第二千九百七十五話
一年九組と合流する。
細かな話は可能なかぎり減らして、状況を整理する。
私たちはなにも無策に移動したわけじゃない。愛生先輩たちの作戦進捗を聞き、マドカたちと情報を共有しながら仮説を立てたり、必要な戦力配分を計画したり、地下探求の班分けを練ったりした。
合流したらしたで、銀座の料亭の前に似つかわしくない高校生集団が悪目立ちしている。彼らを誘って、とりあえず新橋方面に移動。カフェは人が多い。カラオケを覗くとやっていたから早速、部屋を取る。
道中、いろいろと話したり尋ねたりする間、シャルは私のそばに来なかった。私もそばに行かなかった。
思えば、これまでずっとそうだった。鎌倉時代あたりにタイムスリップして、一緒に活動したのが最も密な時間だった。それきりだ。この事実がそのまま、私と彼女の距離だった。
すべてではない。
シャルは私のためのキューブをこしらえてくれた。私にとっては怨敵といっても過言ではない教授も、もともとは長く黒いのの元で働く人間だった。多くの知識、多くの経験を積み重ねた人物だ。
だけど、それで過去がなくせるのか。そういうわけにはいかない。お互いに。
足りることはない。すべてにおいて、足りることはない。
それでもなお私たちは積み重ねていくほかにない。すこしでも足して、すこしでもマシになるように。
食料が足りないとき、作り手が足りないなら足すほかにない。作り手の待遇が悪いのならマシにするほかない。人が集まらない理由が他にもあるなら、対応してマシにしていくほかにない。それらはいますぐ劇的な改善をもたらさないとしても、すこしでも足していくほかにない。
資源を守るのも。司法においても。教育現場の実情とか、経済情勢とか、貧富の格差の問題とかも、みんなそう。足りることはない。だから、すこしでもマシになるように積み重ねていくほかにない。
それさえ立場や考え方の違い、目指す方向性の違いだけで、いくらでも人を攻撃する理由にできる。私たちにはそれだけ過ちを犯せる余地がある。
これさえあればと錯覚できるし、世の中はこういうものだと錯覚できる。そんなことはないのに。
なにも知らず、なにもわかってない。
考えは足らず、十分ということもない。
死ぬまでそれは変わらない。変わることがない。
食べ物は湧いて出ないし、物はだれかが運ばなきゃ届かない。知識は座学だけじゃ足りず、実学だけじゃ足りない。答えてくれる便利な機械があればいいってものでもない。情報は得ればよしってものじゃないし、体験すればすべてがわかるなんてこともあり得ない。
私たちはずっと不便に生まれて、不便に生きて、不便に死ぬほかにない。
過去は消えない。傷も消えない。癒える傷は全部じゃないし、癒えても過去がなくなるわけじゃない。
忘却も、時間の経過も、すべてを保障するなんてことはまずない。
ただ、絶望することもない。
昔から、膨大な人たちが、ぼちぼちやってきた。
だけど他人任せにしていたら痛い目を見る。
昔から、膨大な人たちが、悲惨な体験をしたり、悲惨な死に方をしてきた。残酷な、冷徹な加害をいくらでもしてきた。理不尽な目に遭って理不尽な傷つき方をする人も大勢いた。これからもそういう人が大勢出る。自分もそれなりに、その手の体験をするだろう。
それでなぜ絶望することもないのかって、それでも、すこしでもマシになるよう生きてる人がそれなりにいるからだ。そして、その内容が違うだけで私たちは争いを起こす。それが、ベースライン。だから、絶望するまでもない。
おばあちゃんちにある日焼けして痛んだ小説には、まあまあの比率でしけたおじさんが主人公の話がある。しけたおじさんが、しけた人生を、しけた食事と、小便くさいお酒と、クソッタレな仕事でごまかして生きている。そういうお話が、まあまあの比率で。
自分がベースだと思ったラインが高すぎるだけ。本当は底なんてものはない。人の営みによって、ちょっとずつマシになってるように見えるけど、それらは絶対じゃない。当たり前なんてものもない。
私と教授については、その具体例が、あの日の襲撃と誘拐であり、拷問だった。
消えることはない。なくなることはない。
そういうことが起こり得るのが人生だ。
自分がマシでも、同じクラス、すれ違うだれか、自分の親や親戚、祖父母が、底のないなにかを知っているかもしれない。まさにいま、苦しんでいるかもしれない。
そういうことが常に潜んでいて、いつでも増える可能性があるのが、人生だ。
ちょっとでもマシにしたいから、増やしていく。
それだけのことじゃないか。ひどい話だよ。
「シャル」
カラオケで最初に部屋に入る理華ちゃんたちを見送り、扉の前でボトルキャップ状態になった集団の中から彼女の腕を取って引っ張る。ちょうどシロくんとギンがそばにいたから「もう一部屋借りてくるから、時間つぶしてて」とお願いした。
大人の、くたびれて疲れて、いまにも死に絶えそうな男だった教授もいまでは小さな女の子だ。ミソジニーをこじらせたであろう男に対する因果応報の術として、どれほどの皮肉が効いているかは正直わからないけど、見た目が変わって雰囲気も変わり、士道誠心で過ごす日々によって安定した少女はずいぶん、印象が変わっていた。
獣憑きじゃあんまり目立つんで、人の状態。金髪で九尾と狐耳なのが私のアイコン。黒髪になって人耳状態、尻尾もなければまずバレない。それはそれで切ないけど、変に調子づいたり勘違いしないで済むと思えばマシなのかもしれない。いくらでも高慢になる機会があって、それは私を歪ませるだけなのだから。
小さな部屋を借りて、ふたりで中に入る。
私のつけた名前で生きる少女は目を合わせない。うつむいている。
引け目や弱みがあるのだろう。
私から刀が生えたことを彼女も当然知っている。それがなぜかを、彼女ならすぐに想像するだろう。
私は否定してきたし、直視するのを避けてきた。だが、もはや明白だ。ごまかす必要性さえない。
仮にごまかすとしたら、なにかのため。役に立つかどうかは別にして。
良心は当たり前のものではない。築き、育てて、守り、育むための営みを手放したら、あっという間に崩れ去る。波打ち際の砂の城とたいして変わらない。
蠅の王を思い出す。
原典、原作じゃなくて、すこし未来のドラマシリーズ。全四話。
無人島に漂流したこどもたちの生存と政治と殺しの話。ラルフ、ドラマでニッキーという名前だとわかるピギー、そしてジャック。他、多くの少年たち。ジャックは暴力と支配と抑圧を望み、ラルフは面倒で手間がかかるけど足りない現実で地道に足していく民主主義を標榜する。ラルフのもとなら、ニッキーの知識、豊富な物語や生活基盤の安定などを果たせる。話し合いや政治的交渉、段階を踏むことなどの手続きさえ守られる。ジャックはそれを嫌う。自分の思うようにやりたい。それは民主主義を否定して、破壊するものだ。だけど、わかりやすい正義、わかりやすい利益を提示しやすいものだ。
ジャックは聖歌隊のリーダー。同じ聖歌隊のサイモンは洞察力があり、感受性の高い少年。ジャックの元ではいられず、ラルフのもとでなら過ごしていられる。だけど、他の聖歌隊の少年たちはジャックを支持する。
そしてジャックは暴力と支配と抑圧を好む。仲間になる者に恩恵を、とりわけ暴力を振るわず、振るう側に回れる恩恵を授け、積極的に加害に転じる。そうなったら、ラルフのやり方は通用しない。
もっとも効率的で合理的な選択だとして、みんながジャックのもとにつき、敵対者を積極的に攻撃して、殺すことさえいとわなくなる。かくしてファシズムは達成される。
最後は海軍将校が助けに来て、サイモン、ニッキーが殺されたラルフが辛くも救助される。だけど将校はがっかりする。イギリス人がまるで先住民のような恰好をして戦争ごっこをして、さらに死者を二名も出していたなんて。とてもイギリス人らしからぬ振る舞いだ、と。
だけど、著者からすれば皮肉であり、現実的だ。
イギリス人ならどうこうなんてことは、まず、ない。
人間はいくらでも野蛮に振る舞える。
ヒトラーがヒトラーだから、ナチがナチだから野蛮なのではない。
フランクルが夜と霧で指摘したように、人種が、生まれた時代が、場所が、環境が野蛮さを決定づけるのではない。
私たちが、どんな自分や社会を、世界を望むのかにかかっている。ただ、そこだけにかかっている。
帝国時代を舞台にしたきつめの映画でも、あさま山荘事件にしても、みんなして帝国軍人ならどうこう、革命を志すならどうこうと鼻息荒く語るが、それらは自身の言動をなにも正当化・責任転嫁・免罪しない。
ジャックの、聖歌隊たちの殺人が正当化・責任転嫁・免罪されないように。
そういう選択と行動が蓄積されるだけ。
それでなにがよくなるって?
なにもよくならない。むしろ殺人や加害が積み重なるだけだ。
そうまでしないと変えようとしない人が多すぎる、とか。そこまでしてようやく変化に至ることもある、とか。世界中に蔓延する暴力はどうなる、とか。たぶん、そういう指摘も一蹴できない。
ただ願い望むことを理由にする以外に、十分で、完璧で、成立する十二分な理由を提示できない。現状の仕組みがそこまで盤石でもないし、仕組みにファシズムなどへの防波堤となる内容を盛り込んでも破壊しようとする人たちが必ず出てくる。防ぎきれるものでもない。必然、犠牲も出る。そういうものだとか、そういう仕組みだとかじゃない。人の選択と行動の結果、犠牲が出るということも起こり得るだけ。選ばない人が増えれば増えるほど、その可能性と、実例が減るだけ。そこに物語はいらない。ただ現象と、選択と行動、その流れを具体的に、解釈せずにまとめるだけ。
底なんてないんだ。
いつだって自分が選び、行い、表現するだけ。
そうやって守ろうとするだけ。
そのために戦争で人を大勢殺せてしまえる生き物だ。それだけで戦時下の民家から飼育している犬や猫を連れ出して殺してみせる生き物だ。欲しがりません勝つまではだの、十五円五十銭と言ってみろだの、いくらでも底抜けの悪意を正当化・責任転嫁・免罪して、人を殺せる生き物だ。
底なんてない。
だから作るんだろ。守るんだろ。
差別を問題として捉えて、これを決して認めないんだろ。
ジャックの選ぶ社会には反吐が出る。彼のようなスタイル以外は生きられない。先もない。
地味でも退屈でも、時間がかかるんでも手間でも、面倒でも、痛くても、すこしでもマシになるように積み重ねていくよ。私は。
「指輪をあげる前に、すこし話をしよう」
「そ、それが必要なのか?」
「うん」
返事がない。
おまけに、まだ目が合わない。
不思議なもので、私は彼女を見ている。
いつまた刀が生えるような情緒的・身体的反応が生じるかわからないのに。
私のほうがよっぽど落ち着いて彼女を見ている。
怖がっているのは私だけじゃないようだ。
「名前は、なじんだ?」
「う、うん、まあ、その。いくつかある名前の中では、気に入っている」
すこしだけ目を動かして私に向けようとするのだが、直視に至らない。
気を遣っているからか。それとも、ますます怖がらせてしまったのか。それ以外の理由か。
「腹の探り合いみたいになっちゃうね」
「そ、そうだな」
「落ち着かないね?」
「あ、ああ。いや、こちらが一方的に悪いのであり、その」
頭の中で教授の姿に置き換えて考えてみる。
あんまりおかしく感じない。おばあちゃんちでおじいちゃんズやおじさん、おばさんが普通に叱られてるところを見たことがある。明らかに非があって、こどもに叱られてるケースもまあまあある。
加齢は問題をなくさない。むしろ深刻にさえする。
あんまりじっくりしっかりと、深い付き合いをしてきたわけじゃないのかな?
つらさやしんどさとの付き合いに慣れてる感じが一切ない。あるいは、シャルに見えてるものがあんまり重たすぎるんだろうか。その可能性はある。
「じゃあ、深い話はいったん置いといて、流れを確認しよう。私、思いついたことがあってさ」
金色本を出して、般若やクローンたちから引き抜いた紙を取りだそうと試みる。だけど、途中で手を止めた。引き抜く段階で勝手に血でじっとり湿るのだ。引き抜いちゃったら、お店を汚してしまう。さすがにそれはまずい。
「その紙が連絡で流れてきた連中の核か?」
「そう」
食いついてきた。
事務的で義務を感じる話題なら乗ってこれるんだ。
「これって考えようによっては、憑き物のようだと思わない?」
「死した血肉に取り憑く寄生虫のような術か」
寄生虫は思い至らなかった。でも言い得て妙かもしれない。
重要なのは、この憑き物だ。光明があるとしたら、こいつだ。
「こいつを見つけて、私に掌握できるものに化かすんだ。それならクローンや般若たちそのものを化かすよりも、ずっと力を節約できる。それに、いつかの黒いダイヤを覚えてる?」
「無理矢理、別の個体に変えて爆発するよう仕込んだ術か?」
「そう。そうしたものにも、似たような術が使われていたら、これを解除できるかもしれない。今回の雪と氷の壁や、マンホールから突き出る氷の柱にも有効なんだから」
問題は私だけでやるとなると、非常に手間がかかるということだ。
「ファリンちゃんは邪を自分の霊子に取り込む術を持っている」
お菓子や食べ物に変えて、ぱくぱく食べるのだ。彼女は。
転化の術を士道誠心に教えてくれた彼女には、様々な心得がある。
「おんなじように取り込むことができれば、私ひとりでもなんとか回せるんだけど、生憎と同じ術の心得がまだないの」
「また、自分を犠牲にするような無理をする、というのか? なんでそこまで」
「しないよ」
「え、し、しない?」
驚いている。とても驚いている。
彼女は私を聖人かなにかのように考えているのだろうか。
私はひとりでなにかを背負い解決する聖人にもヒーローにもなれないし、なりたくもない。
みんなで挑んでいく、そのなかのひとりがいい。
そして、ひとりとして、みんなと挑むのは、ひょっとするとひとりで背負い挑むより、ずっと面倒で、ずっと怖くて、ずっとむずかしい。
アベンジャーズはふたつに分かれて戦ったし、蠅の王では少年たちがふたりの少年を殺すに至った。
「ことは関東中に及ぶ可能性がある。もっと広大になるかも。関東事変の再来か、それ以上の規模になる可能性がある。そもそも現状で、既に手が足りてない」
般若ロボはいまも増えているという。
卒業生チームが遊撃隊となって退治していて、いまのところはかろうじて退治する速度が上回っているものの、いつまで現状を保てるかがわからない。相手側の出現速度が増したら、たやすくひっくり返されてしまう。それに敵の手段が氷による移動経路の封鎖、般若やクローンや卵の出現に留まるとは限らない。
「じゃあ、どうするんだ?」
「単純だよ。みんなの力を借りればいい。足りない手は、増やすんだよ」
黒いのカメラのおかげで、ひとつわかったことがある。
私の術をみんなが使えるようにすれば、それだけみんなの協力を得られやすくなる。
「私はあなたに指輪を。あなたは私に霊力を。黒いのの残してくれた霊子と繋げられる術を私とあなたで作って、それをカメラみたいに形にする。あとはみんなに渡して、この状況に挑むだけ」
立ちあがって、拳を握ってみせる。
「名づけて! 不思議道具で士道誠心みんなで解決! 敵の術を打ち破れ作戦だ!」
ドラちゃんがいない? しんちゃん映画の相棒がいない?
なら、私がなってみようじゃあないの!
だいじょうぶ。仲間なら、もういるんだから!
「な、長くないか?」
「おぅ!」
そっ、そこは今後、要修正事項ということで!
tうづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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