神殺し*一
※身体に痛みを受ける描写が続きます
2020.12.28 投稿。内容改変の可能性有
2020.12.31 改稿。描写一部変更
「ねえ、まだ目を覚まさないのかな」
「いつかは覚ます」
「いつかいつかって、そう言ってもう何日もたったじゃない!待ちくたびれた!」
耳に障る甲高い声に、マキは身を起こした。
「やった!やっとだ!」
と顔を輝かせた娘が、手にした白銀の棒を振るい打ちかかってくる。マキは慌てて避けようとするが回り込まれて徒労に終わる。
満面に笑みを弾けさせた彼女はその棒を振り下ろそうとしたが、突然後ろに倒れた。
「痛!邪魔しないでよ葉来!」
「起きざまに打ちかかるお前が悪い」
細面の男も、娘と同じ棒を手にしていた。それを乾いた地面に突き立て、マキを見下ろす。
「俺の名は葉来。こっちは涼葉という。娘、お前は」
その瞳は日没の色をしていた。人間の形をしてはいるが、人を超えた存在なのだろう。おそれが顔を覗かせるがスキを見せてはならない。彼女は押し殺したような声で答える。
「マキ」
「マキ。ここがどこだか分かるか」
「知らない」
「覚えてないのー?自分で勝手にここに来たくせに!」
涼葉の声は、その身体同様弾力があり、いちいち鼓膜を跳ねる。
「ここは海の底!沈んだ太陽の神が住まう場所!そこをあんたは侵したから、今から私たちが退治しようってところだよ」
「話をややこしくするな」
対照的に、痩せた男が涼葉を制する。
「ここは、太陽の休息する神聖な場所だ。そこを不当に侵され、神は大層お怒りだ」
神聖な場所?マキは淵色の目を辺りに走らせる。枯れ果てた野と、霞がかった空が広がるばかりで、厳かな空気など微塵も感じられなかった。
「神は、手ずからお前を処分することを所望しておられる」
しかし、と葉来は言葉を切る。
「ただの人間がここに至ることはまずもって不可能だ。その事情を斟酌し、この葉来と涼葉が、お前に神を殺す技を伝授する」
「あんたたちは、神の眷属?」
「そうだ」
マキは片頬で笑った。
「その眷属が、本当に神を殺す力を与えるのかしら」
「うん、あげたりはしないよ。あなたが頑張って、身につけるんだ」
涼葉が白銀の棒を振るった。彼女は鼻からめちゃくちゃに砕けてふっとばされる。激烈な痛みに絶叫した。意識が次第に遠のき消えるかに思えたが、どういうわけか徐々に明瞭になっていく。それと共に、顔から痛みがひいていった。
恐る恐る顔を触る。何事もなかったように、きちんと形を保っている。
「何」
「ね、そういうことなんだ。ほらそこの、武器をとりな」
目の前に、赤金の棒が転がっている。
「私は武術を叩き込んであげる。あんたはなんとなく、槍って感じの顔してるから、槍術ね」
彼女の持つ棒の先端が変形し、鋭い刃を形作る。赤金の棒も同様に、立派な槍となった。
「さあ早く」
彼女は朝日のような瞳をギラつかせ、新たな玩具を目の前にした子供のような顔をしていた。
槍など、触ったこともない。また打ちかかってこられて一方的にやられて終わるのだろう。顔面に走った痛みは忘れられない。
「槍なんてやったことない」
「だから、これから教えるんでしょ?さあ!」
と涼葉が駆け込んでくる。マキは仕方なく槍を取ったが、まるでお荷物だった。鋭く繰り出される白い光線を、受けとめることなど到底できない。彼女から走って逃げようとするが、背を向けた途端、あっさり背後から心臓を突かれる。痛みよりも熱が勝つ。赤々と灼けた鉄を刺し込まれたようだった。叫び声はおろか、息すらもできない。ガッ、と刃を抜かれ、倒れ込む。ほとぼりが冷めたと思えば、ギシギシと痛みが心臓を襲う。容易に去らない鈍痛に、のたうち回って苦しんだ。
痛みが薄れ、やっと息を吐いた。
「こ、んなことをして、何のつもりなの!」
「言ってるじゃん。神を殺す術を教えるって」
「わたしをいたぶってるだけじゃない!」
「でもほら、すぐ治るし、血で汚れることだってないよ」
ハッとして身体を見る。真っ赤に染まっているはずなのに、服は綺麗なままだった。
「教えるったって、手取り足取りやんないよ。私できないからそんなこと。次は狙う箇所くらいは教えてあげるから、避けるなり防ぐなりしてみてよ」
喜色満面に、「足!」と叫び突進してくる。マキは、もうあんな苦痛は二度と御免だと焦るが、彼女の動きは早く、また恐怖に足がもつれ、呆気なく転ぶ。
「教えてやったのに、情けない」
虚空に、三度目の絶叫が谺した。
そうして日没まで、涼葉の体力は衰えることを知らなかった。マキは一度たりとも、攻撃をかわすことができなかった。掴めたものすらも、ない。忽然と涼葉が姿を消した今彼女の内に残るのは、激痛への恐怖のみ。そのせいなのか、あるいは痙攣なのか、震えが止まらない。
小さく縮こまる彼女に忍び寄る闇と、人影。
「手酷くやられたようだな」
痩せた男が、残光を背後に白銀の棒を携えていた。
マキは反射的に立ち上がり、距離を取った。ぶるぶる震える両脚で、武器をそれとなく構えてみる。
「安心しろ。俺とあいつは真逆と思っていい」
その発言をすぐには信じられなかったが、足がもたなかった。膝から崩れ落ちる。
「太陽の出ている間は涼葉がお前に武術を、星の出ている間は俺がお前に、術を教える。お前は術士だろう」
「ちがう」
葉来は片眉をぴくりと顰めた。
「ここで虚言は通用しないぞ。術士であるかそうでないかなど、一目で分かる」
闇が空を蔽い、星が穴を開けたように光る。葉来は手の平を空に突き上げた。
「術は四つの元素を主に操る」
空に、火炎の大鳥が姿を現す。マキに向かって急降下してきたと思うと彼女の眼前で飛び散り、二人を取り囲むように落ちて小さな炎が等間隔に並ぶ。何かが背後で動く気配にマキが振り向くと、水の大蛇が彼女を見下ろしていた。しばらく彼女を睨めつけると、突如として空に首を突き伸ばす。水の蛇は空にぶつかったかのように円盤状に広がっていく。水だったものは、蛇の身体を失うと共に闇へと化した。やがて星空を塗り潰した大きな闇は、数十の刃に分かれて炎の間に突き刺さり、炎の縁をなぞるよう動き出す。風が巻き起こり、ぐんぐんと火炎を煽った。
二人は、焔の壁に取り囲まれる。
「火、水、闇、風。この四つだ。今からお前には、この炎を消してもらう。どの術を使おうと構わない」
炎の壁は少しずつ、しかし着実に迫ってきていた。皮膚がじりじりと焦げる。日中味わいつくした絶息の痛みを反芻し、震えあがる。
そうであっても、できないものはできない。
「わたしは術なんて、使えない」
「何度も同じことを言わせるな。お前が術士であることは分かっている。それに加えて資質も高い。このくらいの炎なら簡単に消せるはずだ」
マキは観念して白状する。
「……たしかにわたしは、術士よ」
「知っている。早く消さんとまた苦しむぞ」
「でも術は使いたくない」
「なぜだ」
一瞬ためらいはしたが、真っ直ぐ葉来を見据えた。
「地上では、術士は鬼だと迫害されるの。わたしはそれが原因で、こんな場所に落とされた。もう術なんて使いたくない」
切実な彼女の顔を、彼は鼻で笑う。
「思いのほか、つまらない理由だったな」
途端にマキは額に青筋を立て、叫んだ。
「あんたに何が分かる!」
「逆に、なぜお前を分かってやらないといけないのだ」
夕刻色の瞳が、炎を映して静かに光る。
「ここでお前がやるべきはくだらん過去に囚われることじゃない。神殺しの術を体得することだ」
腹の底から、怒りが湧き上がる。蔑ろにされた感情が許さないと叫ぶ。取り囲む炎の一つを操り、葉来を襲わせる。
「指令を忘れたか。俺を殺すのではない。炎を消すのだ」
彼は指差し一つで、マキの炎を消す。
「うるさい!」
彼女はそれでも諦めなかった。マキは周りの炎に意識集中させる。地面と炎の間に感覚を滑らせ、炎の先端を撫でるように、腕を回した。大地からその炎を全て毟り取り、頭上で巨大な球にまとめあげる。
高々と上げた手を、一気に振り下ろす。炎の球は葉来に落下した。今度は、一指のもとに消し去ることは叶わない。対抗して大量の水をぶつける。高熱の水蒸気が飛び散り、葉来の皮膚を焼いた。
水蒸気の向こうから姿を現したマキは、荒く息をつき肩を怒らせ、星明りを借りて葉来を睨んでいた。
「……思った以上にできるな」
「こんなことができるばっかりに、わたしは今地獄にいる!」
「自己憐憫はよせ、鬱陶しい。余人が欲しても手に出来ぬ才を持ちながら泣きわめくな」
「あんたは人間じゃない!人間の苦しみが分かるわけないじゃない」
「死ぬまで言ってろ。今日はこれでよしとしてやる。明日に向けて休んでおけ」
葉来は暗闇に姿を消した。
翌日、日の出と共に涼葉が現れ、打ちかかってきた。前日と同じように、やられっぱなしだった。ただ一つ違うのは、恐怖が薄らいできたことだった。痛みに慣れることはなかったが、「来る」と覚悟をすれば、多少は違った。
日が沈み涼葉が消え、ぶっ倒れたマキの顔を見た葉来は「ちょっとは成長したのか」と呟いた。
「殺されるのが、怖くなくなった」
と起き上る。
「恐怖を感じなくなるのはかえって危険だ。内攻につとめるのではなく、武術を学びとれ」
「分からないもの」
「感覚的にできないというのなら、お前に武の素質はないということだ。そういう奴がただ見て真似たところでできるようにはならない。よく観察して分析しろ。真似をするのはそこからだ――さあ、ここからはお前の得意分野だ。憂さ晴らしするつもりでかかれ」
その夜は一晩中、昨日と同じことの繰り返しだった。炎に囲まれ、狭まる円に呑まれる前に、消す。同じ方法を二度使うことは禁じられた。しかしそれでも、彼女は自ら術を繰り出さなかった。何度か危ないところまで火が迫った。焦りに度を失おうとする自分をなんとか宥め、百八回を乗り切る。
「朝まで寝てろ。助言を忘れるなよ」
翌日。
葉来の助言通り、彼女の動きを見るようになった。分析しようと思って見てみると、案外違いが分かってくる。それよりも困難だったのが、やはり鎌首をもたげる苦痛への恐怖を抑えつけ、冷静な心持で観察に徹することだった。
素早く、また重たい彼女の槍を一撃、止めることが叶う。
「あれえ、すごいじゃない」
と身を引いた彼女は嬉しそうだった。
「手加減するのも疲れちゃうから、早くもっと上手くなって!」
次の一撃は、とても目でとらえられるものではなかった。あっさり額を貫かれ、さすがに意識がぶっつり消えた。
「手酷くやられたな」
目を覚ましたのは、日没後だった。
「一撃は、防いだ」
「お前ができるようになったと見て、突然難易度を上げたというところだろう」
「あんな動き、見ようとしたって無理よ」
「だろうな」
あっさり頷く。
「そもそも、五感頼りで神は殺せない」
「じゃあどうしろって言うの」
「難しいことではない……お前は感覚で術を使っているだろう」
「当たり前でしょ。目に見えないものを相手にしているんだから」
「それなのに、涼葉の姿がとらえられないと弱音を吐くのか。同じ話だろう」
自分になかった発想に閉口する。
「しかし、お前はまだ確実にそれをとらえきれていない。もっと明確につかめ。お前がとらえているそれのことを、沖、という」
「チュウ?」
「そうだ。名前を知ることで認知を区切るのだ」
葉来は腰かけ、火の玉を焚き火のように浮かべる。それを挟んで向かい合うように、マキも座る。
「本来、沖というものそれぞれに違いはない。水のようにな。しかしそれが宿ったものの中を対流する間に、それらしい癖が生まれてくる。流れる早さ、緩急、淀みのあるものないもの。それが、個々の違いになる。それを知ることを、沖を読むという」
「どうして沖、なんてものがあるの」
「万物は、始源と歴史を捨てられんようにできているからだ」
「……どういう意味」
「そのままだ」
すべてのものは「はじまり」と「これまで」を捨てられないようにできているから、沖があるのか?
全く答えになっていない。が、もしかしたら、「なぜ空には太陽があるのか」というほど神話的な問いになるのかもしれない。マキはそれ以上を追究しなかった。
「知っているだろうが、沖は全てのものに存在している。だから、人間にとって死後の世であるここにも、沖がある」
「わたし、死んだのね」
「それでなければここには来られない」
「それじゃあ、今ここにいるわたしは何?」
「今ここにいるお前は沖そのものだ。ただしお前の肉体は死んでいる。本来沖は死体に留まるのだが、お前は何らかの強い動機があり、肉体を抜けだしたようだな」
胸に手を当ててみる。鼓動がなかった。しかし驚いたときや焦りを感じるとき、心臓は確かに動いているのだ。
「じゃあ、なんで痛いの」
「身体感覚は疑似的なものだ。沖が、肉体の反応の記憶を反芻している」
自分が死んだということが、信じられない。しかしそれは、死の事実から逃亡するための不信、ではなかった。
通過点に過ぎない。そう思っていた。
「わたしは地上に、戻る」
「それを望むなら、自らの沖を使った術を鍛えろ。相手の沖を操る方が、自らの沖を操ることよりも高度な術だ。沖を読み切り、自分と即座に繋げねばならんからな。だからこそ、神の複雑で茫漠な沖を相手にするのは、土台無理な話だ」
葉来は二人の間の火の玉を天高く伸ばす。その先端がこちらに頭を向けた。それは大蛇の頭になっていた。大口を開けて火を吹く。その背後で巨体がうねっている。
「これを読み切り操れるのなら、自分の沖を使えなどとは言わない」
しかし確かに、茫漠で捉えどころがなかった。今までのものは、その全体像を把握しているだけで良かった。視覚にたとえるなら、蛇の全容を捉えてどのように動くかを知ればよかった。しかしこれは、蛇の鱗一枚一枚のわずかな形の違いや輝き方の違いを詳細に把握せねば、複雑すぎて捉えられないというものだった。
「自分の沖を使う方法を教えてやる。手を伸ばす感覚で、己の沖を開放するのだ。その時、水における沖の対流を模倣せよ。そうすれば、お前の沖は水になる」
「知ってるわ、そんなこと」
と葉来を睨むが、立ち上がろうとはしない。
「やる気がないのか」
「わたしは自分で術なんか使わない」
「それではこの沖を読み切るというのか」
できる、とは思っていなかった。目を瞑り意識を伸ばしても、捉えたと思えば逃げていく。全てを見なければならないのに、近寄らないと詳細を捉えられない、葛藤に似ていた。しかし沖は視覚とは違う。だからそれが不可能ではないのだ。
「時間は与えんぞ」
大蛇が、迫る。
マキは焦りを抑えつける。全体が全て、一度にやってくるわけではないのだ。口から順に迫ってくるのだから、そこから消せばよい。しかし目論見が通用したのは最初だけで、次々襲来する新たな情報を処理できなくなる。マキは目を開け意を決し、地面を蹴って空中に飛び上がる。
驚く葉来へと急降下し、その背後に着地し彼の両肩を掴んだ。
「何をした」
「自分で術を使うよりも簡単だわ。今のわたしに肉体がないのなら、沖を操るだけで身体は自在に動くはず」
「……そうまでして、術を使いたくないのか」
溜息を落とし、中空の大蛇を消す。
マキは両肩から手を離し、距離をとる。
「地上ではね、術士はお上に引き渡されて、人間じゃない扱いを受ける。わたしはずっと隠してきたんだけど、かあさんを火事から助けようとして、ばれてしまった。しかもかあさんも死んだ。それで……」
「それは前も聞いた」
「それなら最後まで聞いて」
有無を言わせぬ、強い声だった。
「わたしはね、今まで自分を捨てて生きてきたの。わたしが術士だって知ってるのはかあさんだけだったから、絶対に機嫌を損なっちゃいけない。かあさんは私がかあさんの死んだ姉さんに似てるって嬉しそうだったから、常に、かあさんの姉さんの生まれ変わりとして振る舞っていた。いつも自分じゃない自分を生きて、わたしになることなんてできないで。かあさんの姉ならどうやって振る舞うかなってことばかり考えて生きてきた」
彼女は手の平に、目線を落とした。
「そうやって自分を失ったのも、わたしが術士だったから。自分で選んで生まれてきたんじゃないのに」
マキの瞳は生命線を辿る。
「だからせめて、会ってみて、ほんとうの違いを確かめたかった。何も聞けなかったけど。わたしはあの人とは違うって、それだけは確信した、のに……」
拳を握った。
「こんなところで死んだら、意味ない。わたしは地上に戻って、わたしとして生きたい」
「神を殺せば、地上に戻れる」
葉来は、白銀の棒を土に突き立てる。
「くだらん昔話は、それから精算するんだな」
マキはそれからも、自分で術を使おうとはしなかった。沖を読む精度を上げるために、涼葉とは目を瞑って対峙をした。目で見ないことに恐怖が増幅すると思ったが、沖をとらえる方が見るよりも詳らかに分かる。動きも読めるようになってきた。それでも、何度も予想を上回られ、貫かれる。ひどい痛みに目を開け、涼葉の顔が映る。邪気のない朝日色の瞳は、拝む度に憎たらしくなった。
最初に彼女を刺し貫くのは、その眼玉だ。マキは心に誓う。
しかしそうしたところで、自分と同じように、復活するのだろう。息の根も止めてやりたかった……。
あれ?
「……どうやって、神を殺すんだ?」
初歩的な問題を、葉来に問うた。
「何回殺されても生き返るのに。神なんて絶対殺せないし、わたしだって殺されないでしょ」
「お前は殺される。神は確かに、殺されない」
「そんなの不平等じゃない」
「神と人が平等であるわけがない」
「じゃあどうやって勝負すればいいのよ」
燃えるような緑の瞳が、夕陽色を睨む。
「お前は『死んだ』と思わなければいい。そして神を殺す方法を、俺たちが言葉で教えることはできない。お前が学びとるんだ」
単純ではあったが、難しいことだった。




