自覚
8月上旬の朝、お盆休み前の週末。通勤ラッシュの時間帯を避けて乗った電車内はほどほど空いていた。ドア付近の空席に座ってまもなく、通学とは反対方面の下り電車が動き出す。
冷房の効いた車内に一定のリズムで響く車輪の音と振動が誘う心地よい眠気を紛らわすため、車窓へ目を向けると、先日紅葉たちと行った花火大会の観覧席になっていた河川敷の広場が見えた。日差しと暑さもあってか、散歩や休憩中の人が数人居るだけで、すれ違うことも一苦労なほど大勢の人で溢れかえっていたのがまるで嘘のよう。
一分足らずで広場を通り過ぎた電車は数分後到着した次の駅に停車。乗客の乗り降りが終わり、電車は再び動き出す。各駅停車の電車は一駅ごと乗り降りが行われ、目的地の降車駅で終点前の最後の乗り降りが済み、ドアが閉まる。新幹線への乗り換えの案内など車掌の車内アナウンスが終わるのを見計らったように、突然、前に立っている人に小声で名前を呼ばれた。
「水樹」
「えっ? あっ――」
私に声をかけたのは、天海くんだった。
到着した駅ホームの階段を下り、改札へ向かって歩きながら訊ねると、彼は四つ前の駅で乗車したとのこと。時間にして、10分くらい。
「いつ気づくかと思ったけど、全然気づかないのな」
「眼鏡かけてるし。イメチェン?」
「サングラス。で? 買い物?」
「そ、買い物。天海くんは――⋯⋯」
天海くんの顔から視線を外し、彼の手元を見る。肩で担ぐようにして、少し大きめの黒色のバッグを持っていた。買い物ではなさそう、となると。
「バイト?」
「まあ、そんなとこだな」
「どんなとこ?」
「遊び半分ってこと。今日は、撮影のバイトじゃないんだ」
モデルの他にもバイト掛け持ちしてるんだ。
ICカードをタッチして、お互い改札を抜ける。大勢の人が行き交うステーションビル北口の出入り口付近で、同じデザインのジャージを着用した同世代くらいの男子が数人集まっていたのが目に止まった。彼らが着ているジャージの胸には、天海くんが乗車した駅をホームタウンに構える、プロサッカークラブチームのスポンサーネームとエンブレムの刺繍。
「プロのサッカー選手なのかな?」
「いや、高校生だ。知ってる顔が居る」
「そうなんだー」
挨拶へ行くのかと思いきや、天海くんは集団を素通りして、ステーションビルの北口の出口へと歩いていった。顔を知っているだけで面識はないのか、それとも何か顔を合わせ辛い事情があるのかもと思い直し、彼から数秒遅れて駅の外へ出た。一瞬、眩しさに目が眩む。外はビルが日陰になっていて直射日光は当たらないけど、連日猛暑日を記録し時には四十度に迫る厳しい真夏の日差しに熱せられた大気に若干の息苦しさを感じて足を止め、気持ち浅くなった呼吸を整えつつ、折りたたみ式の日傘が入っているトートバッグに手を伸ばす。
「買い物、どこ行くんだ?」
取り出した日傘を差しながら、質問に答える。
「映画館が入ってるショッピングセンター」
「あそこか。じゃあ行くか」
「バイトじゃないの?」
「同じ方向なんだよ」
花火大会の時と同じように、前を歩く天海くんの数歩後ろについて歩く。ショッピングセンターまでおおよそ5分ほどの道のり。友達同士、学校名と部活名がプリントされたお揃いのシャツを着ている集団だったり、人すれ違う人の多くは同年代。当たり前だけど、カップルも見かけた。人目もはばからず寄り添い合うカップルもいれば、焦れったい微妙な距離感で歩く初々しいカップルも。
――私たちは、どう見えるんだろう。
誤解は解けたし、悪意のある噂も聞かなくなったけど。また根も葉もない噂は流されたくないからもう少し距離を置こうかな。そんなことを考えながら歩いていると、ふと、花火大会の後の紅葉の言葉を思い出した。
「ごめんね、か――⋯⋯」
「何が?」
しまった、不用意に呟いた言葉を拾われてしまった。
前を歩いていた天海くんが立ち止まって、振り向いた。「う、ううん、なんでもないよ」日傘を持っていない右手を振りながら誤魔化そうとするも、声はうわずってるし、全然隠せてない。そんな私に、天海くんは少し意地悪く笑みを浮かべた。
「ま、そういうことにしとく。代わりに買い物付き合って」
断ってもよかったのだけれど。彼の買い物が紅葉の誕生日プレゼントと知って、私は頷いた。ショッピングセンター付近で連絡先を交換してから天海くんと別れる。私は明日のドラマ鑑賞会の買い物へ、彼はバイト先へ向かった。
ショッピングとお昼を済ませて、待ち合わせ時刻まで、ショッピングセンター併設のカフェチェーン店で過ごすことにした。
少し汗をかいたアイスミルクティーをくるくるとストローでかき回しながら、紅葉の誕生日プレゼントを考える。彼女と知り合って、もう三ヶ月。それとも、まだ三ヶ月。誕生日も知らなかった、何が好きなんだろう。お互い知らないことがまだたくさんある。
プレゼント候補をスマホでピックアップしていると、天海くんからメッセージが届いた。思いのほかバイトが長引いてるらしく、待ち合わせに間に合いそうにないことと、彼のバイト先のURLが添付されていた。彼のバイト先は、ここからステーションビルの通り道にあった。終わる時間に着くように、カフェを出る。
「あれ? まだやってる?」
天海くんのバイト先は、フットサルコート。
夏休みだからか、コートの利用客は男女とも同年代の人が多い。探すのは少し苦労しそう。ここでバイトしているのだからスタッフさんに訊ねてみようと、三面あるコートのセンターコートの出入り口前の通路を挟んだ向かい側にあるクラブハウスへ行こうとした時、長いホイッスルの音が響き渡った。周囲の人たちの拍手が聞こえる。どうやら、試合は終わったみたい。コートを見ると、探していたその人が、センターコートのピッチの中央の列の中で整列していた。
着替えと帰り仕度を済ませた天海くんが、クラブハウスから出てきた。
「悪い、待たせた」
「試合出てたんだね」
「結構割いいんだよ。ま、決勝まで残るとは思ってなかったけどな。さて、行くか」
彼のバイトは、フットサルチームの助っ人。部活が休みになるタイミングで参加しているそう。それで遊び半分、うん、納得。
フットサルコートから移動した私たちは、ステーションビル内のショップで紅葉の誕生日プレゼントを選ぶことにした。お互い予め目星をつけていたため思いのほか早く選び終え、来た時と別の上り線ホームに停車中のこの駅発の電車に乗車し、発車を待った。
「プレゼント喜んでくれるといいね」
「だといいけどな」
私は、いつもサイドテールに結んでいる髪をまとめるシュシュにした。天海くんは、何にを贈るのかな? プレゼントが何であっても、紅葉は――。
「絶対喜ぶよ」
「断言するんだな」
「ちゃんと覚えててくれるだけで嬉しいものなんだよ」
「そういうもんか」
「そういうものだよ」
ホーム向かいに停車した電車を降りた人たちの乗り替えを待って電車は定刻通り、駅を発車した。少し混雑している車内で他の乗客の迷惑にならないよう少し声を抑えて、私たちは会話を続けた。
「二人で出かけたりしないの?」
「なかなか時間が合わないんだ」
夏休みはほぼ毎日部活とアルバイトの予定が入っていて、学校以外で会える機会はあまりないそう。天海くんは部活動の邪魔をされるのを嫌う、と前に紅葉から聞いた。きっと、もっと一緒に居たいのだろうけど⋯⋯。
「そうだ、フットサルに誘ってあげたら? 紅葉もサッカーやってたんだよね?」
天海くんがプレーしていた隣のコートでは、男女混合チーム同士が試合をしていたからフットサルなら一緒にプレーできる。我ながらナイスアイデアと思ったけど、返事は思ったものとは違った。
「本人から聞いた?」
「え? うん、そうだけど?」
「⋯⋯そうか。なら、それもいいかもしれないな」
意味深な返事。
軽々しく触れちゃいけなかった、そんな気がして――。
必死に次の言葉を探しても答えは見つからない。
私の葛藤とは裏腹に、天海くんは声を殺して笑った。
「⋯⋯何?」
「お前、気にしすぎ。てか、知れてよかった」
「そうなの?」
「ああ。さて、俺、次だから」
立ち上がった天海くんは頭上の金網に載せたバッグを肩に担ぎ、目の前の吊革を掴む。車内にアナウンスが流れまもなく停車した。
「これ、助かった。じゃあな」
「うん、またね」
彼を見送った駅から三駅で最寄り駅に到着。荷物を持って電車を降りる。ホームの階段を下り、通路を改札へ向かって歩いていると、正面から今朝街の見かけたユースチームのジャージを着用した選手が数名固まって歩いてくる。すれ違い様スルリと落ちたタオルを拾って呼び止める。
「タオル落ちたよ」
「あ、どもっす⋯⋯」
「いいえ」
駅舎を出てすぐ、紅葉に電話をかける。数回のコールで繋がった。
『なに?』
「今日ね、街で天海くんに会ったの」
『そ。元気だった』
「うん。フットサルのバイトだったんだって」
『そうなんだ、たまにやってるっていった』
「それでね、今度一緒に行かない?」
『⋯⋯ま、まあ、部活じゃないし。別に行ってもいいけど』
とか言いつつ声が甘い。分かりやすいなぁ。
「じゃあ訊いておいてね」
『私がっ?』
「当たり前でしょ。彼女なんだからー」
受話口でちょっと慌てる紅葉が可愛い。
でも私は、紅葉の「ごめんね」も、天海くんの「そうか」も、一人花火を見つめていた如月くんが見せた儚げな横顔の理由も私には分からなかった。
一緒に花火を見上げた三人の蚊帳の外に居るようで、それを寂しく感じる私が居ることを、私は自覚したんだ――⋯⋯。




