第五十九話
残りの一回戦、八試合。
トモの圧倒的パワーは敢えてここで言うべきことじゃない。
カゲくんとシロくんがなんとか勝利をもぎ取ったのも……それはそれ。
頭の中はただ一つのことで支配されていたの。
そう。次の試合のことで緊張して、何も頭に入ってこないの。
そんな私を見かねたシロくんに「着替えてきたらどうだ?」と提案されて、あわててジャージから胴着姿に着替えた。
少しだけ気が紛れた気がして、だから……油断していたの。
思っていた以上に早く訪れた。
「第二回戦、第一試合……青澄春灯、住良木レオ。前へ」
ライオン先生の言葉に頭が真っ白な状態で前へ出る。
一年生の試合場にいるのはライオン先生、その向こう側に――……住良木レオくん。
外野から黄色い声があがる。
私だけじゃない。レオくんも胴着姿に着替えていたの。
似合う、なんて形容詞じゃ足りない。
二年生や三年生の先輩にも決して引けを取らない、侍としての貫禄が彼にはあったの。
どうしよう。対策なんて考えてなかった。一つも、まるで、用意がない。
「互いに、礼」
頭を下げながら考える。
タツくんと同じだ。レオくんの刀の正体を私は何も知らない。
特別課外活動で見たのは命令する姿だった。
その気迫で相手を従わせる、圧倒的な王者のオーラが彼にはある。
事実、第二試合で彼はあっさりと降伏させたのだから。
どうしよう。私もそうなっちゃうのかもしれない。
そうしたらあっけなく全部が終わっちゃう。
それはいやだ。でも、どうしたら。
顔をあげてすぐ、ライオン先生が試合開始を告げて。
レオくんが私を見て口を開こうとしたまさにその瞬間だった。
「十兵衞!」
カナタの声がしたの。
私の刀鍛冶の声に真っ先に応えたのは、
『十兵衞!』
「おう!」
私であり、十兵衞だった。
レオくんから目に見えない気迫のようなものがぶわっと叩きつけられる。
けれど、お腹の底にぎゅううっと力がこもったと同時。
「ふ……」
何かを十兵衞が切り裂いていた。
「面白い芸当だ。では……腕前を拝見」
自身の刀を振り下ろした十兵衞にレオくんが口元を和らげた。
「そうくるだろうと思っていた。けれど、少し残念だ。きみ自身で断ち切ってくれることを期待していた」
優しい優しいレオくんの目。シュウさんとは違う、根底に慈しみのあるレオくんの笑み。
「剣豪よ。君に用はないんだ」
刀の柄に手を掛けて、抜き放つ。
「ギンの言葉を借りよう……戦いたいのは彼女だ。あの日あの時、戦いの地から逃げようと誘ってくれた優しい彼女と戦いたいのだ」
長い。ひたすらに。
その刀身は長身のレオくんの身の丈に不釣り合いなくらいに長い。
抜いてのびた、と。そうとしか見えなかった。
どうする? と。
十兵衞の念が尋ねてくる。
その心に不安も気遣いもない。
ただ……私の意志を確かめている。
なら、息を吸いこんで……気持ちを切り替えて応えなきゃ。
口を開いて出て行くのは、
「たぶん、私じゃ分不相応だけど。それでもいいのなら」
私の言葉。
それをレオくんはちゃんと受け止めてくれた。
「ありがとう。タツと同じで……きみをもっと知りたい。共に全力を出そう」
そう言ってレオくんが刀を振るった。
きらきらとした霊子の烈風が私を襲うけれど、それは――さっきも見た!
「――ッ!」
十兵衞を強く握りしめて振り落とす。
押しつけられる壁のようなそれを、バターを切り裂くような手応えと共に分断した。
『気を抜くな』
十兵衞の声に急いで意識を視界に戻す。そこにレオくんの姿はないの。
右も、左にもいない。って、これは、このパターンは!?
思わず見上げたそこにいた。
いつだってスマートで、いつだって無茶をしない。
そんな印象しかなかったあのレオくんが飛んで、長い刀を振り下ろしてきた。
どうする? なんて浮かんだけれど答えを出す余裕は一切なかった。
十兵衞からもタマちゃんからも、色んなアイディアがふっと送り届けられる。
けれど、
「――えいっ!」
たぶん、私はもっともばかな選択肢を選んだ。
がばっとレオくんの足下に飛び込んだのだ。
ぶううん! と振り下ろされた刀のさらにその下。
這いつくばるように私は着地するレオくんの足下に抱きついていた。
「な、」
思わずうろたえるレオくんに寄りかかって、急いで身体を起こす。
タマちゃんが教えてくれた絡みつく動き。
それを全力で実行して、レオくんを押し倒して――……のど元に十兵衞の刃を突きつけるの。
「はあ……はあ……」
たったそれだけのことに息が上がっちゃった私を見上げて、レオくんはきょとんとしていたの。
「住良木?」
「……はは」
ライオン先生の呼びかけにレオくんは吹き出してしまった。
「はははっ、ふふ、くっ、ふふ、はは!」
お腹の上に馬乗りになった私を見上げて、涙を浮かべて笑うの。
「ど、どうしたの?」
「いや……はは……まさか、それほどの刀を二本も抜いておきながら。まさか、抱きついてくるとは」
刀を手に寝そべったままで、レオくんが言うの。
「恐れ入った。降伏だ」
「え……」
「……君は斬れない。いや、斬りたくない。それがわかっただけで十分だ」
私の腰を抱いてすっと持ち上げて、レオくんが身体を起こした。
あわてて自分で立ち上がると、レオくんもそれに続くの。
「え、え、でも……いいの?」
あわてる私を見て、それからレオくんは周囲を見渡した。
みんな納得できない顔で見ている。
するとレオくんは「じゃあ一つだけお願いしようかな」茶目っ気たっぷり笑って私に手を差し伸べた。
「お手」
「こんっ……はっ!?」
レオくんに言われた瞬間にはもう、握り拳をちょこんとのせてしまっていた。
気づいた時には手遅れでした。
「おまわり」
「はふはふはふはふ……はっ!?」
またしても! またしても! まわってしまいました!
なにゆえに! レオくんにしきりに感じていたお腹を見せたくなるって、え? つまりあれ? ペット的な? 隷属的な何かなの? 隷属っていうわりには頭悪い感じだけど!
「はは……うん。やはり君は面白い。この勝利の先を見せてくれ」
そう言って私の頭を撫でると、悠然と歩き去ってしまった。
……え、っとう。
とりあえずまただよね? 試合に勝って勝負に負けた感じなの。
今度は私が試合に勝ったわけだけど。なんでだろう。全然勝った気がしないよ……。
とぼとぼ試合場の外に出たら、腕組みして怒り顔のカナタが待っていました。
あ、これだめだ。怒られるやつだ。
「まったくきみというやつは。なかなかの犬っぷりだったぞ、相棒」
ほらきた!
「住良木のあれは俺やシュウと同じ、霊子の扱いに長けた人間のそれに見える。そういう類いの相手とやると相性が悪すぎるな。今後は要注意だぞ?」
「はい……わかってます」
しょぼんとする私を見かねて、カナタは咳払いをしてから頭を撫でてくれました。
「勝利は祝おう。お前の機転は確かに勝ちに繋がったのだから。だが危険な手だった、忘れるなよ?」
褒めてるの? それともだめだしなの?
うつろな目をして俯く私を見たんだろうね。
ふう、とカナタは深々とため息を吐くと。
「心配した……勝ってよかった」
「え……?」
「じゃあな」
私の頭から手を離して行っちゃった。
けどね。けどね。すっごく優しい声でした。
うわあ。うわあ。揺さぶられてる。私いま揺さぶられている。
そしてそれが案外悪くないのです。
怒っているようで……どれも純粋な現状分析だったもんね。
ずるい。ちょろいので。ひたすらに私はちょろいので。
もうきゅんきゅんきてしょうがないのです。
ああ……やっぱり私はばかなんだなあと思ったし。
案外、それでいいのかもしれない。なんてわけにはいかない……かな?
でもこれくらいの調子の方がらしいかもって気がするの。
私だけかな?
つづく。




