第千百九十八話
トシさんに送り届けてもらってお別れ。
ネット番組の撮影で、昼過ぎからの街ロケ。よりにもよって中華街! みたいなことはなく、赤レンガ倉庫とか、みなとみらいまわり。橋本さんのトークもスタッフも、撮影まわりがすんごい雑!
いやな予感はしたんだよ。いやな予感は!
連れられていった先がピアノのあるバーでさ?
入り口前で待ってましたとばかりにADさんがカンペを出すわ、橋本さんが「さあ、それじゃあ今日のお題ですが!」なんて言いだすわでさ。
やられたよ!
一ミリも想像してなかったよ!
でもマグロの解体をさせてきた番組だけに、気を抜いていたのは私のほうだよ!
がっっっでむ!
「こちらにございます、ピアノバー!」
「歌うんです……かね?」
「春灯ちゃああん。それじゃあ、ほら。できちゃうじゃない?」
なに。そのできちゃうじゃない? って。
できちゃだめなの? 無茶ぶりしないと気が済まないですか!? そういうとこあるよね! この番組は!
「できないことやらないとさ。やっぱり、新人歌手じゃなかった、新人タレントなわけだから!」
「なんてあざとい言い間違え……」
「広げていきたい! ね!? 我々が誰より早く春灯ちゃんと番組つくってるわけですから! ね!?」
「圧が強いよ、圧が」
ぐいぐいくるんだもんなあ。
ピアノバーの前で騒ぎすぎだしさあ!
「なあに? ピアノバーにさすがにマグロはないよねえ? そこまで予算もないはずだし」
「おっ!? それはなにかい!? 挑戦かな!? 自分の番組への! いいよ? 尻尾でマグロ釣る?」
「いやいやいやいや! 今度こそもげるよ!? 無理だから! やらないよ!? 尻尾釣りはもう御免ですよ!」
「そういうと思って! 用意しておきましたよっ!」
いやな予感しかない。
芸人モードの橋本さんが番組上で私にうれしいことを言った試しがないもん!
こざっぱりした格好で、芸人イケメンランキングで地味にじわじわ上昇中のおじさん。トシさんよりは若いのかな? ブレイクはしてないけど、地味に露出が増えてきていて、ピン芸人のネタの大会で地道に存在感を発揮中。大河とかにも出ていて、役者としての顔のほうが売れつつある。
なによりこの人、ほんとは忍びだ。それも超凄腕の! 理華ちゃんと付きあっている日高瑠衣くんも忍びで、彼の故郷に集まる日本の忍び衆の頭領なんだってさ!
世を忍ぶどころか思いきり顔出ししまくる仮の姿ですることといったら? 私への無茶ぶり。
もっと他に仕事があるのでは!?
「なあに……?」
「いい顔するなあ! 相変わらず! 他の番組じゃ見られないっていうお手紙もいただいてますよ?」
うれしくない!
「で! で! で!」
大王?
「今日はですね! ピアノの弾き語りに挑戦しよ~!」
「――……はい!?」
「ピアノ弾いたことありませんよねえ?」
「……ない、です、よ?」
眉間に皺を寄せて身構える私に構わず橋本さんはハイテンション。
「ネコ踏んじゃったくらいは?」
「まあ、それくらいなら」
できるけど。
でも絶対、求められるレベルはとんでもなく高いはず。
「じゃ決まり! 今夜までに、最高の一曲を仕上げてもらいましょー!」
橋本さんに合わせてスタッフ陣がわーっと拍手する。
一応突っ込んだ。盛りあがってるの私たちだけだし街中でうるさいし迷惑だしとか!
「今夜までってまじ!?」
「ネコ踏んじゃったいけるんでしょ?」
「いやいや。いやいやいやいや! レベルがね!? ちがいすぎるよ!? バカ言っちゃいけないよ! こういうお店で聞ける演奏っていうのは! 本当に素晴らしいものなんだよ!?」
「でも言っちゃったもん。撮っちゃったもん。やるしかないよ」
「やるしかないって……いよいよ開き直りまで雑になってきてない!?」
「ささ、いいから中にはいろ! お店には許可をいただいて、先生だって呼んであるから!」
「私がごねても無駄なヤツじゃん!」
いいからいいからと促されるまま、扉を開ける。
中から待ってましたとばかりにピアノの音色が響いてきた。
思いのほか存在感と輪郭のはっきりした音色に続いて、
「夢のような――……」
響いた歌声の主を見て、腰砕けになりかけたよね。
そばにあるテーブルに手をついて膝を折る私の視線の先に、トシさんがいるの。
いつの間に着替えたのか。私が来る前にか。
ワイシャツとスラックス。伸ばしている髪も綺麗に束ねて、小綺麗にしてさ?
推理小説を映画化したときのテーマソングを歌うんだ。最初は相棒役の女性が歌っていたんだけど、楽曲を提供した男性が歌うバージョンなんだよね。
完コピだった。
最愛。
絶対カットするに違いないけど、でもガチで一曲通して歌いきる。
しかも本域だ。
見せてくれたことがない。聞かせてくれたことなんて一度もなかった。
心が叫びたがっているんだ、だっけ。女の子が「演奏しながら歌うな」とかなんか、言ってなかったっけ。かっこよくて勘違いしちゃうみたいなこと。
すこし似ていて、でもずれがある。
ちがうことを考えている。
今日の仮歌のコンセプトと、けっこう似てる。
染みる歌詞だ。
作中の冴えない男性が、弁当屋の美女に心を惹かれる。女性には中学生の娘さんがいる。なんなら、お互いにそれくらいの年齢だ。美女の元旦那がほんとにろくでもない人で、不意の弾みで殺人に至る。ここには悲劇の仕掛けがもうひとつあるんだけど、割愛。
男性は彼女と娘を助けるため、一世一代のトリックを仕掛けた。そしてそれを、探偵が見破って尋ねるのだ。犯してもいない罪をかぶるだなんて、なぜそこまでするのかーみたいなことを。言葉にしたか、しなかったかは覚えてないけど。映画はそれくらい濃密な空気のシーンだった。
この楽曲の歌詞がさ。ひたすらに切ないの。
なにより切実なんだ。
女々しいかもしれないし、一方通行の片思いかもしれない。
トリックに関しての説明は、十年か、何年も前の作品なだけにいい加減いいような気もするし、でもするのは野暮だとも思うから省くけど。
作品のタイトルには、献身という言葉が使われている。
言うまでもないかもしれないけれど、献身とは身を捧げることだ。他人やなにかのために、自分を犠牲にしてでも尽くすこと。
すんごくわかりやすく言うなら、アメリカ映画の軍人さんとか、JBあたりが体現者。あ、ジャックバウアーね。
でも日本で軍人さんの献身って、関係者でもない限りはだいたい、身近に感じられるような距離感じゃあない。
身近なトラブルとかさ。そういうことに対する助力が献身的なほうが、わかりやすいのかもね。
それにしたって作品は演出も効いて、とびきり救いようのない状況にて献身を印象づけていると思っているけどね。
そのテーマソングのタイトルが最愛でさ。
結ばれることはないことが前提なんだ。
それでもいいから、細い糸のような繋がりでもいいから。お願い。
そんな思いさえ、伝えられないんだ。
たまらなく切ないよね。
遅咲きの恋。
ううん。恋に落ちたのが何歳だろうと、相手に連れ子がいようと、そんなのまったく関係ない。そういうことじゃなくてさ。
思いを伝えられない。
伝えたくて仕方ないのに。
許されない。
あるいは――……届いちゃいけない。
そんな前提があったら?
葛藤は深まる。
つまり、ドラマだ。
テレビドラマのドラマじゃなくてさ。
劇的な状況や事件。
でもってさ。そういうのって、葛藤や相克、対立から成り立ってる。
トシさんの仮歌の状況設定でいうのなら?
自分よりも彼女を幸せにできそうな男がいる。そいつに勝ちたい。なにより彼女に認めてもらいたい。だけどどうだろう。自分よりも優れた、彼女に適した男だ。周囲も、恐らくふたりもそれがわかっている。自分がなにより感じてる。その引け目を抱えて告白できるだろうか?
現実的な視点から彼女が彼と結ばれたほうが幸せだとわかっていて、自分の手を取ってくれるイメージがない。なんなら男と対立していて、どうにもならない。
こういう状況、ロミジュリみたいにさ? 家同士の抗争とか、ギャング同士、あるいはギャングと警察とか、そういう相反する立場の恋なら? ありがちだ。ありがちなのは、それがドラマチックになるからだ。
言いたい。けど言えない。
勝ちたい。けど勝てそうにない。
恋敵だ。対立もしている。
逆に対立を皮肉に描くこともあるよね。友達同士とか血縁関係とかでさ。兄弟姉妹にするの。
作品で言えば状況がまず告白を許さない。
それに彼は彼女の罪をかぶるとして、それを理由に彼女に迫るなんて気は毛頭なかった。実直で真面目な人だ。卑怯だと思って堪えたのかもしれない。
ただし罪をかぶって刑務所に入ったなら?
戻ってきた頃には前科者。刑を終えるまでに何年かかるか。その頃には老いていて、職も危うい。彼女が迎えいれてくれる保証など、欠片もない。
報われない。
利益がない。
だからこその献身。
けれど献身的であるほど、淡い恋慕の情は決して口に出せなくなる。永遠に封じ込められて、刑務所で過ごさなければならない。
映画だと、すっごくイメージが浮かぶ。
トシさんなりのアドバイスなんだろうなあ。
映画になった作品までいかないとしてもさ?
ギンとふたりで斬り合った、去年のあの試合。
ギンの向こうにノンちゃんがいて、私のうしろにカナタがいた。
馴染んで近づいたけれど、でも、お互いにいやってほど気づかされた。お互いに、目の前で刀をぶつけあう相手に感じていたのは、孤独の寒さを慰める誰かが欲しかっただけで。それでもちゃんと、好きだと思っている気持ちがあって。あそこですべてを出し切って勝負をつけなきゃ、私もギンも前に進めないってことに、気づかされたんだ。
あの試合は、切なさ詰まってた。
別に斬り合わなくても、自分の中で対立は生まれる。映画なら、それを語るか、象徴的な絵作りをしないと伝わらないから大変だけどさ。モノローグまみれをありとするかなしとするかになるけどさ。たいがいなしだけどさ。だから対立を明示的に描いている印象があるけどさ。
私の中に陰と陽がある。その衝突もあればさ?
清川さ――……未来ちゃんが選んだ、兄を成敗するんじゃなくて自分が求める家庭に近づける道みたいなものって、兄が彼女にひどいことをするほど彼女の中で衝突が生まれるよね。
本当にこれでいいのか、悪いのか。
他にもさ?
お助け部でちょこちょこ関わる恋愛の悩みとかで聞くよ。
なんならカゲくんと日下部さん、そして日下部さんに片思いをしていた泉くんみたいなケースもあるよ? 泉くんは結局、引くことしてた。そもそも日下部さんがもうとっくにカゲくんを選んでいてさ。玉砕状態だった、なんて噂がすごい速度で広まっていたよ。
泉くんの切なさみたいなのも、あるのかもなあ。
小楠ちゃん先輩がカナタに告白して、振られる現場を目撃しちゃったときのいたたまれなさを、ほんとはいまでも覚えている。
最初は先輩が呼び出しにきて、私はボコボコにされるんだと思ってた。なのに面倒を見てくれた。星蘭のみんなを傷つけるような形になっちゃったけれど、でも自由に体が動かせたあの日、たしかになにかに目覚めたんだ。私は。
ああ、でも。それは小楠ちゃん先輩がめちゃめちゃいい人だっただけでさ。失恋のつらさとか、片思いの切なさがなかったことにはならないんだ。
告白は節目。
もちろん節目は節目でしかない。ひとつの段階を越えたと捉えてもいい。ゴールテープを切ったつもりでもいい。そしてどんな気持ちでいようとも、節目の先には道が続いている。それだけのこと。
節目を特別に思うか、大事に思うか、ぞんざいに扱っていいと思うか、ただの通過点と思うか。それは人の気持ち次第。誰かがこうだと言って、それに賛同する人がどんなに大勢いようと、自分がどうか、相手がどうかはまったくもって別の話。ただそれだけのこと。
でもやっぱり、大事にしたい、特別に育ててきた関係とかさ? いろんな思い出がのしかかってきたりすると、怖くなる。
台無しになるんじゃないか。いままでのすべてがいやな思い出に変わってしまうんじゃないか。すごくいやがられたら? もう生きていけない。
願いが届かないことがある。
相手の意志は操れない。選べない。それは相手が選ぶもの。
そのちがいに特別ダメージを受ける人もいるし、ダメージはあるけど「しょうがねえなあ。じゃあ次だ!」と切りかえる人もいれば、なんてことなく過ごせるようになるまでふて寝したり泣いたり、逆に遊びまくったり、いっそ普段どおりに過ごす人もいる。いろいろだ。
未体験だと、そのいろいろのどれに自分が当てはまるのかわからない。死にたくなるかもしれない。
映画になった作品で献身的に振る舞った男性みたいに、素朴でパートナーの存在なんか欠片もない人生を過ごしていたとしてさ? やっと見つけた夢のような存在だったら?
絆を結びたくならないのかな。
その人との繋がりが、自分のすべてを救ってくれるかもしれない。
それに、その人が相手ならさ? なんでも尽くせるんだ。なんでもできる。それほどの輝きと力をくれるんだ。
それほどの片思いなんだ。
言ったらなにもかもが台無しになって、彼女が苦しむ。そんな状況だったら?
女性を追いつめた奴はほんとにろくでもないヤツで。だけど彼女の旦那だった人なわけで。
言えるわけないよなあ。
なにか、ほんのちょっとでもいい。救いがあればさ。男性が女性と出会って結ばれているとかさ? ろくでもないヤツが来れなかった~とか。それくらいのなにかがあればさ。悲劇は起きなかった。もちろん、意味のないたられば話だ。
狂おしいくらいの皮肉な状況下で、男性が選んだトリックはかなり壮絶なものだった。
だからかなあ。
感動的作品! みたいな取り上げ方はどうなのよ、みたいな意見もあるみたい。
ほんとはね?
もっと複雑で切ない話なんだよ。
女性には、より安定してそうな人が言いよっていたりさ?
そもそも男性は自殺を考えていたところを、女性たちが引っ越してきて救われたとかさ。
そういう畳みかけがあるんだけど、そこはぜひぜひ小説なり映画なりを見てもらうとして。
大事なのはさ。
「――……」
歌うトシさんの声に響く感情をめいっぱい感じる。
ほんと言うとさ。
私に対する優しい愛情みたいなものを、最初に感じた。
作品と曲は私も知ってる。うろ覚えな部分も、そりゃあある! けっこう前の作品だし。
でも知らなくても感じ取れた。
それくらいには、トシさんは露骨だった。
ただ、それだけじゃあなかった。
たぶん、昔に本当に本気の片思いをしてきたんじゃないかな。
たった一度きりかもしれない。あるいは、する恋すべてが本気だったのかもしれない。
いずれにせよ「お前は俺の答えを知ったら、そこから抜け出せるほど器用じゃない」みたいなこと言っておいて、答えを歌ってんじゃんって呆れたし。
トシさんの、きっと名前をつけて保存してる片思いの特別さ、あるいはそれに匹敵するほどの感情を、今日の私は少しも歌えてなかった。
カックンさんを弄っておいてさ?
自分だって、きっとカックンさんみたいにめげそうな目に遭いながら、恋愛してきたんでしょ?
スタッフさんたちはお店の人に挨拶したり、いろいろと準備をしてる。
橋本さんは気を遣ってくれたのか、カメラが撮っていないのも手伝って、声を掛けずにいてくれた。
だからさ。
私は見てたんだ。
カナタと同棲する機会がまったくなくて、士道誠心が普通の高校で。そしたら、いまみたいには進まなかった。ぜったいに。
もし、そういう状況だったら?
私もトシさんみたいに歌えてたのかな。
ちがうなあ。ナチュさんに言われる。
自分で経験することしか出せない。それじゃ先が短い。いっそスキャンダラスな人生を過ごす? 炎上しまくることになりそうだけど。
そうじゃなければ変換したり、置き換えて自分のものにしちゃえばいいんじゃない? ってさ。
トシさんの歌に込められた感情に寄り添えるだけのなにかが、私にあるだろうか。
すぐに連想しちゃった。
さっきも連想したことだ。
未来ちゃんのこと。そばで見ていられたら、私自身、得るものがある。絶対に。確信した。
そんなに長い曲じゃない。
そろそろ終わる。
そしたら「聞いてないよ!」とか「さっき送ってもらったんですけど!」とか「もしかして出がけに注意した山岡さんさえ、このドッキリに関わってました!?」とか、いろいろリアクションしなきゃ。トシさんと絡んで、仲良しバンドメンバーだって感じで絡んで、ついでにピアノを教えてもらうときにはいつもの私のアホさにツッコミ入れてもらったりしてさ?
楽しい映像を撮るよ。ピアノに七転八倒するだろうけど! それも込みでね。
でも、もう終わっちゃうからさ。
あとすこしだけ浸らせて。
好きにはいろんな形がある。
悲劇はいらない。
ただ、幸せに繋がる好きを増やしていきたい。
トシさんの好きを、私はめいっぱいもらう。
ずるいかもしれない。
だからめいっぱい返そう。ひとまず今日の収録中に、弾き語りで返せるくらいにがんばらないと。
いっそ御珠の力を借りて、天国で知りあった誰かに助けてもらう?
それもいいかもしれない。
空を飛ぶ豚さんをバルコニーで見あげるマダムがアメリカの坊やに言った。
ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの。
私にはまだ、マダムが感じている世界の複雑さが見えない。
そこまで世界の深みを知らない。
知らないから、知りたい。
情念なのかな。演歌にありそうなさ。
なにかが足りてない。あるいはなにかに気づいていない。
私の中にもあるかもしれない。欠片程度かもしれないけど。
明かりで私の内面を照らすように、トシさんは歌う。
俺はボーカルじゃないからとか言っちゃってさ。
かっこいいじゃん。
つづく!




