居酒屋
安川が江戸に出府してきてから、英之助と会えない日が続いた。
話したいことが山ほどあった。
藤七の言葉を受けていろいろ悩んだが、一人で考えても仕方がない。
いっそ、正直に打ち明けて、二人で話し合うのもいいかもしれない。
自分はなんとなく寄り道ばかりしている気がする。進むべき方向を見失いそうだった。英之助とじっくりと話し合いたい。心から感じていた。
小三郎は久々に英之助に会いに行こうと外へ出た。
旗本屋敷へ向かう途中、偶然、屋敷から出てきた英之助の姿が見えた。小三郎はうれしくなって後を追いかけた。
「英之助、久しぶりだな」
振り向いた英之助は、小三郎だと分かると目を細めた。
「小三郎」
供についていた中間に戻るよう指示をすると、二人並んで歩き出した。
「久しぶりに顔を見た」
英之助がしみじみと云う。
「英之助は忙しいのだろう?」
「そうでもないさ」
と、笑って否定するのを見て、自分のわがままだと分かっていたが、忙しいのを理由に会えないのだ、と云って欲しかった。
「これからどこかへ出かけるのか?」
せっかく会えたが、用事では話は出来ないだろう。諦めかけると、英之助は首を振った。
「いや、汗でも流しに行こうと思っていたところだ。久々に出かけるか」
「うん、行こう」
英之助とゆっくり話ができる。
思わず心が浮き立った。
てっきり、よしの屋にでも行くだろうと思ったが、座敷ではなく居酒屋で酒を飲もうと云ってきた。
実をいうと、小三郎はいちども居酒屋へは行ったことがない。逡巡すると、知っているぞ、と英之助が云った。
橋の上で、小三郎は足を止めて不思議な顔をした。
「俺が居酒屋に行ったことがないなんて、どうして知ったのだ?」
「宗吉から聞いた」
「え?」
「大丈夫だ、宗吉は俺とお前の関係を知っている」
その言葉を聞いて頭が真っ白になる。息をするのを忘れてぽかんとした。
二人の横を駕籠かきが威勢よく駆け抜けて行った。
「おもしろい顔をしている」
英之助は笑ってから、
「宗吉は、家中の者からお前のことを聞いたらしい」
と、やさしい目をして云った。
小三郎は、目の前の男の気持ちがまったく理解できなくなった。
「英之助」
「うん、なんだ?」
「どうして安川に俺たちのことを話したりしたんだ?」
「そんなにたいしたことじゃない」
軽く受け流し、英之助は肩をすくめる。
「たいしたことじゃないって?」
小三郎がいきり立つと、歩こうと云って英之助が背中を押した。
人ごみに紛れながら、英之助が囁くように話し出した。
「前にお前がふさぎ込んでいたのは、籐七がなにか云ったからだろう?」
「え――」
小三郎は動揺して、顔をこわばらせた。
「俺にもうるさく云ってくる。誰かに打ち明けたくもなるさ」
「だから安川にしゃべったのか」
「宗吉は信用できる男だ」
小三郎は一瞬、かっとなった。
「だったら、俺に話せばいいだろ」
「お前とは最近、話す機会がなかったんだ。そんなに怒るとは思わなかった。謝るよ」
肩を軽く叩かれ、愕然とする。
「そんな単純な話じゃないだろ、俺とお前の問題だ。俺はお前のことで悩んでいたのに」
「なにを悩む必要がある。俺の気持ちが信用できないのか」
小三郎は首を振った。
「俺はお前のなんだ。なんなんだっ」
怒鳴ると、英之助の顔色がさっと変わった。
「籐七はなにを云った?」
「はぐらかすな」
「おかしなことを吹き込まれたな。全部でたらめだ。あいつは昔から――」
「昔から同じことを繰り返して来たということだな。お前は認めるのだな」
「なんの話だ? 俺にはわけがわからない」
英之助の顔がけわしくなり、小三郎の腕をつかんだ。
「離してくれ」
小三郎は腕を振りほどこうとしたが、英之助の力はすさまじくびくともしなかった。
「ここはまずい」
英之助が云って、小三郎ははっとした。
町人が立ち止まってじろじろ見ている。
急ぎ足でその場を離れたが、小三郎の体は熱く燃えるようであった。
橋の上から離れ、人けのない場所に移動すると、英之助は立ち止まって小三郎の肩をつかんだ。
「籐七はなにを云った」
小三郎は、乱れた息を落ち着かせるため大きく息を吐いた。
「お前が……、十六の頃には経験を済ませたと……」
英之助が息をのんだ。
「籐七の云ったことはほんとうなのか?」
英之助の顔に苦悩の色が滲んだ。
「それは、ほんとうだ……。確かに、お前の知らない悪所をうろついていた時期があった。だが、それは理由があってのことだ」
「理由とはなんだ……」
「お前だ、小三郎」
「え――?」
「お前に気持ちを打ち明けられず悶々とする日々を過ごしていた。ああするしかなかった」
小三郎は真っ青になって英之助を見上げた。握りしめたこぶしがぶるぶると震えた。
自分がいったいなにに対して腹を立てているのか分からなくなった。
「元服してすぐのことだ。籐七にはうるさく云われたが、幼かった俺にはどうすることもできなかった。だが、前に云った通り俺はお前しか愛せないし、一生独身でいると――」
「どうして打ち明けてくれなかったのだ」
「え?」
英之助が怪訝な顔で小三郎を見た。
「俺は、お前の友だちではないのか? 友だちが苦しんでいることを知っていたら、俺だって――」
「お前はただの友だちじゃないっ」
英之助が見たこともないほどこわい顔で叫んだ。
「お前が欲しくて我慢できなかったから、ああするしかなかったんだ」
「俺のせいだと云うのか」
「違うっ」
英之助がかぶりを振って、小三郎の肩をつかんだ。
「そうじゃない。どう云えば分かってもらえるんだ。俺はずっとお前だけを愛してきた。単純な話じゃないか」
「単純じゃないっ」
十六の頃、自分はなにをしていた? 学問所に通い、道場へ通い、剣の道も学問も必死でやったが、特別にはなれなかった。その反面、ぐんぐんと大きくなっていく英之助にあこがれていた。
その彼が、自分ではない他の誰かと体の関係にあったというのか。知らない誰かを組み敷いて、慾望のはけ口にしていたというのか。
混乱でなにもかもが信じられなくなる。口づけひとつで喜びに満ち溢れ、籐七に追いつめられながらも、英之助ひとすじに悩んでいた自分は一体なんなのか。
誰でもいいのだろうか――。
冷たい汗が背中を流れた。
英之助は早急にひとつになりたがっている。
十六の頃、悪所通いをしていた彼は、自分ではない相手と関係を結んでいた。もしかしたら、自分ではなくてもいいのではないのか。
籐七の、今だけだという言葉を思い出していた。




