第二章 水のない星で悟れと言われ、結果的に心だけ潤った気がする
ミズナギに近づくと、船内モニターが茶色いモザイクのような地表を映し出した。
乾燥しすぎて、もはや"風景"というより"焼きすぎたクッキー"に見える。
船を着陸させると、薄い風が吹き抜ける音がした。
湿度ゼロの星が吐くため息みたいな音だ。
その風の中で、一人の少女が両手を胸の前に揃えて立っていた。
彼女の衣は柔らかく揺れていて、この星の乾いた感じとは違うやさしさをまとっていた。
「ようこそ、巡礼者さま。水の導きがあなたをここへ……」
「どうも、仕事の人です」
そう言った瞬間、少女の顔が"予想外の言葉を渡された子犬"みたいに固まった。
少しの沈黙のあと、慣れない状況を理解しようとするように、眉が困った形に動いた。
「……し、仕事……。あ、あの、それでも水の恵みがあらんことを」
無理やり帳尻を合わせた感じがおかしくて、思わず笑ってしまいそうになった。
少女に案内されて中央殿へ向かう道。
両脇には石碑がずらりと並んでいた。
“水は心に宿る”
“乾きを恐れるな”
“飲水過多に注意”
最後のだけ、妙に保健室の掲示物っぽい。
「ミズナギは、水を失った星なんです」
少女は歩きながら言葉を漏らした。
砂の上を歩く音が、まるで古い記憶を踏みしめているみたいだった。
「ミナモさんは、水があった頃のことを知ってるの?」
「いえ、私が生まれる百年も前に……。でも、祖母の祖母が語り継いだ話は知っています。湖の色は"宝石より美しかった"って」
少女の目に、見たことのない水の色が映っているように見えた。
「見たことなくても“水の教え”を信じてるんだね」
「はい。あるものしか信じないより、"なくなってしまったものを忘れない"ほうが強いって……教主さまの言葉ですけど」
少女はどこか誇らしげだった。
乾燥した空気の星なのに、彼女だけ少し湿度を持っているように思えた。
石造りの中央殿は、砂の中に沈むように建っていた。
中へ入ると、湿度はやっぱりゼロだが、空気にだけ重さがある。
信仰の重さだ。
「教主さま、巡礼……じゃなくて、お仕事の方をお連れしました」
少女の声に応えるように、奥から長い杖をついた老人が現れた。
白髪に鋭い目。
典型的な“宗教の偉い人”の顔立ちだが、杖をついた歩き方がちょっと犬みたいにせわしない。
「おお……来たか。そなた、例の”聖なる眠り人”を求める者であろう」
「えっと……冷凍ポッドの回収に来ただけで──」
「そう、聖なる眠り人! 水の象徴!」
少女が小声で「違います」と言ったが、教主は聞こえていないふりをしたのか、本当に聞こえていないのか判断が難しい。
「だが返すには儀式が必要だ。三十時間の断水と、宇宙服での座禅だ」
「三十……!?」
「大丈夫だ、倒れた者はほとんどいない。まあ時々……多少……」
少女が横から慌てて遮った。
「大丈夫です! 倒れても医療班がちゃんと診ますから!」
「倒れること自体が尊いのだがな……」
教主はぽつりと呟いた。
やっぱりこの人、悪気は全くないけれどどこかずれている。
宇宙服での座禅は、単純に言ってつらかった。
五時間目までは意外と平気だったが、八時間目には喉が砂漠になり、十五時間目には砂漠の中にさらに砂漠ができた。
地面に座るたびに、ザラザラした砂がスーツの外側で音を立てる。
その音が、まるで世界中の水が消えていく音に思えてくる。
遠くで少女の声がした。
「無理しないでください……!」
その声だけで、ちょっと喉が潤った気がした。
気のせいなんだけど。
二十時間目あたりで、ふと思った。
(水がないから、水を大切にする。……ナガノリ総督も、そういう人だったな)
いないからこそ、忘れない。
失ったからこそ、取り戻す。
……これって、悟りなのか?
それとも、ただの渇きからくる妄想なのか?
二十五時間目、意識がふらふらと泳ぎはじめた。
判断がつかないまま、三十時間目、僕は見事に倒れた。
悟りは得られなかったが、“水のありがたさ”だけは身に染みた。
気がつくと、中央殿の寝台で横になっていた。
教主が傍らで僕の顔を覗きこんでいる。
「おお……よくやり遂げたな。倒れるほど身を投げる者こそ、尊い」
「いや、ただの脱水で……」
「倒れ方が見事だった」
褒め方が独特すぎる。
少女が水を差し出してくれた。
「お疲れさまです……」
僕はその水を大事に一口飲んだ。
五感すべてが、生き返る。
教主が腕を組む。
「よかろう。そなたの真心、確かに見た。眠り人のポッドを返す許しを与える」
「本当に……いいんですか?」
「うむ。そなたのように“外れた道を歩む者”には、わしは甘い」
「甘い理由が雑じゃないですか?」
少女が笑いをこらえているのが見えた。
船へ戻る途中、少女が走って追いついてきた。
「ユウマさん!」
振り返ると、息を切らしながら、小さな皮袋を差し出してきた。
開けると少量の水だった。
この星では宝石より価値がある。
「これ……少しだけですけど。旅の加護になりますように」
「ありがとう、ミナモさん。……君の星、本当に大変だね」
少女は小さく頷く。
でも、次の瞬間ふっと笑った。
「はい。でも、“水は心にも流れる”って、私は好きなんです。本当に、そう思ってます」
その言葉は、教主のものよりずっと悟っていた。
「また来てもいい?」
少女の目がぱっと明るくなった。
「もちろんです! 水の導きがあれば!」
(導きというより、航路データなんだけど……まあいい)
船のハッチを閉めた後、僕はさっきもらった水の袋を見つめた。
(……こういう優しさをもらうと、後には引けなくなるんだよな)
僕にはもともと“誰かの期待を断ち切れない質”がある。
良く言えば情に厚い。
悪く言えば、優柔不断。
でも……弱さが人を救うことだってある。
総督がそう教えてくれた。
エンジンをかけながら、ポッドのネームプレートにそっと触れた。
《スオウ・カゲロウ:重戦士》
冷たい金属の感触が、託された命の重さを思い出させる。
「よし、次行くか。AI外交官のステーションだってさ。……嫌な予感しかしない」
それでも船は静かに進み始めた。
遠ざかるミズナギの地表は、
乾いているのに、なぜか僕の心に湿度を残していった。




