第8話 森の歌
王都アウレリアの南門を抜けると。街の喧騒は少しずつ遠ざかっていった。石畳の道が土の道へ変わる。
行き交う人も減っていく。代わりに聞こえてくるのは風の音だった。
木々を揺らす音。葉が擦れる音。小鳥の鳴き声。
カナタは大きく息を吸った。
「気持ちいい……」
森の匂いがした。少し湿った土の匂い。草の香り。
どこか懐かしい気がする。
前世で通っていた神社。その裏山を少し思い出した。
もちろん全然違う。ここは異世界だ。
だけど自然の匂いは似ている。それが少し嬉しかった。
歩きながら冒険者証を取り出す。まだ嬉しい。何度見ても嬉しい。
自分の名前が刻まれている。
カナタ。
異世界へ来てから初めて手に入れた身分証。見ているだけで自然と笑顔になる。
「冒険者かぁ」
前世の友達に言っても絶対信じてもらえない。むしろ病院を勧められそうだ。
そんなことを考えて少し笑った。森への道は分かりやすかった。街道沿いを進めば良い。受付嬢から聞いた通りだった。
しばらく歩く。やがて木々が増えてくる。森だ。
本格的な森だった。高い木々。木漏れ日。風に揺れる枝葉。
静かな空気。
「わぁ……」
思わず足を止める。綺麗だった。思わず見惚れるほどに。
神様が作った世界なのだろうか。そう考えると少し面白い。
あの神様。案外センスが良いのかもしれない。
「でも説明は雑だったなぁ」
少しだけ文句を言う。もちろん返事はない。
神様はいつもそうだ。勝手に転生させて。勝手に祝福を渡して。勝手に少し丈夫にした。少し。
本当に少しだっただろうか。狼を思い出す。空の彼方へ消えていった狼を。
「絶対少しじゃないよね」
今更ながら確信した。そんなことを考えながら森へ入る。
ひんやりしていた。外より少し涼しい。木陰が多いからだろう。歩きやすい。
そして静かだった。街とは違う静けさ。嫌な静けさではない。心が落ち着く静けさだった。
カナタは好きだった。
こういう場所。
誰もいない場所。
自然が近い場所。
歌いたくなる場所。気付けば鼻歌が出ていた。
ラララ――。
小さな歌。
誰かに聞かせるためではない。昔からそうだった。歌う理由なんてない。歌いたいから歌う。
ただそれだけ。すると。
近くの枝に小鳥が止まった。
一羽。また一羽。さらに一羽。
「ん?」
カナタは首を傾げる。偶然だろうか。
しかし。歌い続けると増えていく。気付けば十羽以上になっていた。しかも逃げない。
むしろ近付いてくる。
「可愛い」
思わず笑う。小鳥達も楽しそうだった。そんな気がした。
歌を続ける。風が吹く。葉が揺れる。鳥が鳴く。
森が歌に合わせているように見えた。
不思議な感覚だった。
その時。
視界の端が淡く光る。
名前:カナタ
呼び名:
・歌好きの少女
祝福:
・歌姫の祝福
まただ。最近よく光る。
祝福が喜んでいるような。そんな気がする。
理由は分からない。だが嫌な感じはしない。
むしろ心地良かった。
「歌姫の祝福って何なんだろうね」
小鳥に聞いてみる。もちろん答えは返ってこない。
代わりに。
ピィ。
可愛らしい鳴き声が返ってきた。カナタは笑う。異世界へ来てから。知らないことばかりだった。
だけど不思議と楽しい。怖さよりも。
楽しさの方が大きい。そう思えるのは幸せなことだろう。
しばらく進む。
すると。
受付嬢から見せてもらった薬草と同じ葉を見つけた。
「おっ」
しゃがみ込む。形を確認。葉の色も同じ。間違いない。薬草だった。
「見つけた!」
初めての依頼。初めての成果。なんだか嬉しい。慎重に採取する。傷付けないように。根を残すように。
受付嬢から教わった通りだ。
一本。二本。三本。順調だった。
思ったより簡単かもしれない。そんなことを考えていた時だった。
ガサッ。
近くの茂みが揺れた。カナタは顔を上げる。何かいる。
小鳥達も一斉に飛び立った。森の空気が少し変わる。静かになる。
そして。茂みの向こうから現れたのは。灰色の毛並みを持つ大きな狼だった。
草原で見た狼よりも少し大きい。赤い瞳。鋭い牙。完全に魔物だった。カナタは立ち上がる。
狼もこちらを見る。数秒。視線が交わる。
そして。
狼は――。
ぷいっと顔を逸らした。
そのまま森の奥へ歩いて行く。
「え?」
カナタは固まった。襲ってこない。威嚇もしない。ただ去っていった。
まるで。関わりたくないと言うように。カナタは首を傾げる。理由は分からない。
だが。今の狼が思っていたことだけは一つ。
――あれには近付くな。
だった。




