうよね、この子は優しい子だから・・・
「わかったわ。そのかわりお食事の時間とお風呂はきちんと行って頂戴ね。忠太郎と一緒に。」
「はい!」
「それと、夜もきちんと寝る事。何かあったらすぐに起こすから、心配しないで?」
「でも、母様は・・・」
「私?私は大丈夫よ、何かあったらちゃんとあなたに頼むわ。その時はお願いね。」
「はい!わかりました!」
眠るつもりなんてなかった。
もう、あと数日である事ぐらい、知っていたから。
「さぁ、お部屋に荷物を置いてらっしゃい、忠太郎もお兄ちゃんのお手伝いしてね。」
「はい!」
子ども二人は元気良く返事をして、着替えなど荷物を持って隣の部屋へと向かった。
二人きりになって、改めて小五郎の顔を見て、額の髪を払って幼子の様に頭をなでてあげた。
よく、頑張ったと思う・・・
よく、働いたと思う・・・
よく、生き抜いたと思う・・・
よく、約束を守ったと思う・・・
「本当に、偉かったね・・・」
涙なんて出ないけど、心は痛くて、この男をこんな姿にしてしまったのは私で、申し訳なかった。
でも、どこか素直にはなれなくて、ごめんねって言う一言は、言えそうになかった。
正二郎と忠太郎は、実にお利口に言いつけを守り、私が席を外す時は代わって見てくれていた。
小五郎は俗にいう昏睡状態で、意識不明で、意識が戻る事はわかっているけれど・・・それがいつかはわからない。
身体の管理は医師たちが行ってくれるから、基本は見守っているだけで、目を覚ますのを待っているだけ。
もう、目を開けてはくれないんだろうか・・・
可能ならば、もう一度、話をしたいと思うけれど・・・あれだけ長い事この男を排除してきたんだもの、もう、会いたくなんてないのかな・・・
目が覚めたらまた現実だもの、覚ましたくなんてないのかな・・・
【桂小五郎】
気が付いて最初に目にしたのは、見慣れない、でもどこか見覚えのある天井だった。
部屋の隅には灯りが灯っていて、周囲はとても静かで・・・今が深夜なんだって知った。
「気がついた・・・?」
姉さんの声で僕はその方向へと顔を向ける。
「はい・・・ここは・・・」
「京の、あなたの屋敷だそうよ・・・」
姉さんの顔を見るの、いつぶりだろう・・・
目を細めて僕を見ている姉さんの顔は不安そうで、悲しそうで、でも、どこか感情が薄くって、しばらく僕達は口を利かなかった。
僕の体は布団の上に仰向けで、まるで張り付いているかのように動きが悪い。
そんな身体に現実を叩きつけられて、今のうちに、生きているうちに出来るだけ多く、話をしなきゃって、思った。
「怒ってますか・・・?」
「いいえ、怒ってはいないわ。」
「じゃぁ、どう思っていますか・・・?」
「桂小五郎と言う男が懐かしい、ずっとそう、思ってきました。」
「そう、だよね・・・僕もそう思います・・・」
今更だけど、胸が締められる様に苦しくなった。
「たくさん謝らなければならないことがあります・・・どこから、謝るべきかな。」
「それは、誰が誰に謝るのですか?」
誰が誰に・・・か、姉さんらしい、厳しい言葉だね。
「木戸孝允になった桂小五郎が、松子になってくれた姉さんに・・・かな」
僕の頭の中は、姉さんと江戸で出会ってから今日までの事が一つの絵巻物のように連なって流れている。
その巻物は、終わり良ければと言う訳にはいかない物語で・・・
「木戸孝允になった僕は勝手で、家にも帰らずに、子供たちの事も家の事もすべて任せっぱなしで、苦労ばかりかけました。」
「えぇ、そうね。」
「好子の事も、忠太郎の事も・・・」
「子供たちの事はもういいわ・・・木戸孝允の一番重い罪は、私から桂小五郎を奪ったこと・・・それだけよ。」
「承知してます。」
僕はあまりに、家庭をかえりみなかった。
姉さんよりも、仕事を取りました。
何度も何度も、姉さんを裏切りました。
「ねぇ、姉さん。」
「はい。」
「忠太の事、いつ気がついた・・・?」
「ひと目、見たときよ。」
「さすがだね・・・」
どっかでそうじゃないかって、思ってた。
そうじゃないかって思っていたけれど、自分の非を認める様で、僕はそれすら認めようとしなかった。
「忠太郎は母さんっ子だね・・・」
「そうね、あなたはほとんど家にいなかったからね・・・」
忠太郎と家族としての時間を作ることができたのはほんの一年か二年足らずで、まだ三つ程度の幼子で、あの子にとってはもはや父親の存在はないに等しく・・・母親である姉さんこそがすべてなんだ。
「・・・忠太郎を見てると、どうしても思い出してしまう子がいるんだ。」
僕のその言葉に、姉さんは深いため息をついた。
きっと、思っている事は一緒だ。
それは日を追うごとにどんどん似て来て、僕の実子のはずなのに、まるで僕に似ていない・・・
「私もよ。あの自由さ、わがままな感じ、何より私に対する依存の強さ・・・宗次郎にしか見えないわ。」
やっぱり・・・
「僕も、そう感じてた。」
僕達はきっと、宗次郎を手放す事は出来ないんだ。
そして宗次郎はきっと、忠太郎の体を使ってまでも、そうまでしても僕達の、いや、姉さんの子になりたかったんだ・・・
「きっと僕が姉さんをあまりに放っておいたから、宗次郎が姉さんを奪いに来たんだ・・・」
「自分で作って連れてきておいてよく言うわね。」
「その通りだね・・・」
忠太郎は昔、僕に家に帰って来ないでって言った。
僕が帰って来ると、姉さんが泣くからって言ったあの時、忠太郎は笑っていた。
宗次郎と同じ、邪心のかけらのない笑顔・・・
あの子もまた、正しく導けるのはきっと僕じゃなくって、姉さんだけだ・・・
「あなたの気持ちは理解できるわ、自分の子がほしいと思うのは当然よ、責めるつもりはないわ。」
「でも、傷つけたよね・・・」
「えぇ、そうね。だいぶ傷ついたわね。」
「それを一番、悔いています。」
一度離れてしまった心ってのは残酷で、あんなにも必要としていたのに、それが薄れてくると、その行為でどんなに相手が傷つくかなんてわからなくなってくる。
それが余計に相手を傷つけて、余計に心を離していくんだ。
「あなたは私が言った通りに、歴史がそう望むように新しい時代を作った。約束通りに誰も殺さず、廃刀令と言う法律を作った。あなたは多くの人たちとの約束を守ったわ。政治家として立派に勤めたのよ。」
政治家として・・・
「・・・政治家として立派であっても、父として、夫としては失格だったね。」
「そうかもね・・・」
「・・・今からじゃ、遅いかな・・・」
僕は、涙声になって、声を震わせて、懇願した・・・
「こんな体になって、この先生きたとしても姉さんの介助がなければ何もすることはできないのに、姉さんを守ることもできないのに、先はきっと、長くはないのに・・・今から、やり直すことはできないかな・・・」
僕は右手を少しだけ動かして、姉さんに手を伸ばした。
姉さんは悲しそうに目を細めて、僕の右手を取ってくれて、自分の頬にあてた。
「・・・大丈夫よ、いつだってやり直せるわ。」
「姉さん、愛してるよ・・・」
「私もよ、小五郎・・・」
僕はまるで繋がっている姉さんの手に吸い込まれるように意識を落とした。
瞳の奥で姉さんの歌声が聞こえた。
幼い時に聞いた琉球の子守歌だ。
美しい声・・・もうずっと聞いていなかった歌声・・・
ただこの声を聞くだけで、どうしてこうも落ち着くんだろう。
あんなに毎日悩んで、議論口論して、イライラして、それを晴らすためだけに夜の町に行って、若い娘を抱いたりお酒を浴びるように飲んだり、それでも治まらなくって翌朝を迎えて・・・
そんな生活が知れるのが嫌で、どことなく居心地が悪くって家に帰らなくなって・・・
なんだ、結局、帰ってくれば良かったんじゃないか・・・
姉さんと、話をすれば良かったんじゃないか・・・
握られている手には温もりがいつまでも感じられて、柔らかくって暖かくって、僕の手より小さくて華奢な手なのに、僕の手はその手に包まれていた。
大きな手だった・・・
【おリョウ】
それからしばらく小五郎と会話ができた。
寝たきりで介助がないと満足には動かない身体ではあっても、それで十分だった。
しかしそうなると男たちは小五郎の事を放ってはおかない。次から次へとやって来ては小五郎に指示や意見を求める。
これじゃ、本当に殺される・・・
そんな中、客人を一手に仕切ったのは正二郎だった。
時間を決め、それ以降の面会は一切断った。時間は朝食の後から夕食まで、それ以降は頑として受けなかった。
少しでも小五郎に疲れが見えれば、人は通さなかった。
その姿は、頼もしささえ感じて
「正二郎、立派になったわね・・・」
「そうだね・・・頼もしいね・・・」
小五郎は正二郎の背を見て、何かを想っている様だった。
「何を、思っているの?」
私の問いに、一度目を伏せて、考え深げに口を開けた・・・
「足の自由を失ったあの日、僕は今日この日まで生きられるとは思っていなかった。すぐに迎えが来て、廃刀令を見届ける事はないんだと、思っていたんだ。その時、もし、見届けられないのなら、せめて正二郎に見届けてもらいたいって思った。それ故に、僕は、正二郎を政治の世界に引き入れた・・・正二郎は優しいから、きっと僕の為にって、政治の世界に足を入れてくれたんだと思う。今となっては正二郎には志す何かがあったんじゃないかって、思うんだ。僕の為に、それらを諦めたんじゃないかって・・・」
あの時私がこの男の面倒を見ていたのなら、正二郎は違った道を歩いただろうか。
「いいえ、そうは思わないわ・・・」
私は、廊下から聞こえる正二郎の声を聞いて、自然と微笑みながら、そう答えた。
「あの子はきっと、あなたの背を追ったと思う。あの子にとって、来原さんを知らないあの子にとってあなたは唯一の男親だった、唯一の手本であり憧れはきっとあなただったと思うわ。」
「そうであってくれたら、うれしいね。」
少しはにかんだ笑顔をする小五郎。
「でも、例え同じ政治家となっても志はあなたと違うかもしれないわよ?目指す物ややりたい事は違うかもしれないわ。それこそ対立するかもしれない。」
「そうなっちゃったら泣いちゃうなぁ。」
「あの子がもう少し大人になった姿を見ないと、わからないわね・・・」
「僕に、それが叶うかな・・・」
「神様、次第ね・・・」
見る事が叶わないのは、わかっている。
あと数日だって、わかってる。
それはきっと、この男が一番よくわかっている・・・
だったらせめて、私が見届けてあげよう・・・この男の代わりに。
食事は家族四人で、これはもはや最後の記憶作りにも等しかった。
忠太郎に、父親との笑った記憶を残してあげたかった。
そんな中、ある日の昼前、正二郎が血相を変えて飛び込んできた。
「どうしたの・・・?」
「父様!あの!陛下が!!!!」
・・・えぇ!?
思わず私たち二人は顔を見合わせた。
陛下って、天皇陛下!?
明治天皇!!!?
そうこうしている間に、入って来ちゃったよ!!!
私達はもちろん家着だから、陛下を向かい入れる様な状態ではなく、咄嗟に平伏するしかなかった。
小五郎も咄嗟に体を動かそうとする、
「いやいや、そのままで、動かずとも良い。奥方殿もご子息もお顔をあげていただきたい。」
私は顔を上げ、不自由そうにしている小五郎に手を出した。正二郎が背後から小五郎の体を支える。
「木戸殿、お身体はいかがかな。」
「このような場所までおいで下さり、お心あるお言葉、心より感謝申し上げます。この様な身なりで何もおもてなしすることもできずお恥ずかしい限りでございます。どうかお許しください。」
「わしが勝手に来たのだ、気にする事ではない。病人がめかし込んでいる方がおかしかろう?」
笑ってるよ。
驚いた・・・
明治天皇って、こんなに若くって、いい男なんだ・・・
洋装で、背が高くって、細身で、口ひげ・・・現代の世でも十分通じるイケメンよ。
何か一人だけ、完全に近代使用だ。
しかも、気さくだし・・・
「そちらが妻である松殿か?」
「初めてお目にかかります。松と申します。こちらは息子の正二郎と忠太郎でございます。以前は、夫が体調を崩した際、多くの見舞いの品をいただきまして、本日も尚このような場所まで御足労いただき心より感謝申し上げます。」
私は再び深く頭を下げた。
「なかなか教養のある人だ、すばらしい。さすがは木戸殿の奥方だ。」
奥方なんて・・・私なんかが陛下に言われる様な言葉じゃないよね。
明治天皇は、取り巻きをちらりと見て一言こういった。
「少し外してもらいたい、わしはこの者と話がある。」
すると取り巻きはすぐに部屋を出て、この部屋には私たち四人と、天皇陛下と言う異様な事となった。
「では、私共も、」
そう言って立ち上がろうとしたとき、陛下はどかっとその場に腰を下ろした。
「いいではないか、気を使う物ではない、構わぬ。何たって今日は見舞いに参ったのだからな。」
だいぶ、ケラケラと笑っておいでですが・・・お若いですねぇ。
私は頭を下げて、少しばかり後ろに下がった。
「木戸殿、体調はいかがだ?あまり思わしくないとうかがって参った。何か不自由はないか。」
「再三にわたるお心遣い感謝申し上げます。身体の方はあまり自由が利かず不自由ではありますがこうして妻や息子が身辺の事を行ってくれておりますのでありがたく思っております。」
「そうか、国政は気にするな、まずはしっかりと療養をしてもらいたい。お前がいないと大久保がうるさくてかなわんからな。」
ぷっ。
この言葉に、思わずふいてしまった。
そしてその行為に小五郎と正二郎が青ざめた。
忠太郎は、楽しそうに私を見上げている。
「松殿はよくわかっている様だな。」
歯を見せて笑う陛下、可愛らしいわね。
「えぇ、もちろんでございます。私は大久保様に夫を寝取られた様な物でございますから。」
「松さん!?」
「わはははははははは!!!」
陛下、大笑い。
小五郎が卒倒しそうになっているけれど、倒れたら死んじゃうかもね。
「いい!いいな松殿!実にいい!だろうな、松殿の目にはそう映ってもおかしくはあるまい。実際そうなのだからな。」
「どれだけの夜を泣き明かした事かわかった物ではございません。」
「松さん!!?」
相変わらず笑いまくっている陛下、すっげー若いね。
「ならばこれから先は夫婦水入らずで時を過ごすのが良かろう。しばらく大久保の相手は他の者に押し付けるか。」
「何よりの見舞いの品、ありがたく頂戴いたします。」
私は再び頭を下げた。
「木戸殿、薩摩の件はこちらで引き受ける、無理をせずと、病の根治を心から願っている。」
「ありがとうございます。」
陛下は立ち上がった。
「松殿、ご子息、この男を頼むぞ?」
「かしこまりました。」
何度だって頭ぐらい下げますよ、陛下ですもの・・・
平成の世の陛下はもうだいぶお歳で、本当に人のよさそうなにこやかな方だけれど、若い陛下は本当に今時の青年で見た目はしっかりとしているけれど中身はまだまだ幼さを残している。
その証拠に、私との会話が楽しくて仕方ない様子・・・
きっと小五郎が元気であったのなら、この青年はずっとここに居て腹を抱えて笑っているんだろう。
「木戸殿、松殿は大久保と合わないだろう?」
「いえ、そんな」
「えぇ、よくお見抜きでございます。」
「松さん!!!」
「だろうな。大久保は出入り禁止にするかな。」
陛下は実に楽しそうにケラケラと笑いながら去って行った。
・・・・・・・・はぁぁぁぁ・・・・・・・・
小五郎と正二郎がひっくり返ってでっかい溜息をついた。
「いやー、緊張したわねー。」
「冗談やめてよ・・・・」
私のつぶやきに小五郎がぼやいた。
「あら、緊張したわよ?ねぇ正二郎?」
正二郎が引き切った顔をしている
「見ただろ、正二郎。お前のお母さんはこうやって堂々と正面から戦うんだ・・・」
「ちょっと、戦うなんて言わないでよ、陛下とお話ししただけよ?」
「こういう人なんだよ・・・お前のお母さんは・・・」
「斬られるかと・・・思いました・・・」
「何で斬られるのよ。」
「ねっ、わかるだろ?」
「はい・・・交渉事は無理です。」
「ちょっと!どういう事よ二人して!」
きゃっきゃと笑う忠太郎、そんな姿を見て私達も笑った。
幸せだった。
しかし、そんなささやかで小さな幸せな日々はあっという間に終わりを迎え始めてしまう。
小五郎の意識はやがて朦朧としてきて、会話がほとんどできなくなった。
それでも私は小五郎の手を握っていた。
意識が薄れて行くにつれて表情もどんどんと薄くなり、ほとんど反応はないけれど、それでもかまわなかった。
最後にちゃんと、帰ってきてくれたのだから。
忙しすぎたんだよ・・・いろんな意味で、頭を使いすぎたんだよねきっと。
「ねぇさん・・・いるの・・・」
「えぇ、いるわ。」
もう目も見えなくなってるのね。
CTやMRIなんてない時代、点滴すら存在しないこの時代で何も口にできなくなった小五郎はもってあと一日二日・・・できる事なら、楽にして、あげたい。
悲しい別れが来るはずなのに涙すら出ないのは、私の中の桂小五郎はもうすでに一度死んでいて、涙はその時に出尽くしてしまったからなのかもしれない。
この日が来ることは遙かずっとずっと前から覚悟していた。
京に入った時に、覚悟していた・・・絶対に泣かないと決めていた。
この男がいなくなったら私は、どうなるのだろう・・・
「お待ちください大久保様!父は病床の身です!控えてください!」
正二郎の大きな声と二人分の足音、私が嫌いな音・・・
「御免!木戸君!松子君、邪魔する!」
「これは大久保様・・・」
「大久保様!お引き取り願います!」
「・・・いいよ、正二郎、大久保様・・・何用ですか?」
大久保利通は私の問いには一切答える事もなく寝ている小五郎の手を取り、いつも通り強い口調で現在の情勢をわめきたてた。
まだ幼い忠太郎が私の横で不安そうな顔をしている・・・
正二郎も、私の横で一部始終を見守っている。
私は・・・この先に何が起こるかを知っている・・・私は忠太郎の手を握って、黙って小五郎を見つめていた。
小五郎は静かに、大久保利通の言葉を聞いていた。
そして、ふっと一息吐いて・・・
「西郷さんも、いい加減にしないか・・・」
その言葉を、口にした・・・
「木戸君!」
大久保利通の大きな声がして正二郎が慌てて枕元に駆け寄った。
桂小五郎は、木戸孝允として生を終えた。
私は部屋の隅で正座をしたまま動かず、涙すら流さず、ただ、ぽつんと座っていた。
あぁ、だから幾松さんは不仲説が流れたんだね・・・
夫の死に、なんて非常な妻だろう・・・そう思われても仕方ないね、だって、実際そうなのだから。
私には今日の事までのすべてがわかっていたのだから・・・
ここにいるのは、桂小五郎なんかじゃない。
私があれだけ嫌っていた、木戸孝允なんだ・・・
ただ、やっと楽になったんだなって、そう、思った。
それが唯一の救いだった・・・
・・・お疲れ様でした・・・
忠太郎は私に抱きついたまま、まだ理解できない様で、何度も何度も私を見上げている。
小五郎の亡骸は翌日こそ我が家にあったけれど、家族だけで静かに弔う様な時間などは一切与えてはもらえなかった。そしてその翌日には男たちによって連れていかれ、京都霊山護国神社に立派な墓があっという間に用意された。
これからは正二郎とまだ幼い忠太郎と二人で静かに暮らすのね、私はどうやら本当にこの世界に骨を埋めそうで、この子が立派になるまでは見届けられるのかな・・・
宗次郎を思わせるこの忠太郎は私がいないとダメな子だから、この子が成人するまでは・・・
神様、お願いします。
ここに置いて下さい。




