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42 なにか、あったっけか?

 サヤから拝借したパンは、ものの数分で食べ終えてしまった。

 不快な視線を避けるため、俺はゆっくりと教育棟に戻ることにした。

 人の目を避けて行動すると、そのつもりがなくとも、自然と風景が視界に入る。

 新緑の葉っぱを付けた木々が、教育棟へと続く道を、鮮やかな緑に包んでいた。

 五月の深みを増した学園はすでに春の装いから、夏の色へと衣替えを終えている。

 昼休みも、もう半分が過ぎていた。

 この時間、だいたいの人間の行動は、大抵決まっている。

 校内に残るもの、そして、外に出て活動するもの。そのどちらかだ。

 そのどちらも、すでに通過しているか、または端っから利用するつもりのない玄関先は、いつもこの時間なら静かなはずだった。

 校舎入り口が賑わうことなど、あり得ないことだった。

 しかし、今日に限って、その周辺に黒いひとだかりが出来ていた。

 何かあったのだろうと、俺もその光景を少し離れた位置から、背伸びするようにのぞき込んだ。

 幸い周囲の注目は中央の人物に釘付けなようで、俺が近づいても避けようとする人間はいなかった。

 群衆に囲まれた中央には粗末な木箱が置かれ、その上でメガホンを持った男が、なにやらわけの分からんこと、わめき散らしていた。

 その光景になにかしら感想を付けるとしたら「うわぁ……」の一言で片が付くことだろう。

 壇上に登っていたのは黒縁眼鏡がまぶしい、法馬葦人くんだった。


「諸君、私は女性のおっぱいが好きだ。諸君、私は女性のおっぱいが好きだ。諸君、私は女性のおっぱいが大好きだ!」


 壇上の法馬は強く拳を握りしめ、メガホンに己の性癖を堂々とぶちまけていた。

 青筋を立てて叫ぶその声は、絶妙なハウリングを起こし、校舎前にひどい雑音をまき散らしている。

 それでなくとも内容がひどいだけに、囲む多くの人々は鼻白はなじろむ様子を見せていた。

 黒い人だかりのほとんどは男子生徒で、女生徒たちは法馬の一言を聞くやいなや、ヒソヒソとなにか囁きながら立ち去っていく。

 それでもめげず、法馬は己がなんたるかを必死にアピールしている。自分は生粋のノーマルで、女性が好きであると喧伝し続けていた。

 法馬の声は、さらに熱を帯びていく。


「Dカップが好きだ。Eカップが好きだ。

 Fカップが好きだ。Gカップが好きだ。

 Hカップが好きだ。Iカップが好きだ。

 Jカップが好きだ」


 俺の脳内で、様々な大きさのおっぱいがひしめき合う。

 と、同時にくだらないと分かっていながらも、俺の脳は無意味な疑問を抱いた。

 なんで、A、B、Cがないんだ?

 ああ、そっか。こいつ、巨乳好きだもんなぁ。

 こいつにとっての攻略対象は、D以上ってことね。

 なんだかとってもわかりやすい。

 ここまで素直にアピールする法馬が、清々しいとすら感じる。


「平原で、街道で、

 公園で、草原で、

 学園で、砂浜で、

 海上で、空中で、

 泥中で、湿原で、

 この地上で行われる、ありとあらゆるペッティングが大好きだ!」


 言ってることは無茶苦茶なのに、見事なまでのオープンスケベっぷりに神々しさすらおぼえる。

 そうか。ヤツの周りに集まっている男子生徒。あれは、ヤツの信者か。

 ヤツの神々しさに、あやかろうとする変態たちということか。

 法馬のヤツ、新興宗教でも立ち上げるつもりか?

 不思議とヤツの背後に後光が差しているように見えた。

 光を受けた男子生徒たちが、まるで天国に行くかのように安らいだ表情を見せている。

 なんか、別の意味で男子に好かれ始めているぞ。

 法馬、お前はそれでいいのか?


「諸君、私は恋人を。天国の様な恋愛を望んでいる。

 諸君、私に付き従う大隊戦友諸君。

 君達は一体、何を望んでいる?

 更なる孤独を望むか?

 情け容赦のない、糞の様なボッチを望むか?

 鉄風雷火の限りを尽くし、三千世界の鴉を殺す、嵐の様な修羅場を望むか?」


 俺はたまらず、ゴクリとつばを飲み込んでいた。

 ……なにをやるつもりだ。

 不吉な予感とシンクロするように、信者たちの手が一斉に上がった。


「  恋人!!   恋人!!   恋人!!  」


「よろしい! ならば合コンだ!」

 

 うおぉぉぉぉおおおお、と感極まった男たちがだみ声を上げる。

 不快な「合コン!!」という合唱が、校内を埋め尽くす。

 ヤツめ、自分のホモ疑惑を払拭するだけでなく、今まで煙たがられていた男子生徒たちも自分の手中に収めやがった。

 ……恐ろしい。でも、女生徒たちは、どん引きなんですが。

 法馬を中心に円を描く男子生徒たちの周囲に、女生徒の姿は見る影もない。

 この状況で、合コンもなにもないと思うんだが。

 そんなことをつゆとも知らず法馬教の信者たちは、法馬を奉るように頭を垂れている。

 バカみたいだ。


「バカみたいね」


 まったくの同意見が、俺の真横から発せられた。

 振り向くと、そこには胸を強調するように腕を組んだユキエの姿があった。

 眉をつり上げ、その表情は険しい。キリストのごとく両手を広げて信者たちを敬う法馬を、強く睨み付けていた。

 黒く長い髪が風に吹かれる。細く手入れされた髪の毛の一本一本から、いい香りが漂う。

 その香りは、まるで俺を誘うかのように鼻にまとわりついてきた。


「なにを言い出すか不安だったけど。法馬くんが、バカで助かったわ」

「辛辣っすね、ユキエさん」


 どこかいつもと違う――空気の読めない天然バカッぷりを押し隠したような――クールな装いのユキエは、変わらぬ険しい目で俺の顔を見据えた。

 その装いは完璧で、制服をシワや乱れひとつなく着こなしている。昼過ぎだというのに、朝見た時とまるで変わらない。

 よくよく考えれば、これが本来の一ノ瀬由紀恵なのだ。

 学園長の娘であり、やんごとなきお嬢様である一ノ瀬由紀恵は、その一挙一動に一切の乱れを許さない。

 関わりを持った直後から変態ぷりを見せられたために、忘れていたことだが、こいつはとても近寄りがたい高貴な存在にもなれるのだ。

 雰囲気の違うユキエに、若干萎縮しそうになる。

 気圧されていることを悟られまいと、俺は必死に言葉を探した。


「法馬のヤツも、なに考えてるんだろうな。あんな、堂々とバカ騒ぎして。それこそ、自分の所属していた風紀委員に目を付けられると思うんだが」

「大丈夫でしょ。そのために、風紀委員時代にため込んだポイントチケットを使って、コウエンショを買って行ったんだから」

「なんだ、そのコウエンショってのは?」

校内演説許可申請書こうないえんぜつきょかしんせいしょ、略して校演書よ。自己アピールや、自分の立場を明確にするために、校内での演説を行うための申請よ。特定の個人に対しての誹謗・中傷でなければ、その発言がどのような内容であれ、認められるわ」

「あんなに、おっぱい、おっぱいと連呼してても?」

「特定の人物の胸囲の事を叫んでいるわけでもないから、お咎めなし。自己アピールの一環として認められるはずよ。――って、あなた、どこ見て言ってるわけ?」


 俺の視線が自分の胸囲に注がれていることに気づき、ユキエは眉間にしわを寄せた。

 俺はユキエの見えないボディブローを覚悟し、腹に力を込めた。

 ユキエは腕を組んだまま動かなかった。衝動を押さえるようしっかりと掴み、その指が二の腕に食い込んでいる。

 おっ珍しい、と感心するとともに、ユキエの微妙な態度に違和感が募った。


「ちょっと話があるの。ついて来て」

「もうすぐ昼休み終わるぜ?」

「手短に済ませるわ。私だって、あなたと一緒になんて居たくないもの」


 なんだ。物理攻撃から、精神攻撃に路線変更したのか?

 人を見下したような態度を見せるユキエは、同意も待たずにその場から歩き出した。

 俺はユキエの後に着いていくことにした。ユキエの態度の変化は、気になるところだった。

 集団から背を向けると、ガタッと何かがひっくり返る音が聞こえた。

 首だけで振り向き、法馬が台から転げ落ち、顔面から落下してるのが見えた。

 周りの男子に支えられて立ち上がる法馬の鼻からは、若干血が出ている。

 信者にメガホンを預け法馬は、肩を怒らせて俺の前に進み出てきた。


「一橋一樹! これ以上の抜け駆けは許さないぞ!」


 俺の胸に指先を突き、歯を食いしばった法馬が顔を寄せてきた。

 抜け駆けって……。俺は、ユキエにそんな気持ちは微塵も――あ、いや、ミジンコぐらいはあるけど、そこまで本気ではないわけで。

 微妙な弁解も言い訳も面倒だった俺は、曖昧に口を引きつらせ頬を掻いた。


「ちょうどいいわ。法馬くん、あなたも一緒に来てくれないかしら。話があるの」


 半身をひるがえしたユキエが、法馬に呼びかけていた。

 険しい態度は相変わらずで、俺と法馬を交互に眺めた後、素早い足取りで校舎へと進んでいく。

 法馬は数秒間、硬直した。

 その後、ゆっくりと表情を輝かせ、なぜか自信たっぷりの顔つきで俺を見下した。

 なにがお前をそんな自信につなげているのか、ぜひ俺に教えてくれ。

 身をひるがえした法馬は、信者たちに解散を告げた。

 信者たちからは「我々はこれからどうしたら!?」「どうかご神託を!?」と悪のりに染まった発言が相次いだ。法馬は指を振りチィチィチィと、舌を鳴らす。


「諸君、私はこれから聖戦に入る。必ずや悪魔を討ち取り、皆に楽園への道筋を見せようではないか!」

 

 おおっ、と信者たちは感嘆の言葉が漏れる。

 いったいなんなんだ、この劇団は。

 俺が呆れていると、すでにユキエは校内に入り、俺たちを仁王立ちして待ち構えていた。

 冷たい炎を燃やすユキエをこれ以上怒らせたくはなかった。

 俺は法馬の袖を引っ張り、校舎へと歩みを早めた。


*****


 校内の自習室で、俺はユキエと対面して座っていた。

 小さな教室は、長い白のテーブルが置かれ、数脚の折りたたみ椅子が壁にもたれるようにして置かれている。

 自分の分の折りたたみ椅子を手に取り勝手に座ると、それを確認し、ユキエはわざと俺の前に座った。

 前にも似たようなシチュエーションがあったなぁ、と思い出し、ちらりと横目で法馬を覗いた。

 法馬は、俺と同列にいながらも、ほんの少し離れた場所に座っている。

 今回は、一部であれ部外者である法馬も一緒であることが、ほんの少し安心感を与えた。

 暴走したユキエを面倒を見るのが、嫌だったからだ。

 俺たち三人だけになっても、ユキエの態度は変わる様子を見せなかった。

 唇を横一文字に結び、その目は先ほどから鋭く俺を見据えている。

 茶色く美しい虹彩を見せているその瞳は、時折、俺の視線から逃げるように法馬へと走る。

 だが、思い返したかのようにまた俺を見詰めてきた。

 睨んでいるという言葉のほかに、計りかねているという印象がその瞳から思い浮かんだ。 

 話があると言っておきながら、そのような態度で黙りこくっているユキエの言葉を、俺と法馬はただただ待ち続けていた。

 数分の沈黙の後、ユキエはため息を吐き、やっと言葉を発した。


「ノノカちゃんの、やろうとしていたことを聞いた……。信じられないのよ。私たちを退学にさせようとしていただなんて……。カズキ、あんたの勘違いじゃないの?」


 聞いたって事は、双子からリークがあったのか。

 まあ、口止めしたわけじゃないし、聞かされて当然か。


「そうだ。ノノカは、オマエらを陥れて、おかしな事をしようとしていた」

「あんたの言葉なんて、信じられないわ」

「んじゃあ、聞くなよ!?」


 理不尽なはね除けに、さすがにイラッとくる。

 ユキエは、俺には答えず法馬の方に顔を向けた。

 法馬が不自然に身をただす。


「法馬くんも聞いた。ノノカちゃんが、私たちを陥れようとしていたってこと? 法馬くんは、どう思うの?」


 ユキエに話しかけられた法馬は、口を歪めた締まりのない顔を見せた。


「ぼ、僕の意見ですか?」

「そう、ノノカちゃんは法馬くんも、たばかろうとしていたっていうの。本当にそうだと思う?」

「ど、どうなんでしょう。ぼ、僕は、立花さんにも真剣な気持ちが見えたから、そんな魂胆があったようには、思えなかったんですけど……」

「でしょ? ノノカちゃんが、私たちを陥れようとしていただなんて、信じられないのよ」

「あっ、でも、一ノ瀬さんは、女の子の方が好きとかいう、そういう事情は――」

「ユキエで、いいわよ」

「へっ?」

「『一ノ瀬さん』なんて、他人行儀みたいじゃない。ユキエ、って呼び捨てでいいわよ。私たち、もう友達でしょ?」

「は、はい!!」


 すっごく嬉しそうに法馬の顔が華やいだ。

 いや、法馬くん。ユキエのヤツは、お友達って言っただけだから。ボーイフレンドとか、そんなんじゃないから。

 まあ、顔すらおぼえられていなかった頃よりはマシかもしれないけど、もうそれ以上の発展は、ほぼないよ。

 そんなことは気にも止めず、法馬の顔は喜びに満ちあふれ、俺へと自慢げに胸を反らした。

 ごめん、法馬。お前の強気が、哀れに見える。

 

「カズキ、やっぱりあんたの言ってることは、いい加減なのよ。あのゲームの時だって、ノノカちゃんが不正しているかもしれないっていう、ウサギどもの口車に怯えて、ノノカちゃんを信じてあげてなかったじゃない。ダメダメで、グズグズよ。あんたなんて、信用に値しないわ」


 ちょっとだけ調子を取り戻したユキエが、俺を軽快に罵る。

 俺は、ため息交じりに「そうだよ」と肯定した。

 おそらく、肯定されるとは思っていなかったのだろう。

 ユキエの顔に驚愕の表情が浮かぶ。


「ちょ、あなた、どういうつもり」

「お前の言うとおり、俺は信用に値しないかもしれない。俺の、行動なんか信じなくてもいい。でも、俺はあいつを知ってる。ノノカを知って――信用しているから、あいつがやるときは、必ずやる。あいつの行動を俺は信じている」

 

 俺はできるだけ真剣に聞こえるように、答えた。

 ユキエは、わけが分からないという表情をし、法馬もさらにわけが分からないというようにボケッと俺の顔を見ていた。

 ユキエは、一度髪をかき上げると、再び冷たい視線を取り戻した。


「なるほど、わかったわ。聞きたいことは、少し違ったけど。カズキが、信用ならない男だってことは、よくわかった。なら、あの行動も納得できる。反省なんて、するつもりないでしょうしね。そんなもんよね、男って」


 折りたたみ椅子を派手に倒すようにして、ユキエは立ち上がった。

 まるで目をつぶって歩くように俺から視線をそらし、自習室の出口に向かう。

 扉の開く音は静かだった。

 ユキエが廊下に出たとたん、渾身の力を込められて閉められた扉は、壮大な音を立て閉められた。

 鼓膜を直接ぶん殴るような音に俺の頭はキーンとなる。法馬は両手で耳をふさいでいた。

 爆音の鳴り止んだ自習室には、俺と法馬だけがとり残された。 


「キミは――」

「うん?」

「どうして、そう、ユキエさんに特別視されるんだ! うらやましい!!」


 法馬は、ハンカチを食いしばるように悔しそうな表情を見せてくる。

 俺は――あの反応を見て、特別視されていると思えるお前の性格の方が、うらやましいです。

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