第六十一話
ほんほんしながら歩いていたら……狛火野くんが上半身Tシャツ姿で素振りをしていたところを見かけたの。本気どころか鬼気迫るものを感じさせる全力の素振り。
照明の光を浴びて彼から湯気が出ているように見える。
熱くなって、汗を掻いて、それでも何度も続けているんだろう。
トーナメントのため? その先のため? それとも……私と戦うため?
答えがどれかはわからないけれど、私には邪魔は出来なかった。
『部屋に戻るかの』
『……うむ』
練習をしたら? と提案しそうな二人がまさかの帰宅一択。
ちょっと意外だったの。
私も道場でもう少し汗を流した方がいいのかな? って思ったら、二人して帰れというの。
『今宵も以前のように刀鍛冶と鍛錬をするのだろう』
『ま、そういうことじゃな。人に刺激を受ける方が今のそなたにはいい糧になるじゃろう』
ううん。それって遠回しにまだまだ自己鍛錬できるレベルじゃないと言われているような。
『事実そうじゃろ。今のおぬしはまだまだ素人じゃ』
あうち!
でもその通りだし……素直に戻ろう。
◆
寮の中に戻って二階の階段をのぼろうとした時、階段の上から声が聞こえたの。
「――ぼっちゃま。刀鍛冶もつけずに降参とは情けない。本家に知られたら大変でございます」
「くどい。指摘されるまでもなくわかっているし、その上での決断だと言った」
レオくんだ。レオくんが誰かと話している。
あわてて周囲を見渡した。誰もいないから、じゃあ離れようと思ったんだけど。
「しかし……頼りなさを露呈すればするほどにお父上が強引に見合いの話を進めることは明白かと。よろしいので?」
相手の人の口にした単語に思わず足を止めてしまったの。
お見合いって……だって、まだ高校一年生だよ?
男の子が結婚できるのは十八、ってそれ以前の問題だよ!
「ふ……十六の息子に何を焦るか知らないが、興味はないと伝えておけ。籍を入れるまでの二年で容易く心も変わろう、とな」
「次はない、と……放逐すると言われるとしてもですか?」
放逐……って?
『追放されるのだろう。彼の家から』
『つまり超絶おぼっちゃまがただの男になるわけじゃな』
そ、それって、じゃあつまり……家族の縁を切られるってことなの?
『うむ』
そんなのだめだ、と思ったのに。
「そうなると……姉上が悲しむだろうな」
レオくんの言葉に浮かぶ感情はまったく読めなくて、不安になってしまう。
「……よくよくお考えください。どうかわすのかでも構わないのです。世話係の私はいつでもあなた様のお力になりたいということ、お忘れ無く」
「わかっている」
「それでは一度、お見合い相手と話し合われては? 素敵な方ですよ?」
「その気はない。今日はもうよしてくれ」
「……かしこまりました」
では、と短く言って足音が遠のいていった。
話は終わったみたい。ど、ど、どうしよう。
てんぱっていたら、階上から「あがっておいで」と言われてしまいました。
ば、ば、ばれてるー!
逃げるわけにもいかず、しょんぼりしながら階段をのぼるとレオくんは笑っていたの。
「聞かれてしまったみたいだね」
「な、なんでばれちゃったの?」
私の問い掛けにレオくんは悲しそうに目を伏せて言うの。
「昔から霊子の扱いには心得があってね。人より賢く、敏感であれたのはそのおかげなんだ」
そんなことよりも、と手を差し伸べてくるの。
「もしよければ、紅茶を振る舞いたいのだが……どうかな?」
レオくんの顔に痛みも不安も恐れもない。
……本当に? ただ隠れているだけじゃない?
気になってしまうともうだめ。私は素直に彼の手を取るのでした。
◆
のこのことついていってレオくんのお部屋で紅茶をいただきました。
『……むう』
十兵衞から何かを言いたそうな念が伝わってくるの。対するタマちゃんはあっけらかんと言うんだよ。
『ここでこの男に襲われてもそれはそれでおいしいかもしれんぞ? 今ならまだ玉の輿じゃし』
タマちゃん……いっそ尊敬するよ。
でもただ流されてきたつもりもないの。
「ねえ、レオくん。何か力になれること、ない?」
「心配してくれるんだな、君はいつも……僕が見込んだ通り、素敵なレディだね」
微笑む彼の、彼の背景に綺麗な華がきらきら咲くのが見えるよう! ま、まぶしい!
『落ち着かんか! このたわけ!』
はっ……タマちゃんの指摘がなければ危なかったよ。
「ただ……誰かに相談して何か行動を起こすことでもない。僕のことよりも、君は明日に待つ試合のことを心配した方が良い」
「……狛火野くんとの試合? で、でも。なんだか困っているみたいで」
「誰かに手を差し伸べる、という行為は美しい。けれど君には今、それ以上に大事にすべきことがあると僕は思う」
やんわりと、けれど……確かにはっきり言われちゃいました。
今はそっとしておいてほしいってことなんだ……。
これ以上深く突っ込めない。だから、
「いつでも力になりたいって、それだけ伝えたかったの」
「ああ……わかっているよ」
そう言うとレオくんは切なげに目を細めるの。
「君は僕の大事な人に似ていた……最初はそう思っていた。けれど違うな」
私の頬に手を伸ばして、触れて……包んで。
「君はもっと、ずっと……誰かのために一途に動いてしまう。危うい」
弱さ、もろさ? 違う、と囁いて……私の唇をなぞるの。
私を確かめるように、そっと……けれど艶めかしく。
どきっとして、心臓の鼓動がどくんと跳ね上がるの。
「そんな君は、どんな勝利を掴むのだろう。僕の悩みの答えは、もしかすると……そこにあるのかもしれない」
ふに、と。
唇を開かれてしまう。
それをするレオくんの笑顔に浮かぶ……微かな黒さ。
「確かめたい。そのためになら僕は……なんだってする」
シュウさんやカナタのそれと似て非なる、天性の何かがあるの。
このまま指を入れられたら……受け入れろ、と命令されたら従ってしまう。
私にお手と言った時の天然の攻めっぷりを発揮した時の表情になるの。
きゅううう、と胸が締め付けられて思わず口を開いたその瞬間でした。
「……君は守りが甘いな。蹂躙してしまおうか」
うわあ。うわああ! うわああ! す、すごくはずかしいよ!
どきどきするし、目が勝手に潤んでしまう。
興奮……してる。尻尾がぶわっと広がるからわかるの。
はわあああ、しか頭の中にないの……ああ、どうしよう。
「よそう。明日の試合に差し支えては困る。それに僕にはその資格も……ふ、感傷かな」
けれどあっさりとその手を引いてしまう。
「あ……」
レオくんの指を物欲しげに見送ってしまう、私の弱ささえ、彼は微笑んで。
「そんなに可愛い顔をしないで、レディ。一杯を楽しんだら気をつけて部屋に戻るといい」
もう一度私の頬を撫でて、初めて会った時と同じ王子さまスマイルを浮かべて言うのです。
レオくんには敵いそうもありません……。
つづく。




