追憶の時代①
ここは古の都。
とある貴族の屋敷では、今日も出世に興味のない男が勤めを放棄し、町へ繰り出そうとしている。
「清彦様、また出かけなさるのか!」
家人が見つけ咎めるも、この貴族は全く意に介していない。
「良いではないか。愛しい姫に会いに行く、他に大事な用事等この世にあろうか?いや、ない」
「全然詩歌の腕は上がりませんな!!」
「うるさい!!だまれ!!」
家人を幼稚な言葉で罵倒したこの貴族は、砧青磁色をした直垂の袖を翻し、脱兎の如く駆けて行った。
「ふ~む、先ずはこちらの姫君から…」
町にやって来たこの青年は、ひたすらに結婚相手を探していた。
宮中で働く同僚から聞いた姫君の屋敷に来た。
ここの姫君はさる公卿様より求婚されたが、「釣り合わない」と謙遜し断ったらしい。
この青年は以前、文を送ったのだが全く返事が返ってこない。
"我のような、使部なら釣り合うのではないか?とワンチャン期待していたのじゃが…
わざとじらしているかも知れない。"
"公卿様が求婚する程の教養、美貌を持ち合わせながらも断るなんて…何といじらしいおなごであろうか"
期待に鼻の穴を膨らませ、垣根の間から屋敷の中を覗き込む。
すると、美しい琴の音が聞こえてきた。
"何と美しい琴の音であろうか…きっと、姫君の顔もこの音色の様に美しいに違いない!!!"
しかし、丁度庭に生えている松の木で顔が見えない。
「ええい…もう少し、もう少しじゃ…!!!」
目の血管がもう少しで切れそうになったその時。
「そなた、何者じゃ?」
驚いて振り返ると、そこには見るからに身分の高そうな貴公子が立っていた。
色白の肌に、高級な生地の水色の直衣を身に纏っている。
「我は、姫君に文を送った者である。返事がないので、直接会いに来てやったのじゃ」
その言葉を聞くや否や、貴公子は堪らないとばかりに吹き出し、笑った。
「そうか、そうか。文はいつ頃、何通送ったのじゃ?」
青年は少しムッとしたが、男の身分が高そうなので態度には出さない様にして答えた。
「一ヶ月程前に二通であるが?」
「そうかそうか、それは残念じゃったな」
貴公子は腕を組み、何度もうなづいて笑っている。
「…そなたも、こちらの姫に会いに来たのか?」
「あぁ。かれこれ三ヶ月程文のやり取りをしておるからのぅ」
鳩が豆鉄砲を食らった様な青年の顔を顎を上げ見やり、貴公子は満足そうに鼻で笑った。
青年の隣で垣間見を始めると、わざとらしい咳払いを大きく2、3回した。
迷惑そうに貴公子を横目で見る。
すると、琴の音が一瞬止まった。
姫君の顔が見えた。
綺麗な黒髪が午前の日差しに煌めいている。
咳払いが聞こえる方向へ顔を上げている。
黒髪が白い肌にかかり、その肌は赤面していた。
黒目がちな丸い形をした目と小さな顎は、山の中で見た栗鼠を想起させた。
姫君は、また顔を下げて琴を弾き始めた。
「…何と麗しい姫じゃ」
思わず呟いた。
「そうじゃろう?」
何故か隣の男が得意げに答える。
「今夜我は姫に会いに行く」
垣根から目を離し隣の男を見ると、男もこちらを見ていた。
「そして姫と結ばれる」
呆気にとられていると、男は言葉を続けた。
「二度とここへ来るなよ」
「…はぁ……」
意気消沈した青年は、当てどもなく街を歩いていた。
"我は、結婚できるのであろうか…?"
同年代の者は次々と結婚し、姫君との逢瀬を楽しんでいる。
「我に、詩歌の腕さえあれば…」
下を向いてとぼとぼ歩いていた、その時。
「…?」
女の影が視界に入った。
咄嗟に顔を上げる。
この世の者とは思えない程美しい姫君がこちらを見、立っていた。
思わず見惚れてしまう。
姫君は何も言わず、真っ赤な紅が引かれた口の端を僅かに上げて前を往く。
その妖艶な微笑みに、青年は不思議な程惹き付けられる。
自然と、青年の足は美女の後を追っていた。




