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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
2982/2984

第二千九百八十二話

 



 隔離世を通じて地下に向かう。

 班別行動の徹底と、待機状態のマシンロボによる隔離世班の身体の安全確保は優先事項。

 シャルたちと地下に向かいながら、トモが呟く。


「自衛隊が国民を狙うなんて、あるの?」

「私は戦前、戦中、戦後を見た。第二次大戦に限らないがね。国家権力側、その内部のより強い権限を持つ側は押しなべて強権的だよ」

「それって、つまり?」


 トモが助けを求めるように私の腕を肘で押してくる。


「横暴で加害的で、暴力的になりやすいってこと」

「嘘だぁ」

「そうでもないんだなあ」


 歴史を紐解いて学んでみると、日帝に限らない。

 日本国内に話を据えても、幕府や大名などの支配階級が劣位にどんな対応をしてきたか。

 ろくなものではない。

 中国、東南アジアへの先の大戦は日本の侵略戦争だったし、世界的に植民地主義が蔓延していたことや、資源欲しさはあったにせよ、それは戦争を正当化・責任転嫁・免罪するものではない。どのような性質であれ、戦争は、すべからく、それを否定し、避けるものだ。

 結果ありきで手段を正当化・責任転嫁・免罪していいっていうなら、私がむかつくだけで、だれをぶんなぐっても、お金やものを盗んでもいいってことになる。

 あほか。ばかじゃないの?

 クラスでひとりでも勉強を真面目にしない子がいたら、その子がやる気になるように、ひとり標的を作って教師がめちゃくちゃに暴力を振るい、お前がやる気にならなきゃこいつをはじめ、全員をぼこぼこにするって恫喝したら? それでだめならもっと暴力を過激化するっていったら?

 こんな無茶な例えが出るくらい、実際は「結果の保証」なんてなくていいんだ。

 手段を正当化・責任転嫁・免罪できればいい。

 戦争に勝てるかどうかさえ、実際は二の次になる。

 手段にできてしまえるし、それを正当化・責任転嫁・免罪するためのあらゆる手段、目的を作り出せてしまえる。

 敵を作ったり、みんなが貧しくて不幸な理由を作ったりしてしまえば。

 あらゆる暴力、加害は、これを正当化・責任転嫁・免罪せず、選ばず選ばせず、行わず行わせず。

 そのための手段をあらゆる手を尽くして講じている。

 それが近代社会の建付けであり、重要な土台だ。

 だけど、その土台は古来より、幾度となく、その足りなさゆえに、そして目先の効率や憂さ晴らし、なにかを嫌っていたい人の性ゆえに、破壊されてきた。捨てられてきた。ほったらかしにされてきた。

 みんな、なにかのせいにしたいのかもしれない。

 そのみんなには、私もしっかり含まれる。


「自衛隊に限らない。警察、報道。そこで教わり、世話になり、面倒を見られる。良くも悪くも。そうして学び取る、閉じた理屈、閉じた価値観はいったい、だれにとって都合のいいものなのか」


 シャルが謎めいたことを口にした。

 駅のホームにたどりついて、彼女は気楽に飛び降りる。私たちも遅れて続く。


「報道は政治家などについて、実に親切に手取り足取り教わる。ときにはスクープをもらう。政治家側にとってはもはや必要のない情報でも、記者にしてみれば持ちかえり記事にすると会社の覚えがよくなる仕事になる。みんながそうして仕事をしているのが当たり前なら、いったいだれが、この構造を批判する?」


 トモと顔を見合わせる。

 私の横を早足で追い越すマドカが「滅多にいなさそう」と返した。

 仕事の仕方から、成果まで、ぜんぶ教わっていれば、それでいい。社会人になって、仕事の成果として認められて、褒められる。おだてられさえする。しかも、政治家からさえ。だったら? 有頂天になってもおかしくない。むしろ、報道が死んでるとか、問題があるとか言ってる側をこそ、下に見始めるかもしれない。連中はわかってないんだー! とかいって。

 実際、知らないよね。報道に携わる人たちがどういう流れで仕事を覚えて、だれとどういう付き合いをしていて、それがどんなに批判すべきかなんて。そんなこと、私たちは知りようがない。記者じゃないから。

 その手のことを批判する、記者サイドのなかでも批判精神のある人がそれなりにいる。だけど、全員じゃない。

 学校の授業とか、先生とかに問題があるからといって、生徒に批判ができるのか。

 ともだちの輪の中で、中心人物みたいな人が明らかにやばいことを言い出したとき、みんなでそれを止められるだろうか。そもそも、自分以外のみんなは、中心人物側につくのでは。

 そうなると、まず、無理だ。

 学校のいじめと呼ばれてしまう、あらゆる犯罪行為だって、大半の子は見て見ぬふりをする。標的になりたくないから。それが消極的で受動的な加害だって明らかになっているんだけど、それでも、無理だ。


「警察、自衛隊。その教育実態から、果ては戦後燻る思想は、より深刻だ。辞職率や自殺率も決して無視できるものではないしな」


 そんな数値がどこかで発表されているのだろうか。

 あれかな。自衛隊は防衛白書かな? 警察官はシンプルに警察庁の自殺統計かな。


「ハラスメントや超過勤務の常態化、過酷な修練、過酷な労働は、価値観などの先鋭化を強化する。自死、精神疾患や体調不良による辞職なども問題だが、残った側は残った側で、その体験を抱えることになる」

「なにかしらの考えを作りあげて、それで済ませようとする、みたいな?」

「ああ。こんなひどい目に遭うのはどうしてか。なんであいつは自殺したのか。なんであの人は心が病んだのか。どうしてこんな環境、こんな無茶、こんな理不尽が通るのか。理不尽でないなら、どういうことか。考えずにはいられない」


 クラスで不登校になった子が出てきたら、なにも考えないってわけにはいかなかった。

 そういうことさえ、きっと、慣れてしまうんだ。考えないようにすることにも、感じないようにすることにも。

 線路にだれかが飛び込んでも、時間のことしか気にしなくなるように。

 そうして手放すものが増えるほど、私たちは人間じゃなくなっていく。求められることをこなす機械のようになっていく。

 だけど、同僚や仲間の自死となると、もうちょっと身近で、済ませがたい。

 だから自分をごまかせる物語がいるのかもしれない。


「去年、相模原の障碍者施設で大勢が殺された事件があったよね。福祉の現場もとことんきついっていうけど、それが回りまわって、生きる価値を選別する思想にまでなっちゃうの」

「あったな」


 アマテラスさまのお屋敷で神奈川新聞取材班がまとめた書籍を読んだ。

 植松聖死刑囚が起こした連続殺傷事件。施設の職員と入所者が大勢、犠牲になった。

 死刑囚の成長・発達過程を掘り下げてみせた取材班の取材内容は、死刑囚が強いストレス下で育ってきたことを取り上げていた。

 施設での働きぶりは当初、とてもまじめで一生懸命だったという。施設に入所している方たちは困難を抱える面もあり、それが職員との衝突や、職員への加害に繋がることも決してゼロではないそうだ。

 認知症で介護福祉施設に入っている方なら、たとえば窃盗されたと思い込む症状が出ることがあり、そうなると疑いの矛先は同じ施設の利用者か、それより頻繁に接する職員になる。

 安心と安全と安定の確保は生半可なことではない。

 疾患などにより負荷や不安などを抱えている利用者さんは、そのストレスの表現を満足に行えないこともある。それが攻撃的な形で発露された場合、職員さんたちだって困る。

 疾患の入院を家族がごり押しで求めるような患者さんだったら? その疾患が老化によるもの、精神や身体のものだったら。その困りごとよりも、様々な過酷な体験や、その表現の術を知らなかったり困難を抱えている人のものだったら。

 行き先となる施設はどうするか。

 拒む施設もある。受け入れる施設もある。

 受け入れる施設のなかには「拘束して放置」や「拘束して不適切な治療行為」をする、治療放棄をしてほったらかす、死を偽装するなんてところもある。

 掘り下げれば掘り下げるほど、私たちの足りなさが露呈する。

 その足りなさは、いま働いている職員さんたちのいる現場にも、施設利用している人たちにも、あらゆる形で顕在化している。グラデーションは、ある。だけど、どこも八方よしはあり得ず、マシなところがあったとして、その比較はなにも足さない。

 死刑囚の真意は彼にしかわからない。

 ただ、施設では施設運営会社、職員、派遣職員などに問題があったり、問題を押しつけられたり、加害が押しつけられたり、そもそも全体的に職員の薄給が過ぎるという問題があったりと、枚挙に暇がない。

 いま精いっぱい働いている人たちには頭が上がらない。

 そんな状況で、職員のフラストレーションやストレスの矛先が利用者に向いたら、どうなるか。

 男性職員が高齢女性をレイプした、なんて話は序の口で、汚物で汚れてしまった利用者にホースの水を浴びせるとか、殴る蹴るとかの暴力が振るわれることもある。

 それはかつて、精神疾患の患者が隔離される形で収容された病院で行われていたことでもある。

 具体的事象を変えると、ね?

 自分の、あるいは自分の属する側の手間を増やして、思いどおりにならず、厄介なものを攻撃する。その攻撃を正当化・責任転嫁・免罪する。そんな性質が、人類の根底にある。

 家庭でも夫婦・恋人・友人間でも、学校や企業の現場でも、いくらでも再生産されるものだ。

 その渦中にあるとき、私たちは物語を求める。

 施設を襲撃した死刑囚なら命の価値だろうか。

 大戦時、盧溝橋事件を引き起こす帝国軍人なら、あるいは「硫黄島からの手紙」で描かれた帝国陸軍の軍人たちなら「お国のため」や「玉砕ありき」かな。中国憎し、共産党憎しあたりもかも。それらの見下しもそう。

 敵を作り、その排除をお題目にする。

 悪いのはあいつらだ。あいつらをどうにかすればいいんだ。

 以上!

 思考はそのことばかりを反芻する。この思考を強化できる情報を求め、あらゆる情報をそのように見つめるようになっていく。

 占いに悪い意味でハマるとき、あらゆることを自分の都合のいいように取り込んでいく。大吉やいいカードが出たら、いったいなにが起きるのか即座にわかる。大凶や悪いカードが出たら、なにが起きて、それはなんのせいかがイメージできる。そんな具合に。

 連想とつながりがスムーズに進み、あらゆることの説明がつけられるようになる。

 わからないことなどない。

 答えと解決のみがあり、それを阻む障害や邪魔者しかおらず、それを破壊すればいい。責めればよく、罵倒すればいい。

 実に簡単だ。


「人は一度定めた行動指針や思想、価値観を改めることが苦手だもんね」


 思想が強いって言って済ませているときは、思想について辞書で調べることさえしない。その態度がどういうことなのか考えもしない。

 宿題むり、勉強やだってときは、そもそも勉強を主体的にどうやるかを考えない。どうやらないかも考えない。とにかく、無理! やだ! で精いっぱい。

 先輩や先生、上司や仕事先の相手に「こうやるんだよ」と教わったり、「なんでできねえんだ」って怒鳴られたり殴られたりしてたら、とにかくそこをやり過ごすので頭がいっぱいになるしさ?

 いじめや仲間外れになってるときはもう、どうしたらいいのかさえわからなくなる。

 ましてや。

 これでいいんだって思えることなら?

 改める必要性なんか感じないんだ。

 改めるはずもない。

 どんなに問題があっても。だれかにあれこれ言われても。なにかやらかしたとしても。

 改めるはずがない。


「殴って済むなら殴るだけの男もいる」


 先陣を切るように線路を歩くシャルの横で、マドカが私の化け術をコピーしてライトを作り、周囲を照らしていた。その後ろを私とトモ、麗ちゃんと丈くんをはじめ、線路調査チームが追いかける。


「そういうのって、どうにかならないわけ?」

「無理じゃないかな。いつだってなにかのせい、あいつのせいって話ばかりじゃん。現実も、フィクションも。自分の問題と付き合う方向性のものが皆無とまではいわないけど、それよりよっぽど受けるでしょ?」


 マドカの発言は身もふたもない。

 尋ねたトモは憮然とした顔で口を閉じる。


「問題があるということ、どうにもできないことやものがあるということと、私たちは付き合うのがあまりにも下手すぎるのかな?」

「こらえ性がなかったり、自分の答えや解決を押しつけずにはいられなかったりするんだよ」


 私の問いにもマドカは容赦がない。

 みんながみんな、そうとは思わない。

 だけど、たとえば「考えるより行動だ」って考えていたい人たちの多さに、しばしば怖くなる。


「なんだかなあ」


 答えや解決ばかり考えていたい人たちの多さにも。

 現実と衝突して、彼らの考えと行動は波風を立てる。だけど、それさえ彼らはだれかやなにかを責めるために利用・消費する。挙句の果てには、波風を立てたことをだれかやなにかのせいにする。

 いまのアメリカ大統領なんかも典型だけど、日本の与党もだいぶやばい。

 話を聞かない。まともに対応しない。自分のしたい話しかしない。

 対話以前に、会話がままならない。

 人の話を聞くことができない。

 だから自分の気持ちを聞くこともできない。

 そんな彼らが話をすることなんて、もっとできるはずがない。

 それで通せてしまえる。

 波風立てていいんだ。相手のせいにすればいい。

 嘘になろうが暴力になろうが、何度もしていればいい。

 現実の抜け穴があるなら、そこを突いてしまえばいい。

 儲かるならいい。勝ちに近づくならいい。消耗戦に持ち込めるなら、もっといい。

 相手が波風を立てることを嫌うのなら、しめたものだ。

 「考えるより行動だ」と考えるばかりでいるなら、同じくらいラッキーだ。なんて利用しやすいんだか。


「で、その話が、あたしたちが自衛隊に狙われるかもしれない話とどう繋がるの?」

「立て続けに、まるで攻められているかのように攻撃を受けている。未だに犯人の声明はなく、だれが犯人かわからない状況のなかでは、陰謀論と共に血気盛んになる連中が出てくる」


 シャルの解説はだいぶ控えめなものだった。


「なかには過激な連中もいるからな」


 警察は特高警察の血筋を残している。自衛隊はどうか。先の大戦の、あまりにもひどい過激で偏った実態は、きちんと清算されたのか。そして清算されつづけているのか。

 正直、かなり怪しいものだ。

 警察は特高警察の血筋の濃さゆえにか、あるいは安保闘争を契機にしてか、共産党嫌いと中国憎しの嫌悪感や憎悪、怨恨の程度が深刻ではないか。

 その批判は別にできるとして、問題なのは、それゆえに疎かになる視点が常にあり、おまけに真摯になるべきところを意図的にサボタージュすることがないかってところなんだけど。これも別かな。

 なんであれ。

 日本はまとも、なんてことはない。

 それこそ答えや解決を求めたくなるくらいには、いろんな問題を抱えた国だ。

 地道にこつこつ、法と倫理を守りながら働いている人がいる一方で、そこではあらゆる学校で起きていて不思議じゃないいじめもあるし、自殺者も出ている。疾患になって仕事を続けられなくなるくらい、追い込まれる人さえ出ている。

 福祉の現場で働いている人たちの中から加害者や犯罪者が出たり、死刑囚になるような犯罪を引き起こす人さえ出てくるし、地道にこつこつ働いている人たちもいる。

 少数の人間が起こす問題は避けられない、なんて答えや解決はあり得ない。

 仮に死刑囚の生い立ちに問題があったとき、それは犯罪を正当化・責任転嫁・免罪するものではない。同じような生い立ちの人たちに必要な支援や福祉がないかを探すべく、よく調べて、よく検証するためのものだ。

 そういう意味では、あらゆる加害と、大勢の犠牲になった人や、その被害、その実態という血があふれかえっていく。

 時代と文化に、すこしでも足すのかどうか、具体的になにを足すのかは、私たち次第だ。

 悪法を足すことさえ起こり得る。アメリカで移民管理局なんてできて、無茶苦茶な加害がやまほど量産されるように。

 それとて、お国のやることだ仕方ねえ、なんて答え・解決はあり得ない。それは国の悪法に消極的に加担する、その実態と成果を足していることにしかならない。

 仕事がいろいろ右往左往するとき、たまにナチュさんにメッセージをもらう。

 売れるしかない。働くしかない。勝つしかない。

 そんな風に考えたとき、私たちは死んでいく。人間でなくなっていく。

 売れるならなにをしてもいい。働けるなら。勝てるなら。そうして私たちは狂っていく。

 あらゆることを正当化・責任転嫁・免罪しはじめる。

 自分を壊して、自分の周囲を壊していく。

 そうして出していく答えや解決の行きつく先は、いらないもの、だめなものにはなにをしてもいいという加害と、その表現、そのための、あらゆる暴力だ。

 それはとても刺激的で、耳目を集めることさえ容易かもしれない。

 私たちが普遍的に持ち、捨てるよりも抱えていたい愚かさに働きかけるのだから。

 でも、それは、人の生き方じゃない。

 周囲を家畜に見立てて餌をやる、何様気分の生き方だ。

 ろくなもんじゃない。

 人をやめるのだから、周囲を人と見なさなくなる。

 一度でも手を染めたら、足を洗えなくなる。そんな毒であり、呪いだ。食らうな、と。

 そんな言葉をもらう。

 たしかにナチュさんの言うとおりだよなあ。

 しみじみと述懐してから、気を取り直して尋ねる。


「どこまで行くの?」


 線路移動用のマシンロボを出さずに、しばらく歩きたいというシャルに付き合って移動して数分。

 もうちょっとで隣の駅につきそうだ。


「マナの分布や状態を探っていた。あまり変化がないようだ」


 とうとうシャルが足を止めた。

 左手にある指輪を指で確かめてから、振り返る。


「探知を試みる。魔法を使うが、再契約してから初めてになる。すこし離れていてくれ」


 シャルに見つめられたマドカが、両手を掲げて後ろに下がった。

 まだ、もっととシャルに言われて、ようやく許可が出たときには五十メートルほど離れていた。


「いまさら裏切る、なんてことはないよね?」


 トモが身を寄せて、ささやきかけてきた。

 気持ちはわかる。教授とは本当にいろいろあったから、手放しで信用するのは無理だ。

 でも、私はトモに「見てて」と伝えておいた。


「詫びても足りず、言葉を重ねても容易には埋まるまい。が、頼む。力を貸してくれ」


 懇願するようなささやきの後に、シャルが手を掲げた。

 指輪が金色に煌めいて、手から離れる。そして彼の手の内に移動した。

 金色が膨らみ、広がっていく。

 かつての教授が使っていた獲物はなんだったか。いまやもう印象に残ってさえいない。杖だったような気がしないでもない。だが、実際に出てきたものは杖ではなかった。

 それは実にぶ厚い本だった。

 私たちが得るのが刀なら、ユニスちゃんは本だった。魔導書とか、魔法の本とか、そういう類いの。

 シャルもそうなのだ。彼女はいまも魔法使いであり、手にしたのは本だった。


「これぞ死人目録、死者の物語。死を操る私の魔法だ」


 再度、自分の力を取り戻したにしては、シャルの顔は悲嘆に暮れていた。

 生を願うのではなく、死を認めるほかになく、それを物語ることしかできない。

 家族を生き返らせる力ではない。愛する人の死を避ける力でもない。

 死を記録して物語るだけの力。彼にとって、呪いであり、毒である力。

 カラオケで話したとき、シャルは言ったんだ。

 生まれてから現代まで実に長い間、長命のまま、ずっと愚かであった自分の象徴のような魔法を受け止められずにいる。もし、新たな関係を築けるのなら、別のものを期待せずにはいられないくらい、認められないもの。

 自分の欠点。汚点。失態。恥。醜怪で愚かなすべてを凝縮した塊。

 私には言えなかった。

 そういうものさえ、なくすことはできない。変えられるものでもない。

 付き合うほかにない。

 そのうえで、いまこれから、どうしたいかを足していくほかにない。

 それを言い出したら、教授への憎悪や怨恨をぶつけずにはいられなくなり、止められなくなりそうで。それはいま、私のしたいことじゃない。

 代わりに尋ねた。

 どうしたいのか。あなたには、それを選べるよ、と。

 問いかけたとき、自然とシャルの手元に指輪ができたんだ。

 あとは答えを彼が、ううん。シャルが示すだけ。

 選択と、具体的な行動によってのみ示される答えを、さあ、見せて。


「いくぞ」


 左手で支えきれずに両腕で本を抱きかかえて、シャルが線路の先に身を翻す。

 死者の導きを。

 そう唱えて、シャルは左手をかざした。




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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