第二千九百七十三話
できるかぎり巨大金色狐火を出しながら、近づいていく。
主体的に事態に挑むのなら、主体的に足りないものにアプローチしていかなきゃね。
足りないものを補うにはひとりじゃ足りないこともやまほどあるけれど、自分ひとりには限界がある。どう生きるにしたって、自分じゃどうにもならないこととやりくりしてかなきゃならない。
あいつとの間にある道路や壁に巨大狐火を飛ばしては、金色の皮膜を張る。どんなケンカになろうと、被害をすこしでも防げるように。
駆け出してきた般若が巨大な拳を振りかぶり、私へと突き出してくる。小さな私など簡単に破壊できると言わんばかりに。
工作を続けながらも、右の拳を引いて、前に突き出した。手のひらの前に、巨大狐火で化かした右手が動く。あいつの拳を受け止める。それでもあいつは押し込んでくる。ならばと、ぐっと引き寄せて離す。そのまま、あいつの右腕に足をつけた。
歩いていく。あいつの顔のそばに。
すぐにでも腕を動かすか、もう片手で払いのけにくるかと予想した。
あいつは私を見ていた。ずっと。あるいは固まっているのか。
「言いたいことがあるなら、言って」
声を上げる。
「ぜんぶ言って。なんでも言ってくれていいから」
そう訴えても、動かない。なんだ?
なんで次の動きを見せない。
列車は消えたが、飛行機は。気にして周囲に目だけ向ける。見当たらない。
獣耳で聞こえる音は遠ざかっていく。
わざわざ巨大化させた。回復させたこの般若から、遠ざかる。合体しないのか。これと。
「す、け」
「え?」
どこからか、かすれた声がした。周囲を見渡す。
訴えが続く。
「たすけ、て」
「し、て」
足元を見下ろした。目や口があべこべに生えていて、それらが私を見て、私に訴えている。
いつか見た光景だ。これが初めてじゃない。空に浮かんだ、あの惨い城で見たものだ。
『春灯!?』
『ハル、どうしたの!?』
「いない」
ここには術者がいない。
犠牲になった人しかいない。
人を模したもの扱いされた、そんな人しかいない。
この般若さえ、作り物だ。
目や口が表面に増えていく。けれど、内から圧力がかかるのか、目が飛び出したり、舌を出しながら破裂していく。悲鳴が続く。術者の支配が、彼らの抵抗を潰していくように。
「やめて!」
とっさにかがんで金色を注いだ。般若ロボ全体に浸透するように。火事を前に蛇口をひねる度合いを制限する人がいるか。全開で注ぎ込む。注ぎながら理華ちゃんの指輪をしっかりとはめる。
「出てこい。出てこい! 惨いことをする邪な奴!」
叫びながら、探る。私の金色を求める人たちと、混乱したり反発したりする人たちの霊子を感じる。金色への刺激から。
刺激のなかに、ひときわ単純なものがあった。
痛みでも恨みでも恐れでも歓喜でもない。その先にある膨大な情もない。
ただ面倒がる実に薄い刺激が。
掴んで、引き抜く。
「おまえ!」
確かな手ごたえを改めるために手の内を見た。
濡れた紙だった。
赤黒く染まった、たった一枚の指示書。
「お、ま、え」
死ね、と。
ただそれだけ書かれた、たった一枚の紙きれ。
引き抜いただけで足元が崩れていく。血と臓物に戻っていく。それらがクローンになることはない。卵が生えることもない。ただ、散っていく。彼らを縛るくさびが引き抜かれて、もう終わった。それだけ。
高速道路に降り立って、周囲を見渡した。それじゃ足りずに金色雲を出して、一般道に移動する。巨大般若の足さえ消えてなくなっていた。
「それだけで、こ、こんな紙切れだけで、こんな」
握りしめると液体があふれてくる。
血だ。だけど、だれの血だ? これを書いた人間の血じゃない。
使われた人たちの血に決まっているじゃないか。
「こんな!」
握りしめて、燃やしてしまいたくなる。
目が熱い。頭全体に広がり、体中が震えてくる。手足に変えた四つの巨大狐火を散らし、続いて壁や床などを覆った金色を袋代わりに化かして、般若だったものの血や臓物を集めておく。
思考は冷静にマシな策を訴え、身体の落ち着くところはそれに従う。
だけど激情は許さない。怒り狂う。
記録しろ。
これは絶対に残せ。失わせちゃいけない。貴重な手がかりだ。
だけど、これは敵の悪意の象徴だ。冷淡で冷酷な、人の無慈悲さそのものだ。
こんなもので多くの人をどうにかするなんて。
「ふざけるな」
叫びたいのに、大きな声が出ない。
金色を注ぎ、紙を霊子に分解していく。金色本を出して収録していく。他の、ばら撒かれたもの全部も同じように。
クローンも卵も同じかもしれない。
ふざけた紙きれ一枚程度で使われていたものなのかもしれない。
泣けて泣けてしょうがなかった。
腹が立って腹が立ってしょうがなかった。
こんなに許せないことがあるのかよ。
頭が痛い。熱くてたまらない。それに気を取られていたから、近づいてくる人型に反応するのが遅れた。まだいたんだ。狐火で捉えた範囲が雑だった。当然だ。ろくに見もせず、雑にやれば抜けも出る。
カゲくんやトモがいるんだから、みんなはだいじょうぶだと思った。私の勘定が抜けていた。
両手をだらりと下げた全裸ののっぺらぼうが私めがけて駆け寄ってくる。つるつるの頭部、真横にぱっくりと割れて乱杭歯がびっしりと生えている。
エイリアンもどきのような巨体が迫る。だけど、あれさえ紙切れ一枚で操られているものに過ぎないはずで、それって犠牲者とどう違うというのか。
距離が詰まる。ためらう。そんなことしてる暇なんかないのに。
身体が強く押し飛ばされるような衝撃を感じた。轟音が、強い風が私をさらに襲う。
シロくんが通り抜けたのがわずかに見えた。直後、ギンの腕が素早く動く。銀閃の後、巨漢がいくつもの肉塊に切り裂かれた。
刀を振って血を払い落とす。
「おい!」
「青澄さん!」
シロくんが駆け寄ってきて、私の両腕を掴んで揺さぶった。
「しっかりして!」
すぐに答えることはできなかった。
・
先輩たちの通信が錯綜していて混乱ぶりがうかがえる。
生徒会から支給された無線機とイヤホンからは春灯ちゃんが突き止めた都内ロボットたちの真実が共有されたのち、すごい速度で刀鍛冶たちによる解析が進んでいく。春灯ちゃんが構造を読み取りさえすれば、刀鍛冶の先輩たちが辿る術を得られるという手順らしい。
巨大なロボット一体であるかぎり、紙切れは一枚。だけどロボットが吐き出したものが人体や卵になると、それぞれに紙切れが一枚宿るという。その紙切れを取り出してみせるか、御霊を宿した侍候補生が斬らないかぎり、相手は活動を止めない。
これほどの実戦に挑むには、私たち一年生は未熟すぎる。
けれど立沢理華には仕事があった。博士さんから呼び出されたのだ。彼女の自宅兼店舗でも、彼女と出会った店でもなく、銀座へ。指定された住所に向かう足が途絶している、この状況下で「あなたなら来れるでしょう」と言われてしまった。状況が状況なだけに瑠衣やスバルたちから絡まれてしまい、指輪の知る転移の魔法で、九組全員で赴くことになった。
同行してもらった瑠衣たちにイヤホンを委ねて、たどり着いた建物を見た。ガラスと木枠の引き戸の前にプレートが設置されていて、メニューが置いてある。引き戸を開けて中へ。石畳を抜けて、建物のドアへと向かう。
「だだだだだ、だいじょうぶぅ!? すっごく高そうだよ? ひやかしだって思われないかなあ!」
「私お金もってないよ?」
「あたしだって持ってないって」
「だいじょうぶですか? 追い払われませんか?」
「京ことばで辛辣に追い返されそう」
みんな弱気だ。けれど博士さんから送られたメッセージと同じ店名がついている。間違いなくここだ。彼女は冗談を言うタイプではないから、私は臆さず行く。
正面の入り口である扉に手を伸ばしたところで、扉が開けられた。自動ドアじゃない。扉が擦れる音。ゆっくりと開く手。つわぶきの黄色が鮮やかな着物を着た中年の女性が品良く、ぴんと筋の入った見事な立ち姿で私たちを出迎えた。
どうぞと言葉少なく案内される。履物を脱いで、よく磨かれた木の床を行く。十六畳ほどの和室に案内された。低いテーブルをはさむように置かれた座布団四枚。いずれも人が座っている。博士さんと小さな女の子、向かい側に議員バッジをつけたスーツ姿の推定二十代男性と、やはり議員バッジをつけたスーツ姿のてっぺん禿げの壮年男性。低い座椅子には、豊かなひげをたくわえた壮年男性がいる。
「これはまたずいぶんと人数が多いね」
「真衣ちゃん。彼らが?」
「うっかり。人数を指定するの、忘れてしまいました」
博士さんは三人にごめんなさいと笑ってみせる。少しも悪びれていない。
「ひとりだけ。あとは別室でお待ちいただけますか。お食事を楽しみながら。支払いはお気になさらずに」
彼女は私にそう笑顔で言う。特に注意することもせずに。
ならばと私は瑠衣たちに頼んで、私ひとりで残ることにした。
とはいえ座る場所がない。困っていたら、博士さんといつも一緒にいる女の子が案内してくれた女性、いわゆる仲居さんから受け取った座布団を持ってきてくれた。
「ありがとう」
返事はなかった。いつだって少女は無口だ。
隅にでも置いて座ってやろうかと思ったが、博士さんに「こちらに」と誘われてしまった。低い座椅子に腰かける男性の、テーブルをはさんだ向かい側だ。最も出口に近い場所。
呼び出しておいて下座ですか。
行き場もないので渋々従い、いやいやながらに正座する。
それから顔をあげたときだった。
「呼び出したのに、ごめんなさいね。年を取ると足が弱くなる」
「こちらも足が痺れちゃっていてね。いたたた」
向かい側の男性と、頭頂部が剥げた男性がすまなそうに笑ってみせた。
どちらも立ちあがって席を譲ることはしないが、言い訳くらいはする、と。
それくらいで許すと思うなよと内心のガードは下げなかったが、よくよく見ていて気づいたことに驚く。ふたりともテレビで見たことのある顔だ。
頭頂部が禿げた人は現与党で長く議員をしている現役で、防衛についての論陣を張ることでテレビ出演の機会が多い人物。東実。あずま、みのる。
そして向かい側の男性、東議員よりも年かさの人物はというと、政界を引退した人物ながら記憶にある。なぜか。彼もまたテレビで見たことがあるからだ。だからこそ意外ではあった。彼は与党の人物ではないのだから。かつて政権を取り、いまでは野党になった総理経験者だ。柚島勝。
「え、と」
「気にしないでいいよ。呼び出して無理な用件を頼もうとしているのはこちらだ」
「慇懃無礼で申し訳ないのですが、話を聞いていただけますか」
ふたりして穏やかに、力強く、優しい声音で語り掛けてくる。
表面的には柔和に見せながらも有無を言わさぬ力があり、手ごわい。
父から聞いたことがある。実際に会ってみるとできる政治家ほど懐に入るのが上手なものだと。
「まずは自己紹介から参りましょうか」
博士さんが音頭を取って自己紹介をしあう。といっても博士さんが私の名前をみなに、それから私にみんなの名前を教えてくれるという段取りだ。ホストに徹しているのは彼女だけ。
私の予測は正しくて、彼らは身分を隠さない。驚きを禁じ得ないなか、柚島が「きみの御父上を知っているよ、一度ご挨拶したことがある。利発な娘さんがいるとうかがっていたが、なるほど道理で」と当たり前のように語る。秘書がいて知らせたのだとしても、そのささやかな機会をこういう場に持ち込んできて微笑まれると、柔和な態度も重なり、ころっとやられてしまいかねない。
「ご用向きとは、どのような」
「どのような、と言わせてしまいましたか。気負わせてしまったかな。議会の政治の話ではなく、いま立沢さんの所属している学校が対応している事案についての話だ」
「女子高生にこんなことを言ってもどうにかなるものじゃあないと思いますがねえ」
大泉孝太朗と紹介された男が不満げにこぼすが、博士さんが一瞥しただけで黙った。
「きみたちは今回の事態を引き起こした者を探しているんじゃないかな」
東議員がそう言ってから大泉を一瞥した。
「大泉くん」
「わかりましたよ」
加えて東に促されて、大泉が渋々傍らのバッグを手にして、ファイルを取り出す。
クリアシートに覆われたファイルに綴じられた書類だ。テーブルにぺっと放られた。彼だけは私を雑に扱うことにためらいがない。そのことから三者の格の差が明らかなようにさえ思えた。
博士さんがわかりやすい嘆息を吐いた後、ファイルを手に取って私に差し出してくれた。小物がだれか、こうなればいっそ露骨なくらいだった。
受け取ったファイルを開いて中身を確認する。
シートの表面の紙は何枚かのページを挟みながらも、透けておらず、内容がわからない。開いてみると、ひとりの人間の履歴書のコピーと、黒塗りされたなんらかの計画書だった。「■■■■■■■■■計画」みたいなのりだ。マーカーで横に線を念入りに引いているので、黒塗り箇所に何文字あるかもわからない。
あんまり黒塗りがひどくて困る。のり弁当なんて揶揄されることのあるが、よくわかった。
黒塗りが多いものだから、わずかな単語や文章が少なくてわかりやすい。
「霊子、兵器、内乱、世論形成ですか」
「そんな過激なことを思いついて実行する連中がいたら大騒ぎだろう?」
「どうにかできる人材が必要なんだが、この状況じゃあ頼りがなくてね。はみ出し者同士、こうして知恵を出し合っていたら、真衣ちゃんがいい子を知っているという。そこで、ここまで来てもらったんだ」
戸惑いをごまかせない。
「もっと、こう、メッセンジャーが伝えに来るような内容では?」
「関東中がこれだけの騒ぎになっている最中に?」
東の返答に次の言葉が浮かばなかった。
既に八方手を尽くしたうえでの、大泉が呆れかえるような「女子高生を呼び出して頼む」という、末路。
「悲しいかな、いま明確になにかができる立場にないのでね」
お願いしたいと頭を下げられる。
断りづらいことを突き付けられたものだ。
「ふう」
息を吐いて履歴書を見る。
名前は黒塗りされていた。写真も黒塗り。履歴も黒塗り。性別も年齢もわからない。
趣味の欄だけが残されている。実にふざけたのり弁当だ。もっともあてにならない趣味の欄だけ残すなんて。
「線路を歩く?」
「特に地下鉄が好きで、鉄道会社や駅のホームに居合わせた人が何度も通報。東京の地下鉄の線路に何度もおりては、どこへともなく走り去ってしまったようで。警察に捕まったことが何度もあるそうです」
博士さんの解説は書類のどこにも記述されていない。
「そんな人物が、もしもひとりだけじゃないとしたら?」
「え?」
「まるで都市伝説のように、同時多発的に線路に飛び降りる人間の話が流布されていたとしたら、どうでしょうか」
博士さんは中空に視線を向けて、歌うように語る。不思議な音の変化。和音階で語られる言葉。
「捕まった人数は、届け出の数の二分の一にも満たないとしたら、どうでしょうか」
消えた人たちがいるのかもしれない。
彼らはどこへ?
地下迷宮へ、とでも言いたいのか。
「地下鉄だって地上の線路のように点検を実施しているはずです。多くの人間が潜む場所なんて、そもそもあるはずないのでは?」
端的に無駄だからだ。そんな空間を作る費用が無駄になる。意味がない。
それこそ博士さんが言ったような都市伝説として、地下鉄の広まる東京地下に余人の知らない空間がある、なんていうものがあったとしても不思議ではない。だが、仮に存在するとしたら、それはまず開発のためであり、開発して儲けるための具体的な目的のためであるべきだ。
工事が必要なのだから。
「当然、見つけられなかった。あるはずがない。けれど、それを言ったら巨大な二足歩行するものが跋扈する現状は? 肉の巨大な卵が突如として出現する状況は? あるはずがない」
「あるはずがないことが起きているのだから、むしろあるはずがないことを頼りに探ったほうがいい、と?」
「これがもっとも繋がりを感じられるもの。私の勘を添えて得られた微かな光明。これ以上の暴虐は許されるべきではない。だれもが手を尽くして止めるべき事態になっている。だから助けてほしいの。あなたたちの裁量に任せられることがあるのなら、手を貸してもらいたいのだけど、どう?」
ひとりと少女を抜いた三人から熱い視線を浴びる。
断る理由はない。ないが、確認はしておきたい。
「空振りだったり、うまくいかなかったりしても、怒ったり訴えたり、なにかで脅したりしないでくださいね?」
「もちろん。善意の情報提供です。貸しにはしますけど、それは食事代次第かな」
「な!?」
博士さんがにっこりと伝えてきたところで固まる。
くそ! はめられた!
支払いは気にしないでとはいったが、おごるとは言っていなかった!
『彼らが食べずに待っている可能性もあるのではないか?』
指輪の問いに私は答える気も起きなかった。
食べる。絶対に食べている。今日はひどい騒ぎで気を張っていて、だれも食事をとらず、ろくに休息もとれなかったのだ。これ幸いに大食いしているにちがいない。
私も食べたいくらいだ。おのれ。
「じゃあ、前借りで食事代として、私も食事してきても?」
「交渉成立ね」
手をひらひらと振られた。
女の子が私に両手を差し伸べてくる。すこし戸惑ったが、遅れて気づいた。
「ありがとう」
ファイルを少女に渡すと、彼女はすぐに立ち上がって気に入らない優男議員のそばに駆け寄っていく。
大泉は私を見る目も表情も、実に疑わしげかつ馬鹿にしたものだった。それに比べると、壮年のふたりは「どうか頼む」「吉報を待っています」と会釈をしてくる。この差よ。
痺れた足をなだめながら、ゆっくりと、せいぜい優雅そうに歩いてみせて、部屋を出る。
『あの資料の出所、尋ねても答えは得られなかったのだろうか』
どう答えられても私たちにその真偽を確かめるすべがないというほうが正確だ。
それにいまはこれで十分。
『どこまで疑っている? あの部屋のことを』
あるいは、あの人たちのことを?
さあ。
興味は尽きないんですが、残念ながら博士さんの言葉で信用できる事実があるんです。
あるはずのないことがやまほど起きている、それを私たちは止めなくてはいけない。
つづく!
お読みくださり誠にありがとうございます。
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