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夢恋路 ~明治編~3

【桂小五郎】

箱根で病気療養なんて、名目だけ。

もうぐっちゃぐっちゃ。

ある程度予測はしていたけど、ここまでひどいなら姉さん連れてくれば良かった・・・どんだけの人が出入りしてんの、ここ。みんな、旅館かなんかと間違ってない!?

大島さんなんかが来た時は少し出歩いて近くの旅館に泊まったりもしたけど、内情を聞けば聞くほど嫌気がさして帰る気になんてなれなかった。

姉さん置いて来ちゃってるのに、そんなに簡単には帰れないし・・・

箱根に来て一月ほどして、持ち込まれた文を見て愕然とした。

そこには大村さんが襲われたとあった。

一命は取り留めたけれど死者が出たと。

しかも、犯人は・・・海江田だ。

どうして・・・

どうして今この状況下で、薩摩が長州の人間を斬ったんだ!

大村さんは僕と親しい人間である事はわかっていたはず、大村さんにも日頃から注意を促していたから、警戒していたはずだ。それでも斬りに行ったって言うのか!?

これは、陸軍将校の養成員が暴徒と化す可能性がある、大至急戻らないといけない。

大久保さん・・・今回の件は許さないですよ!?



【大久保利通】

全く、何て事をしたんだ海江田は・・・

今大村を斬って何になる。

辞め癖のある木戸君を説得している最中だったと言うのに、考えの足らん奴だ。

実行犯の中に長州人がいたことがまぁ、せめてもかな。

どうにかお家騒動にかこつけて収束できない物か・・・

今長州と完全に決別してしまっては国はなりゆかない、どうしても木戸孝允と言う男が国政に欲しい。

ならば尚更の事、さっさと主犯を死罪にせねばなるまい。

海江田がこれ以上実行犯たちの死罪を拒めばなおの事怪しまれるだけだ、刑法官と言う役職を与えているのだ、自分の近しい者だけ罪を認めないなど許されるわけがない。

・・・本当に、迷惑な事をしてくれた・・・



【桂小五郎】

箱根から帰って来た小五郎は相変わらず参朝しようとはせず、相談役の様な状態で家にいた。ほとんど部屋から出ては来ないけれど僅かでも手が空いたら正二郎を呼んで字を教えていた。

まぁ、元より積極性に欠ける正二郎だから、覚えは遅いんだけどね・・・

そんな事が何か月か続いた年末のある日の夜、珍しい人間が我が家を訪ねてきた。

「あの、奥様、」

「はい、何かしら。」

女中の女の子が声をかけて来て、私は呼び止められた。

「お客様が来ているのですが旦那様はお手すきですか?」

「こんな時間に?」

もう陽は落ちてしまっているけれど・・・?

「どなた?」

「薩摩の大久保様と言うお方です。」

・・・・・なんでよ?

大久保利通がうちに?

なんでわざわざ?

小五郎を引きずりに来たか?

「確認してくるから、もう少しだけ待つように伝えて?」

「はい。」

私は小五郎の部屋へと向かった。

「いいかしら。」

「いいよー。」

小五郎は相変わらず机に向かっている。

「ねぇ、大久保さんが来たけど。」

「・・・・・なんでよ?」

ほら、同じ反応だ。

「私が聞きたいわ、あなたを引きずりに来たんじゃないの?」

大村さんの事は知っている、聞いたから。そんな事があった後でわざわざ来るかしら。

あの男が頭を下げに来たとは思えないし・・・

小五郎はしばらく考えて、顔を上げた。

「松さん、通してください。そしてお酒を用意してもらえますか?あと何か食べる物を。」

「わかりました、お連れした後にご用意いたします。」

「よろしくお願いします。」

小五郎はさっと散らばっていた書物をまとめ上げ身なりを整えた。

私は小五郎に頭を下げて部屋を出て、大っ嫌いな大久保利通を呼びに行った。

立っていた大久保利通は相変わらず仏頂面で私を見るなり小さく息を吐く。

・・・これがもしため息だったら胸ぐら掴んでやる。

「お待たせいたしました、お連れいたしますので、中へ。」

「邪魔する。」

ったく、可愛げのない男だなぁ・・・

先を歩く私の後ろを大久保利通が歩く。

「旦那様、お客様をお連れいたしました。」

そう言って戸を開けると、小五郎が座っていた。


「これは大久保さん、直々に。」

笑う小五郎が皮肉っぽい。

「まぁ、いろいろとな。失礼する。」

大久保さんはそう言って部屋に入った。

私はそっと戸を閉めて、お酒の準備をする。お猪口でも杯でもなくぐい飲みと、一升入るでっかいとっくり・・・

これねぇ、私が面白がって買ったやつなの。

まさか使う日が来ようとは思ってなかったわ・・・

「失礼します。」

そう言ってそっと障子をあけて両膝を付いて、小さな盆にぐい飲みを二つだけ乗せて二人の前に置く。

もちろん目が点になる二人の男、私は黙って再び障子の方へと歩き、でっかいとっくりを二人の前にどかっと置いた。

「たらへんかったら言うておくれやす、その時は樽でお持ちしますんで。ぐい飲みも必要とあらば湯呑に変えましょか?」

私のこの悪態に、大笑いしたのは大久保利通だった。

「こんな京女を見た事がない。ならば湯呑が必要になったら再び呼ぼう。」

「お声かけ、お待ちしとりやす。」

振り返りざまに小五郎に笑いかけて、舌を出してやった。

小五郎はケラケラと笑い、私は何事もなかったかのように部屋を後にする。

膳が運ばれてしばらくしたら笑い声が漏れて来て、ちょっと安心した。

小五郎もである事はわかってはいるけれど、私も大久保利通は好きじゃない。でも、互いが互いを認めている事はわかるし、きっと多くの誤解もあるのだろう。

仲良しこよしってわけにはいかなくっても、うまく、話がまとまってくれたらいいのだけど・・・

この二人がこの先の世の基礎を作ることは決まっている、全く相反する二人ではあるけれどそうじゃなきゃいけないのかもしれない。

この二人じゃなきゃ冷静に話し合いなんてきっと無理なんだわ。

「母さま、お客様ですか?」

正二郎がとことことやってきた。

「えぇ、お父さんのお友達よ。」

お友達か・・・自分で言っといてなんだけど、どうだかね。

「さ、あなたはもう眠いでしょ、寝ましょうか。今夜は騒がしくなりそうだからお母さんもあなたのお部屋で一緒に寝させてね。」

「はい。」

私は正二郎と共に眠った。

夜が明ける少し手前、静かになった小五郎の部屋を覗いてみて・・・驚愕。

男二人がひっくり返っている・・・

これ、見てもいい光景だったかしら・・・ちょっと狼狽えちゃう。

大久保利通って言ったら、気位が高くって、こんな光景を見せる様な人間じゃないでしょ?

私はそっと小五郎を起こす。

「小五郎、起きて・・・」

「ぅん・・・?」

起きろ、ボケ。

「ねぇちょっと、大久保さん何とかしてあげてよ・・・」

「大久保さん・・・?」

襟元引っ張り上げて座らせると、小五郎は目の前の光景に気が付いた。

「これはー・・・」

「駕籠を呼ぶから、あなたが起こしてあげて?私に見られるのは癪に障るでしょうから。」

「わかった、ありがとう。」

私と小五郎は再び、転がっている大久保利通に目をやった。

「しかし、これは見て良いものかね・・・?」

「私も、そこが気になるわ・・・」

まぁ、何と言うか、身なりを気にしている大久保さんにしちゃ・・・ひどいかな。

私達は静かに笑って、私は部屋を出た。

その後大久保さんはそそくさと帰って行ったけど・・・見送った後で笑ってしまった。

「大久保さんも人間だったのね、知らなかったわ。」

「僕も、そう思いました。」

ちょっと親近感がわいた、かな?

「さぁ、あなたはもう少し寝直したら?どうせ今日も家の中でしょ?」

「うん、あっ、そう言えば姉さんは昨夜どこで寝てたの?隣の寝間は騒がしかったんじゃない?」

まぁねぇ、隣にいたら乗り込んでたかもねぇ。

「私?正二郎の部屋よ。一緒に寝たわ。」

「いいなぁ正二郎は、堂々と一緒なんて。」

「あら、あなたがほとんど家にいないから悪いんじゃない。」

「ごもっともです。」

小五郎を寝間に追いやって部屋の片づけをして、さて、今日も一日が始まるわね。

雪、降るかな・・・

数日後

「姉さん、あのね。」

「なぁに?」

「ちょっと長州に行ってきます。」

「そうなの?また一人で?」

私のこの問いに、小五郎はなぜかもじもじ。

・・・なに。

「大久保さんと、一緒に行きます。」

・・・・・・・・。

思わず、黙ってしまった。

何ですって?

私、耳が悪くなったかしら。

ぽかんとして黙っている私にへへっと苦笑する小五郎。

「そんなに、仲良かった・・・?」

「いや、仲が良いと言うか・・・」

まぁ、良い事なんでしょうよ、この先の世にとっちゃ。

でも・・・

思わず笑っちゃった。

つい最近まで病むほどにボコボコにされていたってのに、一夜のうちに仲良く里帰りなんて・・・

「なんだかどっかの夫婦みたいな話ねぇ。」

こんな関係の夫婦、いるわよね。

「この場合、どっちが夫かな。」

笑う小五郎に即答。

「あなたね。」

「やっぱり。」

大久保利通のあの気位の高さと時折ほんのちょっとだけ見せる砕けた様子はまさに女よ、それに翻弄されて一喜一憂している小五郎は尻に敷かれた夫。

強い嫁に引きずり回されて扱き使われる弱い夫、散々振り回されて、だけど別れる事は出来ない。

この関係は最後まで変わらないんでしょうね。

「行ってらっしゃい、気を付けてね。」

安全で無事であればどこに行ってもいいわ、帰ってさえ来てくれれば。

でも・・・

「しっかし、妙な組み合わせね。」

やっぱり笑っちゃう。

小五郎が東京を発つ前に、大村さんの訃報が届いてしまった。

呆然としていた小五郎が痛々しかった。

聞けば、首謀者は薩摩の人らしいけど、斬った下手人の中には長州藩士もいたらしく、どこも攻められないと言うのが正しい感情の様だ。ただ、小五郎は大村さんと親しくって、一時期は回復の話が出ていただけにショックが大きかったんだろう。こんな時ってどうしてあげたらいいのかわからなくて、側にいてあげる事しかできなくて、申し訳ないって思う。

未だに、刀で命を奪うなんて事が行われているのね・・・

そんな後なのにすぐ、小五郎は本当に大久保さんと長州へ向かった。

しばらく帰って来れないかもしれないと言う小五郎に正二郎に対する文だけでも送る様に約束を取り付けた。

・・・さて・・・

いつも困るんだけど、小五郎がいない間、私はどうしたらいいのだろうか?

小五郎はまたいつ帰って来るかわからない。

家にいても、何もやらせてもらえない。

この時代の読み書きが不得意な私には、正二郎に勉学を教える事も出来ない。正二郎には勉学を教えるいわば家庭教師みたいな人が付いているしね・・・

本が読めるわけでもないしねぇ・・・

「奥様、今日もお出かけですか?」

「えぇ、江戸川屋さんに行って来るわ。夕刻には戻るから。」

動乱の時代を命を懸けて生きて来た私にとってそれはあまりに物足りなくって・・・私はいつの間にか、江戸屋に足を運ぶことが多くなっていた。

「あらおリョウちゃんいらっしゃい。」

「だから女将、今は松子よ?」

「あら、そうだった。」

週に1・2回ぐらいは顔を出して女将とお茶をしたり、洗濯や掃除の手伝いをさせてもらったり、まぁ、暇つぶしに実家に来ている様なもの。

芸妓の時の様に三味線や笛、踊りを踊る事も出来ないし稽古する事も出来ない・・・今の私の楽しみって何かしらね。

「なんか、違う意味で大変そうねぇ松さんも。」

「えぇ、違う意味で。」

苦笑してしまう。

女将は・・・ちょっと老けてしまった。

仕方ないよね、十年以上の歳月が過ぎているのだから。

でも、出会った時の様な粋の良さは健在で、キレイにしていてしゃんとした大宿の女将だ。

「ねぇ松さん、今度芸妓としてお座敷をお願いできないかしら?」

「えっ、お座敷を?」

びっくりした。

そんな話が出ようとは。

まぁ、願ったりなんだけど・・・でも・・・どうしよう、いいのかな。

「年明けの落ち着いた時にね、従業員たち集めて全員で新年会をやろうと思うんだけど、その席で一曲お願いできないかしら。」

でも、私は京の芸妓だし、ここは東京だし・・・

「曲目が合えばいいですけれど・・・誰か三味線出来ます?」

「そこは手配するわ!お願い!私も松さんの踊るの見てみたいの!」

女将にそう言われると・・・断れないわねぇ。

「わかりました、良いですよ。」

ブランクあるから、練習しないとだわね・・・上手く踊れるかな?

でも、ちょっと楽しみで、人の前で技を見せて評価されるって、すごくやり甲斐があるわよね。

ましてや私は売れっ子芸妓だったからね。

ちょっとウキウキした状態で江戸川屋を後にしようとしたとき。

「松さん、お帰りですか?」

声をかけてきたのは番頭の辰之助君。

二十代後半になるかな、若い爽やかな男の子。

何と言うか、武家とは違って細くってしなやかそうな男の子だ。

「えぇ、お邪魔しました。」

江戸川屋に男の子が増えてる、辰之助君もそうだけどみんな知らない子で私の時代にいたさっちゃんなんかももう嫁いでしまっていないのだとか。

接客側にいる男の子達はどの子も優しそうで、お客さん受けはいいんだろうね。

女将曰く、新政府になって武家のお客が減り女性客が増えたのだとか。

そして、男の仲居君達はそんなお客さん受けが非常に良いとのことで・・・ホストクラブの走り?だろうか。

まぁ、少しは自由な時代になったって事かな。

良い事いいこと。

「松さん、ご自宅までお送りしましょうか?」

「あら、ありがとう。でもいいわ、今度帰りが遅くなる時はお願いね。」

かわいいわね。

「わかりました、お気をつけてお帰り下さい。」

メイドカフェならぬ、執事カフェですかここは・・・まぁ、女将ならそんな事も好きそうだけどね。

遊郭があるんだから、逆があってもいいわよね。

そんな事を思いながら日暮れ前の道を一人で歩いていた。

「母さまお帰りなさい。」

「ただいま、正二郎。お勉強できた?」

「はい、字の勉強をしました。」

正二郎はにっこり笑う。

「父さまから文が届いてます。」

「じゃ、また一緒にお返事を書きましょうか。お母さんにも字を教えて?」

「はい。」

私は正二郎の部屋に向かう。

例え小五郎がいなくっても正二郎がいるから、まだ耐えられた。

文が来ることで小五郎の無事も知る事が出来る。

その内容がほとんど愚痴であっても笑って過ごせる。

例え、全てを奪われていても、この二つが今の私を支えてくれている・・・

夜、正二郎を寝かせた後自分の部屋でいろいろ考えた、江戸川屋のお座敷、完璧にしないといけない。

着物はどうしようか、曲は?

深夜に着物を出してみたり静かに三味線を調律してみたり、足回りを確認してみたり・・・一人稽古を開始した。

正二郎や使用人たちには私が芸妓だったことは教えない方が良い気がして、黙ってた。

せっかく籍も武家に入っているんだからね・・・

そうすると必然的に練習できるのは夜で、時間は意外と少なくって、こりゃ困った・・・中途半端な芸をするぐらいなら立たない方がまだいい。

そんな事を考えていたある日、江戸川屋から使いの女の子がやって来た。

「奥様、女将が是非とおっしゃっていますがお時間はございますか?」

何かしらねぇ。

私は女中の女の子に声をかけて江戸川屋に向かった。

部屋に通されると・・・あれ?

辰之助君が座っている?

しかも手には、三味線・・・

こっちを見てにっこり笑っているけれど、これはー・・・どういう事かな?

「辰之助君、これはどういう事かしら。」

私が辰之助君に声をかけたちょうどそのタイミングで女将がやって来た。

「お待たせしちゃってごめんなさいね。」

「いえ、今来たところなんですけど・・・」

どういう事か、説明してもらえます?

「お稽古できてる?」

・・・いえ、正直なところ、できてませんが・・・

なぜ?

「あなた、芸妓やってたこと、みんなに言ってないんじゃないの?」

・・・なんで、わかるんすか。

そんな私の視線に女将が笑う。

「武家の籍に入ってから夫婦になったって事は、一応身分を気にしてでしょ。」

すっごいなぁ・・・さすがだよ。

思わず苦笑してしまった。

「三味線奏者なんだけどね、辰之助にお願いしようと思って。」

「辰之助君が!?」

「よろしくお願いします。」

そう言ってにこり笑っているけれど、どうして辰之助君が?

「実は実家は代々置屋をしてまして、三味線は姉たちと小さい時から習っていたんです。」

「そうだったの、」

だから、何となく中性的な感じがするのね、この子。

「なので、ある程度はご期待に添えるかと。」

「・・・じゃぁ、お願いしようかしら。」

その日から二・三日に一回数時間程度だけど私は江戸川屋に行って辰之助君と音合わせをしていた。

辰之助君の三味線の腕はなかなかで私の踊りとも相性がいい。

やればやるほど感覚を戻して私は楽しくなっていた。

年の暮れも押し迫ったその日、稽古を終えて帰ろうとしたら・・・雪だよ。

こーりゃだいぶ積もっちゃったなぁ・・・

電話でもありゃ傘持ってきてーって言うんだけどなぁ。

さてどうした物かと思いながら門で立っている私の頭上に、傘が・・・?

驚いて見上げて見ると辰之助君が傘を持って立っていた。

「今日こそはお送りしますね、右ですか、左ですか?」

「・・・左、です。」

思わず答えてしまう。

すると辰之助君は私に歩くように促して・・・私達は一つの傘で家まで歩いた。

いや、その、傘だけ貸してくれればいいんだけど・・・

「ごめんなさいね、わざわざ・・・」

「いいえ、こんな天気ですからね。」

臙脂色の番傘に二人で入って歩くのは、少々照れます。

しかも、こんなに年下の子と・・・って言っても、見た目はそんなに離れていない事になっているのかな。

懐かしいなぁ、小五郎ともこうやって歩いた事があったっけ、今じゃ大昔の話だね。

「旦那様はお忙しい方なのですか?」

しばらく黙って歩いていたときにふと辰之助君が声を掛けてきて驚いてしまった。

「えぇ、今はお国に帰っているのよ。」

「いつお帰りに?」

「さぁ、いつかしらね・・・まだ行ったばかりだから、夏前には帰ってくるのかしら。」

いつ、帰ってくるのやら・・・

でも、家にいたとしても、昔の様に一緒に時間は過ごせないんだけどね。

「御子息はお一人ですか?」

「えぇ、って言っても私たちの実子じゃないの、 夫の妹の息子さんを養子で貰い受けたのよ。私たちは子に恵まれなくってね。」

「そうでしたか、失礼な事をお伺いしました。」

ちょっとバツが悪そうな顔をしている、辰之助君。

「いいのよ、気にしないで。正二郎は私たち夫婦の子よ?愛してるわ。」

「そうですか、良かった。」

そう言って笑ってくれるその笑顔は若い頃の小五郎を思い出させるもので、こんな時もあったなって、思った。

で、辿り着いた我が家を見て辰之助君、一言。

「・・・大きな、お屋敷ですね。」

目、丸くなってるよ・・・まぁ、私も最初そんな感じだったけどね。

「えぇ、私には大きすぎるわ。京にいた時は二間あったら十分だったのにね。」

門のところで辰之助君にお礼を言って、ふと気が付いた。

この子、肩に雪が積もってる。

ずっと私に気を使って歩いてたんだ・・・私は黙ってその雪を払った。

気が付いていなかったのか辰之助君はそんな私の行動に驚いた様子で、ちょっと赤い顔をして私の手を見た。

・・・初々しいと言うかなんというか。

「風邪をひくわ、早く帰りなさい。」

「はっ、はい、失礼します。」

辰之助君は頭を下げて、いそいそと雪道を帰って行った。

次からはちゃんと傘を持って行こう。じゃないとあの子が風邪をひいてしまうわ・・・

年が変わり、今年もまた年末年始小五郎はいなかった。

奉公に来ていいる子達を実家に帰してあげないといけないから我が家は妙に静かで、久しぶりに家の事を少しやらせてもらえた。残っているのは国が遠いとか、親族がない人たちで、そんな子たちの年末年始の相手をしながら正二郎と二人で新年のあいさつの文を書いた。

いつまでたっても文も字も上手になれない正二郎、この子、覚える気がないのかもしれない・・・

まぁ、会話はできているから、良いのかな。

私は文にそんな事を書いて、でも小五郎から来るのは愚痴ばかりで、まぁ、かみ合わないよね。

いーんだけどさ。

愚痴を言える相手もいないのかねぇこの子は。

さすがに新年早々出歩くわけにもいかないから、4日までは夜にこっそり踊りの練習をして、5日にあいさつを兼ねて江戸川屋に向かった。

5日には近場で里帰りしている子たちもみんな戻ってきてるし・・・出かけたって良いよね?

「奥さまお出かけですか?」

「えぇ、江戸川屋さんにご挨拶に行ってくるわ、何かあったら呼んでね。」

手土産も持ったし、今日はさすがに早く済ませて帰らないとね。

「正二郎。お母さんちょっと出てくるから、ちゃんと文字の勉強しておくのよ?」

「はい。」

「あとでどのくらい書いたか見せてね。」

「はい。」

・・・ちゃんとやるかね、この子は。

私はすこしばかり足を速めて江戸川屋に向かった。

待ってましたの女将は私に新年のあいさつと言ってたくさんの物を持たせてくれるんだけど・・・あのぉ、私一人で来たんだけど?

辰之助君と音合わせして・・・音色が変わったことにすぐ気が付いた。

「実家に帰ったの?」

「はい、母親に稽古してもらいました。」

「厳しいお稽古だったでしょ、とってもいい音だわ。」

「ありがとうございます。」

いい音、すごく踊りやすい。

中世的で強くて柔らかくってとっても美しい音色で・・・すごく気持ちが良い。私が今も芸妓なら、間違いなくこの子を引き抜いて専属の奏者にしたでしょうね。

で、結局、私一人で持てる新年のご挨拶の量じゃなかったもんだから、まーた辰之助君が家まで運んでくれることになってしまった。

もぉ、だったら次の機会に使いの者よこすのに!

「ごめんね、またもや。」

「いいえ、だってこれ、松さん運べないですよね。」

「・・・えぇ、無理よね。」

二人して笑ってしまう。

互いに両手に荷物ってどうなのよ。しかも結構重いし。

「早く帰って正二郎の文を見ないといけないわ、あの子は字を覚えるのが不得手で困ってしまう。」

「自分も苦手でしたね、難しくって。特に父が書く字は何て書いてあるかさえ分からなくって。」

「そうね、ひどい人はひどいものね。私も読むのは苦手だわ。」

「松さんは何でもお出来になりそうですけれど。」

「いいえ、私も字を読むのが苦手なの、だから夫は私宛の文はほとんど仮名で書いてくれるわ。」

「お優しい方ですね。」

「えぇ、とっても・・・」



【辰之助】

松さんに褒められる事が嬉しくて、実家に帰って初めて自分から母に三味線を教えてほしいと言ってみた。

もちろん姉も母も驚いていたけれど。

そして、その厳しさに後悔もしたけれど。

でも、教わって良かった。

「実家に帰ったの?」

「はい、母親に稽古してもらいました。」

「厳しいお稽古だったでしょ、とってもいい音だわ。」

「ありがとうございます。」

松さんはさすがで、すぐに音の違いに気が付いてくれて、教わったかいがあった。

しかも、その踊っている姿はより一層美しくって、僕の音が変われば松さんはより美しく舞う。

京の芸妓の出だと言っていたけれど、これじゃお金払ってでも娶りたくなるのは当然です。

旦那様の木戸様とはどんなお方なのだろう・・・

女将さんから長州の武士の出で国政に勤めているとうかがってはいるけれど、きっと素敵な方なのだろう。

だって、松さんがこんなにも美しいのだから・・・



【おリョウ】

1月の半ば、私は江戸川屋の松の間で大勢のスタッフの前で、辰之助君の三味線で踊った。

たぶんだけど、過去の中でも上位に入るぐらいにうまく踊れたと思う。

女将はもちろんみんなが喜んでくれて、久しぶりに誰かに必要とされている様で、嬉しかった。

「おリョウちゃん!これ絶対にお金取れるわ!!!」

「だってお金取ってたもの。」

女将が大喜びしている。

すっごい、嬉しい。

私は辰之助君と笑った。

「ねぇ、定期的にお座敷に上がらない!?お代はちゃんと払うから!」

えっと・・・それは・・・

「ご贔屓のお客さんが来た時に一曲!ねっ!」

「でも、そうすると辰之助さんが・・・」

「僕は構わないですよ?」

でも、私が再び座敷に上がる事を、小五郎はどう思うだろう・・・

わざわざ武家に籍を入れてから結婚していると言うのに、芸妓に戻るなんて・・・

正二郎にも使用人の子にも黙ってなきゃならないし・・・

そんな私の渋った顔を見て、女将がすぐに先手を打つ。

「大丈夫よ、そんなに頻繁じゃないし、遅くならないようにするわ!正二郎君やお家の人達にも迷惑がかからないようにする!だから、ね!」

・・・う~ん・・・

でも、この感じはしばらく忘れていた物で・・・だいぶ癖になりそうで、たまになら、いいよね?

「じゃ、たまになら・・・」

結局、月に二・三度お座敷に呼ばれることになった。

使用人の子達には江戸川屋の女将とお酒を嗜んでいる事になっている。

その日は正二郎の面倒は女中の子にお願いして、遅くならない様に帰ると言っ出るけれど、でも結局正二郎が寝た後に帰って来ることになってしまう。帰路はいつも辰之助君が家まで送ってくれて・・・

春も終わりかけた、ある日の夜だった。

「いつもごめんなさいね、送ってもらっちゃって。」

「いえ、何かあっては大変ですから。」

「ありがとう。」

笑顔で答えてくれる辰之助君、若いなぁ。

「あなたの三味線の音はとても美しいわ、私は踊っていてとても気分がいいのよ?」

ただ、褒めてあげたつもりだった。

若い青年の今後の糧にでもなればいいって。

でも、この日の辰之助君は、少し違った。

「・・・ご主人は、まだ帰っては来られないのですか・・・?」

「文にはもうじき帰るとあったから、そろそろこちらに向かってるんじゃないかしら。帰ってきたらもうお座敷に行く事はなくなるわね。」

暇な人妻の遊び、旦那が帰ってきたらそんな遊びはおしまい。

「残念だわ、私達とても相性が良さそうなのにね。」

何気ない、芸妓女の戯言だった。

そのはずだったのに・・・

なぜか、私は辰之助君に抱きしめられていた・・・

・・・な・・・に・・・?

「許されない事は重々承知です、ですが・・・自分は・・・」

ちょっと待って!?

なに!?

パニックで頭が真っ白になっている・・・

「松子さん、ずっと、初めてお会いしたその日からお慕いしておりました・・・」

待って!!!

私はとっさに辰之助君の体を押し返した。

心臓が・・・すっごいバクバク言ってる・・・

やだ・・・どうしよう・・・・・

「・・・帰って、辰之助君。」

「・・・・・・」

辰之助君は、黙ってる。

これはいけない・・・

もう、終わりにしないと・・・

「今の事は、なかった事にしてあげる・・・」

こんな若い子を惑わせてなんになる?

未来を奪って何になる!?

絶対にダメ!

「ですが、松子さん!」

「帰って辰之助君、私には夫子供がいる、二人を愛している。私はあなたと、これ以上近しい距離に身を置くつもりはないわ。」

黙ってうつむいてしまう辰之助君。

まずかった・・・

まさか、こんな事になるなんて・・・

「あなたは、惑っているだけよ・・・・・私の踊りと自分の奏でる音色に、惑って酔ってしまっているだけ。もうそちらには行かないわ、頭と、胸の奥を冷やしなさい。」

「・・・申し訳、ありません・・・」

やめて・・・

そんな顔、しないで・・・

「大人として恥ずかしいわ、あなたの様な未来ある若者にそんな想いを抱かせてしまって・・・本当にごめんなさい。早く、忘れて・・・」

私はそのまま、辰之助君に背を向けて、家に入った。

情けなくって涙が出てきた。

なんて、酷い事をしたんだろう・・・

なんて、考えなしだったんだろう・・・

あんなに近くにいたら、勘違いさせてしまうに決まってるじゃない。

あの子はまだ若い、年上の大人の女性に憧れを抱きやすい年齢だわ。

自分の事しか考えいなかった事が恥ずかしい・・・

座敷に上がって、必要とされている事に盛り上がっていた自分が情けない。

もう、座敷には上がれない。

女将には謝罪の文を渡そう・・・

「なんて残酷な事をしたのかしら・・・」

私は部屋に籠って、声を殺して泣いた。

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