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第三章 「その嘘を愛そう 7」

 ”この世界で起こる出来事はね、全て必然なんだ。だから奇跡なんて存在しないんだよ”


 以前、お兄ちゃんはいつもの無表情でそんなことを言っていた。彼が言ってるんだから、恐らくそれは正しいのだろう。だけど私は奇跡はあるんじゃないかと思う……いいや、あって欲しい。だってこの世の中は、お兄ちゃんみたいに強い人ばかりじゃないから……。



 1年A組。清水有紀は窓際の席に腰を下ろしながら、いましがたスマートフォンに送られてきたメッセージを見つめていた。彼女は微笑みを浮かべながら返信を送ると、ゆっくりと窓の外に視線を移してゆく。するとそこには抜けるような青空が広がっていた。

 良い天気……そんなささやかな事で幸せな気持ちになる。私はあの人と違って酷く単純なのだ。有紀は苦笑いを浮かべながら、あの日の図書室での出来事を思い起こした。




「少しは落ち着いたかい?」


 ようやく涙も止まったころ、お兄ちゃんのよく通る声が鼓膜に届いてきた。


「……うん、もう大丈夫」


「そっか」


 如月は絵本に目を落としながら呟いた。すると暫しの沈黙が二人きりの図書室に流れだす。そして程なくしたころ、有紀が鼻を啜りながら口を開き始めた。


「どうして……加奈ちゃんのことを?」


「キミらがSクリニックを訪れてた翌日、相良先生から連絡があった」


「琴音先生から?」


「ああ」


 如月は溜め息を漏らしながら、うんざりした様子で頷いた。


「……どんな話を?」


「嘘は12種類に分類、出来ると言われている」


 1 予防線――予測されるトラブルをあらかじめ回避しようとする嘘。

 2 合理化――責められたときに持ち出す言い訳や口実の嘘。

 3 その場逃れ――咄嗟に口から出てしまうような一時しのぎの嘘。

 4 利害――自分が金銭的に得をする嘘。

 5 甘え――自分に対する理解が欲しくて吐く嘘。

 6 罪隠し――自分の犯した罪を隠そうとする嘘。

 7 能力――相手より優位に立つための嘘。

 8 見栄――虚栄心から自分を粉飾する為の嘘。

 9 引っかけ――笑ってすませられるような、からかいを含んだ嘘。

 10 勘違い――知識不足などが原因で吐いてしまう嘘。

 11 約束破り――約束が果たせず、意図的ではないが吐いてしまう嘘。

 12 思いやり――自分以外の他人を守るための嘘。


「藤崎加奈の嘘はこの12に該当する。つまり誰かの為に嘘を吐いている、と相良先生は診断したんだ。そこで、彼女は受話器の向こうで僕にこう言ってきた。 ”というわけで、その嘘の理由をみつけてちょうだい。得意でしょ? 人間観察” と」


 厄介事を何より嫌うお兄ちゃんが、自ら率先して行動に出るとは到底思えなかった。もしかしたら、とは思ってたけど……やっぱり琴音先生に頼まれてたんだ。


「断りたかったのは山々だったけど、不本意ながらあの人には色々と世話になってるんでね」


「それじゃ、小夜さんとのデートをブッチしたあの日に?」


「ああ。キミがしたのと同じように藤崎加奈のあとをつけた。そして大学病院に到着したところで、彼女の嘘の理由に気付いた」


「気付いた、って……加奈ちゃんの様子を見ただけで?」


「いいや、それだけでは流石に分からなかっただろうね」


「じゃあ、どうして?」


「只の偶然だよ。僕はこの絵本を以前にも読んだことがあるんだ。だからもしやと思って院内の図書室を調べてみた。すると予想通り本棚にこいつがあった、というわけだ」


 如月はそう言って絵本を有紀に向けた。

 流石は活字中毒の本の虫……恐らく私じゃいつまで経っても真相に辿り着くことは出来なかっただろう。感心する有紀をよそに、如月は更にこう続けた。


「因みに田村春香の主治医と相良先生は知り合いだそうだ。僕が今回の件を色々と知っていたのはそういうからくりがあったてわけさ」


「そうだったんだ……でもどうして言ってくれなかったの?」


「もしキミに言えば、そう(・・)なるのは明らかだからな」


 如月は苦笑いを浮かべながら、有紀が握りしめているハンカチを顎で指した。真相を語らなかったのはリスクを回避するため……私や奈々がボロを出すのを、お兄ちゃんは何よりも危惧したんだ。


「今になって事の真相を語ったのは――これは、わざわざ言わなくても分かるね?」


 これ以上黙っていれば、私がまた余計なことをしないとも限らない。 ”藤崎加奈のことを思うのなら、キミはもう余計なことはするな” お兄ちゃんはそう言っている……。

 全てを聞き終えた有紀は、次の言葉を言いだせずに黙り込んだ。すると再度、二人の間に沈黙が訪れる。雨音だけが響き渡る図書室――程なくして彼女が小声でとポツリと呟いた。


「晴香ちゃんって……どうなっちゃうの?」


「さあ、僕はそこまでは聞かされていないよ。ただ……ただキミにしてもそのことを気にかける必要はないし、知る必要もない」


「でも――」


「いいかい? この件に首を突っ込むのは、もう止めるんだ。分ってないようだからハッキリと言う。キミが出来ることは何一つない」


 如月の鋭い視線が有紀に突き刺さる。そして暫しの沈黙のあと、有紀は俯きながら小さく頷いた。




 それから一週間が経過した。あの日を境に、有紀は3年D組には訪れていない。当然のことながら如月と顔を合わせることもなかった。

 晴香ちゃん、どうなったかなあ……。有紀は三幻寺の駅前通りを歩きながら、二人の幼女の姿を思い浮かべた。すると突然クラクションの音が鼓膜に届いてきた。彼女が音のした方に目を向けると、そこには運転席の窓から手を振る琴音の姿があった。


「こんなとこで何してんの?」


 琴音はサングラスを外しながら有紀の顔を覗き込んだ。

 すると彼女は「ちょと気晴らしというか……」と力なく答えた。


「どうしたの? 随分と元気ないみたいだけど」


「色々とありまして……」


「ふうん、色々とねえ……因みに今日は一人?」


「ええ、見ての通りです」


「じゃあ、一緒にお茶でもどう? この先に雰囲気の良いカフェがあるのよ」


「いいですよ。私も丁度、どっかに入ろうと思ってたんで……」


「よしっ! きまり」


 琴音はエンジンを切り車から降りると、有紀の腕を取りながら目的地のカフェを目指した。




「どうよ?」


「何だか、凄く落ち着く感じ……」


 有紀は店内を見渡しながら、ポツリと呟いた。木の温かみと天井の窓から降り注ぐ優しい光。芳ばしいコーヒーの香りと、ゆったりと流れるボサノヴァの名曲たち。その全てが癒しの空間を演出していた。

 二人が奥のテーブルに腰を下ろすと、程なくしてウェイトレスがメニューと水を持って現れた。すると琴音はメニューには目もくれずいつものを二つ、と言ってウェイトレスに微笑みかけた。


「かしこまりました」


 いつもの、ってなんだろう? 有紀はボンヤリと琴音を見つめた。すると、その視線に気付いた彼女はニヤリと口角を上げると、自信満々に「大丈夫、絶対気に入るからっ!」と人差し指を立てた。


 暫しの間、取り留めのない雑談が続き数分が経ったころ、オーダーしたものが運ばれてきた。有紀はテーブルに置かれた、透明のガラスポットを凝視した。中にはお湯が入っている。その隣にはまりものような物体が木製の器に、ちょこんと乗せられていた。


「あのう……これは何ですか?」


「これは工芸茶といってね、見て楽しむことができるお茶の芸術品よ」


 琴音はそう言うと、工芸茶をポットの中にいれた。有紀も同様にポットの中に工芸茶を落とす。暫くすると茶葉が徐々に開き始めた。それは花が咲き始めるようで、とても美しいものだった。そして三分程が経過した頃、ポットの中の花は見事に開花した。


「綺麗……」


「見た目だけじゃなく、香りや味の方も最高よ」


 有紀は工芸茶を一口含んだ。するとジャスミンとほのかなオレンジの風味が口の中に広がってゆく。


「どう?」


「美味しい……」


「でしょ」


 琴音は満足そうに微笑みを浮べると、自身もお茶に手を伸ばした。その後、彼女たちは暫く無言でお茶の芸術品を楽しんだ。そして一息ついたところで、琴音が口を開き始めた。


「それで、へこんでる理由はなんなの?」


 琴音の問いかけに、有紀は暫く無言を貫いた。だが忍耐強く待つ彼女に根負けして、先日の図書室での一件を話し始めた。


「なるほどね……それにしても、あの子にしては随分と気を回したもんねえ」


「えっ?」


「ああ、こっちの話よ。それより田村春香ちゃんの容態、そんなに気になる?」


 琴音は真剣な眼差しを有紀に向けた。暫しの沈黙の後、彼女は覚悟を決めるように静かに頷いた。

 晴香を助けるためには、今すぐにでも骨髄移植が必要だった。だがクリーンルームでのあの様子――急激な病状の悪化で、相当に体力が奪われていた。このままの状態が続けば、この先たとえドナーが見つかったとしても、移植そのものに耐えられなくなってしまう。


 骨髄移植を行うには前処置、という工程がある。まずは致死量の抗がん剤投与や、放射線照射でガン化した骨髄細胞を破壊してゆく。それは骨髄移植の約2週間前から行われる。激しい吐き気や全身の脱毛などの副作用に耐えながら、患者は命がけの治療に取り組むことになる。


 以上の工程を経たのち、ドナーからの健康な骨髄液を点滴してゆく。そして正常な造血幹細胞を骨髄に復活させ、血球をつくる能力を回復させる。だが現在の衰弱した晴香の体では、この前処置に耐えられそうになかった。


「そんな……」


 有紀は瞳に涙を溜めながら項垂れた。そんな彼女の様子を見た琴音は、静かにお茶を一口含んだ。そして至福の表情を浮かべながらこう続けた。


「――とまあ、これが一週間前の晴香ちゃんの容態」


「一週間前?」


「ええ。一時は本当に危なかったのよ。でも現在は奇跡的(・・・)にも容態は安定してる。恐らく数日後には、一般病棟に移れるはずよ」


「ほんとですかっ!」


「ええ、ほんとよ……それにしても貴女、本当にハル君の言ってた通りの子ね」


 途端に顔を輝かせる有紀を見て、琴音は苦笑いを浮かべた。


「お兄ちゃ……あのう、如月先輩は私のことを何て?」


「お兄ちゃんでいいわよ」


 琴音が頬杖をつきながらからかうように小首をかしげると、有紀は恥かしそうに顔を赤らめた。


「……それでお兄ちゃんは何と?」


「感受性が強く、兄とは対照的にメンタル面が意外にも繊細。人懐っこく友人想いな反面、後先考えずに突っ走る傾向あり。だが兄同様にとても心優しい性格、だって」


 前半は確かに当たってる。でも心優しいってのは幾分照れます……。


「当然、あの子も晴香ちゃんの容態のことは知っていたのよ。あえて貴女に本当のことを告げなかったのは――まあ、これはわざわざ言わなくても分かるわよね?」


 琴音の問いかけに、有紀は微笑みながら小さく頷いた。 ”思いやり” ……自分以外の他人を守るための嘘。


「言っとくけど、今日話したことはあの子には絶対に内緒よ。もしバレたら、私は何週間も無視され続けることになるんだからね。いいこと? お願いよっ!」


「勿論です。口が裂けても絶対に言いません」


 手のひらを合わせ懇願する琴音に、有紀は真顔で答えた。すると二人の間にフッと笑いが起こる。その後、彼女たちは癒しの空間でゆっくりとお茶を楽しんだ。カフェを出る頃には、有紀のモヤモヤした心は綺麗さっぱりとなくなっていた。本当によかった……。彼女は晴々とした空を見上げながら、心の中で呟いた。


 それから数日が経過した頃だった、有紀のもとに琴音から連絡があった。その内容は晴香のドナーが見つかったというものだった。諸々の検査を経て、明日から前処置に入るそうだ。


「これからが、本番よ」


 琴音は電話の最後をそう締めくくった。奇跡……軽々しく使うべき言葉じゃない。だけど私はこの時、心からそう思った。

 翌日、有紀は緊張した面持ちで3年D組を目指していた。先日、琴音から聞かされた如月の優しい嘘。それが原因でいつもより余計に力が入ってしまっていた。教室に到着すると、有紀は深呼吸を一つして中を覗き込んだ。するといつものように窓際の一画で、昼食を摂る小夜たちの姿が目に飛び込んできた。だが肝心の目当ての人物がいない。あれ、お兄ちゃんどこ行ったんだろう……。


「おじゃましまーす」


 有紀は小声で言うと、そそくさと小夜たちのもとへと向かった。


「あらっ、最近よく来るわね」


「うん。今日も一緒にいい?」


 有紀が愛母弁当をかざすと、早苗はコクリと頷きながら如月の席を彼女に勧めた。


「早苗さん、お兄ちゃんは?」


「担任にお呼ばれされてる」


「えっ、何かやらかしたの?」


「まさか。只の雑務処理よ。ほら、あいつって頭だけは良いじゃない? だから、ずぼら担任としては色々と使い勝手があるのよ」


「良いのは、頭だけじゃないわよ」


 早苗の悪態に、小夜が鋭い視線を向けた。


「何よ、絶交しててもダーリンの悪口は許せないわけ?」


「当たり前でしょ。今度、悪口言ったらグーでいくわよ」


「ふん、そんなに大切な人なら絶交なんかしなさんな」


「私もそう思う。小夜さん、お願いだからお兄ちゃんのこと、もう許してあげて」


「……ダメ」


 小夜はふくれっ面を二人に向けると、溜め息を漏らしながら弁当の上に箸をそっと置いた。


「どうして? お兄ちゃんにはね、何か言えない理由があるんだよ。だから――」


「どんな理由があろうと隠し事は嫌っ! だってあの時にそう約束したんだもの……」


「でも――」


「有紀、これは如月たちの問題だ。外野のお前が口を出すべき事じゃない」


 清水の一喝に有紀は不貞腐れ顔で口をつぐんだ。すると背後から聞きなれたよく通る声が彼女の鼓膜に届いてきた。


「随分と盛り上がってるようだね」


「お兄ちゃん……」


 有紀が振り返ると、そこには予想通り黒縁メガネの無表情が佇んでいた。


「ここ最近、気落ちしていたようだけど、今日は随分と元気が良いな。何か良いことでもあったのかい?」


「な、ないよ。別に……」


「そうか? 僕はまた、相良先生から吉報でも届いたのかと思ったんだけ――」


 全てを見透かすような黒い瞳。ダ、ダメだ……完全にモロバレしてる。


「ふん、どうやら図星だったようだね。因みにあの女医は他に何か言ってたかい?」


「言ってない、言ってない。全くもって何も言ってない」


「なるほど余計な事を色々と言ってた訳だ。因みにあのヘビースモーカーで口の軽い、過保護でお節介な精神科医は相当な嘘つきだ。だから彼女の言葉は何一つ信用しちゃいけない。いいね?」


「ちょっと、あんたらさっきから一体何の話をしてるわけ?」


「キミには1ナノも関係ない話だ」


 早苗の問いかけに如月は間髪入れずに答えた。すると見る見るうちに彼女の顔が険しくなってゆく。


「相変わらず嫌な性格ね」


「お互い様だ」


 如月はそう言うと、小夜に視線を移した。


「それとこの際だから言っとくけど、僕はキミに隠し事なんて何一つしてないよ」


「どの口で言ってんのよ、おもいっきりあるでしょうがっ!」


「キミは全てを知ってるんだから、それは隠し事にはならないはずだ」


 睨みあう二人――窓際の一角に暫しの沈黙が流れる。すると程なくして小夜はバツが悪そうに、如月から視線を逸らした。


「……いつから気付いてたのよ」


「気付くも気付かないも無いさ。少し考えれば分かることだ。さっきも言ったようにあの女医は口が軽い。そしてキミはそんな彼女ととても仲良しだ」


「私は貴方の口から聞きたかったの……」


「そういうことが出来ないのは、キミが一番よく分かってるはずだろ?」


「……ほんと、相変わらず融通がきかないんだから」


「今に始まった事じゃないさ」


「ふふっ、そうね」


 小夜は苦笑いを浮かべながら吐息を漏らすと、大げさに肩を落としながらこう続けた。


「分った、私の負け……しょうがないから、今回だけは許してあげる」


「助かるよ。これでまた美味しい料理にありつける」


「あら、どこでそんなゴマすりを覚えたの?」


「さあね」


 小首をかしげる小夜を見て、如月は珍しく口角を上げた。これで二人の2週間以上にわたる絶交は、ようやく終局を迎えた。雨降らずとも地は固まる……。有紀は久々の会話を楽しむ彼らの様子を少し羨ましそうに眺めた。

 

 有紀は昼休み開始のチャイム音と共に、ここ数週間の回想から帰還した


「奈々、ちょっとお兄ちゃんのとこに行ってくるから、先にお昼食べてて」


「うん、OK」


 奈々は鞄から弁当を取り出しながら頷いた。数日前、有紀は彼女に事の真相を打ち明けた。奈々は驚いたと同時に、妹の優しさに涙を流した。因みに加奈の虚言はもうすっかり治っていた。理由は自明である。


 3年D組に到着すると、有紀はいつものように中を覗きこんだ。すると相変わらずの4人組が、これまたいつものように仲良く食事を囲んでいた。


「失礼しまーす」

 

 有紀は小走りで彼らのもとへと向かうと、空席の椅子に手を伸ばし如月の隣に腰を下ろした。


如月先輩(・・・・)、ご報告があります」


「如月先輩? どういう風の吹き回しだい?」


「一身上の理由です。なので本日からはこう呼ばせて頂きます」


「ふうん、そう。で、御報告とは?」


 如月は弁当に箸を伸ばしながら、興味なさげに尋ねた。すると有紀は軽く咳払いを一つ

すると、真剣な眼差しを彼に向けた。


「明日、晴香ちゃんが退院するそうです」


「へえ、そう」


「そう、って……それだけ?」


「ああ、それだけだよ」


「もう、相変わらずいけずなんだからあ」


「話はそれだけかい?」


「いいえ、まだあります」


 有紀は姿勢を正すと再度、如月を見据えた。


「勿体つけてないで、早く言いなよ」


「晴香ちゃんは、誰かさんと同じでとても本が大好きだそうです。ですが闘病中の彼女には、長時間の読書は出来ませんでした」


「ほう、それで?」


「そんな彼女のもとに、ある日突然1通の便箋が届きました。そこにはある本のあらすじが、分かりやすく書かれていたそうです」


「へえ、それで?」


「その便箋はそれから毎日届いたそうです。それはまるで ”早く元気になって今度はあらすじではなく本編を読みなさい” とでもいうように……因みにいまではその便箋を、晴香ちゃんは大切な宝物にしています」


「また随分と世の中には暇な人間もいるもんだね」


「ほんと……暇な人間もいるもんですね」


 有紀はそう言うと、静かに如月を見つめた。この朴念仁が、素直に認めるわけないよね……。


「で、話はそれで終わりかい?」


「いいえ。あと一つだけ話というか……お願いがあるの」


「お願い? 何だい」


「私はこれからお兄ちゃんのことを ”如月先輩” って呼ぶんだから、私のことも ”有紀” って名前で呼んで――」


「却下」


 二人の会話に小夜の冷めた声が割って入ってきた。その表情は言うまでもなく、とても険しいものに変っている。


「えーどうして? 小夜さん。別にいいじゃん、それくらいっ!」


「ダメよっ。彼女の私でさえ滅多に名前で呼ばれることなんてないんだからっ!」


「ってことは、名前で呼ばれることもあるわけね?」


 早苗は野菜ジュースを一口含むと、ニヤケながら小夜の顔を覗き込んだ。


「ええ、当然よ」

 

 小夜は持っていた箸をそっと置くと、余裕たっぷりに小さく微笑んだ。


「へえ……因みにどんなシチュエーションで?」


 早苗の問いかけに、教室中の生徒たちが聞き耳を立てる。すると小夜は頬を少し染めながら照れくさそうにこう言い放った。


「ベッドの上で……」


 小夜が投下した核爆弾――有紀は驚きの余り開いた口が塞がらない。一方、清水は箸で摘んでいたミートボールをポトリと落とした。そして早苗はといえば、眉間にしわを寄せながら持っていた野菜ジュースのパックを握り潰していた。


 ストローから噴水のように噴き出す野菜ジュース。そして静まりかえる教室。だが如月だけはいつもと変わらず、我関せずとばかりに小夜のお手製の弁当を頬張っていた。彼の咀嚼する音だけが教室に響き渡る。そんな中、この状況を作った張本人が悪びれる様子もなく口を開いた。


「……なーんちゃってね」


 途端に教室中に安堵の溜め息が漏れると、小夜は微笑みながら如月の顔を覗き込んだ。


「どう、こういう嘘ならアリでしょ?」


「無いね、皆無だ」


 如月は吐き捨てるように言うと、箸の手を一端休めた。そして教室の入り口に一瞬目を向けると、すぐに有紀に視線を移した。


「話が終わったんなら、こんな所で油を売ってないで自分の教室に戻りなよ。ほら、心配性のダーリンがお迎えにきてるぞ」


 如月の視線の先を追うと、そこには柳田の姿があった。彼は不安気な面持ちで、教室の中を窺っている。

 そういえば最近のごたごた続きで、すっかりほったらかしにしてた。小心者のあいつの事だ、相当に心配をかけたに違いない……。


「ほら、早く行ってあげなさい」


 小夜に促され席から腰を上げると、有紀はぶっきら棒な朴念仁を静かに見下ろした。

 あの日、お兄ちゃんは公園で加奈ちゃんに何て言ったんだろう? あの子に尋ねても微笑みながら ”内緒” としか言ってくれない。まあ、この人のことだ、恐らくどうせ分かりずらい励ましの言葉でも掛けたんだろうなあ……。

 

 嘘は幾つもの顔を持っている。今回の件でそれがよく分かった。マイン・リーベルトが言うように、嘘は確かに悪いことだ。だけど時にはそれが、掛け替えのないものに変ることもある。


 ”嘘はどこまでいっても嘘だよ。そこに真実はない”


 リアリストのお兄ちゃんは以前そう言っていた。あの時はよく考えずに、そんなものかなあ、と思った。だけど今なら私は自信を持ってこう言える。たとえ偽りの言葉だとしても、時にそれは人を幸福に出来ることもある。

 だからこそ……だからこそ、その嘘を愛そう、と。そのことに気付かせてくれたのはこの人だ。有紀は相変わらず無言で弁当を食す、如月を誇らしげに見つめた。


「ありがとう、()()ちゃん(・・・ )

 

 有紀はそう言い残すと如月に訂正される前に、愛しの心配性なダーリンのもとへ満面の笑みを浮かべながら向かっていった。



 

                           


                              「その嘘を愛そう」完


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