第一章 掃除ロボは容赦がないし、人生はそれ以上に容赦がない
恒星間航路の要衝《アコウ・リング》の朝は、人工太陽がやる気のない光を撒き散らすところから始まる。
眠気を誘う色味で、誰がどう見ても”晴れ”というより”電圧不足”だ。
そんな光を浴びながら、僕はいつものように廊下で掃除ロボと格闘していた。
「おい、ストップって言ってんだろ」
掃除ロボは返事の代わりに僕の靴の甲を吸い込もうとした。
こいつは人の言うことを聞く気がない。
掃除に関してだけは完璧だが、それ以外の優先順位が無法地帯なのだ。
まるで昔の自分を見ているようで嫌になる。
今こうしてメンテンナンスまがいの仕事をしているのは、
かつて“技術局”でやらかした事件のせいだ。
いや、“事件”と呼べるほどのものじゃなく、端的に言うと、僕が機械の動作ログを年単位で読み違えて、局内の高性能ロボットを全部“昼寝モード”にしてしまっただけだ。
人類の技術が進むほど、昼寝するロボットが増えるなんて誰が予想しただろう。
上司は呆れ、僕は肩をすくめ、現場に妙な静寂が生まれた。
あの瞬間、「適材適所」という言葉が、実は“適度に逃がす場所も必要”という意味なのだと悟った気がした。
だから僕は、このリングの下働きみたいな仕事に落ち着いた。
逃げ場所というには騒がしすぎるが、悪くない。
「はいはい、吸い込み口閉じるよ。そこ靴じゃない」
掃除ロボにしぶしぶ従わせ、オイルの染みた雑巾で手を拭いた瞬間だった。
リング全体に警報が鳴り響いた。
これは火災でも空気漏れでもない。“もっと面倒くさいほう”の警報だ。
《緊急速報。アコウ・リング総督ナガノリ失脚の報。中央庁、緊急監査体制へ移行》
そのアナウンスの声は、少しだけ震えていた。
機械なのに、怯えているように聞こえたのが印象的だった。
僕は苦い息を吐いた。
「……マジかよ」
近くにいた整備員たちは、口々に「はあ?」と声を漏らした。
ナガノリ総督と言えば、誰に対しても丁寧で、怒ったところを見たことがない人物だ。
あの人が権力争いの渦に巻き込まれた? どの角度から見ても似合わない。
「ユウマ、聞いたかよ……総督が……」
「うん。まあ、なんか……嫌な予感はあった」
「なあ、お前覚えてるか? 前にリングの電力不足で揉めた時、総督だけだったんだぞ。“まず住民の照明を優先しろ”って言ったの」
「覚えてるよ。あの人、偉いくせに人の気持ちが分かるんだよな」
「……だから、消されたんだろうな」
その言葉に、胸の奥がざらついた。
ナガノリ総督は、僕がこのリングで初めて「居てくれてよかった」と思った大人だった。
技術局から追い出された僕に、彼はただ一言だけ言ったのだ。
“いた場所が違っただけだよ。居心地のいいところに来るといい”
その言葉は、いまも僕の背中に手を添えている。
だから、失脚の報せを聞いた瞬間、
自分でも驚くほど頭に血が上った。
この人がいなくなる世界なんて、考えたくない。
そんな風に、無駄に憤ってた僕の心をと共鳴したのか、携帯端末が震えた。
画面には“オーボシ・モトイ”とある。
総督直属警備隊の元隊長で、筋金入りの堅物だ。
ただし、堅物すぎて会話が苦行のときがある。
「……ユウマか。至急、管制塔裏の会議室まで来い」
開口一番それだけ言うと、オーボシは通信を切った。
この呼び出し方、絶対に厄介ごとの予感しかしない。
掃除ロボの腹を閉じ、僕はため息をついて歩き出した。
人工太陽は相変わらず眩しく、通路の金属床に細い影を落としている。
まるで、これから起きることを先に知っているみたいだった。
会議室に入ると、空気が重かった。
湿気ではなく、人の気配が重いのだ。
リング幹部たちが息を潜め、中央庁の監査部隊が外の廊下をうろついていた。
そして、部屋の中央に立っていたのがオーボシだった。
相変わらず“無表情の彫刻”みたいな顔をしている。
目元の影は深く、肩に乗った忠義の重さが、そのまま形になったような男だ。
「来たか、ユウマ」
「オーボシさん……総督、本当に……?」
オーボシは短く頷いた。
その動きだけで、喉の奥がきゅっと痛くなった。
「中央庁が殿を拘束し、罪を捏造した。リングを掌握するつもりだ」
オーボシによれば、中央庁の役人たちは以前からアコウ・リングの利権を狙っていたらしい。
総督がそれを拒否したため、逆に“予算不正の疑い”をでっち上げられ、連行されたという。
「なら、弁護すればいいんじゃ……」
「その前に、我らが兵を揃えねばならん」
兵?
そこでオーボシは言った。
「アコウ四十七部隊を再招集する」
ああ、出た。
隊の名前は強そうだが、問題が一つある。
「……彼ら、全員冷凍睡眠中ですよね?」
「そうだ。しかも銀河全域に散らばっている」
さも当然みたいな顔で言うが、状況はかなり絶望的である。
僕が黙っていると、オーボシはさらに続けた。
「そこで、お前に彼らの回収を頼みたい」
「なんで僕なんです?」
「顔が、嫌われにくい」
またそれだ。
僕の顔は宇宙基準で“警戒心を抱かれにくい”らしい。
便利なのか損なのか分からない。
「ほんとうにそれだけで?」
「……お前は以前、俺の命令を無視して民間人を優先した。あのとき、お前は正しかった──今回も、お前の判断を信じる」
オーボシの声には、珍しく温度があった。
それは褒められているのか、慰められているのか分からないけど、悪い気はしなかった。
「お前だからだ、ユウマ。四十七人の“眠り人”を回収できるのは」
オーボシの声は固い。
鉄みたいに硬いのに、どこか焦燥が滲んでいた。
(ああ、この人も必死なんだ──)
その必死さが僕の胸にぶつかってきて、気づけば頷いていた。
「……分かりました。行きますよ、オーボシさん」
オーボシはほんのわずかに息を吐き、
その肩が僅かに下がった。
「恩に着る」
オーボシは珍しく頭を下げた。
その姿を見て、僕の背中には、もう一つ別の感情が芽生えていた。
ああ、これ、多分戻れないやつだ。
僕は今日も荷物がまとまらない
部屋に戻り、最低限の荷物をリュックに放り込む。
放り込むたびに、過去の仕事の失敗が脳裏にちらつく。
(もし今回も、僕が何か間違えたら……)
自分でも笑えてしまう。
“間違える前提”で考えるあたり、成長していない。
でも、それでも。
総督を守れる可能性があるなら、動くしかない。
寝台の上に置いていた小さな工具箱が目に入る。
技術局を追い出される時、唯一持ち出したものだ。
僕はそれをリュックに押し込み、
小さくつぶやいた。
「……行ってくる」
誰に言ったのか分からない。
ただ、言わずにいられなかった。
格納庫で待っていたオーボシは、荷物の少なさを一瞥して言った。
「随分身軽だな」
「重い荷物を持つと、すぐ腰痛めるんです」
「そうか」
オーボシは真顔で頷いた。冗談が通じているのかいないのか分からない。
けれど、その真面目すぎる反応が、逆に落ち着きをくれた。
ハッチが開き、船内の空気が流れ込む。
金属と油の匂いに混じって、少しだけ緊張の匂いがする。
「ユウマ。ここからが、お前の役目だ」
「はい」
答えた瞬間、自分が誰かに期待されていることを、久しぶりに実感した。
それが少しだけ誇らしくて、怖かった。
船はゆっくりと浮上し、アコウ・リングの外へ滲むように滑り出した。
人工太陽の光が遠ざかるにつれ、胸の奥で何かが──静かに、確かに、燃え始めた。
12月14日までに完結しないだろうな……。




