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遭遇

「つ……着いた」

「明日、俺、筋肉痛かも……」


 どうにか息を整え立ち上がり、教室を見回す。廊下と比べて明るく、琴音の席に至っては力を持たない春葵から見ても眩いと感じただろう。

 琴音は自分の椅子を窓際に移動させた。


「じゃあとりあえず窓を開けてみようか」

「俺がやるよ」


 春葵が窓の鍵に触れる。しかし、どれほど力を込めてもびくともせず春葵はしずかに首を振った。その表情は少し暗い。


「だめだ。触ってるとなんかだるくなる」

「鍵は大事なものや隠したいものに掛けるから、蘭ちゃんの心と関係しているのかも」


 それならば自分の力が通じるかもしれないと琴音は考えた。

 上履きを脱ぎ、椅子の上に立つ。目の前に広がるのはどこまでも深い闇だ。心を乱さぬよう目を閉じ深呼吸をする。深く息を吸い、深く長く吐いていく。

 簡単な精神統一を終え、瞼を上げる。目の前は依然として変わらない闇が広がっている。しかし、恐れは一切感じなかった。

 窓のサッシを上から順になぞっていく。光の筋が琴音の指先を追うように浮かび上がっていく。


 一度だけ琴音は振り返り春葵を見た。今まで隠してきた力を春葵に直接見せるのは初めてだった。

 ――異質とも呼ぶべき力を持つ私を春葵はどう思うのだろう。

 琴音の心の中で不安が渦巻く。不安は光と対なる闇のものだ。

 指先の光が僅かに掠れた。


「なんつーか……」


 春葵がぽつりと言葉をもらす。ドクンッと自分でも不自然だと思うほど心臓が脈打つ音を琴音は聞く。

 秘密をさらけ出した事への後悔。琴音の中で割り切っていたはずの感情がざわついた。


 変って言われたらどうしよう。不気味なんてまで言われたらそれこそ私が闇に落ちてしまう。どうして今、私の心を乱そうとするの?


 不安からくる言いがかりが喉元にせり上がってくるのを押さえつけながら指でなぞっていく。あと少し、その少しが、遠い――。


「――すっげぇ綺麗だよな。光で縁取ったキャンパスみたいだ」


 ふっと宙に浮いたような感覚に包まれる。心が軽くなり、指を動かさずとも光がサッシの上を走り抜け縁取りが完成した。

 おそるおそる、春葵を見下ろす。そこにあるのはいつもと変わらぬ春葵の姿だ。


「どうした?」

「あ、あの……さ。変じゃない?」

「なにが?」

「椅子とか、服とか、それこそ髪も顔も全部! ……全部光っちゃうんだよ?」


 自然と溢れ出る光。普段ならば誰も気づかない類の光だが、この空間ではあまりにも目立つ。力を持たない者にもハッキリと分かってしまうまでに。

 それを他でもない春葵に見られるのが恥ずかしいのだ。


「別に変とは思わねぇよ。むしろ頼もしいっていうか見ていて安心する」

「そ、そうかなぁ?」

「っつーかその顔見て、もっと安心した」


 春葵がいつも通り笑った。テストで良い点を取った時、美味しいものを食べた時、友人と面白おかしい話をしている時、琴音がこの教室で見る春葵の笑顔と同じだ。


「俺の知らない力を持っていても、俺の知ってる琴音だって分かるよ」


 琴音は目元が熱くなるのを感じた。込み上げてくるのは嬉しさ。

 嬉しい。ただ、ただ嬉しい。


「ちょ!? な、なんで泣いてるんだよ!」


 春葵が愉快なまでにおろおろとする様を見て、思わず笑みが零れる。

 目元を擦り、春葵のよく知る自分の笑顔を見せた。


「泣いてないよ。大丈夫。――ありがとう春葵」

「な……急に、なんだよ。どっちかと言えば俺の方が感謝してもし足りないくらいだし、ってかほら、窓! 開けるんだろ!」

「うん」


 琴音はそっと窓の鍵に手をかけた。

 琴音が自分の力を隠してきたように、この窓の向こうにあるのは大切なものであり秘密にしたいものだ。誰にも相談できない事がここにある。それを今、開けようとしているのだ。


 琴音は心の中で語り掛ける。

 大丈夫だよ。どんな秘密でも悩み事でもちゃんと受け止めてくれる人は蘭ちゃんの周りにはたくさんいるから。

 打ち明ける不安も怖さも私はちゃんと乗り越えられたよ。私が手伝うから、どうか、どうかこの鍵を開けて――……。


 かちゃん。鍵が外れ、目の前から窓ガラスが消えた。

 瞬間、飛び込んできたのは目を貫くような赤い光。その強烈な光の先にいる人物は輝く影となってこちらに語り掛けてくる。


「俺、蘭ちゃんのこと好きだよ」


 聞き覚えのある声が、誰も聞いたことのない優しい声で心を撫でた。


「俺、蘭ちゃんのこと――」


 繰り返されるワンシーン。だんだんと影の姿がはっきりしていく。

 白い歯を見せて笑う彼の顔が好きだ。誰にでも優しくて、こんな愛想のない自分にも笑いかけてくれる。話しかけてくれる。気にかけてくれる。私の不器用さを理解して、助けてくれる。

 そんな彼が私に、一番欲しい言葉を……。


「風雅く――」


 琴音が一歩、踏み出そうとした時だった。


「琴音!!!」


 今までに聞いたことのないような怒号がしたかと思うと、ものすごい力で後方へと引っ張られる。


「わぁ!」


 腕に鈍い痛みが広がる。続いて全身に衝撃が走ったが、不思議と痛みはさほどでもなかった。

 琴音は自分の下敷きになっている春葵を不思議そうに見つめた。どうして床に倒れているのだろうか。


「琴音、大丈夫か?」

「え? うん、大丈夫だよ。なんで?」

「なんでって……。琴音が急に窓枠に足かけてさらに進もうとするから!」

「……あ」


 窓を開けて見えたのは蘭の記憶。それをよく見ようとするあまり、無意識に前へ進もうとしていたのだ。

 窓の向こうは当たり前のように北校舎が見える。きちんと元の世界に繋がったようだ。安心するよりも先にゾッとする。もしもあのまま春葵が止めてくれなかったら……。


「ぁ……りがと……」

「マジで焦った」


 未だ琴音の腕を掴んで離さない手が震えている。二人で長い息を吐き気持ちを落ち着けると立ち上がった。この窓もいつまで元の世界と繋がっていられるか分からない以上、放心してもいられないのだ。

 春葵が先に窓から身を乗り出して周囲を確認する。琴音もやや後方から覗き込む。左右を見渡すと北校舎へと続く2階の渡り廊下で誰かが手を振っていた。


「はーるきー!」


 灯歌と円歌、そしてうさ男がいた。転落防止柵を乗り越えんばかりに灯歌と円歌が身を乗り出し、その背中をうさ男が支えている。

 かたや3階中央の教室、かたや2階の渡り廊下。距離こそあれど叫べば声は届く。

 琴音は逡巡する。この状況の説明からか? それよりも南校舎へ近づかないよう他の生徒を誘導してもらう? 黒い感情の話なんて大声ですべきではないだろう。

 琴音の迷いを吹き飛ばすように春葵が叫んだ。


「灯歌! 円歌! うさ男!」


 それはあのステージを思い出させる声だった。怒鳴っているわけでもなく、喉を殺そうとしているわけでもなく、相手の心へと届ける為に響く声。気取らないところが格好良く、必死だからこそこちらも聞きたくなるのだ。


「とにかく広い範囲! 明るい空気にしてくれ!」

「わかったー!」


 たったそれだけの言葉で三人は行動を開始した。一目散に渡り廊下を走り出す。

 理由を聞かなくてもいいのだろうかと琴音は思った。春葵の言葉だけでは方法も意図も分からない。私ならそれだけ聞いて走れるだろうかと考えた時、答えが見つかった。


 もし自分があの三人の立場だったら、同じことをしていたと断言できる。

 春葵の声で分かるのだ。あの短い言葉の中でたくさんの情報を与えてくれていた。

 説明する時間も惜しいこと。説明できる状況ではないこと。全力で取り組んでほしいこと。方法は任せること。そして、あなたを心の底から信じているということ。


 まっすぐにひたむきに本気でそう言われたならば、走るしかない。


「頼むぜ」


 春葵の呟きはすでに走り去った三人の耳に届かずとも心に届いただろう。穏やかな横顔をただ一人見届けた琴音は、特別感からくる幸福に目を細めた。


「さてと、とりあえず換気もしたし1組の方まで行こうぜ。絶望とか吹っ飛ばして騒ぎたいからな」

「そうだね」


 琴音は先程見た蘭の記憶を思い出す。夕焼けが身を焦がすような熱いワンシーン。琴音の中で蘭の印象は随分変化した。彼女は恋に悩むごく一般的な女子高生だ。自分に厳しく不器用で、誰にも頼れなかった為に限界まで達してしまっただけ。

 蘭の事を考えるほどに愛おしさが込み上げてくる。


「蘭ちゃんのは絶望ってわけじゃないから大丈夫。早く会いにいかなくちゃね」


 この穏やかな気持ちさえあればと琴音は胸に手をあてて微笑む。春葵は琴音に向かって穏やかな笑みを――凍り付かせた。

 ガラガラと扉の閉まる音。琴音が振り返ると教室の後方の出入り口に狗面の少女が立っているのを見つけた。

 狗面の少女はゆったりとした動作で刀の切っ先を二人に向ける。


「……大丈夫って言ったよな?」

「前言撤回かも」


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