33 誰が勝てばいいんだ?
「つ、冷たい!」
水面に足先を触れさせたユキエが、飛び跳ねるように後退した。
屈み込み、俺も恐る恐る指先を伸ばす。
プールに張られた水は、温水プールとは思えない冷たさだった。
まだ6月に入ったばかりでこのプールの水は、殺人的な冷たさだ。
「おや? これは失礼。模擬ゲームでありながら、基本ルールの準備をしてしまったみたいですね」
俺達の反応を確かめてから、ウサギは悪びれない様子を見せた。
四角い台座に置かれた、表情のないウサギのかぶり物。俺は非難の視線を向ける。
ウサギ頭は、俺の存在など無視した。
「水の冷たさは、本格的なパートナーゲームで、偽装を見ぬくためのトラップなのですよ。『今回に限り、恋人同士なら抱きしめあって温めても良い』と促しましてね。パートナーたちの挙動を見張るのです。もし、学園を欺くために仕組まれた組み合わせなら、ギコチナイ動きを見せることでしょう。そういった、浅ましい組み合わせを洗い出そうという仕掛けなのですが――」
台座のウサギを囲む他のウサギ人間達が、仰々しい動きで肩をすくめ首を横に降った。
「つい、気合をいれて、準備をし過ぎてしまいました。ですが――」
囲むウサギ人間達は、足並みを揃え敬礼するかのように身を引き締めた。
「皆さん、合意の上でゲームに参加されたのですから、構わないでしょう? そんなことより、早くゲームを始めないと時間がもったいないですよ。時は金なりです」
身勝手な責任放棄の説明を終えると、ウサギ人間達は一斉にお辞儀をした。
ウサギ達の言うように、時間は刻一刻と刻まれていっている。
電子掲示板の表示はすでに、残り時間を22分にしていた。
悪態をつきながらも、四人は冷たい水へと沈む。
温水プールだと油断していた俺は、水の中で震えた。
誰も準備運動などしておらず、条件は同じだった。
隣のレーンに身を沈めた法馬とユキエも、体を震えさせている。
俺の左横でバンドに繋がれているノノカからも、小刻みな振戦が伝わってくる。
条件は同じだが、状況は確実に俺達の方が不利だった。
体の小さなノノカは、すでにかなりの部分が水に浸かっている。
その華奢な体躯では、水に浸かっているだけで体力を奪われる。
あまり、悠長に構えている暇はない。
「とっとと、ゲームを終わらせるのよ……」
片手で肩を抑えたユキエが、歯をカチカチを鳴らしながら呟いた。
俺を一瞥した視線が、そのままノノカに向けられたのがわかった。
どうやら、ユキエもノノカの体調を気にしているようだ。
「カズキ、あんたが勝っていいから、早く行ってよ」
「お、お前、何言ってんだよ!?」
「勝ちを譲るって言ってんのよ。あんたのペナルティを帳消しにするためのゲームなんでしょ。そんなのどうでもいいんだから。その代わり、風紀委員会にも、生徒会にも入らないと誓いなさい。そうすれば、丸く収まるでしょ」
震えるユキエは、ぶっきらぼうに振る舞う。
「できるわけないだろ。そんなことにしたら、ノノカが退学になるんだぞ!?」
「バッカじゃないの。ウサギの言うように、ノノカちゃんが不正行為を行っていた場合でしょ。あり得ないわよ、そんなの。ノノカちゃんが、そんなコトしてるわけないでしょ。そんなことも信用してあげられないの。あんたってダメダメね」
蔑むような瞳で、ユキエは薄笑いを浮かべた。
クソッ。こいつはあの時の話し合いに参加してないから、ノノカの行動を知らないのか……。
面倒なこと思い付きやがって。
「それは――できないんだよ」
「はぁっ!? 何なのよ、それは。もしかしてあんた、生徒会への参加とかホントは狙ってたの?」
そんなはずねぇだろ!
こんな人目のあるところで、必勝法の流れなんか説明できるかよ。
俺が押し黙っていると、ユキエは「なるほどねぇ……」と見透かすような冷たい視線を強めた。
「そっか、そうよね。このゲーム自体、なんかおかしいし。あんた、本当はジュンと共謀して、裏工作してでしょ? そうに違いないわ」
ぐっ……。変なところで勘を働かせてんじゃねぇ。
身動きの取れない俺は、下を向き奥歯を噛みしめた。
ゆらゆらと揺れる水面に、歪んだユキエの顔が反射している。
「一ノ瀬さん、それはちょっと、僕も了承できない……」
冷たい空気の中を、遠慮がちな法馬の声が滑りこんできた。
ふと顔を上げると、法馬が髪をくしゃくしゃと掻きながら、ユキエの視線に耐えていた。
「なんでよ? ウサギ達の言うように私達はゴールできないじゃない。ゴールなんかしちゃったら、あいつらの思う壺よ」
「確かに――そうだけど。でも、こんな方法で勝ちを譲ることは、納得出来ないし、まして、こんな奴に負けるのは許せない……」
随分な嫌われようだ。
だが、どれほど嫌われていようと構わない。
変な形で勝ちを譲られ、ゴールを強要されるよりマシだ。
思わぬ法馬の助け舟に、俺は胸をなでおろした。
納得のいかないユキエは、歯を剥いて「むぅ~」と唸りを上げた。
「なら、法馬くんが勝つ方向で行きましょう。私達のバンドを外して、法馬くんだけ勝てば、裏ゲームの勝敗なんて気にしなくて済むでしょ。私は勝ってないんだから、ウサギ達の変な工作もできない。それで行きましょう!」
ユキエは、自分たちをつなぐバンドに手を伸ばした。
その瞬間、一番青ざめたのは、法馬だった。
バンドの上に手を置き、剥がそうとするユキエの手を必死に拒んだ。
「ダメ! ヤメテ! それはダメですから!?」
「な、なによ! なんなのよ!?」
早口で捲し立てながら法馬は、剥がそうとするユキエの手を振り払った。
法馬の行動に納得できないユキエは、頬を目一杯膨らませた。
でも、法馬としても必死なのだ。
バンドを外すことは、恋人関係になる可能性を完全に失うことになる。
法馬にとって、それがどんなに小さな可能性であろうとも、折角のチャンスを棒に振るワケにはいかない。
それに、法馬にはノノカとの取り決めがある。
法馬が、ユキエと恋人関係になる可能性がなくなれば、ノノカが法馬との取り決めを守る理由はなくなる。
「何が――生徒会と風紀委員会に阻まれたロミオとジュリエットだよ……」
「お、おい、君! 今なんて言った!」
俺のつぶやきに、法馬は耳聡く反応を示した。
ヤベッ、つい口が滑っちまった。
視線を合わせないように顔を背けるが、法馬が苛立った様子で俺を見ているのを感じる。
その視線も、高い水しぶきに遮られた。
イライラを募らせたユキエが、水面に腕を叩きつけたのだ。
「も~ホントにいったい、何なのよ!? 私はゴールしないんだから! あの親父の思うとおりになるようなことは、絶対にしないんだからね!」
ユキエが無理やり腕を組もうとして、法馬の腕が引っ張られる。
その瞬間、法馬の腕がユキエの胸に当たる。
法馬の表情がだらしなく歪むのを、俺は見逃さなかった。
まあ、そんなことはどうでもいいんだが。
俺の目に、電光掲示板の表示が映る。
残り時間、15分。
プールの距離と、慣れない状態で水中を歩くスピードを考えると、もう動き出さないと誰もゴールできない。全員が、ペナルティを喰らうことになる。
同じように、電光掲示板に目をやっていたノノカと視線を交わす。
ノノカは無言で頷いた。
ゆっくりとだが、俺達は前進を始める。
俺達の行動に気がついた法馬も、電光掲示板に視線を向ける。
自体を理解した法馬も、仕方なしに歩みを始めた。
引っ張られるユキエも、ぶつくさ文句を垂らしながら、法馬に歩調を合わせていた。
冷たい水を裂いて、俺達は前進を続ける。
このままゴールを――するつもりはない。
このままゴールした場合。
俺のペナルティはチャラになるが、風紀委員という立場でありながら、不正行為をしたノノカは退学になる。
俺が負けた場合、当然俺のペナルティは残され、どのようなマイナスを背負わせされるかわからないが、退学は免れられないだろう。
どちらにせよ。
俺達は、目的を失うことになる。
だが、それではおかしい。
俺達が勝っても負けても、ノノカにだけが不満が残る。
この図式は、なにか妙だ。
それでは、ノノカに一切の利益がない。
俺達がゴールすることにより、ノノカにも何かしら利益があるはずなのだ。
「ノノカ、お前が勝利した場合、お前が得るものは何だ?」
俺は顔だけを向けて、ノノカの瞳を見つめた。
丸い瞳を少し細め、浅く含み笑いをするだけで、ノノカは口をつぐんだ。
もとより、会話ツールがないために、この場でノノカがしゃべることは困難だ。
だが、あの含み笑いを見せたということは、何かしら糸があることは確かのようだ。
手と足を結ばれた俺達は、水の浮力と闘いながら、なんとか転けないように前進する。
体の芯まで冷やす水は、俺達の歩調を更に狭める。
進む距離は永遠に思え、この状態で泳ごうなど狂気の沙汰としか思えない。
そんな俺達の背後に、バチャバチャと激しい水音が迫ってきた。
まさか、泳いで来ているのかと驚き振り向くが、なんのことはない。
鬼の形相で、ユキエが無理やり前進をしているだけだった。
引き回されている法馬は、足を取られバランスを崩している。
それに釣られて、ユキエも派手に転んだ。
それでもユキエはお構いなしに、立ち上がり前進する。
あまりの事態に身を引く俺の手を、ユキエはガッチリと掴んできた。
「考えついたわ!」
「な、何をだよ」
「ノノカちゃんに、ゴールしてもらえばいいのよ!」
「はぁ?」
「ノノカちゃん一人に、ゴールしてもらえば、カズキには思い知られられるし、法馬くんが風紀委員会を辞めるなんてことにはまずならない。それに、生徒会にカズキが入るような事態も起こることはないわ!」
考え過ぎでイカレタか。それとも、潜りすぎて酸欠になったか。
目をグルグルと回したユキエが、暴走気味に捲し立てる。
だが、その方法は間違ってはいない。
俺だけが、犠牲になる方法としては最高だ。
「ノノカちゃん、そのバンドを外すのよ! そして、ゴールしちゃって!」
人前では見せない(はずの)暴走状態のユキエが、そこにはいた。
怯え、引きつった表情を浮かべるノノカ。
初めてのノノカの部屋に侵入した時と、同じ状態だ。
そりゃあ、誰だって怯えるよ。
ノノカが、バンドで結ばれた腕を水面に隠した。
だが、その動きは、ユキエには俺がやったように見えたらしい。
「カズキ! ノノカちゃんを渡しなさい!」
まるで一反木綿のようにのびてペラペラになった法馬をそのままに、ユキエは俺達の方へと飛び込んできた。
水中に引きずり込まれ、俺達四人は揉みくちゃになった。
くっそ、伸し掛かってくるユキエの体が重い。
俺の顔に胸を押し付け、強引に水中へと沈めてくる。
こいつ、恥じらいとかねぇのかよ。
ぐるぐる目玉のユキエの手が、俺達のバンドへと伸びる。
ユキエの体が邪魔で、俺の手が反対まで届かない。
ユキエの手だけは、確実にバンドへと伸びていく。
クソッ、外される!
――と、思った時、別の手がユキエの手を払いのけた。
そして、その手はそのままユキエの頬を水中でパチンと、弱々しく叩いた。
水の中で、泣きそうな怒りの表情を向けるノノカだった。
「――ブハッ!」
俺達は、一斉に水面に顔を上げた。
ノノカと、俺のバンドは死守された。
水から顔を上げたユキエは、ノノカに叩かれた頬に手を当てていた。
さすがにショックだったのか、唖然と俺達を見つめている。
露骨な拒絶反応だ。無理もない。
――んが。
「エヘヘッ~ノノカちゃんに触られちゃったぁ~」
ものすごく嬉しそうな表情で、叩かれた頬を撫で回し始めた。
ヤバイ……もう、手の施しようのない所まで来ている……。
「お、落ち着け! こんな大勢の前でそんな表情をすんな! ヤバイってお前!」
「何よ! 私のノノカちゃんへの思いは本物よ! ちょっと触れるぐらいいいじゃない! 触れる? ハッ! そうよ、私、スーツ姿のノノカちゃんを揺すってるじゃない! すごい、ヤバイじゃない! きゃやあァァァああああああ!」
妙なテンションに拍車がかかり、ユキエの顔が真っ赤になった。
恐ろしく血行が良くなり、水に入った時青く震えていた体が、ほんのりとしたピンク色に染まっている。
どうなってんだ、こいつの体は。
暴走するユキエの姿に茫然と固まっているのは、法馬の方だった。
「何が……どうなっているんだ……」
ズレた法馬のメガネから、ポタポタと水滴が垂れている。
今の状況を一番飲み込めていないのは、どうやら法馬のようだ。
なんとなく、可哀想になり俺は法馬の方に手をおいた。
「まあ、なんだ。ユキエはな、女子トイレの前で青いツナギを着て待ち構えるような、変態なんだよ」
「君は何を言っているんだ? 意味がさっぱりだぞ」
「わかんねぇか。そうだなぁ、全く存在感のない主人公だとか、お姉様とか、妹制だとか、そう言ったなぁ。わからねぇ?」
「……君は一体、何を言っているだ」
う~む、法馬とは予想以上に共有できていないようだな。
暗喩じゃあ、無理か。
俺は法馬にだけ聞こえるよう、非常に小さく耳打ちをした。
「あいつのパートナーは、男じゃないんだよ」
「何を、バカな……」
遠い世界に行きかけているユキエを引き戻すように、法馬は正面に回りガッチリとユキエの肩を掴んだ。
メガネを外し、しっかりとその表情を裸眼で見つめている。
「一ノ瀬さん、僕たちはパートナーだよね!?」
現実に引き戻されたユキエが、ジッと法馬の顔を見つめ返した。
不可解極まりないといった様子でユキエは、眉間にしわを寄せた。
「そりゃあ、今回のゲームに限ってはそうでしょ。その後は、知らないわよ」
「それは、そう、なんだけど……」
硬い表情を浮かべる法馬に、ユキエは眉間にしわを寄せたまま首をひねる。
「あれ。法馬くんってこんな顔だっけ?」
「へっ?」
「ごめんね。私、興味のない男の顔って、みんな同じに見えるのよ」
素が出ているユキエは、屈託のない笑顔を見せた。
あっ、と思った時には遅かった。
法馬の手から、メガネが落ち、水中へと落下していった。
ユキエは、自体を把握できないといった表情で、法馬を見つめている。
その法馬の表情は、暗く歪んだものに見えた。
突然、法馬がユキエの腕を引っ張った。
さすがのユキエも、あまりに突然のことで、バランスを崩しかける。
ユキエが、怒りの表情を作るも法馬はそれを無視して、強引にゴールへ向かい始めた。
「ちょ、えっ、なに?」
「うるさい! もういい。お前ら、絶対後悔させてやる!!」
今まで聞いたことのないような怒声を上げて、法馬がユキエを強引に引きずり始めていた。
「なによ、これは。私は、ゴールしないって言ってるでしょ!」
「うるさい!」
ビクリとなり、ユキエの足が無理やり前進させられる。
身長差のあまりない法馬であっても、その高圧的な態度にユキエの表情が強張った。
それでも、ユキエは抵抗した。
嫌だって言ってるでしょ、と法馬を無理やり押しとどめ、互いに引き合いになっていた。
ヤバイな、法馬まで暴走し始めてやがる。
これじゃあ、作戦のタイミングがなくなっちまう……。
俺が、法馬たちに追いつこうと前進しかけた時、一瞬繋がれた腕が引き戻された。
顔を向けると、ノノカが不安げに眉を下げていた。
「な、なんだよ」
前を覗きこむ首を伸ばした後、ノノカは首を振った。
不安、不満がその表情に映しだされていた。
俺は、ひとつため息を付いて、ノノカを見つめる。
ノノカの濡れた前髪から一滴、水が落ちた。
「安心しろよ。俺には、ノノカのでも、法馬のでも、ましてやユキエのでもない、ちゃんとした考えがあるんだ。お前にばっか、心配事を背負わせてたまるかよ」
俺は、ノノカの腕をしっかりと掴んだ。
ノノカは俺の動きに驚いているようだった。そして、珍しく本当の笑顔を見せた。
「うっ! いやっ!」
直後、前方からユキエの叫び声と共に、激しい水柱が上がった。
バランスを崩した二人が、派手に転けたのだ。
今のうちに追いつけると思った。
だが――何処か、おかしい。
激しい水しぶきが収まっても、二人が浮かんでこない。
会場は、急な静けさに包まれた。
ただ、電光掲示板の表示だけが、刻一刻と動き続けていた……。




