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36 喜ぶべきなんだよな?

 カー、と遠くでカラスが鳴く声が聞こえた。

 赤く焼ける夕日に照らされる廊下を、俺は人目を避けるようにトボトボと歩いていた。

 わざわざ人気のない廊下を選んで歩いているにも関わらず、俺はコソコソと自分の生徒手帳を開いた。

 画面に表示される自分のポイントを見た瞬間、「あー……」とため息交じりの声が漏れる。

 今更、驚く必要もない。

 だが、これは異例中の異例なのだ。

 完全に0を示している画面を眺め、俺はがっくりと頭を垂れた。

 通常なら、即刻退学になる0ポイント。

 そんなことを一々表示させる必要もない学園側は、速やかにその画面を退学通知へと誘導するように作っている。

 だが、今の俺の状況は少し違う。

 本来なら表示する必要もない0ポイントをデカデカと表示させ、次何かやったらどうなるかわかってんだろうな? と、はっきりとプレッシャーを掛けてくる。

 ほんと、親切な道具だよまったく……。


 ある種の阿鼻叫喚に包まれたパートナーゲームは、俺と法馬との嘆かわしい関係の暴露という酷く不名誉な結末で、幕を閉じた。

 法馬は、その場で風紀員の権利を剥奪され、俺に付けられていたペナルティは、それに伴い消失した。

 欲を言えば、過去に遡ってまでペナルティ分を挽回したかったが――まあ、これで法馬によるペナルティに悩まされることはなくなったわけだから、良しとしよう。

 プールサイドに現れた理事長は、失神した法馬を置き去りにして、俺を鋭い視線で睨みつけた。

 覚悟はしていたつもりであったが、やはり問題はそれだけでは済まされなかった。


「風紀員の特権を利用し関係性をカモフラージュしようだなんて……よくもまあ、ふざけたことをしてくれたわね」

 

 理事長の古傷に大量の塩を塗ることになった俺の計画は、目論見通り、ゲーム自体の粉砕に成功していた。

 だが、同時に、その逆鱗にもバッチリ触れることになった。

 当初の予定では、俺と法馬との能力比べなんて名目も含まれていた、このゲーム。

 しかし、その対象者が、理事長としてはもっとも望まない関係であることを知ることになってしまった。

 まあ、俺が勝手にでっち上げたものなのだが、理事長としては当然、どちらも風紀委員に置きたいとは、思わないわけだ。

 その上、生徒会までこの勝負で俺の進退を決めようと、なにやら画策していることを仄めかしていた。

 風紀委員会を統括する理事長としては、全くもって納得出来ないという結論に達したようだった。


「理事長特権として、今回のゲームのすべてを無効とします。よろしいですね、生徒会長」


 腕を組んだ理事長が、一匹のウサギ人間を睨みつけた。

 いや、正確には、先程までジュンの声でゲームを進行していたウサギ頭に、だ。

 四角い箱状の台座に置かれたウサギ頭は、ちょっと傾いた形で置かれ、返事をしなかった。

 誰しもがウサギ頭に注目し、プールサイドに妙な沈黙が流れた。

 すると突然、ウサギ頭は小刻みに震え始めた。

 携帯のバイブレイターでも仕込まれていたかのように、震えるウサギ頭。

 その頭が乗る箱の隙間からは、白い煙が漏れ出した。

 箱全体が白い煙に覆われると、バンッ! という音と共に箱が四方に花開いた。

 煙の中からは、薄っすらと黒い影がすくっと、立ち上がり軽くお辞儀をする。

 箱から現れた人物は、スーツ姿に赤いネクタイ、箱の上に載せられていたウサギ頭をいつの間にか被り、他のウサギ達のように自身の顔を見せないようにしていた。

 俺は、この演出はなんのために行っているのか、さっぱりわからず、ポカンとしていた。

 ここの生徒会というのは、よっぽど妙なサプライズが好きな連中らしい。

 箱から現れたウサギは、ネクタイを片手で直した後、もう片方の手で持っていた小さなシルクハットを頭に載せようとした。

 だが、首にはエリマキトカゲのように上蓋が付いている。

 中から、蓋の部分に穴を開けて首を通したのだろう。 

 その姿は、襟巻きをしたウサギ人間だった。

 襟巻きウサギは、手を伸ばしてシルクハットを載せようとした。

 だが、頭には微妙に届かず、何度かトライしたが僅かに手の長さが足りなかった。

 事態に気づいた襟巻きウサギは肩をがっくり落として、声を出さずにため息を付いた。


「生徒会長!」


 理事長の恫喝に、襟巻きウサギはビクリと直立した。

 パントマイムのように大袈裟に肩をすくませると、理事長に話を進めるよう、手で促すポーズを取った。

 理事長は、なぜか慣れた様子で話を進める。


「聞きましたね。今回のゲーム、一切の情報を破棄させていただきます。よろしいですか?」

「私は一向に構いません。ですが、このゲームの提案は、校長です。お辞めになるのでしたら、校長の許可を理事長の方で取っていただけますか?」


 微妙に高い、女性とも男性ともつかない不思議な声色だった。


「当然です。私の方で、話をつけましょう」 

「なら、結構です。ただ、ちょっと提案がございます」

「あら、一体何かしら?」


 ジュンと対峙している時とは違い、理事長はどこか余裕のある口調で進めていく。

 対して襟巻きウサギの声は単調で、少し事務的な物言いだった。

 だが、俺にはその声に聞き覚えがあった。

 生徒会長という名目で、スピーカから流れた泉谷奏二郎という人物の声、とは違う。

 それは、入学前に聞いた奏ちゃん先輩の声によく似ていた。

 

「理事長は、今回の二人の処分をどうお考えですか?」

「本校の最も基本的な校則に違反したのですからね。退学が相当だと思っています」

「やはり。理事長、それはいただけませんね」

「どうして?」

「風紀委員会とは、生徒たちの行動を正すために存在する組織なのでしょう。そんな組織が、問題のある生徒だからといって簡単に切り捨ててしまうのは、如何なもんでしょうか。彼らが、更生するチャンスを与えるべきだと、私は思います。ですから、我々から提案があるのです」

「面白い。話を聞きしましょう」

「人間、誰しも生まれた瞬間というのは真っさらです。ゼロという事ですね。彼らには、生まれ変わって更生するという名目で、チャンスを与える。二人のポイントは0とし、それでも違反するようであれば退学も辞さないという姿勢で当たる――なんていうのは、どうでしょうか?」

「そんなことをして、なにかメリットが有るのですか?」

「もちろん。そうすることにより風紀委員会としては態勢を保てますし、学園側としても大切な学生を手放さなくて済むことになります。たった一度の過ちで生徒を戒めるのは、教育組織としての本分に合わないと思いませんか。より良い学園生活を目指す学校側の人間としては、更生の余地を望むべきだと思います」


 理事長は、眉をひそめた。

 過去、二人のホモを退学に追いやった時の理事長は、生徒という立場だった。

 だが、今は学園を取りまとめる学校側の人間である。

 私念だけで、行動していいような立場ではない。

 今ある自分の立場を思い返させる、非常にいやらしい――だが、効果的な言い方だ。

 理事長は、腕を組んだまま、小さく息を吐いた。

 自分の置かれている立場を、実感したようだ。


「いいでしょう。あなたの提案を受け入れましょう」

「ありがとうございます。理事長なら、分かっていただけると思っていました」


 ウサギの表情は変わらないが、その声には密かな喜びの感情が含まれていた。

 その声を鼻で笑うと、理事長は急に興味を失ったように、踵を返した。

 登場した時は打って変わって、その立ち去る足取りは優雅だった。

 襟巻きウサギは、理事長が顔を背けたのと同時に、わざとらしく二人の人物に視線を向けた。

 それは、俺と法馬に、ではない。

 このやりとりをじっと見詰め、爪を噛むような仕草で口元を抑える一ノ瀬由紀恵。

 そして、水から上がり、気付けば襟巻きウサギの背後に控えていた立花野々花。

 その二人へと向けられたものだった。

 視線を向けられても、二人は何も言わなかった。

 この時、なぜ襟巻きウサギが、二人に視線を送ったのは俺にはわからなかった。

 だが、よくよく考えれば、この二人にもある問題点が思い当たる。

 俺が法馬にでっち上げた物と同じ、不純同性交遊という問題だ。

 ユキエへによる一方的なものだが、その行動は最近バレバレに近い。

 今のやりとりが、実はユキエの行動を含めたものに対して言われているとしたら――いや、考え過ぎだろう。

 とりあえず、俺は思惑通りに今回のゲームを破綻させ、法馬のペナルティをすべて解消することに成功した。

 かなり綱渡りだったが、思わぬ展開によりポイント0という驚くほど奇妙な状態で、俺の首の皮はつがっている。

 これはきっと、喜ぶべき状況なのだろう。

 その後、生徒手帳を経由で理事長室に呼び出された俺と法馬は、こっぴどく絞られた。

 宣言通り、ポイントをすべて没収され、法馬の必死な弁解も見事に切り捨てられる運びとなった。

 法馬からより一層の恨みを買うことになったが、風紀員でなくなった法馬など、恐る恐るに足りんだろう。たぶん……。

 そそくさと退席した俺は、法馬に追いつかれぬよう校内を逃げ隠れた。

 そして――


[やあ、カズちゃん。奇遇だね]


 薄暗い、校舎の中を歩く俺。

 0ポイントという、わかりやすいほど危機的な状況で、満面の笑みを浮かべるノノカと俺は出会っていた。

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