美人の苦悩を知り、俺は雪菜の名前を登録した
咲坂が、陽キャの巣窟みたいな大所帯サークルに入ることを躊躇している――その事実に、どこかほっとする自分がいた。
むろん理由は情けない。陰キャである俺から最も縁遠いコミュニティに、彼女が行ってしまうかもしれないという不安だ。
それでもまだ確証が欲しくて、俺は話を続けていた。
「新歓コンパとか参加したの?」
普通に聞いたつもりが、どうにも探りを入れる言い方になってしまった。
「一回だけ行ったんだけどね」
そう言った咲坂の顔は、想像以上に心底うんざりした表情だった。
それを見ただけで、その場で何が起きたのか、手に取るように想像できた。
「ああ、だよな」
俺がそう相槌を打つと、咲坂は視線をこちらに向けて首を傾けた。
「え? わかる?」
「わかるさ」
その新歓では、間違いなく男子全員の関心が咲坂に集中しただろう。
“サークル勧誘”というお題目はそっちのけで、ただ咲坂と距離を縮めたい男子たち。
咲坂にとって、それだけで煩わしさMAXだ。
しかも、その光景を真横で見せられる平均的な女子学生が面白いはずもない。
彼女たちだって、「K大学の女子大生」という肩書があれば、場所によっては十分チヤホヤされる。
だがそこへ規格外の咲坂が紛れ込めば、ただの引き立て役になるだけだ。
「チッ、アイツさえいなければ」
――そんな小声の舌打ちが、ありありと目に浮かぶ。
マジ女子怖え〜。想像するだけで身震いしてしまう。
「いや、ご愁傷様としか言えんな」
「でしょ? なんか、あの手のサークルで上手くやってく自信ないんだよね」
この感じなら、彼女があの手のサークルに入ることはないのだろう。
彼女が単なる田尻マニアだから、というだけではなく、派手に目立ってしまうという事実そのものが、こうしたサークルを敬遠する理由になるのだと知った。
まあ、月並みだが――美人には美人の苦悩がある、ということだ。
大学生にとってはサークル活動は、“避難所”的な意味合いが強いと思っている。
高校みたいにクラスで毎日顔を合わせて慣れ合うわけでもなく、履修も全員バラバラ。
“同じ学部”という共通点だけでは、薄い繋がりしか生まれない。
大学生でもボッチは避けたい。
だから自分を置ける場所を探す――その最短ルートがサークル。
K大学には「出店」と呼ばれるサークルの拠点がいくつもある。
部室なんて大層なものは、中核となる少数のサークルしか持たない。
無数に存在するサークルに部屋を配るのは不可能で、代わりに決められたエリアへテーブルと長椅子を並べ、そこが“出店”となる。
講義の空き時間、サークルに入ってなければ行き場がない。
「購買をふらふら」「図書館をぶらつき」「知り合いを求めて講堂を徘徊」――迷える孤独の三段活用だ。
サークルメンバーはその間、何も考えず出店へ行く。
「行けば誰かいる」。
ほんとうに、それだけで十分。
出店は、ボッチ回避エリアと言うほかない。
で、俺は――孤独な徘徊コースまっしぐら。
そんな将来像が脳裏をかすめ、思わず顔が暗くなったところで――
「ところで義人くん、行くでしょ?」
と咲坂の声で我に返る。
「え? どこに?」
心当たりのない俺はそう問い返した。
「え?どこに?田尻のサークル説明会に決まってるでしょ?」
咲坂はワザとらしく驚いて見せた。
「いやいや、だから俺は田尻サークルあるのさっき知ったばかりだから、その情報も持ってないから」
サークルの存在を知らない俺がその説明会の予定をしるはずがない。
「フフフ、そうだったよね」
咲坂は勝ち誇るように笑った。
光に照らされた整った唇が、妙に艶っぽい。
「で、いつ?」
「再来週の木曜日だったかな? 私、案内チラシ貰ったから後で画像にして送るよ」
そう言って、彼女はハンドバッグからスマホを取り出した。
ちょ、ちょっと待て。
この流れ…… もしかして連絡先交換フラグなのか?
心の準備をする前に、現実が一歩先を進んでいる感覚。
「義人くん、LINE交換」
やっぱりそう来た。
思考が一瞬止まる。
ポケットに手を入れた指が震え、スマホを掴み損ねた。
ガシャンッ。
床に落ちる乾いた音が広がった。
周囲の学生がこちらを見る。
体温だけが妙に上がる。
「じょ、女子と連絡先交換するの久々で動揺したわ……」
口から出た言葉は、情けない自覚がありつつも取り繕いのない本音だった。
「またまた、ご冗談を。義人くんの連絡先なんて、みんな聞きたがるでしょ?」
彼女の声音は軽い。
からかうというより、ただの事実を述べたような調子。
「いや、それはないから。マジで」
必要以上の否定にも聞こえたが、嘘をつく気にはなれなかった。
俺が女子に囲まれる構図は、どう考えても成立しない。
咲坂は、首を傾げて笑った。
人の距離に敏感なときもあるのに、こういう場面では妙に鈍い。
「はい、送ったよ」
彼女の指が軽く画面をなぞる。
その瞬間、俺のスマホが震えた。
“雪菜です。届いたよね? LINE IDです。すぐに登録してね♡”
短文。なのに破壊力がデカい。
“雪菜”。
もう名前呼びなのか。
しかも最後にハート。
文面の軽さと、自分の受け止め方の差がむずかゆい。
「おお、サンキュ。雪菜ちゃん」
照れを隠すために、少しだけ踏み込んの”雪菜“呼び。
冒険して、声がわずかに上ずってるのが情けない。
「すぐに登録しておいてね?」
冒険だったはずの”雪菜“呼びはあっさりスルーされ、彼女の返事は淡々としていた。
特別扱いでも拒絶でもない、ただの約束確認。
……そういう温度なんだ、と少し冷静になる。
俺はLINEを開き、「咲坂雪菜」を登録した。
表示された名前が、家族や高校の友人に混じって並ぶ。
通知が来れば、間違いなく一番に目に入る位置に。
だが同時に考える。
彼女のLINEには、おそらく何百という名前が並んでいる。
その一行の末尾に、自分の名前が加わっただけ。
――ただ、それだけだ。
この温度差は忘れないほうがいい。
今まで通知がほぼなかった俺は、咲坂から届くメッセージに反射で即レスする未来が見える。
俺にとっては特別でも、彼女にとっては数のひとつ。
その前提を履き違えないよう、心に釘を打った。
そんなことを考えていたそのとき、咲坂の表情がふと曇った。
ほんの一瞬、笑みが消え、視線が落ちる。
指先がスマホの上で止まり、時間だけが滑っていくように感じた。
「あ、ごめん。ちょっと急用」
「あ、そう……」
返す言葉が見つからない。
いつもの明るいトーンが消え、代わりに妙な静けさが漂う。
だがすぐに、彼女は“いつもの顔”を取り戻した。
まるで照明を切り替えたように、完璧な笑顔を作る。
何かを隠しているようなその笑顔が、胸の奥に引っかかった。
今までの彼女が“見せていた明るさ”は、本当なのだろうか。
そんな思いが、ふと過る。
「じゃあ、今日はありがとう。心理学の話、面白かったよ」
咲坂は立ち上がり、軽やかにカフェを出ていった。
その背中は風のように遠ざかり、やがて人混みに溶けた。
別れ際、振り返って手を振る――それが、舞台のラストシーンのように見えた。
「またね、義人くん!」
「お、おう……」
情けない返事と、ぎこちない手振り。
それでも、彼女は満面の笑みを残して去っていった。
残された俺は、ただ呆然と席に座り続けた。
どっと疲れが押し寄せ、体の芯から力が抜ける。
カフェの喧騒が遠くに霞み、現実の輪郭がぼやけていく。
ほんの数時間前まで、あの異次元の美女が目の前にいたなんて、信じられない。
――ただ、最後に見せたあの“わずかな影”だけが、妙に心に残った。




