第千九百一話
あんまりひとりでやっていても煮詰まっちゃうから、狸街に足を運ぶ。
おばあちゃんちや喫茶店に顔を出して、子狸っずたちに絡まれたり「狐だな!?」と反応するお年寄り狸さんたちに愛でられたりして、さんざん寄り道をしてから病院を訪ねた。
最近の結ちゃんはお任せしてもらえるお仕事が増えて忙しい。といっても基本的には雑用が多い。備品の運び込み、確認なんかもそう。ただし、備品といえど病院で扱うものだから、気を抜いちゃいけない。部署に持っていって確認してもらうダブルチェック方式みたいで、チェック漏れがないようにされているとはいえ、手を抜いたら手間が増えちゃう。
我が道をいくタイプの結ちゃんだけど、根っこからして真面目で無理はしない派。無理をしないできちんと精度の高いお仕事ができるように工夫する人でもある。前よりお仕事終わりの時間が遅くなっている。
じゃあレンちゃんに会えばと思いきや、それもむずかしい。
そもそも狸街で育てられている大事な神使さんだから、結ちゃんよりも多忙だ。
天国での神使修行が始まったばかりの頃は、私もあちこち行ってはご挨拶回りをしていたものだけど、それと同じか、あるいはもっと大変そう。
なのに最近の私ときたら!
御用を言いつかることがない。滅多にない。
御珠がくさくなっちゃったせい?
『まあ、そう、ねえ』
大樹に生えているキノコ病院に向かう道すがらに、アマテラスさまの声が聞こえた。
言葉を濁す時点でそうだと言っているようなものでは?
ああでも御珠のくささは私の淀み。それをぶら下げて神さまたちにご挨拶ってわけにもいかないのかな。
『急ぐよりも、いまあなたのやりたいことを楽しんでやってごらんなさいな』
あい!
あと、くさいのはやっぱり自分でなんとかしたほうがいいってことです?
ついでだから聞いちゃいますけども。これって私にどうにかできると思っていただいているんです?
『なんにも知らないまんまる狐じゃないもの』
おう。信頼していただいているのか、突き放されているのか微妙なライン!
『ふぁいとー!』
そんな投げやりな!
あ、あれ? アマテラスさま!?
おぅ……。
ゆっるい応援で締められたんだけど。
割と多いんだよなあ。あれやれ、これしなさいよりも。
やりやすくていいんだけどさ。すぐにすぱっと解決してもらえるわけじゃないから、しっかり成長なさいと見守られているのがときにどきどきする。
ま、いっか。
とことこ階段をのぼって病院に入る。受付の狸のお姉さんにご挨拶したら「あと十分くらいであがりじゃないかな」と教えてもらえた。なので受付の椅子の端っこに陣取って、こっそり練習を再開する。
せっかく結ちゃんに会うのだからと、ここで結ちゃんと再会したときの記憶を軸に球を作る。結ちゃんだけ、現世と変わらない姿をしていてショックだった。レンちゃんも私もまんまるおちびのぷち状態になっているというのに!
私たちのは状態変化かなにかなの? 解せない。
そんな気持ちでいっぱいになる記憶から取り出せるものなんて「解せない」気持ちの他になく。やっぱり記憶と感情が一対一のまま。
解せない気持ちは淡い赤い粒子になっていく。変換効率はすこぶる悪い。球体が十なら、赤い粒子は一。絞り出されたにしては、色が薄すぎて違和感が強い。どうにもうまくいっている気がしない。
いろいろ試してみてはみたものの、むずかしい。
金色の出し方、凝縮のさせ方、凝縮させたときの形状その他もろもろ、特に変化なし。
そういうことじゃあねえんだよって自分の霊子を困惑させているような気さえする。
むむむ。ざっくり洗い出して変えるくらいじゃダメみたいだ。
なにが足りないんだろう?
あれこれ悩んでいたら「なにかやってんねえ」と、結ちゃんの声がした。
はっと顔をあげた頃にはもう、すぐ隣に座るところだった。どれだけ夢中になっていたんだろう。うまくいかない球をふわふわ膝元に浮かべながら「おつかれー」と挨拶をする。興味津々って顔で見ているけど、私がなにをやっているのかはもう知っていた。
「やっぱりだめなんだー。うまくいかないんだよね」
「いまのは、どんな記憶の球なの?」
「狸街で結ちゃんと再会したときの記憶だよ? 解せない! って気持ちしか出ないの」
「おー、なるほど?」
ちっちゃいのかわいいじゃんと笑いながらも、結ちゃんが球に手を当てる。
そうかそうかと言いながら球を撫でる。かと思うと?
「じゃあ、私の会えてうれしかった気持ちを足してみようよ」
それ、と結ちゃんがささやくと、球の色がひときわ鮮やかに発光する。
ほらほらと笑顔で促されて、恐る恐る球から気持ちを引き抜いてみたら、淡い赤色を包み込むオレンジ色の粒子がいっぱい出てきたんだ。それこそ変換効率は一対一。おまけに引き抜いた感情はふたつになった。
「な、な、なにやったの!?」
「私の気持ちを足してみたの。ああ、ここでも会えてうれしいなあって」
「それだけぇ!?」
「そ」
仕事終わりなのに、にこにこしながらあっさり言うのだ。
ここ数日、悩みまくっていた問題が、突如として進路変更。
なにゆえ!?
「だれかとの思い出なら、だれかと話して、その人の気持ちが入ると? ひとりでひとつでも、ふたりならふたつになるんじゃない?」
「おぅ……」
ざっつ! 人生経験の差ぁ!
た、たしかにぃ!?
「だれかの気持ちがわかると、そのときの気持ちにも、別の一面が見えてくることもあるでしょ? ひとりの思い出じゃないのなら、話してみたら?」
「――……」
ぽかんと開いた口で何度もうなずいちゃう。
そんな私にすかさずスマホを出して、録画を開始する。
でれでれと締まりのゆるいお顔でだ。
結ちゃんのそういうところはよくわからないけど。
でも、言われてみれば確かにそう。結ちゃんの言うとおりだ。
「足し算していいんだ」
「もちろん! 人と思い出話するの楽しいでしょ。ここで働いているとよく教えてもらうんだけど、いろいろやりながら歳を取るほど楽しくなるものみたいだよ?」
「おおぅ」
言われてみれば、そうかも。
私と結ちゃんの歳だと思い出話ときたら中学校の話になりがち。
でも歳を重ねたら、もっと増えるよね。思い出もさ。
「引き算してもいい。つらいことも体験する。つらい声も入る。思い出すのがつらいこともあるから、そういうとき、引き算してもいい」
「たしかに……」
私にとっては「ううん」な思い出も、カナタやトモやキラリにしてみたら笑えるなんてこともあるかもしれない。それで案外救われちゃうこともあるのでは?
なるほどなー。
「いま着替えるからさ? 一緒にお茶でも飲みに行こうよ」
待っててねと立ち上がり、着替えに去っていく結ちゃんを見送る。
その間、しみじみ実感していた。
ひとりに思い出せることが足りないのなら?
みんなでやってみればいいんじゃない!
それをだれかとできるなんて! 昔はそもそもする相手がいなかった。いまは? そもそも馴染みがないものだから、思いつきもしなかったよ。
念のため言うと、してないわけじゃないんだよ?
なのに身についてなかったんだろうなあ。
そっか。
いまひとりで取り出せるものが少なくても、記憶にまつわるだれかと話してみたらいいんだ。
だとしたら話せる記憶って、なんでもとはいかないよね。
一緒にお話できる記憶であればこそだ。
そこからでいいじゃんね!
受け入れてみないと始まらないなあ。
とはいえ来る者拒まずともいかないね? お互いにさ。
気心が知れていると思う相手でも、なんでも話すというわけにはいかないからね。
相手がなにをどう感じるのか。その答えが自分の中になんて、あるわけがないしさ?
逆もまたしかり。私がなにをどう感じるのか。その答えは、だれかの中にはないんだ。
その境界線を保ったまま、侵さず、障らず、語り合えたらいいね。
結ちゃんとなら、できる。
繰り返していこう。
ぷちたちはいっぱい話してくれる。
そういうのがうれしいんだなあ。幼稚園の頃にはあったのかな。
小学校に入って、言えることなんてろくなものがなかったから、楽しく話せた記憶がほんとにない。きつさは別になるものの、中学校も中学校で、私ひとりでこじらせていたしなあ。
高校になって、やっとなのかもしれない。
それも巡り合わせとして、縁として、ありがたい。
ひとりじゃ、なーんにもならんなあ!
笑えてくるくらいに実感する。
だけど、まあ、そんなもんだ。
人間ひとりで生きていけるようにはできてないさ。
ひとりで増やせる思い出もあるだろうけど、だれかと語り合える時間ばかりは増やせない。
引っこ抜ける思い出が少ないのも、とどのつまりはさ?
私の思い出の器が、ひとつの思いでいっぱいになっているからなのかもしれないぞ?
整理のついている器もいっぱいあるだろうけどね。
さっきの結ちゃんみたいに、もっといっぱい聞いてみたいな。
ぷちたちとの思い出ならさ?
それこそいっぱいもらってるぞ?
でも、今度は新たな疑問が浮かんでくる。
結ちゃんみたいにいろいろ教えてもらってきたはずなのに、取り出せるのは私の気持ちひとつばかり。受け入れることができなかったのかな。私ひとりでいっぱいに溢れちゃっていたのかな?
受けとめるのが怖いのかな。
◆
翌日の夜、カナタとふたりでストレッチに勤しみながら語り合う。
意味深なやつじゃない。
背中合わせにくっついて、肘を絡ませて交互に前屈したり。
開脚しあって、お互いに繋いだ手を引っ張って背中を伸ばしたり。
眠る前にもう一運動。動くとやっぱり身体が疲れる。
疲れを翌日に引きずらないように、身体を動かしておきたい。
ひととおり動いて汗を掻く。あったまった身体はシャワーを浴びて、軽く汗を流す。
そういう時間もふたりで過ごせればいい。
向かい合うように抱きあいながら浴槽につかって、バニラアイスをつつきあう。
その合間に思い出話に花を咲かせる。
最初は身近なことからね。仕事のこと。箱根旅行の話。そこから広げて、去年の話へ。触れがたいものは避けて、それより昔の話に触れる。去年の夏休みのことやシュウさんとのこと、私の知らない話も。
記憶と球と要素分解、引き抜く感情の話は既にしてある。
だけど目的だけに執着していちゃもったいない。
カナタがおしえてくれること。伝えてくれる感情。それらの情報量は盛りだくさん。そぎ落としたら? わかりやすくしたら。それはとても少ない情報になってしまう。
ほんとはもっと複雑なんだよね。
そのとき、その場で受け取れることに限りがあるだけで。
自分にとってよかった思い出も、だれかにとってそうじゃないことだってある。当たり前にあるさ。よかったあって思える記憶にだって、時が経ったら「そんなことなかったぞ?」と気づき真逆だったと我に返ることだってあるぞ?
記憶は多面的な立体。器となる部分があっても、情報で済ませていたら取り出せるものはとても少ない。昨日までの私なら、ひとつまで。わかりやすいままで済ませていたら、一面的な点で済まされちゃう。
触れるのは気持ちがいいし、どきどきする。触れられるときも。だけど、それだけに留まらない。触れるも、触れられるも、いっぱいあるよ。
ぷちたちは加減がまだまだ雑。私ならぜったいにだいじょうぶだって思っているのか、はたまたそれが当たり前なのか、けっこう強め。
握手会のときにも感じた。いろんな力加減で人は人と握手する。めいっぱいの力で握りしめる人もいれば、そっと触れるだけの人もいるし、撫でるように触れる人もいる。ミコさん率いるアイドルグループの人と話したら「自分から差し出して、とっちゃって、ぎゅっとしちゃうのがいい」そうだ。イニシアチブを握って、こっちの力加減を伝えちゃうのが有効な相手は多いそう。あとは「痛いときは伝える」。シンプルに。
触れる触れられるを距離感に変えたら? やっぱりいろいろ言えそうだ。
なのでほんとは安心の中に、触れることや、触れられることが気持ちいいっていうのがあって、相手がぷちでも「うっ、痛いのがくるぞ!」と身構えるときにはさ? 安心がない。
それがうちの親やトウヤでも、いつでもどうぞじゃない。
アメリカはハグするんでしょ、みたいな情報も結局、いろんなドラマを見ていると「あ、やっぱり人によってハグは距離感あるんだ」って思えてくる。兄弟姉妹、親子でも、夫婦でもそう。
関係性は保証しないし、保証にならない。
私たちは面倒くさいほど膨大な情報量の渦に接しながら、お互いに誠実にいなきゃあ安心を保てない。すごく不確かで壊れやすいもの。みんなで気持ちよくっていうのは、むずかしい。学校のクラスなんかもう、もろにそれ。むずかしさの塊みたいな場所だ。
人が集まれば集まるほど、安心は脆く儚くなっていくかのよう。
ふたりでさえ、むずかしい。
ひとりの渦はひとりでさらいきれなくて、精いっぱいがんばって「つらい」とか「うれしい」とか、そういう少ない情報を拾うのが精いっぱい。
出会えたらいいしさ? 大事にし続けていけたらいいな。
じゃないとすぐにでもなくなってしまうものだから。
いつなにが起きるかわからないものだから。
ならばこそ、ふたりで話しながら、育てられるいまってすごいなあと感じるし?
そういう体験をいくつも重ねた先に、ぷちたちの「あのね?」と穏やかに過ごすなにかがあるのかな、なんて考える。なんてな!
なくてもやるしかねえ! のが人生でもある!
だから、なんにせよ絶対はない。
ぜいたく言うんじゃねえ、じゃないんだけどね。
つらいをつらくないように手段を増やしていくし、ぜいたく上等だし、みんなが使えるように整えて、より上等だけども。
いずれにせよ手持ちでやりくりしながら増やしていくので精いっぱいだ。
なので、焦らず続ける。
めげずに増やす。失敗しながらでもいい。
ひとりで満たせるものには限りばかりあるのだから、ひとりをやめられるといいな。
足せるものも減らせるものも増えるから。
「正直にいえば、噛まれたところはたまに疼きます」
意外な事実を知ることも増えますけどね!
溶けたアイスで濡れた口元を舌で舐め取って、カナタが愚痴る。
その首筋を見た。
「うっそだー! 綺麗に治ってるじゃない?」
思っているよりも、ね。
私のつけた噛み傷、初日は物々しい当て布をしてましたっけね!
「いや、あの。ほんとに春灯は痛かったんだなあとな? 思い出すっていう意味でさ」
ほんとかなあ。
「それ思い出してどうするの?」
「反省しますね。うまくできないものだなあって思い出すんですよ」
「そのわりには乱暴な夜がけっこうありますよ?」
具体的な表現は避けますけども。
「すみません」
あ。項垂れた。しおしおだ。
「実際、どんなものなのかってなかなか話せないといいますか」
「地道に話せばいいんじゃないんですかね?」
溶けたアイスの最後の一滴を飲んで、カップとスプーンを床に置く。
カナタの口回りのアイスを舌ですくい取ってから、瞳を見上げる。
「私は聞いてきたつもりなんだけどな」
「いいのかな?」
ここまで露骨に手を差し伸べているつもりが、届かない。
不思議だなあ。
結ちゃんが足してくれたときの私みたいにさ?
案外、ひとりに閉じていたらわからないものなのかもしれないね?
「カナタのこと、もっともっと教えてよ」
そうすることで教えられることがあるんだなって気づく。
知らせる、話すに言い換えたほうが具合がいいかもしれないや。
対話で紡げる物語は、ひとつの記憶を土台にしても、いろんな花を咲かせる気がする。
語り部が変われば視点が変わる。捉え方もそう。
人の五感にしたって、立場が変われば触れる人と触れられる人とで違ってくる。
不思議だなあ。
裸で重なりあって、こんなに距離がないはずなのに。
やっぱりふたりは、ひとりとひとり。
溶けあうことはない。
だからこそ触れて触れられて喜べるし、喜びだけに限らない。
私の術もそう。
ひとりで成るものじゃない。
でもまあ、そんなのいまに始まったことじゃないね?
足してよ、引いて、というだけじゃない。
私はなにを足せるだろう。なにを引けるのかな?
つづく!




