酔い
ふらつく自分を叱咤し、なんとか長屋へ戻った。すぐさま着替えようと居間に行くと、善兵衛が待ち構えていた。
「お帰りなさいませ」
「うん」
善兵衛はなにか言いたげだったが、袴の紐を外しにかかるとすぐさま手伝い始めた。
「うぁ」
突然、善兵衛の引きつったような声がした。
「なんて声を出す、驚くじゃないか」
注意すると、善兵衛が素早く着物を隠した。
「なぜ隠す」
「いえ、なにも」
「なにもじゃない、見せろ」
しずしず差し出された着物を畳の上に広げると、左の袂の裾がすっぱりと切られていた。
「切れているじゃないか」
「若旦那さま、ちと失礼いたします」
腕をつかみ、脇下を確かめる。
「切れているのは着物だけではございません、貴方も斬られています」
「え」
絶句して脇下を見ると、ひと筋の線が走っていた。
「ああ、言われてみれば、ちりちりする」
「浅手です、大した傷じゃありません」
「いつだ」
「気づかなかったんですか」
呆れたように言われ、罰が悪かった。
「紙入れはございますか」
「ないようだな」
「物盗りのしわざですな」
「ふーむ」
小三郎は思い出そうとして、大きく息を吐いた。
居酒屋で見た安川のうれしそうな顔をいち早く思い出して、考えるのもいやになった。
「もういいよ」
「そうはまいりません」
善兵衛が声を荒立てた時、襖の向こうでうねの声がした。
「若旦那さま、お客さまがお見えでございます」
客と聞いて、もしや英之助かと思ったが、それだけはありえないだろう。 小さく吐息をついた。
「すぐに行く。誰だ?」
「それがあの……」
「なんだ? 客とは誰だ?」
「池上さまです」
籐七の名前を聞いてから、胸がざわめく。
「急ぎの用か」
「はあ、そのようでございます」
「分かった。すぐに行く」
表玄関へ行くと、土間に籐七が立っていた。
「夜分に申しわけない」
「かまわない、なにかあったのか」
「柴山……」
いきなり、籐七は顔をくしゃくしゃにすると、土間に向かって泣き出した。
「若さまを助けてくれ。もう、幾日もお屋敷に戻っていない」
「えっ」
籐七の話は、小三郎を追いつめる内容だった。
小三郎と別れてから行動が派手になり、最初は陰間通いのようなまねをしたかと思うと、止めに入った安川と一緒にいるようになった。
「俺が間違っていた。俺が意見を申し上げたことが仇になったのだ」
籐七の嘆きに小三郎は蒼ざめた。
離れている間にそんなことが起こっていたとは知らなかった。
「それで、英之助はどこに」
「安川のところだ」
安川のところに居続けていると聞いて、胸がきりりと痛んだ。
「分かった……。安川に俺のほうから気をつけるよう話をつける」
「柴山……。かたじけない」
「お前も気に病むな」
「うん…」
籐七がこれほど取り乱すとは、手の打ちようがなかったのだろう。
籐七が帰ってからもなかなか寝付けられなかった。こうしている間、安川と英之助は二人きりで過ごしているのかもしれない。
安川に対する嫉妬と英之助の無責任な行動に怒りが湧いた。
明日、はっきりと告げなければいけない。
小三郎は唇を噛んで、強引に目を閉じた。