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祭礼? それなら留守番をしよう!

 二人が起き出すと、やはり庄太の家族は居らず、庄太だけが昨日と同じ様に囲炉裏の傍に座って二人を待っていた。


「今日はお祭りだから」


 三人で質素な朝ごはんを終えると庄太が言った。


「山に行っちゃいけないんだっけ?」

「そう。だから今日はそれ以外を案内するよ」

「お祭りは見れないの?」

「子供は見ちゃいけないんだ」

「外にも行っちゃいけないんだっけ」

「ううん、外に行っちゃいけないのは今日の夜だけ。日が沈むまでは山に行かなきゃ後は大丈夫だよ」

「そうなんだ。じゃあ、何処に行くの?」

「あのね。とっておきの場所」


 三人が外に出ると、日の昇りかけた薄暗い朝だった。

 出た途端に身を切る様な風に晒され陽菜と月歩は身体を震わせた。

 息を吐くと、すぐさま凍って、朝日に照らされてきらりきらりと輝いた。

 頬に当たる空気は痛い程冷たく、二人の芯を冷やそうと体の中に入り込んでくる。

 昨日に比べると季節が変わった様に寒い。

 息を吸えば肺が居たくなる程の冷たさで、歩こうとすれば草履を履いた足がじんと傷んだ。

 二人は一歩も動けなかった。

 ところが二人にとっては凍える様な寒さも、庄太はまるで感じないらしく元気よく歩き出して、そうして後ろで震える二人に気が付いて取って返してきた。


「寒いの?」

「うん。なんで寒くないの?」

「分かんないけど」


 庄太は家の中に駆け込み取って来た暖房具を一式を二人に渡した。

 もこもことした衣服を羽織り、履き、被り、だるまの様に膨らんだ二人はようやく庄太の後に続く事が出来た。

 三人が歩いていると、昨日の十字路でまたも悪がき達を見た。

 幸い悪がき達はこちらに気が付かず、提灯を持って何処かへと去って行った。

 庄太のとっておきの場所に向かう途中、悪がき達の他にも村の子供達の姿がちらほら見えた。

 ある者は庄太達に気付かずに何処かへと消え、ある者は庄太の連れた二人を物珍しげに見ては二人に気が付かれると驚いて何処かへと消えた。

 庄太は何となく得意になって二人を連れて歩いた。

 まるで自分が二人の姫君から先導する栄誉を与えられた戦士の様で、鼻高々と胸を張って先頭を歩いた。

 二人は自分が守ると、普段の庄太には似合わぬ勇ましい決意を胸に、二人が安心出来る様に辺りに気を配っていた。

 一方で、二人に安心を与えているという庄太の思い込み虚しく、勇む庄太の後ろを歩く月歩は不思議な世界に不安を抱いていた。

 月歩の予想では元より異世界のはずだが、子供しかいない子供だけの世界になったのだと考えると、一層不気味な世界になった気がして、何か不吉な予感が鎌首をもたげて襲い掛かってくる様な気がした。

 目の前を歩く庄太も不気味に思えた。

 昨日に比べると些か歩幅が長く、踏み締める足も力強く、戻る事など知らない様に歩いている。

 もしも今、庄太が奈落へと歩んでいるのであれば、庄太に付いて行く自分達もまた死んでしまうに違いない。

 止めよう等と考えても、目の前で肩肘を張って歩く庄太は容易に止まりそうにない。

 考えてみれば朝なのにこんなにも暗い事だって不思議なのだ。

 朝といえば、小鳥が囀り爽やかで、下に降りれば両親に朝の挨拶を、外に出れば近所の人達に朝の挨拶をして、そうして陽菜と待ち合わせ場所で出会い、学校に行くなり、遊びに行くなりするものだ。

 少なくとも、真っ暗闇の中でお互いの顔も良く見えない人達と会話を交わし、薄闇の田園を歩くものではない。

 辺りに掛かる闇はまるで地獄を隠す霧の様で、目の前を歩く庄太はあの世への案内人の様だった。

 全てが悪い方へ進んでいる気がして、月歩は唯一確かな陽菜の手をぎゅっと握りしめた。

 すると隣から息を吐く音が聞こえ、見ると陽菜が笑顔をこちらに向けていた。


「寒いね」

「うん」

「あたしの上着貸そうか?」

「い、良いよ。来ているのは同じだから」

「あたしの方が寒さに強いから」


 月歩はぶんぶんと頭を振って、陽菜の申し出を拒絶した。

 これ以上陽菜に迷惑を掛けられない。

 改めて気を引き締めた月歩は、はっきりと前を向いて、庄太の後を追い続けた。


 庄太に付き従って小川を越え、林に入り、草を掻き分けて進んでいると、突然庄太の姿が消えた。

 驚いて、二人が辺りを見回していると、庄太が消えた辺りの草叢から突然、ぬっと人の手が現れ、こちらを手招いていた。

 月歩は何となく不安に感じて戸惑っていたが、陽菜が面白そうに近寄っていくので、仕方が無く後ろから付いて行った。

 草叢を掻き分けると、びっしりと生えた夥しい蔦の壁が現れた。

 手はその奥から手招いている。

 思い切って二人が中に入ると、そこは蔦に隠された天然の洞窟だった。

 洞窟といってもほんの小さなもので、三人が大人であったら天井は窮屈に感じただろうし、もしも三人が十人だったら洞窟からはみ出していただろう。

 庄太は蔦を開いて洞窟の奥まで見通せる様に灯りを取り、そして洞窟の奥を指差した。


「ほら、それ」


 指の先を追っていくと、洞窟の奥が光っていた。

 近寄ってみるとそこに氷の世界があった。

 洞窟の奥で光から身を隠す様に縮こまった雪が積もっていた。

 その頭上には今にも雪を突き刺さんと身構える氷柱が掛かっていた。

 月歩と陽菜が触ろうと手を伸ばすと、後ろから鋭い制止が入った。


「駄目!」


 驚いて手を止め、後ろを振り返ると、庄太は決まりが悪そうに呟いた。


「ごめん。でもそっとしておきたいんだ。僕もまだ一度も触った事が無いし」


 申し訳なさそうな庄太の視線を受けて、二人は雪から一歩離れると、またしげしげと氷の世界を眺めはじめた。

 雪は真っ白で結晶も大きく、確かに誰の手にも触れられていない様だった。

 土も何も混じっていない真正の雪で、それは洞窟の奥でひっそりと息づく白い花の様にも思え、触れれば枯れてしまいそうな脆さがあった。

 一方、その上に生える氷柱は柔らかそうな雪に比べれば遥かに硬質で、光を浴びてまるで宝石の様にその体を色めかせていた。

 大きく鋭く尖った氷柱は、ただの石であれば凶暴な恐怖でしかないのに、何故だろう、それが氷であるというだけで、それが幾多の光の粒で体を輝かせているというだけで、どうしてこんなにも綺麗でこんなにも神秘的なんだろう。

 すっかりと美しい氷の世界に見惚れていた月歩は気が付くと呟いていた。


「綺麗だね」


 それを聞いた庄太は嬉しくて飛び跳ねたくなる位に気を昂らせた。


「だろ? 村でもこの場所を知ってるのは俺だけなんだ! それは俺の宝物なんだ! ここに来るだけで悩みなんて無くなるし、ここに居れば周りの事なんて」


 庄太はそこまで言って、自分が興奮している事に気が付いて、そうして目の前で呆然と自分を見つめる二人の視線に気が付いて、一気に興奮が冷めた。

 今まで以上におどおどとした様子で、やや俯き加減に言い訳がましく声を落とした。


「その、だから、どうしても二人にここを見て欲しくて」


 何とかそこまで言って、庄太は口を閉ざしてしまった。

 一方、庄太の感情を見て取った月歩は、笑顔こそ浮かべなかったが、声を弾ませてさっきと同じ言葉を繰り返した。


「綺麗だね!」


 庄太はぱっと顔を輝かせ、月歩も嬉しい気分になった。

 陽菜もまた、目の前の氷の世界を美しく思った。

 特に上から生えた氷柱に目を奪われて、二人の綻んだ空気にも気付かない程だった。


「この氷柱、凄いね」

「うん、僕もそう思う」

「折れば槍に出来そうだね」


 陽菜の無骨な感想が、氷の代わりにその場の空気をぴしりと割った。

 月歩は呆れた様子で「陽菜」と呟きそれ以上何も言えなかったが、庄太は気を使って思っても無い事を口にした。


「そうだね。きっと凄い武器になるね」

「うん、もっとおっきいのがあればなぁ」

「それなら山にある冷凍貯蔵用の洞窟にならもっとおっきいのがあるよ。でも」

「ええ、良いなぁ。でも今日は山に行っちゃいけないんだよね」

「うん」


 でも向こうなんかよりこっちの方がずっと綺麗なんだ、という言葉を飲み込んで、庄太は悲しげに頷いた。

 そうして、もう何だかどうでも良くなって、洞窟の外に出た。

 外には既に月歩は呆れ尽くした様子で待っていて、悲しそうな顔をした庄太を見ると、腰に手を当てて憤った。


「私は綺麗だと思うからね!」

「え、あ、うん!」


 いきなりの言葉で驚いたが、すぐさま月歩に褒めてもらった事に気が付いて嬉しくなって、一瞬前の自棄になった気持ちも何処へやら、今が人生で一番幸せな時間なんじゃないかと一人心の中で小躍りし、如何に洞窟の中が美しく素晴らしいかを語り合おうと月歩を見ると、月歩は既に自分では無く、その後ろを見ていた。


「陽菜はもうちょっと美しい心を持たなくちゃ駄目だよ」

「えー、美しいよー」

「さっきの見て、綺麗だって思わない人の心は美しくありません」

「あたしだって綺麗だと思ったよ。ただあの氷柱がさぁ」


 言い合う二人に置いてきぼりにされて幾分肩を落としながらも、やっぱり月歩が自分の宝物を褒めてくれた事が嬉しくて、何やら駆け回りたい気持ちを抑えつつ、二人の可愛らしい口論を見守った。


 天然の冷凍庫から戻ってくると、既に日は沈みかかけていた。

 辺りに人影は無く、もはや子供の世界も消え去って、後は無人の世界がやって来る。

 闇の中で魑魅魍魎が蠢きだす様を幻視して、月歩は恐ろしい気持ちで家の中へと逃げ込んだ。


「祭りは明日の朝まで続くんだ。何してるのか分かんないけど、帰ってくるといっつも疲れてる」

「ふーん、それまであたし達は何かしてた方が良いの? お祈りとか」

「寝るだけだよ。子供がやる事はとにかく外に出ない事」

「そっか。じゃあ、もう寝よう」


 夕飯を食べ終わった二人は、陽菜の言葉で立ち上がった。

 庄太はもっと話をしていたかったが、陽菜達が寝たいのなら仕方が無い。

 子供の中には近所の家に集まって夜通し話し合って寝ない奴も居る。

 庄太はそういった集まりに誘われた事は無かったが、今回は陽菜達が居るので三人で話し合いでも出来ればと少しだけ期待をしていたのだが、陽菜達が寝たいのなら仕方が無い。

 陽菜達が客間に入ったのを確認して、庄太は火を消した。

 辺りが真っ暗になった家の中を、壁に手を這わせて器用に歩き、自室に入って寂しさを紛らわせる為に思いっきり布団を被って目を閉じた。


 子供が外にではいけない夜。

 何か分からぬ奇怪な祭り。

 得体の知れない不気味に対する高揚と不安が月歩を眠りから引き戻した。

 目を開けてみれば、窓と木戸の隙間から微かな光が漏れている。

 時計の無いこの家では漏れる光が日によるものか月によるものかは判別出来ない。

 外は一体どうなっているのだろう。

 朝がやって来て聖なる陽光が辺りの雑鬼を駆逐したか、あるいは夜の月明かりの中でおどろおどろしい不快な化け物が諸手を上げて徘徊しているか。

 もしかしたらこの家も危ないかもしれない。

 そんな不安を抱えつつ、月歩は布団の中からずり出して、木戸を押し開けて外を見てみた。

 ところが外は何て事の無い田園で、辺り一面が月明かりの中で白く浮かび上がる様は現実感乏しく、確かに神々しいけれど、月歩が想像したような魑魅魍魎の百鬼夜行は何処を見ても居なかった。

 安堵と仄かな失望を感じながら月歩が木戸を下げようとしたその時、何処からか声が聞こえてきた。

 不安そうな声、乱暴そうな声、宥める様な声、楽しそうな声。

 まさか妖怪の囁きかと月歩が窓から乗り出す勢いで外を見ると、丁度目の前を悪がき達が提灯を手に持って歩いていた。

 向かう先には山があり、会話を聞けば大人への反発心から禁忌を破りに行くらしい。

 月歩はどうしようか迷ったが、やがて意を決して、陽菜を起こさぬ様に気を付けながら音を立てぬ様に部屋から出て、そのまま暖房具を纏って外に飛び出し、悪がき達の後を追った。

 ようやく慣れてきた草履を何とか操り、それでも転びそうになりながらしばらく走ると、悪がき四人が田園の畦道を提灯頼りに歩く背に追いついた。

 悪がき達は後ろから追い縋る足音に恐れ戦いていた様で、月歩が口を開くまで、息を詰めて震えていた。


「行っちゃ駄目だよ」


 月歩の声は悪がき達にとっては覚えの無い声だったが、女の子の声だった事に勢いづいて、月歩の元へと近寄って来た。

 提灯の橙色の光がぼんやりと月歩の顔を映しだし、その妖しげな雰囲気に一瞬身を固まらせたが、それが村の外から来た余所者の片割れだと知ると、一番体格の良い奴が急に居丈高になって問い詰めてきた。


「何の用だよ」

「今日は子供は外に出ちゃ行けないんだよ」

「知ってるよ、そんな事」

「じゃあ、早く戻らなくちゃ駄目だよ」


 月歩の嘆願は聞き届けられず、悪がき達は鼻で笑って踵を返し、去り際の捨て台詞を吐き捨てた。


「そんなの信じて馬っ鹿じゃねぇの。怖いなら家で震えてろよ」


 悪がき達は思わぬ邪魔者に気を削がれたが、それで逆に勇気づけられ、先程とは打って変わった勇み足で月歩を置いて去ろうとしたが、そうはさせじと月歩が追い縋った。


「待って。駄目だよ。子供は外に出ちゃいけないんだよ」


 追いかけてくる月歩を見て、悪がき達は嘲笑ったが、一番体格の良い奴は走り寄る月歩に、走り寄る陽菜を見て、昨日の失態を思い出し何やら気に食わぬ気持ちが湧きあがって、溢れる勇気に体を任せて、上った血に怒りを任せて月歩を蹴り飛ばした。


「うるせぇんだよ。余所者は引っ込んでろ」


 拒絶の言葉も聞こえぬままに、月歩は押し出されて田んぼに落ち、強かに打ち付けた体の痛みに悶えながら、悪がき達が笑って山へと去るのを見送った。

 やがて痛みが引いていき、何とか立ち上がった月歩は、悪がき達への怒りもあったが、跋扈する妖怪共が悪がき達を一息に噛み付く様の方が遥かに恐ろしく、そして許せぬ気持ちになったので、とにかく説得しなければと、闇の中悪がき達の後を追った。

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