第1話:虎河豚の終焉と、神様の盛大な勘違い
はじめまして、作者です。
「予約2年待ちの銀座の寿司屋の頑固親方が、弟子のやらかしで異世界へ……」という、ちょっと(いや、だいぶ?)災難な幕開けからこの物語は始まります。
長年包丁一本で生きてきた男が、いくらチート能力をもらったからといって、素直に「世界を救う勇者」になれるわけもなく(笑)。いくら魔物が相手だろうと、彼の目にはまず「この食材、どうやって捌いてやろうか」としか映らないようです。
異世界の珍奇なモンスターたちと、銀座の職人魂がぶつかり合う異色の大冒険。肩の力を抜いて、彼の奮闘と絶品料理(?)を楽しんでいただけたら嬉しいです!
銀座八丁目、並木通りの一角。
『鮨 葉山』のカウンターに立つ俺、葉山大地の人生は、文字通り包丁の軌跡と共にあった。御歳六十五。この街で店を構えて四十五年、一見さんお断り、予約は二年待ちの暖簾を守り続けてきた。カウンターの白木は毎朝磨き上げられ、客に出すネタの鮮度と仕事の緻密さにかけては、いかなる妥協も許したことがない。
「……よし」
その日の仕込みのピークは過ぎていた。生け簀から引き揚げたばかりの虎河豚は、暴れるたびに硬質な身を身震いさせ、いかにも旨味を蓄えていることを主張していた。これをどう引くか。薄造りにしてポン酢で食わせるか、それとも厚めに引いてちり鍋の主役にするか。脳内で神経締めから寝かせのタイムラインまでを完璧に構築し、ふふ、と鼻で笑う。職人としての至福の時間がそこにあった。
「親方、お疲れ様です」
声をかけてきたのは、半年前に入った見習いの彦一だった。石川県出身の、どちらかといえば朴訥とした男だ。
「なんだ、彦一。もう上がっていいぞ。俺はこの虎河豚の下処理の最終確認をしてから休憩に入る」
「いえ、親方。いつも仕込みばかりで気忙しいでしょう。これ、俺の郷土の味なんですけど、ちょっと一口、賄いとして食べてみてくださいよ」
彦一が差し出したのは、小ぶりな小鉢だった。覗き込むと、何やら赤茶色の糠にまみれた、乳白色の塊が入っている。形からして……卵巣か?
「お前な、これ……フグの卵巣か? 石川の、あの毒を抜く郷土料理の……」
「へえ、よくご存じで。三年くらいじっくり漬け込むと毒が消えるってやつです。まあ、食べてみてくださいよ。炙ってあるんで香ばしいですから」
普段なら客に出さないような怪しげなまかないなど無視するところだが、その日はなぜか、彦一の妙に据わった瞳と、香ばしい味噌のような発酵臭に鼻腔をくすぐられた。長年培った職人の勘が、「これは美味い」と囁いたのだ。
愚かだった、とあの世の入口で俺は思った。
箸で一口分をつまみ、口に運ぶ。
――美味い。
濃厚な旨味、チーズのようなコクと発酵の深み、そして炙った香ばしさが舌の上で爆発した。日本酒が欲しくなる。極上の珍味だ。
だが、その歓喜は数秒で絶望へと変わった。
喉の奥が急に締め付けられ、息が吸えなくなった。手足の先からジワジワと感覚が消えていく。テトロドトキシン。フグの猛毒だ。
「ば、か……な……」
視界が急速に歪む。その中で、カウンターの向こうに立つ彦一の姿がぼやけた。
彦一は、いつもの気の抜けた顔をしていなかった。冷酷で、底意地の悪そうな、歪んだ笑みを浮かべていた。
『親方、三年も待てませんよ。ほんの数時間しか漬けてないんだから、そりゃ死にますって。……やっと、この店が俺のもんになる』
最後に聞こえたのは、愛弟子だったはずの男の乾いた笑い声だった。
クソッタレが。俺の四十五年を、こんなガキに……!
意識が、暗黒の底へと沈み込んでいった。
◇
「――っと! あ、危ない危ない危ない! 完全にやらかしたわ、これ!」
耳障りな甲高い声で、俺は目覚めた。
いや、目覚めたという表現は正確ではない。肉体という重荷がなくなり、意識だけがフワフワと浮遊している感覚だった。目の前には、目が眩むほど純白の空間が広がり、その中心に、やたらと露出度の高い衣を纏った、金髪碧眼の神々しい女が頭を抱えて座っていた。
「な、なんだここは……俺は死んだはずじゃ……」
「死んだも何も、寿命があと二十四年と九ヶ月残ってたのに、あんた、弟子の手製の毒殺未遂(未遂じゃなくて大成功だけど!)でポックリ逝っちゃったのよ! 私の管理ミス……じゃなくて、天界のシステムエラーで予定外の死亡! うわー、これ、上の者に知られたら私のボーナスが消滅する!」
女――自称「女神」は、冷や汗をダラダラと流しながら頭を掻きむしっていた。なんとも神威のない女神様である。
「でお前は誰だ。ここはどこだ。俺の店はどうなった」
「ここは転生・転移の管理管理局! あんたの名前は葉山大地、銀座の寿司職人ね。あー、もう、こうなったら裏技よ! 本来ならもっと面倒な審査があるんだけど、私の権限で、サクッと別の世界に転生させてあげる。だから、これで手打ちに……!」
「待て待て、勝手なことを言うな。俺はまだ仕込みの途中だったんだぞ。客の虎河豚はどうなる」
「異世界よ! 今度のアスメステリアって世界はね、魔王が暴れてて、人類が危機に瀕してるの! だから、あんたにはそこで『新しい職』を選んでもらって、一花咲かせてほしいわけ!」
女神は半ばヤケクソ気味に、宙に巨大なホログラムのリストを放り投げた。
『聖騎士』『賢者』『大魔導士』『暗殺者』――。
胡散臭い職業がずらりと並ぶ中、俺の目はある二文字に釘付けになった。
『勇者』
「……これだな」
「えっ、勇者? いいの? でも勇者って言っても、結構過酷よ?」
「いや、包丁を使うのがうまかったからな。勇者って響き、なんとなく『何かをぶった斬る』感じがして、職人に通じるものがありそうだ」
「いや選定基準が雑すぎない!? まあいいわ、どうせ急ぎだし、それに……こっちもやましいところがあるから、お詫びとして大盤振る舞いしとく!」
女神がパチンと指を鳴らすと、俺の魂の周囲に、眩い光の粒子が次々と吸い込まれていった。
「まず、理不尽に死んだお詫びの『チート能力』。それから、あんたが今まで培ってきた『過去の技術・包丁さばき・食材に関する全知識』をそのまま魂に定着! さらに、どんな過酷な環境でも病気にならない『マテリアルボディ』、気配を完全に消して極上の食材に近づける『ステルス状態になれるスキル』、おまけにステータス限界突破の初期アビリティをモリモリにトッピングしておいたわ!」
「待て、ステルスとかマテリアルボディとか、それもう完全に暗殺者か密猟者の能力じゃねえか。俺は勇者だぞ」
「細かいことは気にすんな! さあ、行ってらっしゃい!」
女神は問答無用で、俺の足元の床――ではなく空間そのものをパカリと開きやがった。
「あ、待て、おい――!」
俺の身体は、底の見えない光の渦へと吸い込まれていった。最後に聞こえたのは、「あー、これで監査を逃れられる……!」という女神の最低な呟きだった。
◇
生温い風が、頬を撫でた。
地面に足が着いた感覚がある。ガチガチに硬い石畳ではなく、柔らかい土と、草の匂い。
「……ここは……」
目を開けると、鬱蒼と茂る巨大な樹木が天を突くようにそびえ立っていた。見上げた空は、地球のものとは違う。二つの月に、紫色の星雲がうっすらと浮かんでいる。まごうことなき、ファンタジーの異世界『アスメステリア』だ。
「やれやれ……本当に飛ばされちまったな」
呟きながら自分の手を見る。
そこにあったのは、六十五歳の老人の手ではなく、二十代前半の、しなやかで鋼のような筋肉に覆われた若い肉体だった。だが、不思議なことに、指先の感覚、包丁を握り続けてできた無数のタコの痕跡だけは、しっかりと残っていた。いや、それどころか、感覚が研ぎ澄まされすぎていて、数キロ先の風の匂いや、葉の裏を這う虫の足音まで手に取るようにわかる。
これが女神の言っていた「チート」と「マテリアルボディ」の効果か。
ガサッ。
突如、右側の藪が激しく揺れた。
身構える間もなく、そこから飛び出してきたのは――巨大なイノシシのような獣だった。ただし、牙が四本あり、皮膚は岩のように黒く硬い。額には禍々しい赤い目が二つぎょろりと光っている。
ゲームか何かで見たことがある。あれだ、モンスター。
「『オーク・ボアー』……って感じか?」
野獣は低い唸り声を上げ、血走りたった目で俺を睨みつけている。その巨体はゆうに四百キロはくだらないだろう。突進されたら、普通の人間など一たまりもなく粉砕される。
だが、俺の心拍数は驚くほど跳ね上がっていなかった。
むしろ、脳内で冷徹な分析が始まっていた。
(あの硬そうな外皮の裏、首筋の頸動脈のあたり……ちょうど包丁の切っ先を差し込むなら、あの隙間だな。肉質は脂が乗っていて美味そうだが、血抜きをしっかりしないと獣臭さが残る。……待てよ、俺はいま、何をしてるんだ?)
野獣が凄まじい地響きを立てて突進してきた。
刹那、俺の身体が勝手に動いた。
女神から授かった「ステルス状態」を発動するまでもない。研ぎ澄まれた動体視力の前には、その巨体の動きはスローモーションのように遅く見えた。
懐に滑り込む。
腰に下げていた、見覚えのある――しかしどこか神気を帯びた一本の包丁に手が触れた。それは、俺が生前愛用していた「柳刃包丁」が、魂と共に具現化したものだった。
「――仕込みの時間だ」
一閃。
何の魔力も使わない。ただ、四十五年間、魚の命を断ち、最高の美味へと昇華させるためだけに鍛え上げた、究極の『刃入れ』だった。
巨獣の突進がピタリと止まる。
数秒の静寂の後、オーク・ボアーの首筋から、鮮血が噴き出すこともなく、完璧に処理された切断面からスッと崩れ落ちるように、その巨体が地面に伏した。
「……ふむ」
俺は包丁についた血を払い、鞘に収めた。
異世界に放り出され、勇者などという柄にもない役目を押し付けられたわけだが――まあ、悪くない。
この世界にも、美味い食材が眠っているはずだ。まずは、この異世界の食材をどう料理してやろうか。そんな不敵な笑みを浮かべながら、俺は深い森の奥へと足を踏み出したのだった。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
第1話はいかがでしたでしょうか?
丹念に仕込んだ虎河豚を目の前にしながら、まさかの未熟な毒抜きで呆気なく逝ってしまうなんて、大地親方としては完全に「死んでも死にきれない」無念の最期だったと思います(彦一の件は、いつか何らかの形でスカッと清算させたいところです……!)。
そして、転生先で手に入れた破格の能力も、親方にかかれば「極上の食材を美しく捌くための道具」でしかありません。これから彼は、アスメステリアという未知の大陸でどんな怪異や珍味と出会い、どんな料理に仕上げていくのか――。
次回からは、いよいよ本格的な異世界での冒険(と仕込み)が始まります。
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それでは、また第2話でお会いしましょう!




