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そしてまた月は満ちる  作者: 春日野霞
十二 讃歌
82/89

思い描いて

2021.03.23 投稿

 ハマと青颯は話し合いの末、命運を握る地底の母の元へ行くことにした。ハマは頭に思い浮かべることができれば、その場所まで瞬間的に移動できるようだった。人を伴うことも可能なのかとひやひやしたが、無事に地底の母の元に飛ぶことが叶う。

「ひどいね……」

 青颯はそれだけ言って、閉口する。

「前より、弱くなっている」

 枝の黒が濃くなって見えるのは、西日のせいばかりではないだろう。長く風にしなる枝のせいで、女神の姿さえ見えなくなっていた。

「本当に、地底の母はここにいるの?沖を感じない」

「いる。神であることを忘れている、のだって」

「誰かに聞いたの」

「……至っていう、人たち」

「どんな人なの」

「地底の母の、お世話をしていた、と言っていた。だから、母神がちゃんとするようにって、私に、力を貸してほしいって言ってきた……けど」

 俯く彼女に「うまくいかなかったわけね」と言うと、小さく頷く。

「この黒いのは死にきれない生でしょ」

「……分かるのね」

「これを取り除けば、母神は復活するの」

「取り除けない。地底の母にしかできない……多分、神ってことを思い出してもらうのが、いいんだと思う……」

「簡単なようで、難しい。もし本当にそうだとしたら」

「でも、自信ない」

「試しに、呼びかけてみたらどう」

 ハマはおずおずと「あの……また、来たんですけど」と化物のような大木を見上げる。

「そんなんで聞こえるの?」と青颯が問おうとしたとき、娘の声が響く。

「……なにをしにきたの」

「あの……世界を、元に戻して、欲しいんです」

 地底の母は、答えない。

 待っている間に、下弦を越えた月が昇る。

「また何か言った方がいいんじゃないの」

「あの……」

「帰って」

 女神のものとは思われぬほど、弱々しい声だった。

「でも、あの……大変なんです」

「わたしは、知らない」

「このままじゃ、あの、駄目なんです。人にとって……」

「構わない」 

「神様がどうにかしてくれないと、困るんだ」

見かねて青颯が口を挟む。

「でも私、元のようにしたくない」

「なんで。神様の都合でこのままにされてちゃたまんないよ」

「……苦しい」

「は?」

「……ごめんなさい」

「でたよ。悪いと思うんならどうにかしたら」

 ハマが首を横に振った。

「今、とても、弱っているの」

「神なのに?……そっか、神ってことを忘れてんのか」

 彼女は頷き、再び地底の母を見上げる。

「元に戻したくないのは……苦しいから、なんですか」

「……そう」

 娘の声には涙が混ざっている。

「このまま元に戻したら、わたしはまた、地下。独りで、苦しい。人は化物が嫌いなのに……なんでもわたしのところに棄てていく」

 彼女の悲痛に、ハマの胸が痛む。

 まるで自分の言葉を聞いているかのようだった。

「それならもう……人が生きもしない、死にもしない、この世界のままでいい」

 太陽が沈み、月がぼうっと光り出す。

 木がぎちぎちと音をたてる。見れば、枝がゆっくりと太っている。先端が薄闇をきりきりと這い、ハマは腕をさする。肌の奥まで亀裂の走るあの痛みを思い出して、たまらず木から逃げた。

 察した青颯は黙って追いかける。沈んだ太陽を求めるように走って、巨木の姿が見えなくなってやっと、彼女は安堵し立ち止まった。

「……ごめんなさい。あまり、分からない内に、逃げてしまった」

「あんなの、無理して耐えるものでもないよ。それに、何も分かんなかったわけじゃない」

 二人はそのまま、西へと歩く。

「前の世界では、ハマみたいな苦しみを背負っていたんだね。恩恵のために独り犠牲になるような」

「……多分、きっと、そう」

 頷いた時、彼女は至たちの言を思い出す。

「地底の母は、存在するだけで世界の形や、流れをつくって、水や季節を与えてくれている。でも、母神が頑張ってやってるんじゃなくて……いるだけで、世界がそうなる。けど、今の地底の母は、自分が神ということを、忘れているから……駄目なの」

 すらすらと言うことができたのは、聞いた後に繰り返したからだ。ハマはほっと息を吐いた。

「世界の形、っていうのは、人が上にいて、女神が一番下にいる、とかそういうこと?あと、水の流れってことは地形のことも意味してるのか」

「……多分」

「じゃあやっぱり、神であることを思い出してもらわないといけないんだろうけど……そういや、神様って呼びかけたら、地底の母の事情を話したね」

 ハマは会話を思い起こし、「そういえば」と頷く。

「単純に、いっぱい人集めて、皆で神様って言えばいいのかな」

「……私だったら、怖くて逃げちゃう」

「そうか」

 青颯は腕を組んで立ち止まる。

「それに、そもそも地底の母の持つ力に、自分でうんざりしちゃってるってことだったもんね」

「……どういうこと」

「女神が一番下にいて、死にきれない生を溜めてしまう。見たところ、それに苦しめられていそうだ。人は化物が嫌い、という話はよく分からないけど、母神に向かって人が死にきれない生を棄ててるっていうのは、想像できる……蠱術がそのままそうであるわけだし」

 ハマは何度か頷いた。

「いるだけで力が振るわれるのだから、母神にはいい具合になるよう工夫をすることすらできないんだろう。だから拒否することしかできない」

「……どうして、分かるの」

「まあ推測だけどさ」

「そうだと、しても」

 彼女は僅かに目を見開いて、心臓をおさえていた。

「今まで散々やってきたことじゃないか」

「うん……。でも、なんか、違う……」

 彼女が目を伏せている間、青颯は何も言わずに待つ。

「……今までは、私も知りたいことじゃなかったけど……今は、私が知りたいことで、でも自分じゃ分からないことだから」

「……なんでもいいけど、元の世界に戻すのが嫌なんだっていうのなら、全く同じように戻さなくてもいいってことに気づいてもらわないといけない」

 但し、と言葉を切る。

「この仕組みに落ち着いたのは、一番都合が良いからだとは思う。問題なのは、誰にとって、ということだ。現状女神が苦痛を強いられていて、その原因として人を挙げていたことから、人間にとって都合が良いってことなんだろう。だから、考えなきゃいけないのは、それをどうやって変えるかってことだ」

 月光に炙り出され、死者の列がちょろちょろ見え始める。どれだけ歩いても、それは近づくことも、遠ざかることもない。

「……分かったけど、分からない」

「調べるものがないのが、もどかしいな」

 ハマは、本の山に埋もれた彼を思い出す。

「なんか知ってる人、いないかな」

「人が、いるの」

 気づけば、生きた者を彼の他見ていない。

「うん。生者は皆ふらふら歩いている。でも、太陽が沈むと見えなくなってしまうんだ」

 彼はちらりと月を振り返る。

「このまま歩いて、最初に会った人に聞いてみよう。期待はできないけど、このままでいるよりずっといい」

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