嫉妬
料理茶屋で倒れてから駕籠で運ばれ、数日、長屋で安静にしていると体調も落ち着いた。
一刻も早く英之助に会いたかった。
会って元気な姿を見てほしい。おそらく心配しているだろう。
さっそく英之助に会いに行こうと屋敷を訪ねた。玄関に入ると、いきなり籐七が現れて廊下に膝を突いた。
小三郎は、ぎくりとして思わず後ずさりした。
「と、籐七……」
「久しぶりだな」
藤七の険しい顔をまっすぐに見ることができない。
小三郎は、居たたまれず息を大きく吸った。
「若様に会いに来たのだな?」
「う、うん。昨日まで体調を崩して寝込んでいたんだ。きっと英之助は心配していると思って会いに来た。悪いが、呼んでもらえまいか」
藤七は押し黙ったまま、自分を見ている。そして、はあっと息を吐いた。
「柴山……」
「……」
「前も云ったが、そこもとには俺の意見が伝わっていなかったようだな」
小三郎は、籐七の発言に驚いて息を呑んだ。
籐七の顔つきは真剣で、以前、会った時より、げっそりして見えた。
まさかここで、その話が出るとは思っていなかった。小三郎はなんと答えればよいか分からなかった。
「今……、その返事をしなければいけないのか?」
たまらなくなってそう云うと、
「籐七、誰と話をしている」
と、奥から英之助の声がした。
小三郎はびくりとしてそちらを見た。
籐七は動じもせず小三郎をじっと見つめている。英之助が現れると、籐七は頭を下げて立ち去った。
玄関に現れた英之助は、小三郎を見て笑顔になった。
「小三郎ではないか」
「やあ」
緊張のとけた小三郎は背中に汗をかいていた。ぎこちなく笑うと、英之助は嬉しそうに式台を降りてきて笑いかけた。
「体調はいいのか?」
「うん、このとおりだ」
「それはよかった。上がってくれ」
小三郎は息を呑む。屋敷にいると籐七の目が光っているような気がした。
「どうした? 上がらないか?」
「あ、ああ。お邪魔するよ」
小三郎は一瞬ためらったが、草履を脱いで上がり框に足をかけた。
英之助の居間に入るなり、若さまと呼ぶ声がして、小三郎はびくりと肩を震わせた。
籐七の声だった。
「なんだ?」
「お茶をお持ちいたしました」
「入れ」
襖が開いて籐七が入ってくる。茶菓子を置くと、小三郎の顔をちらと見て出て行った。
「小三郎」
足音が遠ざかると、英之助が寄って来て手を握った。
「顔色が悪い。体調がまだ悪いんじゃないか?」
心配そうに顔をのぞきこむ。なにも知らない英之助を見ると、黙っていることが辛く思わず目を逸らした。
「小三郎?」
「なんでもないよ」
頭がぐらぐらする。自分はどうすればいいのか。
籐七がここまで追いつめてくるとは思ってもいなかった。どこかで聞き耳をたてているような気がしてくる。
英之助は、小三郎の肩をそっと抱き寄せた。
「……会いたかった」
首筋に英之助の息がかかって、ぞくぞくする。
英之助の手は次第にだいたんになり、頬を寄せると口づけをしようとした。
「待ってくれ……、英之助、こんなことをするためにここへ来たんじゃない」
焦って英之助の体を押しのけると、彼は戸惑った様子で体を離した。
「すまない。我慢ができなくて……」
手が離れ、すまなそうな顔の英之助の姿をぼんやりと眺めていた。そのとき、
「若さま」
と、不意打ちに籐七の声がした。英之助は不機嫌に顔をしかめた。
「なんだ」
「お客さまがいらしております」
「待たせておけ」
「お約束されていました。安川さまでございます」
「ああ……」
英之助は思い出したように、目を動かすと立ち上がった。
「すまないが、少し待っていてくれ」
と、だけ云って出て行った。
英之助がいなくなってもまだ、彼に触れられた部分が熱く疼いている。
頬が熱い。
心を落ち着かせようと息をついていると、音もなく襖が開いて籐七が顔をのぞかせた。
「籐七……」
小三郎はぞっとした。無表情で部屋に入って来た籐七は大きく息をついた。
「今だけだ……」
「え?」
「お前に夢中になっているのは、今だけということだ」
小三郎に対して、容赦ない言葉が胸を突いた。
「十六だ。若さまは十六の頃から、お前のように見てくれだけのいい男ばかり相手にしていた。深みにはまる前に別れたほうがいい」
「じ、十六の頃から……?」
聞き間違いではないだろうか。
「お前の……勘違いではないのか、英之助はそんなことをするような男では」
「柴山」
小三郎の言葉を遮って、籐七は云った。
「俺は若さまに、遊びはおやめになるよう申し上げておる」
小三郎は目を丸くして籐七を見つめた。
「英之助にも云っているのか?」
「何度もご忠告しておる」
「それで……英之助はなんと?」
籐七は押し黙った。岩のような顔がもっと恐い顔になった。
「若さまは、ことの重大さに気づいておられない。これまでのように何とかなると思っておる」
籐七の深刻な表情を見ていると、何も云えなくなった。
「柴山、お前になら分かってもらえるだろう」
眉間に刻まれた縦皺が、岩のような顔に凄みを与えている。
小三郎はごくりとのどを鳴らした。
「……お前の云いたいことは分かった。少し考えさせてくれ」
小三郎がそう云うと、籐七は、がばっと顔を上げて大声を出した。
「なにを考えるのだ。お前が若さまの出世の邪魔をしているのだぞっ」
小三郎は茫然とした。籐七は自分の大声に我に返った。
「すまぬ……」
「か、かまわない……」
小三郎は胸が張り裂けそうだった。唇を噛みしめて何も云えずにいると、
「そうであった」
と、籐七が立ち上がって小三郎を見下ろした。
「先ほどの来客した者は、先日、帰国された榊さまと交代で参った安川と申す者だ」
籐七は勝手に話を続ける。
「面倒を見るようにと、お殿様が仰せになられたようだ」
籐七が出て行ってから、自分の体が冷え切っているのに気づいた。
いちどにいろいろな事を云われ、混乱している。
自分の存在が邪魔である。
ああもはっきり云われるとは思わなかった。
そうであろうか。自分は邪魔なのだろうか。
「小三郎、入るぞ」
その時、襖が開いて英之助が顔を出した。その後に足袋が見え、小三郎はどきりとした。
「失礼いたします」
入って来たのは、十六、七の若い少年だった。
若いだけではない、透きとおるように白い肌と高揚した赤い頬、鼻筋が通った少女みたいにかわいらしい顔の男であった。
小三郎よりも小柄で線が細く、全体に幼さが残っており、声も高く若々しい。
「初めまして、安川宗吉と申します。このたび江戸詰となりました。柾木さまにはこれよりお世話になります」
元気いっぱいに笑った笑顔もまぶしい。
「宗吉は、俺が国許で若殿さま付きの小姓でいたときに一緒にいたのだ」
安川の肩を気安く叩いた。
安川は、明らかに英之助を慕っているらしく、はしゃいでいた。
小三郎は急激に力が抜けていくのが分かった。
「そうか、昔馴染みなら話したいことも多いだろう。俺はこれで失礼するよ」
「これから江戸の町を案内しようと思っているんだ。一緒に行かないか?」
英之助は誘ってくれたが、丁寧に辞退した。すると、安川が明らかにほっと息をついて、英之助に叱られた。
「だって、英さんと一緒にいたいんだもの」
親しげに云って腕に抱きつく。
昔馴染みとはいえ馴れ馴れしくないだろうか、と思ったが、小三郎はただ、肩で息をついた。
「二人で楽しんで来てくれ」
「悪いな」
「申し訳ございません、柴山さま」
憎憎しいほどの笑顔で安川が謝る。
「いいよ、気にするな」
早く立ち去りたい、と思って屋敷を後にした。
自分は一体なにをしにここへ来たのだろう。
帰り道、大きなため息が出た。




