第二千二十三話
現世のキー局が動画配信サービスに設立しているチャンネルの生配信を眺める限り、警察の捜査状況はさっぱりわからない! まるで! 情報がない!
なにか奇妙な状況になっているのかもしれない。犯人が同じなら、恐らくはそうだろうけど、千葉にある巨大蜂の巣のようななにかがあったとしても不思議じゃないし? いまのところ、正直に報告できることじゃないよなあ。いずれ事実を伝えるにしても、混乱を招かないよう一時的な箝口令を敷く回数には限度があるよね。
あるいは、そうだな。
たとえば現場の被害者に未成年がいたら? 伝え方には一定の決まりや縛りがありそうだ。
マドカの早すぎる解決策を採用するにせよ、私の案を採用するにせよ、現場での調査が必要不可欠なので、警察が居座る現状だと顔を出せない。遠景で押さえた現場に帯刀している警官が複数人見えた。侍隊も出ているのなら? 隔離世でだって現場に近づけない。
シュウさんに「一枚噛ませて」とごり押しするのもなあ。
手玉に取られそうで、いや。
その相談をしたかったんだけどね?
ご飯どころのすずめさんたちに「食べたら程ほどで出てね」と圧をかけられてしまう。ご飯どころで長居をするものじゃあない。このあたりの感覚はお店や人によるけどね!
なので再び烏天狗の館に戻り、尻尾ハウスを出している部屋に顔を出して、有志で過ごすことにした。
未来ちゃんが誘ってくれてさ? ユメたちとお絵かきをする。
お題を出した。お題の絵を描くかどうかは、ご自由に。困っていたら声をかけて、尋ねてみる。ユメたちに出すお題の内容は? たのしかったこと。してみたいこと。うれしいなってこと。
いかにも幼稚園のお絵かきっぽい!
楽しんだり盛りあがったり、かと思えば「きょむ!」と固まったり、それぞれの態度で画用紙とクレヨンに悩むみんなのそばで、未来ちゃんの知ってる思考の整理法を試す。
麗ちゃんとヒヨリ、丈くんと私という珍しい組み合わせになった。
キラリたちはルルコ先輩メニューの訓練に勤しみ、マドカはシロくんや狛火野くんたちと秘宝の整理。なにか役立つものがあるかもしれない。レオくんと姫宮さんはタツくんたちと次の作戦に向けた体勢準備。カゲくんたちはぷちたちのレース場の整備。それぞれに備えていたり、楽しんでいたりする。
そんな中、未来ちゃんは段階を経て私たちにいくつもの問いをした。
いまの苦しみは?
いまの幸せは。
ゼロから百までの間でいうと、どれくらい?
苦しみ数値が低くても高くても、どちらだとしても、次のステップへ。
苦しいこと、ぜんぶ書きだしてみて。お腹がすいてる! でもいいし、きらいな人がいる場所に毎日いなきゃいけないのいやだ! でもいい。
私たちはみんなでせっせと書き出す。
次!
たとえば。
さみしいのがいや! ひとりぼっち、つらすぎる! とか。助けてくれない! とか。
もしもそういう気持ちがあっても、なかったとしてもね?
好きな人やキャラ、推しやうれしかったこと、そういうものをありったけ、ぜんぶ、書き出す。動画配信者でもいいし、ゲームとかのキャラでもいい。「推しの視界に映る自分が残念だったら? 推しの視界が汚れてしまう! 私、推しの視界に映りたい自分になる!」みたいに一念発起したという呟きをしていた歌劇団好きの人がいたそうだ。これくらいの熱量でもよければ、もちろん、そこまでじゃなくてもぜんぜんいい。
めいっぱい書く。
でね?
その次に、具体的に助けになる人や場所、制度や仕組みを列挙する。漏れなく、徹底的に。各役所や病院、ケアを行なっている場所とか電話相談とか。経済的支援や警察の窓口とか。楽観視せず、専門家や公的機関を書き出すの。
とてもつらい病状でも、そこまでじゃなくても、たとえば歯痛だってセカンドオピニオンをとる。一度えらんだら、絶対にそこに通わなきゃだめなんてことはない。引継ぎをしたほうが検査費用がかさまずに済むから、伝えていい。病院だって二の矢、三の矢の準備をする。
だから、ここで記述する支援も二の矢、三の矢を調べておく。
なぜか。親がだめなら、もうそこで詰んじゃうってなると、こどもにはあまりにつらい。だから親がだめなら、どこかを用意しておきたい。学校ならさ? 先生がだめなら、他の窓口がほしい。頼りになるいくつかの窓口を用意しておけばおくほど、安心だ。
このリストは自分は助けを求めていいのだという証。
背負い込まなくていいっていう許しだし?
だからこそ、列挙する専門家や公的機関の支援や福祉などは充実していてほしい。充実のためにできることを探しもする。そこを活動の焦点にする政治家を応援したりね? するの。
悲しいかな。余裕がなかろうと、むしろ助けを期待するときだろうと、繋がったらもうだいじょうぶとはいかないのがリスト先。でも「めげずに」二の矢、三の矢へと足を運ぶ。自分を助けるために協力しあえる場所を探す。
つぎぃ!
自分を追いつめる人や環境を書き出す。できごとでもいいし、これは無理! ってことでもいい。あなたの危険はなにか、という題で列挙する。
それぞれに書くペースがちがう。私の場合、できたーみてみて! と絵を描き追えた子が見せてくれたり、描けずにつまっていたり、悩んでいたりする子と話したり尋ねたりするので、ゆっくりめ。そのゆっくりめの時間もぷちたちの気持ちに心の矢印を向けるから、私を置いてきぼりにしがち。ただ、焦りはなかった。焦ることない。今日終わらせる必要のないことだ。ゆっくりと継続的に時間を掛けて付き合っていくものだ。未来ちゃんの問いたちは全部ね。ユメたちのこともそう。
目を離すとクレヨンを食べかねない子もいるしさ? 畳や壁にでっかいキャンバス描いちゃう孤もいるからさ。
油断ならない。
いっそお庭にでっかい紙を化かして出して「これならどう?」と誘ってみたりもする。
四苦八苦しながらも、理華ちゃんや聖歌ちゃんたちの支援を受けつつ未来ちゃんの問いを聞く。
自分をサポートしてくれる人は? 制度は? 仕組みは? 関係性は? ぜんぶ、マインドマップのように書きだして、ぜんぶ自分につなげてみる。私はひとり? それとも、いくつものネットワークの中にいる? どっちかな。
この次は、新たな単語が登場する。
その名もストレッサー。
私たちがそれぞれの立場で、それぞれに自分に降りかかってくる刺激やできごと、変化などをストレッサーと呼ぶんだって。
でね?
このストレッサーは段階やレベルのようなものがある。
私の場合「新曲がぜんぜん売れなくて活動終了の見込み大と高城さんに言われた!」とか「ユメたちが大けがした!」とか「カナタが浮気した!」とかは大きなストレッサー。不意の事故に遭ったり、昨夜のように襲撃されたりするのもそう。
中くらいの規模だと、なんだろ。うちを出かけてまあまあの距離を進んでから「財布もスマホもわすれた!」と気づくとか。仕事で履いたヒールが折れた! とか。「うーわ。思いつきで作ったご飯、みんな残してるやん!」とか?
でもって、小さいレベルだと、そうだなあ。朝起きてけだるかったり、ユメたちがはしゃぎまくって時々でる甲高い声が頭にきんと響いたり。その気じゃないときにカナタに触られたり、は、中規模かな。前髪がどうもちがったり、かな! 洗濯物を干すときに「靴下ぁ! パンツぅ! Tシャツぅ! ぜんぶ裏返ってる!」なんかは、ひとつひとつは小さいかな。二枚つづくと途端に中レベルになる。十段階でいえば、一足す一が途端に五になるくらいのストレッサー。
小さなレベルに気づけるようになるのが大事なんだって。机がすこし埃っぽいとか、服を畳んでできた皺が気に入らないとか、なんかソリの合わない人がいるとか。書籍によっては本のページがめくりにくいとか。スマホでネットみてて出てくる広告うざいとか。玄関の靴が揃ってないとかね。
小さなものにまで気づけるようになるほど? 自分にとって、なにがストレッサーなのかが見えてくる。
これは、たとえば昨夜の私が「襲われた! 書かなきゃ!」なんていうことじゃない。
大レベルは「逃げて!」だ。犯罪、ハラスメントなどの精神的暴力、殴る蹴るなどの肉体的暴力。それらはまず「逃げて!」。
大きなものに挑むためじゃないんだ。これは。
なのでね?
次のストレッサーについて書きだしてみる。
物理的なもの。家庭、家族、育児、介護。学校、お仕事。人間関係。お金や生活。心身、および心身の健康。合計するとざっくり六種。
次が特殊。
フラッシュバックしたり、欲求が生じるきっかけについて書き出す。飯テロなんかはいい例かも。もっと深刻なものもある。交通事故絡みの経験だと、車に乗るとか、匂いを嗅ぐとか、激しいブレーキ時のタイヤが路面と擦れる音を聞くとか。性暴力なら、過去に暴力を振るった対象と連なる属性を日常で目にしたら、とか。同じ空間にいたら、とか。見られたら、とか。笑われたら、とか。薬物や飲酒、激昂したり暴力に走ったり、過剰にふれあいを求めたり。こういう場合にも、きっかけとなるストレッサーがあると言えるから書きだしてみるんだ。
それぞれを書けば書くほど「お、おう。ストレッサーまみれだぞ?」と気づく。
むしろ、そんなもんだそうだ。
基本的に私たちの人生はストレッサーと切っても切れない関係性にある。
なんだよそんなの、気づくだけつらくなるだけじゃない? と、結論を急がずに。
ストレッサーは私たちに知らせている。
どうやらいま「いや」なことがあると。
そのとき、私たちの心身に変化が起きている。
ぴんときた、とか。なにかいやな感じがある、とか。どうも妙だぞ? とか。どうも違和感があるんだよなあ、とか。なんか好きになれないなあ、とか。いまいち集中できないぞ? とかね!
不快感でもいいし、痛みでもいい。
いやだ! と感じたのだっていい。
心身が私たちに訴えている。そこから「これはストレッサーなのでは?」と気づくことができる。逆に水一杯の入った丼に塩の例えでいえば、もう味覚が常にしょっぱからくて麻痺していたら? 心身の訴えだって、常時「しおからい!」だけで、なにがなんだかわからない。心身の訴えがあまりに多すぎて、もはやストレッサーがなんなのか見つけられなくなっている。
そうなってしまったら病院や専門家、たとえば心理士さんなどを頼りつつ、になるのかな。
でもって、そうなる前だとしたら?
どういうときのどういう変化がどういうものなのか、付き合っていくうえで名前をつけていく。「あ! 私いまめっちゃ我慢してる!」とか。「いま怒りたくてたまらないの!」とか。「なんで私の思うとおりにしてくれないのかな?」とかね。それぞれ反応した気持ちに名前をつけていく。みっつを順番で名づけるなら私の場合は我慢、憤怒、私の期待が大失敗かな。
それぞれの反応に重さや大きさ、規模などで数値化してみる。ざっくりでいい。なんなら丸を書いて、それを十としたとき、自分の反応はどれくらいか書いてみる。大きくはみ出るくらいかもしれない。
ここではストレッサーとストレス反応についてまとめているんだって。
ユメたちでふり返るとね? 怒ったり癇癪を起こすと、その場で地団駄を踏む。めいっぱいの力で床をどんどんと踏みつける。抱きついてくるときのタックルの強さだったり、しがみついて離れないときの力加減だったり。あれらがストレス反応。じゃあストレッサーはなんだろう。おもちゃを買ってもらえないこと? お菓子を他の子が食べちゃったこと? 私が雑に流したり、気持ちを向けてないと感じたとき?
壁に穴を開けるのは、よく聞く。あれもストレス反応なのだとしたら、ストレッサーはなんだろうね?
他にも気になる例がある。モラハラする人はさ。結婚相手から「ねえ、そういうことされるとつらいの」って言われると「なんでわからないんだよ! ちゃんとやってるよ!」とか「こういう理屈があるからお前の訴えは意味不明! なに急にこっちを悪者扱いしてんの!?」とか反応すると聞いたことがある。その人が困ったことをしていても、完全に棚上げ。怒りやすくて話を聞かない。自分の話、自分の都合で押し通す。ただただ、それだけ。
もしもこうした振る舞いがストレス反応なのだとしたら、ストレッサーが相手の訴えを聞くこと? そんな感覚で一緒にいられたら、たまらないよなあ。激しく怒られるのもたまらない。それこそストレッサーだ。
これは自分で掴んでおかないと怖いぞ?
ストレッサーが人生と切っても切れない関係性なら、ストレス反応だってそうだ。
仮にカナタとの関係性がお互いにお互いのストレッサーになっていたら? 目も当てられない。ふたりでいる以上、ストレッサーとなる要因は増える。そこはね? なくならない。ゼロにはならないんだ。
気にしたいのは、その先の話。
自分の苦しみ全部を相手のせいにして、ふたりで揉めあっていたら?
そんなの一緒にいる意味がない。
お互いに自分のストレス反応が生じても、自分のストレス反応を和らげて、癒やして、そのうえで相手と手を繋いでいきたい。
ただ、それにはまだまだ足りないことがある。
ストレッサーを思い浮かべたら、自動的にいろんな感情が湧く。
去年でいえば、しばらくはシュウさんの顔を思い浮かべると胃がきりきりしたし、体育の授業が迫ってきたら気が滅入ったしなあ。中学三年間なんて、キラリのことを考えてはイライラしっぱなしだった。キラリもそうだったろう。結ちゃんの顔を思い浮かべるだけで「ひっ、ひい」ってなった。押しの強い人に絡まれる経験なさすぎて。教授にアダム。小楠ちゃん先輩がカナタを好きだと知ったとき。それぞれのストレッサーは、例え過去のものであろうと、感情が噴き上がってくる。
そんな思考をことばにしてみる。書きだしてみるんだ。
せっせと書く。気づくと聖歌ちゃんや美華ちゃんが加わっていた。ヒヨリは「ううん」と唸っていたけど、手を休める時間は短い。
ひどく個人的な記述だから、覗き見は一切なし。だれかに見せることない。プライベートなもの。自分の整理なので、自分の好きなように書く。
ストレッサーに対面したときの気持ちを書きだそう。感情を表現してみよう。心身の反応はどんなかな? イラストにしたり、もので表現してみたりしよう。
ゆっくりと時間をかけて、私たちは記述していく。
未来ちゃんは慣れているのか、よどみなく、ときに声をかけながら、見守っている。
聞いてみたら「通ってるとこで教えてもらった。本にまとまっているんだよ」とのこと。セルフケアの道具箱っていう本なんだって。伊藤絵美さんという方の本。
こうして書き記していく内容を前にするとね?
ついつい焦りがちだ。
いかにして解決するかを考えたくなる。
ストレッサーゼロ、ストレス反応ゼロを目指したくなる。
でもね?
繰り返しになるけど、ストレッサーは人生と切っても切れない関係性。
ストレス反応だってそうだ。なくなるものじゃない。
未来ちゃん曰く、目指すのは?
埼玉は春日部の幼稚園児しんちゃんが「ほうほう」と、ただうなずく場面があるでしょ?
ストレッサーないしストレス反応に気づいたとき「ほうほう」とうなずく感じ。
ああ。いまストレッサーがあるなあ。ストレス反応してるなあ。そう受けとめる。そこが目標なんだって。
ただ受けとめるの。
ストレッサー、ストレス反応が生じるたびにぐらつくんじゃなくてね? あれをしなきゃ、こうしなきゃ、こうしてやらなきゃ、と荒れて暴れ狂うのでもなくてね。
ブロックを重ねてタワーを作って、一本ずつ抜いていくジェンガでいうなら、受けとめないとブロックが押される。なかったことにしようと躍起になるほど「ああ! それ動かしたらだめなやつ!」と押したらわかる、やべえやつを必死にタップする。当然、タワーは揺れる。心身が揺れて、余計に荒ぶる。不安でたまらなくなるかもしれないし、激昂するかもしれない。癇癪を起こして自分も周囲も手がつけられなくなるかも。
じゃなくて。
ストレッサーやストレス反応に気づいたら「ほうほう」と受けとめる。
無視でも、なかったことにするでもなくね。
こいつはいいとか、悪いとか。好きとか、きらいとか。正しい、絶対に許さないとか。そうした判断や評価は挟まずに。
「ほうほう」の境地。
ちゃんと用語があるみたい。
マインドフルネスっていうんだって。
いいとか悪いとか、好きとかきらいとか。正しいとかだめ、絶対に許しちゃとか。そういう判断や評価を下すほどストレッサーに敏感になるし、ストレス反応に飲まれていくし、ストレスにますます振り回されてしまう。丼に塩が増える。水が蒸発して、塩が足され続けると? どんどん自分のことがわからなくなっていく。世界の味が、塩辛さでいっぱいになってしまう。
だから「ほうほう」。評価や判断に主題が移って、どんどん軸がぶれてしまうんじゃなくて「ほうほう」。
その先もあるよ?
コーピングっていうの。
ストレッサーやストレス反応が起きたとき、自分を助けるために何らかの対処や工夫をするの。
これもね? お助けリストと同じで、いーっぱい! あるといいそうだ。
ストレッサーやストレス反応それぞれに「これはどうじゃろ?」と試す。うまくいったらいいし、だめでも他のコーピングを試すのだ。べすとまーっち! が見つかると? よし!
マインドフルネスはむずかしい。だから練習法がある。
コーピングもそう。
ユメたちとハグしたり、カナタとあまあまするのは? 私にとってのコーピング。
でもね? いま会えなくても、そばにいなくても、仮にひとりぼっちだと嘆く現状だったとしても「あの日あのときのあの人のことを思う」というのだって、コーピングの一手。推しのことを考えるのだっていい。
今回の一連の事件において、マドカの策である早すぎる犯人確保案も、そのための準備も「具体的な解決のために実践をひとつずつ行なう」コーピング。一気に解決しなくていいの。部屋がごみまみれになっちゃったー、なら? 今日は足元が見えるくらい片づけよう、だっていいんだしさ? そんなノリで去年の夏休みに緋迎さんちのお掃除をした。
理華ちゃんはオーダーメイドの下着屋さんに通っているというし、タマちゃんのたっての願いで服や下着を買うようになってから実感した。お気に入りの服や下着を身につけるのも大事。
狛火野くんは毎日の素振りを欠かさない。身体を動かす、柔軟やヨガは私にとってもコーピング。
やわらかもふもふタオルケットや毛布にくるまるのもいいし、いい匂いの入浴剤のお風呂に浸かるのも獣憑き状態になる前は大好きだった。
そういうコーピングを増やしていけるように、実例を交えて体感できるといいそうだ。
なるほどなー。
さすがに今日は触れられないけど、という前置きのもと、未来ちゃんはスキーマという用語についても軽く話してくれた。
私たちは刺激に対して自動的に思考する。
その自動思考の土台にある、もっと深層のもの。根源的なもの。自動思考がその場その場なら、スキーマとは、より継続的なもの。
未来ちゃん曰く、たとえば家庭環境ないし学校での悲惨な体験で「世の中はこういうもの」とか「人は怖いもの」とか「男は自分を苦しめて傷つけるもの」とか、そういう根っこに存在するものこそスキーマに位置するのだという。
人生経験はみんなちがう。自分史が異なる。まさにその自分史に該当する価値観や感じ方がスキーマ。
でね? そのスキーマに該当するものによって傷ついた自分を「内なるこども」として捉えるんだって。インナーチャイルドという考え方だ。
スキーマを捉えて、インナーチャイルドを癒やして助けて育てるっていうのが、未来ちゃんが取り組んでいることなのだという。
私たちの生きづらさ。
ストレッサーやストレス反応。
切っても切れない関係性の存在と、いかにして付き合っていくのか。
未来ちゃんの話を聞きながら「心の整理と聞いてやってみたけど、これって今回の事件に挑むのにも有効なのでは?」と思い至る。
スキーマは呪いのようなものとして捉えたとき、スキーマに対しても「ほうほう」をできるようになれたなら?
犯人がいて、隔離世の力を使って脅かしているとき。捜査や組織の中で最善を尽くすシュウさんの指示の枠組みだけで、うんざりする現場にうんざりする形でしか取り組めないとき。
ストレッサーやストレス反応まみれだ。
ちがう。私にはやりたいことがある。
夢があるんだ。
去年の私にあって、いまの私が塩辛さにめげて感じとれない味がある。
でもなあ。
黒いのの世界で起きたような排斥なんてごめんだし?
ひどいこと言われてへこたれたカナタをふり返るに、そんなのだってごめんだし。
やっぱ商店街で「お狐ちゃん」と言われたり、小レベルのストレッサーだけどざつーに手を合わされたり、それくらいでいい。それくらいがいい。
アベンジャーズよりも日常系なんですよ! 実際に現世に求めてるのは!
なので?
ストレッサーやストレス反応には「ほうほう」!
スキーマにだって「ほうほう」!
どぎつい年齢制限の事件を起こされようと、ぜーんぶギャグ漫画みたいに飲みこんでやる。
私のしたいをやるのだ。
それこそ「いいな」と思った結ちゃんスタイルだし?
ユメたちに溢れているもの。
みんなの土台にあるのは自分って愛されてる! だし。自分を愛してる! だ。
そんなの考えなくても当たり前にあるもの。
当たり前にあってほしいもの。
育てたいもの。育てられるもの。
実現するためなら、妖怪にだってなってやる。
昨夜の少女を思い出して笑った。
あなたの思うような妖怪に、じゃないよ?
私のなりたい妖怪になるの。
つづく!




