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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第二千九百七十二話

 



 般若の巨人が拳を握り、首都高に振り下ろす。

 一度、二度、三度。癇癪を起こしたように。

 動きを見せたあいつの攻撃から町を守るには、思いきり金色を展開して防ぐしかない。三つの狐火を飛ばして作った防護膜を鋼の拳を何度も打ち据える。見ていると自分の手まで痛くなりそうな、一切の力加減を考えていない一打を繰り返す。

 なにせ巨体なので、動作が大きく重たい。なによりも鈍い。

 一撃でヒビが入る、ということはない。だけど押し込まれる。

 おじさんお仕事ドラマじゃ負けたおじさんが物に八つ当たりをするシーンが、ほぼ確実に入る。机の場合、机の表面が目に見えて破壊されることはそうそうない。だけど、机を支えている脚や、脚と机の各部位を繋ぐネジなどに明らかなダメージが入る。歪み、壊れていく。

 それと同じことが起きてしまうだろうから、壁を支えて踏ん張る力がいる。八尾に力を貸してと祈るように、三つの狐火の密度を変える。板はもちろんだけど、板を支える柱と、柱が支える構造を強化しないと。

 般若マシンは、ぱっと見てひとり。

 耐えきれるかどうか。

 両こぶしが振り下ろされるたびに激しい音が響き渡る。マシンロボクラスの台パンだ。

 それでも、ひとまず耐えている。

 あの癇癪、癇癪の先にあるいくつもの感情、感情としてわずかに表出される背景にある情緒的・身体的反応、それらを発生させる脳の処理、脳が引き受けた刺激、そして脳が参照する体験や記憶。

 本人が圧倒されていそうな膨大さに向き合うには、足りない。

 あいつに関わることから逃げたら、なんにもならない。

 怖い。

 だから勇気がほしい。

 いまできること、やれることに閉じた挑戦だと、見えない。なにが足りないのか。なにが必要なのか。

 学べば事前にわかるなら、それに越したことはない。なぜそうなっているのか、その仕組みを理解することが助けになることなんて、やまほどある。

 困ったことに結論だけ借りてきて、学ぶことも挑戦することもしない状態のことが多すぎる。

 学んで、それでも足りないことを挑戦していきたいけど、学べてないのに「もう舞台のうえだよ、さあやって!」と求められることが人生には多すぎる。学ぶことだって、一生のうちにカバーできないことが多すぎる。

 だから、ばかでもいい。勇気がほしい。

 足りないものを見つけるために、気づくために、知るために、失敗がいるの。

 勇気がほしい。

 挑む勇気を。学ぶ勇気を。失敗する勇気を。


『いまさら必要か? ぬしには玉藻がついておる』

『友もすぐに駆けつけるだろう。どんとやれ』


 そうだったね。

 ああ。うん。そうだった!

 ぼっちでいるかどうかは選べるんだ。

 事実、ひとりだったとしても、この世にたくさんのひとりがいるんだ。

 ひとりを受け入れる勇気と、ひとりのままでもみんながいる世界を生きる勇気を持てるのか。

 都合の悪いものも、理不尽なことも、冷酷で冷淡なだれかがいることも切り離せないこの世界で。自分にも、その問題がやまほどあるっていう、この前提と共に生きて、挑み、世界や領域を広げては足りないもの、失敗、引継ぎされる歴史を含めたあらゆるもの全部こみこみで生きる勇気を持てるのか。

 持てないんだよ。

 だから、私たちは求める。多くのものを。

 得られない人生も数多ある。

 できることに閉じていって、とうとう家の外に出られない人生がいっぱい! ある。繰り返すだけの日常から出られなくなる人生だって、めいっぱい! ある。

 そんなとき、皮肉なくらい足りない必要が見つかっていて、でも、その必要を満たす確実性なんかない。むしろ無理だという、だめだという実感ばかりが増えていく。

 持てないままでも生きるんだ。選ぶ選ばない以前に。

 あとはもう、だから、なにをどう望み、表現するのか。

 話はいつだって、そこから。

 あんまり足りないことだらけなとき、せめて、欲しいんだ。

 さあ行こうと言える人が。

 おかえりと自分を慰め安心できる家が。帰る場所にある関係性が。

 明日の心配がいらないことが!

 足りないよ。

 足りなすぎるんだよ。

 直視したくないことも、できないことも、言葉にできないのに圧倒されることも、人生には多すぎる。

 だから支えがいる。あればあるだけいい。わかりきったことだ。

 足りないからって、いまあるものがどうでもいいってことじゃない。

 その逆。

 とても大事だ。

 私はひとりじゃない。

 それって、すっごく大事なことだ。

 だれかにとって、私がいるって、それを行動で表現できることもね?


「よし、やるか」


 結論がわかるから捜査するんじゃないし、名探偵が足を使ったり話を聞いて回ったりするんじゃない。

 治せるから医者や専門家が患者と関わるんでもない。

 起きた火事をなかったことにできるから消火活動をするんじゃない。

 幸せになれるから生きてるんでもないし、不幸せじゃなくなるからがんばるんでもない。

 ぜんぶ、ちがう。

 生まれた。

 生きてる。

 さあ、どうする?

 どう生きたい? どんな自分でいたい? どんな世界を望む?

 問いはシンプルだ。


「巨大九尾モード、解除!」


 膨大な霊子を消費して維持する術を解除して、獣憑きに戻る。

 だけど巨大狐火は維持したままだ。

 理華ちゃんの指輪をはめる。九つのうち、八つを四方八方、既にあいつが吐き出したものがかかった場所へと放つ。壁面や床、道路などにぶつかった瞬間に爆発させて、飛び散ったものに金色を付着させたうえで指輪の力を借りて、私の金色と混ぜて術を破壊。クローンや卵を溶かしていく。

 ぜんぶ力技だ。

 できるかぎりをやる。うまくいかなくても、やれるだけやってみる。

 残りひとつの巨大狐火をばらして九つ、周囲に漂わせながら進む。金色雲を出しながら歩いていく。

 癇癪がおさまることはない。だけど波はずっと押し寄せることがないように、押し寄せたら、引く。その引いているときが自分をおさめ、なだめる格好の機会だ。だけど、次の波の押し時に向けての理由探しや意欲をためる絶好の瞬間でもある。

 そもそも抱える衝動や激情が強いときには、圧倒されてしまう。意識や自我なんて、衝動や激情に押し流される海底のちぎれたわかめみたいに、身をゆだねる以外に術がない。

 あなたはどうなの?

 問うように相手を睨む。

 睨みながらも頭の中では別のことを考える。

 ポラロイドじゃなくて、チェキ。無茶を言うよね。

 両者の違いは、フィルムのサイズ。現像の時間。発色や画質もちがう。チェキはずっと安価だ。なんなら両方使って、ここぞという場面をポラロイドで撮るくらいでもいいかもしれない。それくらい、ポラロイドはフィルムがお高い。

 じゃあ、その仕組みは?

 ざっくりいえばデジタル以前、アナログ撮影で化学反応を利用するものは、基本的に発光を通じてフィルムに像を焼きつける。そのためにフィルムを加工してある。

 でもって、さらに化学反応を利用する場合、暗室でフィルムの現像処理をする。フィルムの化学物質に現像用の液体を利用することで化学反応を促して、フィルムに像が出るようにする。これが、現像だ。

 モノクロからカラーに、そして昔から現代になるにつれて、化学物質と化学反応の精度も質も変化している。

 興味があったら、キャノンがホームページで掲載しているサイエンスラボを見ると細かく説明されている。さすがはカメラメーカー。

 ポラロイド、そしてチェクのなにが画期的かって、それまでのカメラは撮影で化学変化を与えたフィルムを元に、現像する手間が必要だった。これを省けるようになった点だ。だけど、言いかえると現像の手間をポラロイド、チェキは単独で内包する必要性がある。

 その仕組みがフィルムにある。

 発光させてフィルムに焼きつけたら、今度は排出する際に現像液がフィルム全体にいきわたるようにして、じわじわと化学反応を促す。それによって、現像が始まっていく。

 スマホ世代と親戚のおじさん、おばさんたちに揶揄される私やトウヤだけど、フィルムという現物が得られるポラロイドはけっこう響いた。データだと、いちいち紙にしないんだよね。で、管理が面倒になるし、だんだん見なくなる。紙でも一緒だけど、紙はインテリアに飾れる。スマホはせいぜい壁紙くらい。ずっと同じ壁紙っていうのもなんだし、画面のサイズ的に多くの画像を飾れない。

 すこし話を戻して、フィルムは進化を遂げている。

 ポラロイドは一時代を築いたばかりか、ポラロイド社が2008年に経営破綻により倒産したのちでもブランドは復帰。インポッシブル社に技術が継承されてブランドは継続、フィルムが販売されているだけじゃなく、新たなデジカメ販売などが行われている。

 そんなポラロイドよりも、チェキは後発だ。1998年11月に初代モデルが出た。ポラロイドの最初が1948年であることを考えると、実に50年もあとの製品だ。富士フィルムによる一大製品だったのでは。

 この時間差はもちろん、フィルム技術にも活きている。住み分けされているとも言える。

 ポラロイドはパソコンの画像加工ソフト、それをだいぶコンパクトな形にして取り入れたスマホの撮影補助機能や加工機能で編集したような、独特の味わいが出る撮影感。一方、チェキは光源次第なところもあるけど、わりとそのままの色合いが撮影できるという。

 ポラロイドはちび時代、チェキはろくに触れてないから印象でしかないけどさ。このあたりのちがいからも、両者の感光・遮光や現像、フィルムの化学物質の配合から構築まで、いろんな差が見て取れそうだ。

 現像液が浸透して、まさに化学反応が起きつづけることでフィルムの現像が行える。

 だからポラロイドもチェキも「振らないで!」なんだね。

 現像中だから。

 パスタを折るようなもの。炊く前のお米をすりつぶすくらい研ぐようなもの。

 やめて! 台無し! だめになる!

 フィルムサイズも小さいチェキはポラロイドより早く、よりくっきり、より鮮やかに! が狙いだったのかな。

 なにせポラロイドは時間がかかる。他の写真はもっとかかる。だから需要はずっとあったんだろうなあ。

 どうせなら、すぐ見たいよね。もっといえば、すぐに渡せるといいよね。現物として。

 共有したいし、早く見たい。待つのがじれったい。あとシンプルに面倒。なにげに写真屋さんにお金を払うのも、ね。

 逆にいえば、その営みがあったからこそ写真屋さんの産業が成り立っていたし、それだけ雇用があったってことでもあるんだけどね。

 話がそれてるぅ! でも、いつもの調子が出てきたぞ? よしよし。

 そうだ。あいつは表現してる。その選択がずれてて、間違いだったとしても、表現してる。出したいし、見せてる。残念ながら、あいつ自身、よくわかってない可能性が濃厚。でもってそれは私も同じ。人間だれしもそう。

 脳の処理なんて自覚できない。脳が受け取る五感からの刺激情報も具体的に理解することは無理。いま感じ取れる仕組みも、刺激を脳が処理して反応が生じて感じ取れる仕組みも十分すごすぎるんだけどね。

 私たちには行きかう情報をすべて理解しきることができない。

 情緒的・身体的反応を私たちは様々な単語や概念で理解するようにしている。だけど単語や概念は小さな器でしかなくて、膨大な情報から掬い取れるものには限界がある。

 感情も、感情を表す表現も小さな器のひとつに過ぎない。

 私たちは自分を理解しきることがない。

 女性蔑視の高齢男性が「女性は感情的だ」と揶揄するけれど、彼らこそ感情をそもそも理解していないし、学習が足りてない。体感する感情をちゃんと考えてないし、差別の自覚もないから手に負えない。

 おばあちゃんちに集まるおじいちゃんやおじさんたちがモロにそれ。

 でも、わからないし、わかっていないという点においては、だれも彼らを笑えない。

 私も、あの般若ロボも同じだ。

 そもそも理解するしないじゃない。感情もそう。わかるわからないじゃない。

 ゼロかイチかじゃないんだ。

 探求していくもので、見えること、見えないことを増やしていくものなんだ。

 関わりだってそう。

 なんで私たちはゴールもなければゼロイチでもないのに理解しようとするのか、考えるのかってさ?

 そうやって知り合っていくし、ひとりでいられないし、自分でいられないし、生きてけないからだし?

 なにより、それが安心するんだよね。

 ちゃんと見てくれてる人がいて、知ろうとしてくれる人がいるから、ほっとする。

 養育環境で、そういう養育者との関わりを通じて私たちは学んでいく。逆にいえば、学ぶということは、学べないってこともあり得る。分岐ができるんだよ。

 学べたとしても、それを維持できるとはかぎらない。維持するという筋があるとき、同時に維持できなくなるという分岐が生じる。

 つらい目に遭ったり、犯罪加害に遭ったり、いやなことがあったりするだけで、維持できなくなる。

 当たり前じゃないんだよ。

 当たり前じゃないの。

 しかも、その当たり前じゃないことは太古の昔から変わらないし? 追いつめられた人は自分か周囲を傷つけるようになるの。

 すごくわかりやすく自明のことで、これもアリストテレスやソクラテスの時代から変わらない。きっともっとずっと昔から変わらない。

 学問の積み重ね、進歩。文化の変化。細々とした技術の蓄積。それらがかろうじて、すこしずつ日進月歩で状況を変えている。絶対的な困窮の実情を変えられる術も増えているかもしれない。だけど相対的な困窮は常に存在するし、後退することも多くある。

 私たちが読み取るために用いる器は小さい。ときには少なすぎる。その小さくて少ない器を使えなくなったり、壊れてしまったりすることさえある。

 だからすぐにでも知りたい。わかりたい。そのための術を駆使して、すこしでも探求したい。

 探求するほど怖いし、恐ろしいことがわかるかもしれない。

 それに小さく少ない器でせっせと膨大な情報をたどるのは面倒で、手間がかかる。

 わかったことにして、済ませてしまいたくなることもある。日常に急き立てられて、それどころでないこともあるし? そもそも探求、つまり考え、分析したり検証したりすることが自分の劇的な反応をやまほど引き起こすこともある。

 それこそ般若ロボみたいに癇癪を起こさずにいられないことだって。

 自分を突き動かす激情や衝動は、情緒的・身体的反応は、それをなだめることができないケースもやまほどあるのだ。そんなことはない、あり得ないと思えるなら、それはそれほどの激情や衝動を知らずにいられているだけの話だ。幸せだけど、冷酷で自分勝手な幸せだ。気持ちよく酔える幸せなんだ。それは。

 挑むのに足りないのは、速さだけじゃない。

 黒いのカメラは器になる。小さくて儚い器のひとつに。

 あいつの癇癪に挑むのも、器のひとつになる。

 手を尽くせ。

 震える身体をそのままに、金色を集めてスピーカーに化かす。

 口元に寄せて、思いきり息を吸い込んだ。


「やいやいやい! 怒ってんのぉ!? なにをそんなに怒ってんのぉ!? 私に教えてくださいな! 言いたくなるまで、相手するからさあ!」


 身構える。

 私の呼びかけはしっかり聞こえたようだ。

 般若が背筋を正して、私を睨む。腰を落として、右足を後ろに引いた。

 駆けてくる。

 マシンロボまでは化かせない。消費と反動で参ってしまいかねない。

 構わない。

 巨大狐火を手足に変えて挑めばいい。

 さあ、やるぞ?




 つづく!

お読みくださり誠にありがとうございます。

もしよろしければブックマーク、高評価のほど、よろしくお願いいたします。

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