竜宮*一
2020.12.26 投稿。今後大きく変更する可能性有
2020.12.28 改稿。(内容を一部変更。主に最後の千字)
みちはその日も部屋にいた。
灯りもともさず、襖も障子も全て閉ざし、仄暗い寝台に身を沈めている。煌びやかな部屋の調度も、鼻腔を抜ける花の匂いも、不快だった。竜宮の、何が美しいというのだろう。やたらに飾り立てて神経を逆撫でされる思いだった。
「姫様」
その呼び名も、同様だ。
「本日も、気分が優れないのですか」
めめの声。
返事など、したくない。みちは布団を被る。
「……お言葉ですが」
襖は、静かに開いた。しかし、足音には隠しきれない怒気が忍んでいる。
布団の隙間から彼女を睨み上げる。廊下に面した障子の光を背景に、背筋を伸ばした正座の姿。
「余りに礼を失しております。婚礼の日を先延ばすなど。主様の慈悲深さに、いつまでもたれかかるおつもりですか」
「めめ、良い」
彼女はすぐさま、障子の向こうの影に跪く。
「心が休まらぬのに、婚礼などやるものではない。そう急くこともないだろう」
「しかし、私とて黙ってはいられません。日がな一日部屋に引きこもり、貴方様にご挨拶もない」
「構わぬ。私はそのようなことよりも、娘の暗い顔を見る方が辛く悲しい」
「それなら!」
布団から顔を出す。
「ここから出して!」
「まだそれをおっしゃいますか!」
「めめ、下がれ」
静かな声に、彼女はすごすごと引き下がった。
「みち、と言ったな」
障子の向こうの影は、宮殿にふさわしく、綺麗に飾り立てているように見えた。
「おぬしは何を、おそれておるのだ」
見抜かれているような不快感が、内臓で蠢く。
「不安は退屈を餌に太るものだ。閉じこもっておっては、おぬしのためにもならぬよ」
穏やかな声だった。
「ここは、美しい所だ。婚礼などは先でも良いから、私が案内してしんぜよう」
「晴瀬に会いたいの!」
「ここにはいない」
「そんなの……知ってる!」
みちは、布団を跳ね除け影に叫んだ。
「晴瀬のところに帰してって、言ってるの!」
主の首が、横に振られる。
「どうして……どうして!」
「決まってしまったことは、変えられぬ」
「何が、決まったというの」
「おぬしがここに来ること。そして我が妻となること」
みちは顔を覆う。
そんな、気味の悪いことができるか。
「……嫌よ」
「そうであっても、だ……。私が無力でなければ、おぬしを帰してやることもできようが……」
「あなたは神なのに、どうしてできないの!」
しばしの沈黙の後、主は「すまない」と短く言った。
「謝られたって、しょうがないわ……」
薄闇に広がる、乙女の泣き声。闇の色は雨の日のように青くなり、床や壁が湿り気を帯びる。じっとり沈み込んだ部屋の気配に、障子に映る影の輪郭さえぼやける。
「それほどまでに、会いたいのだな」
主は独り言のように零す。
「かの男の姿を見せてやることだけは、できる」
すすり泣く声が、止む。
「晴瀬に会えるの」
「会えはしない。姿を見せてやれるだけだ」
みちは寝台を跳び降り、障子を開けた。
「見せて」
初めて見た竜宮の主の顔は、直感にたがわず恐ろしい顔をしていた。
それが魚や蛇だった方が、むしろ良かったかもしれない。白皙の面は、余りに整っていたのだ。深い青の瞳は鉱物めいて輝き、やたらと長い髪は泳ぐ魚の鱗のような色をしている。
「やはり、気の優しそうな娘だ」
精巧な顔が愛好を崩して笑えど、人工物らしさがいや増しになるだけで心を許せない。
「ゆこう」
主は、音もなく歩む。衣を引き摺る背中をしばらく見ていると、彼が振り返った。
「来ぬのか」
「……近くにいたくない」
「左様か」
それだけ言うと、また淡々と歩いていく。角を一つだけ曲がった先、一際白い扉の前で止まった。
「先に断っておくが、姿を見ることが、かえっておぬしを苦しめるかもしれぬぞ」
「……どうして」
距離に負けない声で問う。
「めめが、あの男の素性を知るために見たものだと言えば、分かるか」
――竜宮で調べてきました……彼がどのような者なのか
その後、初めて放った言葉は何か。
みちは忘れていなかった。
「でも……晴瀬が人殺しなんていうのは……あなたたちが、わたしをここに連れてくるための、嘘で……」
口の中でもごもごと言う。主は聞こえていないようで、首を傾げた。
「覚悟があるのなら、良いが。卒倒せぬか心配だ」
「わたしが倒れるかもしれないもの、見せようっていうの」
「おぬしが、男の姿を見たいと言ったのではないか」
「そんな怖いことなら、見たくない!」
と首を何度も横に振る。
彼女の支離滅裂にうんざりすることもなく、主はそっと近づいた。
「私が悪かった。それなら、美しい場所に案内しよう」
羽に触れるようにそっと、娘の手を取る。そうなると、彼女は逆らえなかった。廊下を何度も曲がり、ぐるぐると目が回る。ようやっと外に出られた時の眩しさに、みちは思わず呻いた。
少しずつ目を開いたその場所は、穏やかな光に満ちていた。水越しに見た太陽からは白金色の薄布が伸び、光の粒を伴い揺らいでいる。
「綺麗だろう。私はこの空が竜宮の景色の中で最も好きだ」
見惚れていたみちはハッとする。水の底なのに、少しも暗くはない。おまけに水中になかった。
「池も底にくれば、地上に通ずるものだ」
彼女の動揺を察し、主が言う。
「ここにおる者は誰も、おぬしを害する真似はしない。心やすく過ごすといい」
彼を見上げ、思わず頷いた。主は、嬉しそうに笑う。
廊下を真っ直ぐに歩いていると、鮮やかな色が目に飛び込む。
「次いで好んでおるのは、この中庭だ」
先に階段を下り、みちに手を差し伸べる。その陶器のような手を取って、庭に下りた。
彼女は、小さな歓声を上げる。
そこには、一つの天地があった。
庭の端に腰を下ろした、しっとりと苔のむす岩。その間から何条もの細い川が流れ、少しずつ集まりながら庭中を優美に蛇行する。ひとつになった川はやがて池に至り、覆いかぶさるように生えた新緑の色を映していた。川沿いには、見たこともない花が咲いている。地上ではお目に掛かれない優美な姿を、みちは息さえ止めて見つめた。
「あれは……なんという花なんですか」
真っ直ぐ伸びた茎いっぱいに、薄紅とも薄紫ともつかない花がたくさん咲いている。それが隙間なく集まって、やわらかな光を発しているように見えた。
「乙女の花、という。おぬしのような娘がここへ来たときにだけ、咲くのだ」
「……それじゃあ、わたしがここにいる間は、ずっと、咲いているんですか」
「いかにも。見る度に、色が少し異なるのだ。紫が強いときもあれば、紅が強いときもある」
みちは、庭の中に足を踏み入れる。小さな石の橋からせせらぎを覗くが、自分と目が合ってしまい慌てて顔を引く。
小さな川はやわらかな空の色を纏い、丸みのある曲線を描く。触ったら、磨き上げられた水晶のように滑らかなのだろう。手を伸ばすが、水面はあえなく砕けてしまう。
「冷たかろうに」
「……池の水は、溢れないんですか」
川の行く先に目をやる。
「どのような仕組みか、見てみたいか」
彼女は、池を見たまま頷く。
主は廊下に彼女を招き、岩と池が左右にくるように庭を見る。
「池を囲む岩から水が溢れたとき、変化が起こる」
「どんな?」
「あのような変化だ」
主の指さす先、水面に白い靄が吸い付いている。それは湧く水のように溢れ、辺りは濃い霧に包まれる。隣にいる主さえ見えなかった。冷たく細かな水の粒が、彼女の白い肌を濡らすことなく濡らす。
みちは怖くなって、欄干をぎゅっと握った。何度も瞬きをして白を見つめていると、それは徐々に薄くなっていた。
ただ、白が晴れない一点がある。
苔むした岩に覆いかぶさるよう、濃く白い雲ができていた。見れば、池の水位が半分に減っている。おまけに、川の溝に流れは無かった。
「池の水が雲になり、雨が降る。耳を澄ませば聞こえるはずだ」
言われた通りに集中すると、苔の山にしとしとと雨が降っていた。それは緑を深い色に染め上げて、乾いた川へと着地する。また優美な流れを描きながら、海を目指すのだった。
みちは感嘆の息を吐く。
「雨が川になり、川が海になる。海が雲になり、また雨へ。一つであったものが細かに分かれ、流れゆく先でまた一つになる。そしてまた、分かれる」
「……知らなかった」
露に濡れた乙女の花は、桜のような薄紅に染まっていた。
「もうひとつ、この庭には工夫がある」
主が指差す先に、銀鼠の円がある。しゃがみこんで見ると、月の形が彫られていた。
顔を上げてみると、それは庭のあちこちに散りばめられていた。全て異なる月の相を持っており、新月と思わしき石は少し色が暗くなっている。
「月の満ち欠け……?」
「その通りだ。この庭に、二十八個埋められておる」
全ての円が、鈍く光っている。それがまるで目のようで、みちは廊下に上がる。
「どうしたのだ。暗い顔をして」
「……見られてる、感じがする」
口にした途端、身体の中心が熱くなる。
ここに、月の神がいる。
この神がいるせいで、晴瀬に会えない。
「月なんて……」
あれだけ焦がれたのに、途端に嫌悪が走る。
主は、紫に染まった花を一瞥した。
「もう、戻るかの」
彼女は、俯いたまま頷く。
帰りは、主のすぐ後ろを歩いた。数々の扉の前を通り過ぎ、不意に開けた場所に出る。何かと思って顔を上げたら、渡り廊下だった。
初夏のような風に微かに混ざる、緑の匂い。
風の方に目をやる。水底は、遠く地平が霞んでいる。その殺風景を、鮮やかに切り取った緑の原。
「あれは……」
主は、しばらく緑をじっと見た。
「実りの原だ」
と短く言う。
「米がな、植わっている。ここ竜宮にも、緩やかで短い四季がある。それを象徴するのが、あの田なのだ」
彼は再び歩き出す。
「いずれ、行ってみるといい。きっと気に入ろう」
部屋に戻ってすぐ、みちは寝台に身をうずめる。
竜宮は、恐ろしい場所ではなかった。
主も、面こそは人ならぬものだが、心遣いは温かだった。
それでも、嫁になりたいとは思えない。
晴瀬を思い出せば、焦がれる胸。
自分でも驚くほど、彼の表情を覚えている。素直に光る瞳も、遠くを見るときの横顔も、屈託のない笑顔も。共にいた時は一日に満たないのに、もっとずっと、長い間を過ごしてきたような気がしていた。
「会いたい……」
口の奥に血が滲んでいるような。
「会いたい会いたい会いたい……」
人殺しに?
闇から聞こえた、囁き。
瞳があんなに暗かったのは。
あの場所に来た理由が答えられなかったのは。
みちは枕を抱きしめる。
いつの間にか、灯がともされていた。火を柔らかに溶かす和紙には、ふんわりと桜の模様が描かれている。瞳を閉じれば、美しい景色が返り咲いた。
何も知らない、あの時のままでいられたら。
溜まった涙を枕に押し付けたとき、灯が消える。闇に浮かび続ける幸福の景色。落ちていきたいと願うと、みちは夢を見ている。
横たわっていたのは、見たことの無い部屋だった。木目の目立つ壁に、小さな灯りでできた影。二人の男が向かい合っている。
起き上ろうとしたが、声が聞こえて硬直する。
「おい、全部でいくらになったんだよ」
「そう焦るな」
パチパチ、軽快な音が弾けている。
「しかし、冷えるな」
影が、身を擦る。
「そりゃあ炭だってケチってるんだからよ」
娘は今更、凍えるほどの寒さに気づく。あの豪奢な寝台でなく、粗末な莚の上に、着物を引っ掻けて寝ていた。
「全部で五千と百だ」
「……これでやっと半分か」
「俺の取り分を忘れちゃいけねえよ。お前の分は三千と五十だ」
「お前も鬼だな。こっちゃ女売ってんだぞ」
「最初からそういう約束だったろ。俺の口利きがなきゃこんな値段で売れてねえ。せいぜい二千ってとこだ」
片方の男が舌打ちをし黙る。灯火がゆらゆら揺れる。手の震えは、寒さのせいばかりではない。
「……でもよお、本当にいいのか、こんな綺麗な嫁さん二度と手に入らねえよ」
そろばんを弾いていた男が、寒そうに息を震わせながら言う。
「俺の命が危ねえのはお前も知ってるだろ。女房だって俺が死んだ方が悲しむって絶対」
「最低だなお前」
「今さら気付いたのか」
ははは。と夜闇に紛れて笑う。抑えた低い声が床を伝い頬を震わせた。
「なんであんなに大負けしたんだ。お前があそこまで馬鹿だとは思わなかったぞ」
「この女房と結婚して運使い果たしたんだろ。金持ち美人なんて、そう簡単に得られる役じゃねえ。そうだろ?」
「嫁さんの家から、どれだけくすねてこれたんだ」
「上等なものを、持てるだけさ」
「ちょっと見せてみろ」
二人の間を、物の影が行き交う。
「こりゃ良いもんだぜ。三千で売ってこられるアテがある」
「それなら頼んだぜ」
「千は俺の取り分な」
「高すぎだろ。五百だ」
「八百」
「……分かったよ」
「まいどあり」
そろばんを弾いていた男が、荷物を風呂敷に包む音。頼りない光に、覆いかぶさるような闇。心臓が痛かった。「女房」が、夢の中の自分を指していると知っている。
夫、にあたる方の影が、こちらを向く。影に目はないのに、じっとり見つめられている気がする。
夫が立ち上る。きし、きし、床が軋む。娘はぎゅっと目を瞑った。心臓に鼓膜を破られそうだ。きしぃ、と夫が立ち止る。
何をしようとしているのか。
静寂に耐え切れず、目を開けた。
すぐ近くに、夫の顔がある。
「ぅぁあ」
晴瀬の顔をしていた。
「今日で、最後なんだ……」
伸ばしてくる手を跳ねのけ、立ち上がる。
「どうしたんだ」
『どうしたんだ、ですって?』
恐怖が反転し、別の面を晒す。
『わたしのこと、お金としか思ってなかったくせに!』
「聞いてたのか」
『全部、全部聞いてたわよ!』
「冗談に決まってるだろ」
『なんで……?』
平気でそんなことをぬかせるのか。
「もう、お前とは会えないんだよ」
と、尚も近寄る彼を突き飛ばす。
『来ないで!汚らわしい!』
「言わせておけば……」
と怒気を孕んだ声の直後、髪を掴まれ引き倒される。
「俺を選んだのはお前だろ」
髪を引っ張られて、顔を上げさせられる。
「黙って従えよ」
娘の手が、周りを探っている。何か、何か、何か、何か!
掴んだそれで、力任せに夫、の顔を殴った。
「ぎゃ」
自由になって、それを見下ろす。こめかみから細く血が流れている。側に、宝の石で飾られた、銀の簪が転がっていた。それを娘はひっ掴み、何度も何度もこめかみを刺す。やがて簪が折れる。しかし娘はやめなかった。ギザギザと尖った断面で、男の眼を突き刺した。そして周りを見る。そろばんの男が、部屋の隅で震えている。ちゃぶ台の上に置かれた小さな灯火の皿を、夫に投げつける。身体を這う炎に叫ぶ声を背後に、娘はその小さな家を飛び出た。
夜闇。時の頃深更。月光に凍える地上。手も足も冷たい。心臓が喉の辺りで上ずって苦しいのに、ずんずんずんずん歩く。雲が流れて、白光を覆う。滑り込む暗闇。何も見えない。前に待つものも分からない。のに、足が勝手に動く。どこに行きたいのだろう。それも分からず進む。足が、勝手に、落ちていく。
冷たい空を切って、奈落に落下する肉体。
「………………………………………………ぁぁぁぁぁああああああああ!」
己の叫びに目を覚ます。
起き上り、身体のあちこちを触り、確かめる。
「夢」
また見た。
海神に憑かれた男を殺す夢。
「大丈夫ですか」
「ヒッ」
障子の向こうから、慮る声。
「随分お辛そうでしたが、いかがいたしましたか」
しばらくして、現実と焦点が合う。めめの声だ。
「何かご所望されるものは」
「ない、から」
「本当ですか」
「……あなたには、出せない」
今ここにいてほしいのは、晴瀬だった。
彼に話せば、きっと、変な夢だなと笑ってしまえるはずなのだ。
「……何かありましたら、私の名前をお呼びください。すぐに馳せ参じます」
音も無く、めめの気配が去っていく。
戻った静寂に、寝台へと身を倒す。顎まで布団を引き上げ、闇を見つめた。
愛する者が、善人とは限らない。
自分の女を売るような男も、結ばれる前はそんな顔をしていなかったはずだ。みちは晴瀬と見た海を思い出した。穏やかに光を纏わせていながら、底に深い闇を隠し持った海を。
それなら、晴瀬も、きっと……。
「ばかなこと、考えちゃダメ」
言いながら、涙が止まらなかった。
一睡もできずに明かした夜が、徐々に白んでいく。泣きはらした目蓋は未だに重たい。薄い光は、却ってまどろみを誘った。うとうとしていると、障子に影が現れる。
主だ。
「昨晩は、大層な叫び声だったが、いかがいたした」
寝返りを打ち、背を向けた。
「溜め込んでいれば、今晩もきっと怖い目に遭おう」
みちはその言葉に、ぴくりとする。
「私に話してみなされ」
躊躇いながら起き上がる。悪夢を引き摺ったまま一日を過ごすよりも、少し我慢して主と共にいた方が良い。
みちは寝台を出て、障子を開けた。
「あんな夢、二度と見たくない……」
哀切する自らの言葉に、涙が溢れる。
「廊下で話すことでもなかろう」
主は隣の部屋に彼女を案内し、椅子に向かい合って座る。
「いかがいたした」
「あの……晴瀬、みたいな、男の人を殺す夢を、見たの。二回も」
主は、藍玉の瞳を翳らせて、「可哀想に」と嘆息する。
「おぬしの宿命が見させておる夢だ。めめが聞かせたろう。おぬしには月の神が、あの男には海の神が憑りついており、惹かれ合った末に女が男を殺すと」
みちは力なく頷く。
「地上では、月の神は排斥されておる。人々が太陽の神を崇めるようになって、月の神は死神であると、化物の類に成り下がった。それを怨んだ月の神が、おぬしのような娘に憑りつくようだ」
「……ひどい」
「酷なことだ。それに加え、おぬしは蓑笠の男に選ばれた。それゆえあの男の元にも行けず、竜宮で過ごす羽目になっている」
「あなたの、意志じゃないの」
主は重々しく頷いた。
「引き裂かれそうな思いだろう。私にはそれをどうしてやることもできぬが、そなたが心安らかに過ごせるよう、全力を尽くそう」
「それなら晴瀬のところに……」
「例えば会えたとして、おぬしは、その男を自ら殺してしまうのだぞ」
みちは言葉に窮した。
「おぬしは心の優しい、娘だ。誰よりも、誰かの犠牲になりやすい娘だ。己の思うままを、私に申してみればよい。最初は難しいかもしれないが、急ぐことはないのだ。ゆっくりで、いい。この竜宮で幸せに暮らせる道を、共に探そう」
みちの瞳に、新たな涙がこみ上げていた。




