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その刀を下ろして、帯刀男子さま!  作者: 月見七春
第九十九章 おはように撃たれて眠れ!
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第千七百二十八話

 



 みんなで顔を寄せて、恐る恐る匂いを確かめる。

 すん、と空気が鼻腔を通り抜けて、即座にみんなでのけぞった。


「「「 くっっっっっさ! 」」」


 うんこやん!

 いや、ちがう! うんこではない! 臭さの方向性がちがう。

 だけど、うんこくらいの臭さやん!

 垢だ。たぶん。世界中のおへそのごまを凝縮して、水と混ぜて粘り気のある液体にして、べとっとつけているような類いの匂い。


「あああああああああ!」


 無理!

 くさいくさいくさい! やばい! 発酵臭とか腐敗臭とかじゃないぞ?

 こいつはお風呂に入っていないか、入っていても尚おへそにたまっちゃった垢の煮こごりみたいなものだぞ!?

 えっっぐ! え? 私、こんな匂いを心にしまってたの!?

 そりゃあ穴も空くわ! いや、落ち着け。それはおかしい。おかしいけど、空いちゃった。

 ってことは、御珠は尻尾に宿っているのかな? 普段は。


「み、みんな、尻尾の中、やな匂いしてなかった?」


 鼻を摘まみたくても、べちょべちょに触ったあとじゃ無理。余計、ひどいことになる。

 だからなるべく口呼吸を心懸けながら尋ねると、返事がない。


「みんな?」


 ふり返ったら、みんなして一斉に尻尾に逃げる背中が見えた。

 まあ、そうするよね。わかる。私がみんなでも、そうすると思う。

 おのれ!


「んぁー」


 くっさ!

 試みてみるか。洗い場はないし、トイレもない!

 この図書館、来訪者の存在を最初から想定していなさすぎ!

 仮に手洗いがあっても、この汚れは軽くは落ちないものとみた。

 いわば穢れだ。或いは祟りかも。

 仰々しい言い方をすればね?

 でもまあ、簡単にいえばお世話を怠った間にため込んでた、整理のつかない私の気持ちとか、感情の蓄積なんだ。身体でいえば、まさしく垢だし? 睡眠不足や運動不足でため込んでたこと。整理をつけなかったり、あれこれ過剰にため込んでた負荷だったり。それをどうにかしようと考えたり、付けたして済ませようとしたことだったり。

 そういうものの匂いだ。これは。

 一瞬、これを転化したらどうなるのだろうと思い至る。

 千と千尋だと? 神さまからゴミがやまほど出てきた。もののけ姫なら、祟り神。真っ先に思い浮かぶもの。

 病はいろんな過程があって、それは日頃の行いがどうとか、考え方がどうとか、そういうことじゃない。病にかかる条件は、ちゃんと学んで読み解くもの。転んですりむいたから、擦り傷ができる。だれかの悪口を言うから、親の言うことを聞かないから転んだのでも、擦り傷ができるわけじゃない。

 お風呂に入らなかったら? だんだん匂ってくるんです。

 学者さんも、絵画を描く人たちも、音楽絡みでも、漫画家さんでも小説家さんでも、落語家さんとか漫才師さんとか芸人さんとかでも、みーんな人と接して磨いていくじゃない?

 自分だけで完結しない。

 そういう風にできてる。

 自分の領域と、自分の外にたくさんの領域があってさ?

 花は一輪じゃさみしくて。井戸の中に蛙だけじゃ、生きていけやしなくて。

 勝手なもんだ。

 人がきらいだと感じるとき、その勝手さがいやになるのかもしれないね?

 ひとつには。


「くっさあ!」


 考えてる場合じゃない! 物理的にまず、くさい!

 転化はよそう。どえらいことになりそうな気がする。

 せめて拭き取れないか。どうせ触れて汚れたんだし、と自分をなだめて、御珠のべちょべちょを掴んでみる。けど、アリほどのウジがうじゃうじゃと身をくねらせるように触れた箇所を撫でてくる。つま先から頭の天辺まで、思わず身震いがした。背筋がぞぞぞ、と泡立つ。

 これは、あれだ。

 カナタんちの排水溝の汚れとか、トイレの見えないところの汚れとか、ああいう場所を「汚いのはわかっているぞ!」と自分をなだめても、いざブラシやなにかで触れた途端に「あ、むり。ごまかせない」って気づかされる類いの、ぞわぞわ!


「ああああああ!」


 その場で足踏みをするけれど、べちょべちょはしつこくこびりついて、離れない。

 最悪の感触を与えながら、私の手の中をすり抜けて、なのに剥がれないんだ。

 掴めない。抜け出てしまう。剥がせない。頑固。


「おおおおおお!」


 触れているだけの手に、うぞぞぞぞ、と。べちょべちょが蠢く。

 マジで、無理! お父さんの持ってる漫画の妖怪とか、ゲームのモンスターに、目玉から無数の蛇触手が生えてるのがいるけどさ? いまじゃ御珠がそんな感じ! ただし触手は極小の集合体。一見するとわからない。確かめたくない。集合体にぞぞぞっとするのが目に見えてるもの!


「き、金色!」


 ばかのなんとやら!

 試みる。金色で吹き飛ばせないか、消せないか。

 だけど真っ黒いべちょべちょに包まれた手から、なにかが出ているようには見えない。

 だめだ。もっとこう、直接的な手段じゃないと。

 あー。うー!?


「きっ、狐火!」


 両手の上に赤く燃える炎を出して、べちょべちょに近づける。

 微かにじゅう、と。音がした。直後がやばかった。


「はっふん!?」


 匂いが! 激烈に!

 急いで狐火を消す。

 べちょべちょから、焼けてさらにきつさの増した匂いが広がって!

 地味に地獄! だめだこりゃ!

 待って!?

 冷静に考えよう。

 普通、水で流すんじゃない?

 ここが図書館で、わりとすぐそばに本棚があって、たくさんの本が入っていて、湿気が厳禁だとしても! えっぐい匂いが拡散されるよりはマシ!

 そんなことはない!

 だが、もう無理!


「そいやっ!」


 見えなくても、出ているはずの金色を化かす。手の内側で、出しては化かして、水へ。

 流れてしまえ! いっそ! いっそね!?

 ちょっとでも流れてくれないと困る。

 繁華街でろくに掃除されてなくて、ひどい使われ方しかされてない公衆トイレくらいの匂いになりかけてる! 燃やすのよくない!

 だけど、どうだ。

 ゆっくりと黒い水があふれてきて、ぽた、ぽたと床に落ちた。

 その匂いときたら! 相変わらずひどい!

 だめだ! むり!

 靴底を布地に化かして、水気を拭き取る。周囲の部分を化かして、ソールを何層にも重ねて封じ込める。ついでに、息を吐きながら金色を混ぜ込んで、それを化かして両手を泡でくるんだ。手首と泡に隙間を作らずに、密封する。

 こうなりゃ自棄だ! そのまま息を出して、香水に化かす。元は私の息だ! 綺麗かどうかはさておき、消臭剤変わりだい!

 もろもろをごまかして、走る。

 精いっぱい走って戻る。

 気分はのび太くん!


「ママーっ!」


 いや、ちがう。これじゃスネ夫やんけ!


 ◆


 厚底シューズに両手を泡にくるんだ逮捕者スタイルで現われた私を見て、お母さんも美希さんも、おじさんさえもが「まあまあまあ」と引いた。三人そろって、指で鼻を摘まんでいる。

 シュールストレミングばりに匂いが残っているのかもしれない。

 ぷんと漂うの。

 キッチンの換気扇を回さないでいると、しばらく匂いが残る。

 魚を焼くときの煙が残ると、単純にけむたい。あと、魚の匂いが充満する。けっこう長く残る。

 松茸を焼いたり、焼き肉屋さんで焼き肉を焼いたりするのなら? もー! 極上! そんな香りが充満する。他にも調理中の香りは心華やぐものが多い。

 でも、そういうものばかりとは限らない。

 三枚開きとかにしてない魚の下処理をすると、どうしたって血が出る。内臓も取り出す。匂いがする。

 スーパーで買うお肉にしたって、ドリップが出てない? それを吸収するシートが入っていることも。それって結構においません? 捨てる前に水で流すとさ? 血が流れていくの。

 食べるものの匂いは大事。食べる前に匂いを確かめて「いける!」とか「むり!」とか判断することもある。そもそも匂いがきついものは試さない。

 果物の王さまなんてキャッチフレーズのあるドリアンも、お宅によっては冷蔵庫に入れないそうだ。なにせ、ほら。匂うから。入れたら冷蔵庫の中がドリアン臭で満たされちゃうかも!

 私は試したことがない。ほんとにそんなに匂うのかな? どんな匂いなんだろうね?

 同じ系統で気になるものといえば?

 カース・マルツゥ! イタリアのチーズの一種で、サルデーニャ地方のもの。サルデーニャ語で「腐ったチーズ」のことだとか。フォルマッジョ・マルチョ。うじ虫がいるチーズ。珍味なんだってさ。でもって、一説によればブルーチーズより匂いが強いのだそう。加工は研究され、やり方も模索されているそうだけど、それでも販売はNG。なにせうじが腸に到達するまで生き延びて健康被害が出る恐れがあるそうだから。食べたかったら闇市へ。なんじゃそりゃ!

 それならむしろ、ミモレットのようにダニの力を用いて発酵しているチーズでもいいかも? こっちは健康被害が報告されていないそう。綺麗なオレンジ色に発色しているチーズは、わりとよく見かける類いのもの。熟成が進んだものは、日本酒とよくあうカラスミみたいな味がするんだって!

 虫の力を借りて、食べもの! すごい発想。

 ただ、香りは食の要素のひとつだし、香りに誘われてってこともあるし? 誘引する力があるよなあ。近づける力もあれば、遠ざける力もあるってものでさ?


「「「 くっさ! 」」」


 三人が三人とも、言葉をさんざん選んだ挙げ句に直球で言うの。

 ひでえ! ひでえよお!

 美希さんがバッグから当たり前のように消臭剤を取り出すし、お母さんが右手を私の両手に向けてくる。すぐさま泡が多重構造になった。

 しゅっしゅと美希さんが私の手元に消臭剤を吹きつける。

 それじゃ足りないとばかりに、


「靴! 靴ぬいで!」

「袋にいれなきゃだめだわ! やっば! くっさ!」


 お母さんと美希さんに促されて、靴を脱ぐ。

 わりともうこの時点で、半べそだ。

 ぐすんぐすんと、むしろ意識して言いながら面倒をみてもらう。

 靴も脱ぐし、消臭剤もいまは甘んじて受け入れよう!

 実際、匂うもの! もうすでにお鼻がばかになってますけども!

 おじさんは手伝おうとして、腰をやったみたいで椅子から立ち上がろうとした変なポーズのまま固まっていたものの。


「「「 いやいやいや……なにぃっ!? 」」」


 三人そろって、妙になまった問いかけを向けてくる。

 ようやく説明するターンみたい。

 私は消臭剤まみれで軽く咳き込んじゃってさ? 落ちついてから、説明する。

 御珠を出したら、えらいことになっちゃっていたこと。匂うこと! 尻尾の穴と関係があるとしか思えない、その理由。なによりも、くさい! 助けて! っていう、きもち。


「いやもうこれ、家に戻ってシャワーで流すレベルじゃない?」

「お酒がいいかも」

「神水でもいいね」


 三者三様。


「いっそ久々に真面目にお祓いしてみる?」

「うちの母親の悪徳商法でしょ? ないない。それに雑なんだから! トリックのお母さんより雑」

「へえ。青澄さんちでお祓いねえ。気になるなあ、それは」

「面白いよ? お清めと称して田舎の湯船に浸かってまったりしたら、大広間で狐のぬいぐるみを置いて、その子がしゃべっている体で雑なこと話している間に、うまいもの食わせる! お酒のめる人ならのませて、ざっくり話す。その間に隔離世の邪チェック。いたら発生原因を確かめ、討伐」

「ぬいぐるみがシュールすぎんのよ」

「伝統のやり方でしょ? ご先祖が彫った像が戦争で焼けちゃって、ぬいぐるみになったの」

「それもえらいまんまるいフォルムのね!」


 え。おばあちゃんち、そんなんやってたの?

 なにその、まんまるいフォルムのぬいぐるみ。


「私そんなの知らないし見たことないんだけど」

「もう長らくやってないもの。積み立てしてる年金で悠々自適生活ターンなんだから」


 あ、ああ、そう。そうなんだ。へえ。

 なんでかな。お母さんの返事を聞いて、がっかりしてるのか、そうでもないのか、さっぱりわからないの。


「要するにお風呂でさっぱりして、おいしいもの食べてお腹いっぱいになって、いくらか気が休まったら? 邪の原因とおぼしき情報には、何度か通ってもらっても言わない。ただ、ぼけっと過ごせる場所になるだけなの」

「ぬいぐるみの意味!」

「ないよ、舞台装置。うちの母さんが縫う、やっすいやつ。市販品より、ちょい安く買えるの」

「むしろ戦後は宿泊業の届け出だして、それで儲けたのよね」

「悩みが解決するおいなりさんのお宿、みたいなノリで、そこそこ自由に過ごせるんだから、縁に助けられてるわよ。うちの実家は」


 おいなりさんのお宿……。

 いかにもうさんくさい。けど、おばあちゃんちはおっきなおっきな田舎の古民家。

 部屋もたくさんあるし、お風呂も情緒あふれてるし。なにげに新しい電化設備は早めに取り入れてるし?

 特別メニューでおいなりさんのお悩み相談ばんごはん~! なんてやってるのかも。

 ううん。

 お母さんの言うとおり、縁に助けられてる。

 商売って、そういうものだけど。経済の説明にもあったもんね。相互に関わり合っている人の集団のことだって。

 それってすごく繊細で脆くて壊れやすいもの。

 マジョリティの立場だと見えない、分断による排除の壁が、マイノリティになると見えてくる。バリアというのだそうだ。バリアって、なにかから自分を守る壁みたいなイメージがあった。お父さんとトウヤが好きなゲームで、攻撃から身を守る障壁として名前が使われがちだから。だけど、障害物とか、障壁とか、そういう視点で見るのなら?

 バリアは至るところに溢れていて、私たちはマジョリティでいるときには気づかず、マイノリティになって負荷に苦しむとき、はじめて気づく。そういう性質のもの。これはたぶん、どんな立場のどんな人でも、そうなんだろうね。

 気づかなきゃ知りようがないもの。

 それでついつい、気づこうとせずにだれかを傷つけてしまうことさえ、ありふれている。

 だから気をつけようって話だし、知ろうと努めようとするのだけど。

 お宿だと、なんだろ。汚いか、綺麗でも虫がいっぱいのトイレだと? もうその時点で「うわああああああああああ!」と、ダメージを受けちゃう。

 カブトムシを取りに行くことが、おばあちゃんちにいくと、たまにあってさ。もうその時点で「くっ! なんてプレッシャーなんだっ!」と怯む要素が山のようにあるし? 慣れてる子は気にしない。

 世界の果てまでいく番組の海外ロケシーンで、たまにホテルのえげつなさを流すことがある。水に住むいきものがトイレのタンクにたまっていて、流すとわーって出てきたり。トイレの中に虫がわーっていたり? そもそもホテルの寝室に、いろんないきものがいたり。

 不慣れな人は、もうわあわあきゃあきゃあ騒ぐ。けど、もうずっと海外ロケをやっているベテランさんになると、虫を摘まんでひょいって捨てたり、シャワーのお湯が出て「当たりです」ってしれっと言えちゃう。

 バリアはどこにあるのかな。だれにあるのかな?

 感じる人の中にあるのかな? それをだれかにぶつけると、それってどういうことになるのかな?

 だれがどうなんだ話とは別に、バリアを感じるとき、どうするのかな? どうすればいいのかな?

 大雨が降ったら下水があふれてホテルのバルコニーにうんちがいっぱい出てくるところに泊まっているなら、どうするのかな? いや、実際にあったの! そういう回が、たしか!

 ありとあらゆる人を拒まない、バリアをなくすデザインって、なんだろう。

 そういう手段って、なにかな?

 仕組みは? 枠組みなら? どういう構造にしていったらいいのかな?

 わからないぞー?

 さっぱりだ。

 いまのところ、わかることといったらね?


「とりあえず、流したいです……この、ぐちゃぐちゃ」

「「「 だよね 」」」


 お母さんも美希さんも、ふたりとも申し訳なさそうに居住まいを正した。ちなみにおじさんはまだ動けずにいる。確実に腰をやった人の固まり方をしている。私の視線に気づいて「だいじょうぶ、慣れてるから」と、引きつった笑顔でゆっくりゆっくり座り直した。そうしてやっと、長々と安堵に息を吐いていた。

 やだなあ。ぎっくりに慣れるのは。


「帰るか」

「もうちょっといろいろ回る予定だったじゃない?」

「いや、無理むり。春灯の手、みてよ。これにタオルでもかけてごらんなさい? 逮捕されてる人だから」

「――……警察のコスプレ、する?」

「しません」


 ひどいっ! 遊び心を発揮しようとしやがって!

 疑われないよ!? あいつやったなって思われるよ!?

 絵面をがちに寄せたら、そうなるよ! 即座にほわっと炎上するよ!? しかも両手が匂うままなんだよ……っ!

 がちでべそを掻きそうな私を見かねて、お母さんが手を叩く。


「当初の予定からがっつりずれたけど、まあいいわ。帰るとしましょう」

「タクシー捕まえる?」

「ああ、むりむり。高いし。万が一にも匂ったら最悪。逃げ場がない」

「たしかに」


 ふたりともさあ!


「あんまり! くさいって! いわないでもらえます!?」


 泣いちゃう! 傷ついちゃうもの!


「いや、でも」

「あなただって、きついでしょ?」


 だからつらいんです!

 事実! いま! ちょうくさい!

 いますぐなんとかしてほしかったのに。

 入ってきたときの素敵さなんか嘘みたいに、私いま、くさいの……。


 ◆


 絵本を買うとか、なにかおもちゃを買うとか、下駄を見繕うとか、諸々の計画がすべて吹っ飛んだ。なんなら、ぷちたちも一切でてこない。くさいの、いや! という、明確な意思を感じる。

 葉っぱを化かして出したスニーカーに履き替えて、しょんぼりしながら一度、帰宅。

 美希さんのお祓いの提案は、要するにうまい飯でも食べないかっていうもので、お母さんが却下。それにそもそも美希さんにも用事があるみたいで、神保町に戻った時点でお別れした。

 お母さんとふたりでなんとかすることになったみたいだ。

 そう思ったんだよ? 私は。

 でも、実際に玄関で言われたことはね?


「ひとまず、お風呂はいってきなさい」


 だった。

 思わず「ふふっ」と吹きだした。


「いやいや。お母さま。たまにはお背中、流しますよ? ほら。親孝行が足りてないし? お腹もだんだんおっきくなってきた頃だろうし?」

「臭い娘と入るのは、いや」


 ひどいっ! 笑顔でなんてこと言うんだっ!


「いいから入っておいで。あ、排水溝つまらせないでよ?」


 いやいや。うそでしょ!?


「ここへきて、さらなる要求!? え! つまるの!?」

「いかにもつまりそうなべっちょり具合だったじゃないの。あ、じゃあ庭で試してからにしよっか。ホースだすから、水ね」

「容赦ない!」

「じゃあ、あんたお風呂場の排水溝がつまったら掃除するの?」

「夏が暑くってほんとによかったなあ! 庭の水遊びが楽しめて!」

「でっしょ~」


 自慢げに笑いやがって!

 移動している最中も、ずっと蠢いていてさ? だんだんくすぐったさに慣れてきた。

 直視しなければ、どうとでもなる。

 そんなはずもなく。

 掻いても掻いても落ちつかないし、手を動かすとべちょべちょが刺激されて反応してくる。

 これは弄らないのが吉。

 だけどいますぐ取りたい! と、びびる心が訴えてくる。

 ただ、痛みはない。

 排水溝にたまる髪の毛って、触ると、もうそれだけで「うえええ!」ってなるじゃない? 思わぬ手触りで、私はなんかこう、馴染まない。うちは髪の毛をとめるシートを貼っていて、毎回捨てては張り直している。最後に入る人のお仕事。おさぼりは許しませんよ!

 去年の夏の緋迎さんちは? ざんねん! 使ってなかった。なので、その掃除で触って、ぞぞぞってなった。でも、たんにシートを使うんじゃあ馴染まない。使いたくなるものがいい。あと、ハードルが低いものほどいい。シリコンゴムの、上にのっけるシートもある。あれだと、毎回貼っては捨ててをしなくていいから、楽ちん。

 それくらい、こう、抜けた髪の毛の集まりって、きついものがある。

 なんでだろ?

 触感を認識した瞬間に、ああああ! ってなるの。触ったことのない虫に触るときよりも強烈な反応になるの。謎。

 そんな感じのぞわぞわ感がある。

 なんかもう生理的に「いますぐどうにかしたい!」って感じ。

 調べてみると、人を攻撃するでも、毒があるでもない虫ってけっこういる。けど、綺麗にしている部屋に、ぽつんと登場すると、なんかもうえらいことになっちゃった気がして絶望する。トンボが入ってきちゃって、どうしよう! みたいな感じ? あるいは夏だけに、セミが飛び込んできちゃったときみたいな感じ。

 そういう類いのぞわぞわ感のような気もする。

 だいじょぶ。

 だいじょぶ。

 そう言い聞かせるんだけど、なかなか慣れない。


「ほら。とっとと行った」


 お母さんに肩を掴まれて、くるんと方向転換させられる。

 そのまま背中を押されて、ふたりで庭へ。脱いだ靴を入れた袋も持って出る。


「よくよく考えたら、お風呂場に匂いがついても困るし」

「――……たしかに」


 お母さんの呟きに思わずうなずく。

 できれば二度と嗅ぎたくない類いの匂いだった。

 お風呂場ではぜったいに嗅ぎたくない。

 言うてうんちはちょいちょい嗅ぐ。否応なしに嗅ぐ。トイレで使える消臭剤で、ぷしゅってやっても、まあ、なんだかんだ、嗅ぐ。芳香剤を置いても、油断するとたまに鼻が捉えちゃう。

 でもね? もうね。うんちのレベルじゃないんだわ。

 いまの私ならシュールストレミングも行ける気がするね!

 実物が出たら「これはこれでむり!」って逃げるだろうけどね! だいじょうぶだとしたら、それもう嗅覚がやられちゃってるだけだろうし!

 そんなえげつない匂いが、私の御珠にべっちょりと。

 なんで?

 ねえ。

 なんでなの?




 つづく!

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