ミルクティー
図書館からの帰り道。普段あまり通らない市立病院の前で如月くんと偶然出会した私は、図書館隣の公園の池の畔の二人がけのベンチに座って、オレンジ色に染まっていた空の空高く伸びる入道雲を境に東の空がスミレ色に変わり始めた夏の夕空を見上げている。セミが鳴くのを忘れてしまうほど暑かった大気は和らぎ、涼しさと熱さが混ざる夕風を受けてさらさらと涼しげに揺れる頭上の垂れ柳の葉の音に耳をすましながら、「ちょっと待ってて」と言って麓の橋を渡って行った如月くんが戻ってきたら、いったい何を話せばいいかずっと考えている。
病院の前で会った彼は駅前で別れた時と同じ制服を着て、スクールバッグを持っていた。自宅へ帰っていなかったからで、隠していたのは知られたくなかったからな訳で⋯⋯。もし、寄り道せずにまっすぐ自宅に帰っていれば。図書館を出たあといつもの帰り道を通っていれば――。
「はあ⋯⋯」
思わず、漏れるため息。このキレイな夕空も、この爽やかな夕風も、今は少し憎らしく感じてしまう自分が嫌になる。
「お待たせ」
考えがまとまらないうちに、如月くんが公園へやって来た。はす向かいに立った彼は少し体を屈めて、両手に持った蓋付きの紙コップを私に差し出した。
「どっちがいい? まあ、どっちも同じなんだけど。どうぞ」
「あ、ありがとう」
「冷たい方がよかった?」
「ううん。ちょっと冷えてきたから。水辺だからかな」
夕風に吹かれて揺れる水面が、夕日に照らされてキラキラと輝いている。「ならよかった」とほっとした感じで言った如月くんは紙コップを私に手渡し、あらかじめ空けておいた隣に腰を下ろした。
「あーあ、結局見つかっちゃったー」
「――っ!?」
受け取った紙コップを落としそうになった。気まずさ全開。さながらゼンマイ式のブリキ人形のようにぎこちなく首を動かして顔を向けた私に、如月くんは可笑しそうにクスクスと笑っている。
「やっぱり気にしてた」
「あ、当たり前だよっ」
「まあ、定期的な通院。経過観察ってやつ。気を遣わせたくなかったから黙ってただけ。けど⋯⋯ま、そうだな。秘密にしてくれると助かる」
「そう、だったんだ。うん、言わない」
「ありがとう」
視線を私から外し前を向いた如月くんは、紙コップをゆっくり口に運んだ。彼と同じように紙コップを口に運んだ私はひとくち飲んで、すぐに紙コップへ目線を落とす。紙コップに記されている店名は、橋を渡った先の土産物店と同じ店名。
「あれ? 苦手だった?」
「う、ううん。好き」
「ならよかった」
私は、手の中の紙コップをじっと見詰める。紙コップに注がれているのは、ミルクティー。だけど、ミルクティーはメニューの中になかった。何度も確認したから間違いない。思い出すには充分だった。
このベンチで出会った、あの人のことを――。
たまに飲む缶のミルクティーとも、紅葉と一緒に行ったカフェで飲んだミルクティーとも違う味。両手で持った紙コップを口に付けながら、さり気なく視線を隣に向ける。ベンチの端に紙コップを置いた彼は目を細めて、スミレ色の空に真っ直ぐ線を引く飛行機雲を見詰めている。涼しい夕風の吹かれ、初めて会った頃よりも少し伸びた前髪が微かに揺れる横顔――。
「――あの。あ、ちょっとごめん」
言いかけたところで、ポケットの中のスマホが振動した。図書館に寄っていくから遅くなるって連絡したけど、母からかも知れない。そう思って、スマホを見る。ロック画面には、チャットメッセージアプリの通知が表示されていた。ロックを解除して通知をタップ、アプリを立ち上げる。発信者は、紅葉。ほぼ同じタイミングで彼女からのグループチャットを受け取った如月くんが、メッセージを読み上げる。
「『月末空いてる? 花火大会いかない?』だってさ」
「隣町のだよね」
この辺りの地域で一番大きな花火大会。小さな頃、家族で行った覚えがある。県内外から多くの観客が訪れる毎年の恒例行事で、数千発の打ち上げ花火もさることながら、日本中の人たちが全員集まってるんじゃないかと思うくらいの人混みと、打ち上げ会場近くの河川敷100メートル以上に渡って軒を連ねる屋台の灯りが印象に残っている。
「二人で行けばいいのにねぇ。天海が珍しく付き合うって言ってるんだから」
学校じゃ仲良く話してけど。部活の邪魔したくないって言っていたからなのかな。
「何かと多忙だから、あいつ。時間大丈夫? 帰ろっか」
私は、頷いて答える。市立病院の前を通る近道を通って、歩道を照らす街灯と帰宅ラッシュで行き交う車のヘッドライトが明るく照らす、交通量の多い通りへ出た。赤信号の交差点で立ち止まり、送ってくれた如月くんにお礼を伝える。
「ここで大丈夫。ありがとう」
「こっちこそ。遅くまで付き合ってもらって」
「花火どうする?」
「まあ、今のところ予定ないし。お節介でも焼きますかね」
「じゃあ、私もそうしようかな」
お互い小さく笑い合う。歩行者用の信号が青に替わった。
「また明日」
「気をつけて」
横断歩道を渡りきったところで振り返ると、如月くんは電話をしていた。ややうつむき加減で話していた彼は私に気づき、軽く手を挙げて微笑んだ。私も腰の高さくらいで手を振って応える。点滅していた青信号が赤信号に替わり、停止線の手前で止まっていた車が動き出す。道路を挟んで立つ私たちの間を遮る車列の波が途切れた時にはもう、彼の背中は遠くなっていた。
――結局、聞きそびれちゃったな。また、今度にしよう。
そんなことを想いながら、校外学習で一緒に観たプラネタリウムのプロローグのように、東に月が昇り始めた夜空の下を少し家路を急いだ。




