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如月ハルの人間考察  作者: はるのいと


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第三章 「その嘘を愛そう 6」

 週明けの月曜日。現在、1年A組では数学の小テストが行われていた。生徒たちは皆一応に真剣な表情を浮かべながら、テスト用紙に視線を落としている。そんな中、清水有紀は頬杖をつきながら窓の外に視線を走らせていた。


 有紀の視線の先には天気予報通りの分厚い鉛色の雲が広がっていた。その空模様は、まさにいまの彼女の心そのものであった。有紀は小さく溜め息を漏らすと、陰鬱な空を眺めながら昨日の出来事を思い起こした。


 ガラス張りの病室にいたのは、加奈と同年代くらいの少女だった。顔色は雪のように白く当たり前だがお世辞にも健康とはいえない。そんな彼女はベットに横たわり瞼を閉じている。病室の前には相変わらず、先程の女性が静かに佇んでいた。


「あのう……」


 有紀は女性の背中に声をかけた。すると彼女はガラスの向こうから、潤んだ瞳を有紀に移してきた。


「……娘さんですか?」


「ええ、そうですけど……」


「いきなりすみません。さっき知り合いとお話されてるのを、偶然見かけたものですから……」


「知り合い?」


「ええ、藤崎加奈ちゃん。あの子、私の友人の妹なんです」


「ああ、そうだったんですか……」


 女性が納得したのを確認すると、有紀は軽い自己紹介を始めた。それを聞き終えると、女性の方も同様に名乗り始める。母親は田村恵理子。娘の方は晴香という名前だった。


「加奈ちゃん、娘さんと仲が良いみたいですね」


「ええ、いつもお見舞いに来てくれます――」


 加奈と晴香が出会ったのは今から二か月程前だった。体調を崩し入院した加奈、以前から入院していた晴香。同年代の彼女たちが、仲良くなるのにはそう時間は掛からなかった。


 二人はよく医院内の図書室で本を読んだり、ミサンガ作りなどをして遊んでいたという。加奈が入院していたのは1週間ほどだったが、退院しても彼女は友人の見舞いを怠らなかったそうだ。


「あの頃は、今よりもずっと元気だったのに……」


 恵理子は病室の娘を見つめながら、憂いだ表情を浮かべた。有紀はそんな彼女を見て、かける言葉が見つからなかった。晴香の病名は白血病だった。小児がんの約40%を占める厄介な病気である。


 恵理子の言う通り、数か月前までは加奈と遊ぶことが出来るほど、晴香の体調は良好だった。だが数週間前から病状が急激に悪化し、免疫力が著しく下がった。その為、現在はこのクリーンルームにて治療中であった。


「加奈ちゃん、いつもこういうお土産を持ってきてくれるんですよ」


 恵理子はポケットにしまっていたミサンガを、微笑みながら有紀に見せた。恐らく、これは加奈ちゃんの手作り。このミサンガには友達の回復祈願が、込められているのだろう。


「優しい子ですからね」


「ええ、本当に……」


「娘さん……早く治ると良いですね」


「ありがとう……」


 恵理子は憂いだ表情を浮かべながら、病室の娘を見つめた。


「おいっ、清水っ! 窓の外ばっかり見てないで、テストに集中しろっ!」


 数学の教科担任である河合の一喝により、有紀は昨日の回想から強制送還された。彼女はすみません、と頭を下げると白紙のテスト用紙に視線を落とした。

 結局、病院で分ったのは加奈ちゃんが相変わらず優しい子だ、ということだけだった。訳の分からない尾行までして……私は一体何をやってたんだろう。ああ、ほんと昨日はどうかしてた……。有紀は溜め息を一つ漏らすと、残り少ない時間をテストの回答に注いだ。




 放課後、有紀は3年D組を目指していた。先程、奈々から久々に、どっか寄ってかない? と誘われたが彼女はやんわりと断った。理由は自明。如月に昨日の出来事を伝えるためだ。彼には ”藤崎加奈のことは、もうほっといてあげろ” と言われていたが、一応伝えといた方が良いと有紀は判断した。

 

 3年D組に到着すると、有紀は教室の中を覗きこんだ。すると小夜と早苗の姿はあったが、目当ての人物はいなかった。教室にいない、ということは恐らくあの場所だろう。

 有紀が図書室に到着すると、予想通り如月はいつもの窓際の席で読書をしていた。だがその隣には彼女の天敵の姿があった。有紀は眉間に皺を寄せながら、彼のもとへと歩みを進めてゆく。


「お兄ちゃん、こんなオッパイ女と二人きりでいたら、また小夜さんの雷が落ちるよ」


「誰がオッパイ女よ、この胸ぺタ後輩っ!」


 白瀬華純は有紀と同様に眉間にしわを寄せると、胸を張りながら自身の武器を最大限に強調させた。


「……ロ、ロリ系はペッタンコでいいの。ロリで巨乳なんて邪道よっ!」


「ふん、分ってないわね。男っていうのはそういうギャップに萌えるのよ。ロリなのに巨乳。ロリなの積極的。ロリなのに――」


「二人とも声が大きいよ。言い争いなら外でやってくれ……」


 如月は心底ウンザリした様子で額に手のひらを当てた。


「ほら、あんたのせいでお兄ちゃんに怒られたじゃないっ!」


「何言ってんのよ、そもそも喧嘩を吹っかけてきたのはそっちが先でしょうがっ!」


「だいたいね、お兄ちゃんは小夜さんと付き合ってるのよ。なのにあんたみたいなオッパイ女が――」


 その後、犬猿の仲である二人の言い争いは、およそ15分ほど続いた。見かねた如月が止めなければ、際限なく続いていたことは言うまでもない。


「それで今日は一体何の用なんだい?」


 如月は額の汗を拭いながら疲れきった顔を有紀に向けた。


「加奈ちゃんのこと」


「またそれか……で、今度は彼女がどうしたって?」


「加奈ちゃんにはね、病院で知り合った晴香ちゃんっていうお友達がいるの。昨日その子を――」


「ちょっと待て、どうしてそれを知ってる?」


 如月の鋭い視線が、有紀に突き刺さる。初めて見るその冷徹な眼差しに、彼女は言葉を詰まらせた。


「どうして知ってるのか、と聞いてるんだ」


「昨日、たまたま加奈ちゃんを見かけて、それで……」


「あとをつけたのかい?」


 有紀はバツが悪そうに、小さく頷いた。すると如月は不機嫌そうに眼鏡を外すと、溜め息を漏らしながら眉間を摘んだ。そして先程から話に全くついて行けない華純に視線を移した。


「悪いけど、席を外してくれるかな」


「分かりました……それじゃ、お話の続きは今度ということで」


 有無を言わさぬ如月の言葉に、華純はすぐに席から腰を上げた。すると二人きりになった室内に、気まずい沈黙が流れ出す。そんな中、有紀は叱られた子犬のようにしょんぼりと俯いていた。


「こないだ言ったはずだよ。藤崎加奈のことは、もうほっといてあげろ、と」


「……ごめんなさい」


「彼女には?」


「えっ?」


「藤崎加奈に何か言ったのか? と聞いてるんだ」


 如月の問いかけに有紀は、涙を潤ませながら無言でかぶりを振った。


「キミが病院を訪れたという事は?」


「気付いてない。でも加奈ちゃんが今度お見舞いに行ったときに、田村さんが話すかも……」


 如月は無言で眼鏡をかけ直すと、眉間に皺をよせてながら瞼を閉じた。すると再度、二人きりの図書室に沈黙が訪れる。それから数分が経過した頃だった、如月は静かに瞼を開いた。すると隣の椅子に置いていた、自身の鞄に手を伸ばす。そして彼はおもむろに一冊の絵本を取り出すと、それを有紀に差し出した。


「……何これ?」


 彼女はその絵本を受け取ると、鼻を啜りながら尋ねた。


「願掛けの意味は?」


「ええと……神様に願い事を叶えてもらう為に、何か色々と――」


「分かった、もう結構だ」


 如月は溜め息まじりで有紀の言葉を遮ると、彼女を諭すようにこう続けた。


「藤崎加奈が嘘を吐いてる理由――それは田村春香を救うためだ」


「えっ、どういうこと?」


「答えは、その絵本に全て描かれている」


 如月は独り言のようにポツリと呟いた。すると有紀は手の中の絵本に視線を落とした。題名は『嘘つきなマイン』とある。どうやら、外国の絵本らしい。彼女はおもむろにページを捲り始めた。


『嘘つきなマイン』


 とある小さな村にマインとジーナという少女がいました。

 二人はとても仲良しで、何をするにもいつも一緒でした。

 ですがある日、ジーナは風邪を引いてしまいます。

 心配したマインは彼女の家にお見舞いに行きました。


「早くよくなってね」


「うん、ありがとう」


 ジーナはとても喜びました。

 ですがそれから数日が経っても、ジーナの風邪は中々よくなりません。

 心配した両親はジーナを町の病院へと連れて行きました。

 するとジーナは風邪ではなく、とても恐ろしい病気に侵されていたのです。

 病院の先生は「ジーナは……もう助からない」と言いました。

 それを知ったマインはとても悲しみました。

 ジーナとよく遊んだカルダナの森の大木の下で、彼女は涙をボロボロと流しました。

 すると見慣れた大木に、パッチリとした目が浮かび上がったのです。

 そして大きな口を開くと、マインにこう言いました。


「こんにちは」


 木が喋っている……。マインは恐ろしさの余り足が震えました。

 そんな彼女に、大木の妖精はさらにこう続けたのです。


「ジーナを助けたい?」


「……うん」


 震える声でマインは頷きました。


「どんなに辛いことでも耐えられる?」


 マインは何度も頷きました。


「それじゃ――」


 大木の妖精はマインに、一日30回の嘘を吐きなさいと命じました。

 そうすれば、ジーナの命を助けてあげると約束したのです。

 ですが、その規則はとても厳しいものでした。

 規則その一 ジーナの病気が治るまでボクとの契約は、誰にも気付かれてはいけない。

 規則その二 ジーナの病気が治るまで嘘を吐いている理由を、他人に話してはならない。

 規則その三 ジーナの病気が治ったら、もう絶対に嘘は吐いてはならない。


「どうかな、約束できるかい?」


 嘘を吐くのが大嫌いだったマインにとっては、その行為はとても辛いものでした。

 でもジーナが元気になるんなら……。

 彼女は微笑みながら頷きました。

 その日から、マインは必死に嘘を吐き続けました。

 当然のことながら両親は怒りました。ですが彼女は嘘を止めませんでした。

 そしていつの日か村の人たちは彼女のことを ”嘘つきマイン” というようになりました。


 ですが彼女は全く気にしませんでした。

 それから更に数日が経ったある日ことでした。

 助からないと言われていた、ジーナの病気が突然治ったのです。

 村の人々たちはとてもよ喜びました。

 ですが一番喜んでいたのは、言うまでもなくマインです。

 彼女の嘘が奇跡を起こしたのですから……。


 それから数年が経ちました。勿論、二人は今でも親友同士です。

 マインは大木の妖精との一件を、誰にも話しませんでした。

 理由は大切な約束だからです。

 因みに彼女はあれから一度も嘘を吐いていません。

 どんなに些細な嘘もです。

 マインは瞼を閉じながら懐かしむ様に、あの日の不思議な出来事を思い起こしました。

 そして今日も大好きな親友と共に、カルダナの森の大木に体を預けながら、優しい木漏れ日を幸せそうに浴びるのです。


                                おしまい


 嘘はとても悪いことです。それはどんな理由があろうともです。ですが私は大切な人の為なら、また同じことをするでしょう。何度でも……そう、何度でもね

                        作者・マイン・リーベルト


「藤崎加奈が、この絵本を手本にしているのは間違いない。院内の図書室にも同じ物があったよ……」


 如月はゆっくりと有紀に視線を移すと、静かにポケットからハンカチを取り出した。

 誰にも気付かれちゃいけない。加奈ちゃんは、ずっと一人で……。


「ほら……」

 

 如月は溜め息を漏らしながら、有紀にハンカチを手渡した。


「藤崎加奈は、もう小学二年生だ。彼女にしたって、なにも本気でこの絵本の出来事を信じてるわけじゃない。でも自分に出来るのはこれぐらいしかない、と思ったんだろう……あの子の気持ち分かるだろ?」


 有紀は小さく頷いた。そして暫しの沈黙の後、「晴香ちゃん……助かるよね?」と尋ねた。

 だが如月がその問いかけに答えることはなかった。でもそれだけで、彼が何を言わんとしているのか有紀には理解出来た。丁度その時、陰鬱な曇り空からポツポツと雨が降りだしてきた。如月は窓の外に視線を向けると、静かに瞼を閉じた。二人きりの図書室、そこには小さな雨音と有紀の嗚咽だけが響き渡っていた。

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