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第三章 「その嘘を愛そう 5」

 私立啓北学園1年A組。小夜さんの絶交宣言から、早いもので今日で一週間が経過した。頑固な二人はお互いに引くということを知らないらしい。っていうかどっちかが早く折れなさいよ。正直、私ならすぐに謝るけどなあ……だが今はそんな頑固者の二人のことより、もっと重大な問題が私に降りかかっていた。もう、一体どうしたら……。


 未だに虚言が直らない加奈に対し、母親の弥生は仕事と家事のストレスから、娘に辛く当たり始めていた。週末に予約していたカウンセリングにも、加奈を連れて行くことはなかった。加えて父親の帰宅はいつも遅く、奈々が相談しても気の無い返事が返ってくるばかりだった。


「お母さん、もしかして加奈ちゃんに手を上げたりとか?」


「ううん.でもこないだはその寸前まで……」


 昼食で賑わう休み時間の教室。奈々は辛そうに顔を歪めながら手のひらを額に当てた。あの優しそうなおばさんがどうして? このまま黙って何もしなければ、もしかしたらいずれは最悪なことに……。




 放課後、どんよりとした気持ちを引きづりながら有紀は当てもなく廊下を歩いていた。普段であれば奈々と一緒にカフェなどに立ち寄るところだが、今日はそうもいかなかった。

 大丈夫かな……。有紀は妹の為にいつもより早く帰宅した親友の後姿を思い浮かべると、溜め息を漏らしながらまた当てもなく廊下をぶらつき始めた。

 気が付くと彼女は図書室の前に来ていた。中を覗くと、予想通り目当ての人物の姿が目に飛び込んくる。彼は相変わらず何かの専門書のような分厚い本に視線を落としていた。


 有紀は少し迷ったが図書室に足を踏み入れた。そして題名も確認せずに適当な本を一冊手に取ると、彼の向いに静かに腰を下ろした。すると人の気配に気づいた如月は、ゆっくりと顔を上げる。

 そして有紀に視線を合せると、相変わらずの無表情で、「近々、母親になる予定でもあるのかい?」と尋ねた。


「えっ、母親?」


 如月は無言で有紀が手にしている本を顎で指した。彼女が視線を落とすと、そこには『初めての子育てライフ』と題された育児本が目に飛び込んできた。

 最悪、やってもうた……っていうか高校の図書室に、何でこんなもん置いてるわけ? 有紀は大げさに溜め息を漏らすと、目の前の朴念仁をきつく睨みつけた。


「この私が妊娠してる訳ないでしょっ!」


「万が一を想定して確認してみただけだよ」


 如月は興味なさげに言うと、分厚い本に視線を戻した。すると静かな図書室の片隅に沈黙が訪れる。相変わらず、この人は本気と冗談の境界線が曖昧なんだから……。

 それよりも、どうしよう……やっぱり、思い切ってお兄ちゃんに相談しようかなあ。でも前にも言われた通り、この人は精神科医でもなければ教祖様でもない。勿論、ヒーローでもなければスーパーマンでもない、ごくごく普通の高校生なのだ。いいや、決してごくごく普通ではないのだけど……。


「何か悩み事かい?」


 有紀が無言を貫いていると、空気を察した如月が相変わらず本に目を落としながら呟いた。


「う、うん、ちょっとね……」


「ちょっとね、か。因みに藤崎奈々の母親の件なら、心配する必要はないぞ」


「えっ?」


「ついさっき相良先生から連絡があった。先程まで藤崎母の職場で話を――いいや、説教をしていたらしい」


「説教?」


「ああ。あの人の説教は無駄に長いからなあ。藤崎母には心から同情するよ」


 如月は本のページを捲りながら苦笑いを浮かべた.

 琴音先生がおばさんに、お説教……えっ、一体どう言うこと? 有紀は事態が全く呑み込めず、暫しの間押し黙った。すると如月は静かに本から顔を上げる。そしてゆっくりと彼女に視線を移すと、黒縁眼鏡を軽く持ち上げながら、誇らしげにこう続けた。


「大事な娘のカウンセリングを何の連絡も無しに無断でキャンセル。そんな無責任な母親を、あの過保護のお節介焼きが許すはずがない」


「……っていうことは、おばさんが加奈ちゃんに辛く当たっていたということも?」


「ああ。説教の最中に藤崎母が自ら告白してきたらしい。大事な娘が入院することになっても会社を欠勤することのない、仕事熱心なキャリアウーマンでも流石に心が痛んだようだ。相良先生の話では、随分と反省していたそうだよ」


「ってことは……」


「キミの悩み事は無事解決、ということだ」


 如月は怠そうに首の骨を鳴らすと、読みかけの本に視線を戻した。

 精神科医としてはとても優秀だ。こないだ、お兄ちゃんが言っていた言葉が頭に浮かんだ。精神科医としてはじゃなく、精神科医としてもでしょうが……。有紀は心の中で呟きながら、小さく微笑みを浮かべた。


 そして暫しの間、目の前の本の虫を静かに眺めた。この人はいつだって何でも知っている。そしらぬ顔をしながら、いつだって何でも……。その時、突然ある考えが彼女の頭に浮かんできた。


「ねえ、お兄ちゃん……もしかして加奈ちゃんが嘘を吐く理由、本当は知ってるんじゃない?」


「どうしてそう思うんだい」


 如月は相変わらず、本に目を落としながら尋ねた。


「うーん……ロリ系美少女の勘」


「臆面もなく、よくそういうことを真顔で言えるな。恥かしくはないのかい?」


「ほ、ほっといてよ……それに刑事の勘っていうのもあるんだから、ロリ系美少女の勘っていうのがあってもいいでしょっ!」


「刑事の勘っていうのはね、長い経験則から導き出された推測もしくは推察のことだ。キミの当てずっぽうな勘とは訳が違う」


「あっそ! 相変わらず博学なことで……それで私の勘は当たったわけ?」


 不貞腐れる有紀の問いかけに、如月は溜め息で応えた。そして暫しの沈黙の後、彼女に真剣な眼差しを向けた。


「一度しか言わない。藤崎加奈のことは、もうほっといてあげろ。どうして彼女は嘘を? キミの旺盛な好奇心が騒ぐのも分からないでもない。だけど、いま彼女の虚言の理由を暴いたところで、誰も幸せにはならないんだよ」


 お兄ちゃんは珍しく少し悲しげな表情を浮かべていた。っていうか、誰が旺盛な好奇心よっ! 私は、私はただ……普段なら色々としつこく聞きだすところだけど正直その気は失せた。そんな顔見せられたら……ズルいよ。


 その後、有紀は読みたくもない、『初めての育児ライフ』を気まずい思いをしながら読み進めた。そして無事読み終えると、仏頂面の朴念仁に、「そんじゃ、帰るね」と言い残し学園をあとにした。

 虚言の理由を暴いたところで、誰も幸せにはならないんだよ。あれって一体どういう意味だったんだろう……。有紀は地下鉄に揺られながら、如月の悲しげな顔を思い浮かべた。




 図書室での一件から三日が経過した。相変わらずお兄ちゃんと小夜さんの仲はこじれたままだ。そして加奈ちゃんの嘘も一向に直ってはいなかった。でも琴音先生が問題ない、と言ってるんだから私が心配しても……。有紀はそんなことをボンヤリと考えながら三幻寺駅の改札を通り抜けると、藤崎家を目指しゆっくりと歩みを進めた。


 すると暫く歩いたところで、バスに乗り込む加奈の姿が目に飛び込んできた。あっ、加奈ちゃん……どこ行くんだろう。声をかけようとしたが、バスが発車する方が早かった。有紀が辺りを見渡すと、丁度よくタクシーが一台停車していた。彼女は後先考えずに、停車中のタクシーに乗り込んだ。


「どちらまで?」


「あのバスを追ってください」


「バス?……はい、了解しました」


 運転手は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、すぐに何事もなかったようにタクシーを発進させた。

 っていうか、私は一体何をやっているんだろう? 犯人を追う刑事じゃないんだから……でも何故だか加奈ちゃんの行先がどうしても気になった。お兄ちゃんにはほっといてあげろと言われていたのに……。有紀は自身の行動に少なからずの後悔を覚えたが、それでも彼女は引き返すことはしなかった。

 

30分程の尾行の後、ようやく加奈はバスから下車してきた。停留所には城南大学医学部付属病院前とある。大学病院? こんな所に一体何の用が……あっ、確かここって以前、加奈ちゃんが入院してたところだ。有紀は医院内に入ってゆく加奈を、タクシーの中から見つめた。そして素早く料金を支払うと、足早に彼女の後を追った。


 医院内に入ると微かな消毒液の香りが有紀の鼻腔をくすぐってきた。彼女が辺りを見回しながら加奈の姿を探すと、20メートル程先に小さな背中が目に飛び込んできた。加奈は慣れた様子で、医院内をゆっくりと歩いている。有紀はその後を、彼女に気付かれぬよう細心の注意を払いながら尾行を続けた。


 暫くしたところで、加奈はガラス張りの病室の前で歩みを止めた。そして中を覗くと微笑みながら手を振りだした。友達でも入院してるのかな? でもそんな話は聞いてないしなあ……。有紀は病室から死角になった場所から、加奈の様子を窺った。


 その後、暫くした頃だった、相変わらず病室の前で佇む彼女の前に、一人の見知らぬ女性が現れた。歳は30後半から40代といったところだろう。少しやつれてはいるが美しい女性だった。


 加奈は女性の存在に気付くと、ニッコリと微笑みを浮かべながらポケットから取り出した物を手渡した。うん? いま何あげたんだろう……。有紀は目を凝らしてみたが、加奈が女性に手渡した物がなんだったのかは分からなかった。


 その後、加奈ちゃんは暫く女性と会話をしていた。勿論、何を話していたかまでは分からない。でもその女性が涙ぐんでいたのは、離れた場所からでも分った。私は加奈ちゃんが、病院を後にするのを確認すると、先程の病室前へと戻った。

 すると相変わらず女性はガラス張りの向こうを、悲しげな表情で見つめていた。自分が余計なことをしているのは、重々承知の上だった。お兄ちゃんの言いつけを破って勝手なことをしているのも……でも私は知りたかった、加奈ちゃんの嘘の理由を。何故だかこの場所にその答えがあるように思えてならなかった。有紀は短く息を漏らすと、意を決して女性のもとへと歩みを進めた。

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