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黒甲王の交渉術

 ◆


 セムナーンから八ファルサフ(約四十キロ)西は、荒涼とした平原だった。北へ進めばスィヤーマーク山脈の裾野が広がっているが、その先には魔族や魔物が跋扈する世界が広がっているという。

 俺はアーノルドに跨りながら、眼下に広がる荒涼とした大地と、蠢く人の群を眺めた。


「兄者、ボアデブルの陣容、見事です。最前列に重装兵、中軍に魔法兵、後方に弩兵を配している所を見れば、対竜戦を想定しているかと。それに、両翼に騎兵まで展開して……すでに我等と戦う意志があると見てよいでしょう」


 速度を若干抑えているとはいえ、アーノルド、ドゥラと並んで飛ぶシャジャルは、青髪を靡かせながら、疲弊感さえ見せない。

 考えてみれば俺なんか「飛翔ターラ」さえ使えないというのに、どうなっているんだ。

 しかも軍師の如き明確で的確な発言をするあたり、俺は大きく頷く事しか出来ないぞ。


「対竜戦を想定しているという事は、対魔戦も想定しているということ。まあ、クレイトの主力がドラゴンであることを考慮に入れれば、まだボアデブルめには言い訳の余地くらいありましょう」


 眼鏡の真ん中を中指で押さえながら、シャジャルの横を飛ぶカイユームが言った。

 

 俺達は今、俺を先頭にして左後ろにジャムカ、右後ろにシャジャル。シャジャルの隣にカイユームといった並びで飛んでいる。

 もちろん俺はアーノルドに、ジャムカはドゥラに乗っているが、シャジャルとカイユームは機動飛翔アル・ターラという魔法を使っていた。

 ボアデブル軍は既に捕捉しているし、その先にいるアーラヴィー王国の軍も、集団としては認識できる位置に来ていた。

 もちろん此方が補足したのだから、ボアデブルから見ても漆黒と真紅の二頭の竜は、きっと見えているに違いない。


「どちらでも構わぬ。奴らが我等に従い武装解除をせぬのであれば、ドゥラの炎を味わわせてやるまで」


 艶やかな黒髪を靡かせるジャムカの発言は、どこまでも過激だ。

 きめ細やかな白い肌で、まだあどけなさの残るジャムカ。だけど無表情にそんな事をいうものだから、妙に迫力があるのだった。


「まあいい。俺はちょっとボアデブルの所に行って交渉してくる。ジャムカとシャジャルは上空で待機。俺が何事も無く戻ればよし。そうでない場合は、シュラが合図をするから攻撃してくれ」


 そう、俺はボアデブルの陣営にシュラを潜入させている。

 何しろ、彼女のお陰でこうまで簡単に情報操作が出来たのだ。まったくシュラはお手柄だった。

 しかもカイユームによれば、シュラは既に敵陣の内部に爆砕魔法を仕掛けてあるというのだから、なんという手際の良さであろうか。

 まあ逆に考えれば、それ程有能なシュラを手玉に取ったのだからシーリーンという女は、もしかしたら最強クラスの策士なのかもしれないな。絶対に油断しないと、肝に銘じておこう。


「はい、兄者! 試したい魔法がいっぱいありますから! これだけ人がいれば、たくさん試せます! あはっ!」


「わかった。今回は好きに暴れさせてもらう。それと、シャムシール……さま」


 なんという事だろうか。

 シャジャルとジャムカの返事に、俺は開いた口が塞がらない。

 俺は交渉に行くと言っているのに、そして「何事も無く戻ればよし」とまで言っているのに、暴れる事を決め込んでいる二人は、なんだかとてつもなく良い顔だ。

 くそう、よく考えたら、シャジャルはネフェルカーラの弟子とも言える存在だ。危ない、思考パターンがあの脳筋魔術師に似てきているぞ。

 戦場を実験場としか思っていない感じだし、人体実験とか、危なすぎる! 「あはっ!」じゃない、シャジャル、こっちへ帰っておいで!

 ジャムカだって考えてみれば脳筋軍団クレイト軍の元姫将軍。戦いが大好物なはずだ。彼女が割と常識的な人物だと思っていたことが、俺にも確かにありました……ええ。


「シャムシール……さま、戦いの前にオレに接吻を……してもよいぞ」


 既に俺が戦いを選ぶ事を疑っていないジャムカはドゥラを側に寄せて、瞼を閉じている。


「お熱いですな」


 僅かに顔を背けた真紅の竜、ドゥラの気遣いがやけにウザい。

 なにその訳知り顔。

 そーゆーんじゃないから。俺とジャムカはまだそんな関係じゃないから。

 だいたいジャムカ。なんでここでいきなり接吻なんだ。

 アエリノールとドゥバーンがいないと、あっさり調子に乗るんだな。

 しかもなんだ、その妙な上から目線。

 確かに可愛いけれど、今は無視だ。もう、無視。


「いくぞ、カイユーム!」


「ええ……!?」


 ……なんでここで驚くの、カイユーム?

 俺は、今更尻込みしているカイユームを肩越しに見る。

 アーノルドに至っては、下降に入っていた体勢を再び戻して舞い上がった。


「わ、私は中、長距離攻撃専門の支援型でして……地上にはシュラもおりますれば、陛下と共に参るのは遠慮したく……」


 なんて事をいうのだ、カイユーム。

 俺に一人で地上に降りろというのか! 恐いじゃないか! カイユーム! 脳を鍛えたんじゃないのか!

 と、俺は言い募りたかったが、ぐっと堪えた。

 そもそも、確かに地上にはシュラがいる。むしろ、可憐な闇妖精ダークエルフであるシュラを一人危険な目に合わせて、俺達が空でのうのうとしていられるか。


「いいから! カイユーム、お前はシュラを地上で一人にしておくつもりか?」


「は、はい。シュラは近接戦闘において、私のおよそ百倍強いので問題ないかと」


「カ、イ、ユー、ム!」


「……私などが同行しては、い、いざ戦闘になったとき、いっそ邪魔かと」


 ふむ。 

 なるほど、カイユームはきちんと考えた上で、俺に同行するのを断ったのか。

 まあ、そうだな。

 俺が俺一人で下りるのはちょっと恐いからって、カイユームを巻き込む事はないよな。そんな事で危険に臣下を巻き込んだら、俺はとんだ暴君になってしまう。

 第一、実際シュラはこの中で一人、暗躍していたんだ。

 捕まったら、そりゃあ大変な目に合うだろうに、その恐怖に耐えながら、だ。


「分かった。カイユーム、万が一の時には、殲滅魔法をボアデブルに見舞ってやれ!」


「はっ!」


 俺は再びアーノルドを降下させる。

 大きく翼を広げて、なるべくボアデブルを威嚇するように、ヤツの本陣へ向けて一直線に降りてゆく。


「はぁ、驚いた。あんな大軍の中に陛下と二人で下りるなんて、寿命が縮むよ。そりゃあ陛下に絶対の忠誠を誓っているけど、陛下みたいな化け物とは違って私はれっきとした人間なんだから、その辺、陛下も考慮してほしいなぁ」


 その時、ふと後ろを振り返ると、胸に手を当ててホッと息を吐き出すカイユームの姿が見えた。

 俺が化け物だと? 四百年も生きてて、自分がれっきとした人間だと?


 俺は近いうちに一度、カイユームに地獄を見せてあげる事にした。

 しかも俺の冴え渡る頭脳は、我が手を汚さずカイユームに懲罰を与える方法を思いつく。


 ふっ、カイユームよ。本当の化け物の恐怖を味わうがいい。

 そう考えて、俺は薄笑みを浮かべながらネフェルカーラを呼んだ。


「ネフェルカーラ、聞こえるか?」


「なんだ?」


 冑の中、呼びかけるとネフェルカーラからの返事はすぐだった。


「カイユームが、ネフェルカーラと魔法の撃ち合いをしたいって。今なら負ける気がしないって」


「ほう? 面白い。ふは、ふはふはははは。ならばシャムシール、カイユームに伝えよ! このおれが、貴様の伸びきった首を叩き折ってくれる! と」


「ネ、ネフェルカーラ?」


「なんだ?」


「伸びたのはきっと鼻だと思うんだけど」


「む? これはお前がおれに教えた”モノの例え”とやらだろう? きちんとお前の生まれた国の文化とやらをおれは学び、覚えておるのだ。それが証拠にこのように応用も出来ておろうが。これぞ、あれだ。良妻賢母の欠片というもの」


 色々と間違えているネフェルカーラに、俺はいったい何をどうつっこんだらいいのだろう?

 ネフェルカーラが良妻賢母だったら、世界の女性は間違いなく全員が女神様になる。まあ、本人が”鏡”ではなく”欠片”だといっているけれど、欠片にだって失礼だ。大体、オマエはいつ、誰の母になったんだ。想像妊娠でもしたのか、ネフェルカーラ。

 だが、そんな事を言ったらお終いなのは俺の命で間違いない。

 だからつっこみは慎重に、最低限で十分だ。


「だから、さ。人が増徴した場合、伸びるのは”鼻”なんだよ。それに、首を折ったらカイユームが死んじゃうよ」


「別に構わぬだろう、あやつ如き死んだところで」


「え、ちょっとそれは……!」


 俺はボアデブルと思われる人物の前に降り立つ直前で、アーノルドを停止させた。

 それによって地上から空を見上げるボアデブルの兵達は、慄き、悲鳴を上げる者までいたが、それは俺のせいではない。

 アーノルドが気を利かせたのか、漆黒の首を大きく右から左に動かすと、雷鳴の様な咆哮をあげたのだ。


「グウオオオオオオゥ!」


 竜の咆哮は、多量に魔力を含んでいる。であれば、精神の弱い者が聞けば、心臓麻痺を起こし、それだけで命を失うものもいるのだという。

 実際に、ボアデブル軍の幾人かが泡を吹いて倒れている姿も垣間見えた。


 だが、俺としてはそれどころではない。

 ネフェルカーラにカイユームを懲らしめてもらおうとは思ったが、さすがにそれで殺されるのは可哀想だ。

 ここは、なんとかネフェルカーラを翻意させねばならないだろう。


「む? だめか? だが、あやつには予備の体があったと記憶しておる。であれば、おれはあやつの今の(・・)肉体だけを滅ぼすつもりなのだが?」


「まあ、そうなんだけど」


 カイユームにはまだ素体が残っているという事をネフェルカーラは言っている。

 たしかにカイユームは死んだとしても、本当の意味で死ぬ事は無い。

 それにイケメン虚弱眼鏡より、金髪ロリコン少女にカイユームがなるのなら、それはそれでアリな気がしなくもない。


 いやまて、俺。


 いくら外見が金髪ロリだとしても、中身がカイユームでは全てが台無しだ。

 カイユームはそもそもその性質が引きこもり。となれば限りなく腐臭を放つロリが完成するだけだろう。


 俺は、何かネフェルカーラがカイユームを懲らしめつつ、だけども手加減をする方法が無いものかと考えた。

 その間、アーノルドは地上を睥睨し、ボアデブル軍を阿鼻叫喚の坩堝へと変えている。

 どうやら部分的に重力操作などをして、ボアデブル軍に不本意な平伏を強いているのだ。

 まったく、俺はネフェルカーラに余計な事を言ってしまってそれどころではないというのに。


「へ、陛下ぁぁ!」


 俺が暫く腕を組み、首を捻ってネフェルカーラに対する言い訳を考えていると、驚いた事にカイユームが背後に現れた。


「なんだ、カイユーム?」


「い、いえその、やはり陛下をお一人で地上に行かせるのは如何なものかと愚考いたしまして」


 見るとカイユームの両頬が腫れ、眼鏡の一部に罅が入っている。

 イケメンは台無しだし、知的な印象さえ失われたカイユームは、両手が”ふるふる”と震えていた。

 上空を見れば、ジャムカとシャジャルがそれぞれ拳を天に突き上げ、俺に頷いている。

 

 なるほど、ネフェルカーラに殺られる前に、既にジャムカとシャジャルの制裁を受けてしまったのか。

 こうなれば、いっそ哀れかも知れない。


「ネフェルカーラ……やっぱりカイユームは、お前に及ばないって分かったみたいだ。だって、シャジャルとジャムカにやられちゃったもん……」


「む? そうか、ならばよいが。それにしても流石はシャジャル、おれの教えをよく守っていると見える。それに、ジャムカとやらも中々やるではないか」


 ネフェルカーラの満足そうな声が聞こえ、俺はホッとした。

 カイユーム。被害が頬と眼鏡で済んでよかったな。

 これからは、あんまりふざけた事を言わないようにするんだぞ。

 けど、ネフェルカーラの教えとはなんだろう? シャジャルがどんどん荒んでゆく気がするんだが。 


「な、なあ、ネフェルカーラ、シャジャルに――」


 何をシャジャルに教えているのか聞こうと思ったとき、ネフェルカーラのはにかんだような、少しもじもじとした感じの声が聞こえてきた。


「な、なあシャムシール。カイユームで試せぬとあっては致し方ない。お、お、お前で、その……おれの新魔法をためさせて、くれぬか?」


「そ、それはどんな魔法なの?」


「そ、そんなこと、直接会わずに言えるかっ!」


 なんだろう。ネフェルカーラがとても恥らっている。

 まるで純潔の乙女が初めて告白をするような。こんなこと、電話で言えるわけないでしょ! と言ってるような。

 ということは、魅了チャームのような魔法なのだろうか?

 もしかして、俺がネフェルカーラの事をとてつもなく好きになっちゃう魔法だとか。あり得るような気もするな。

 それにしても、恥らうネフェルカーラの声はとても魅力的だ。実際、脳が筋肉で出来ていたり極悪な魔法さえ使わなければ、ネフェルカーラこそ絶世の美女だと俺は思う。その意味ではアエリノールやシェヘラザードだって、ネフェルカーラの幽玄を思わせる美貌には、僅かに及ばないだろう。

 ……久しぶりに、ネフェルカーラに会いたいな。本当に元気かな?

 けれど元々はカイユームで試そうとしていたんだから、魅了チャーム系じゃないかもなぁ。うーん、気になる。


「その魔法を試すのは、俺じゃないとダメなの?」


「ああ、もちろんだ。並みの者なら即死するであろうし、よほど強き者でも容易には耐えられまい。これは深遠の闇に煉獄の炎を閉じ込めて、雷帝の雷を皮切りにして……だから理論上はな……ああ、つい言ってしまった! だが、シャムシールならば耐えられるはずだ。ふは、ふはは! また、会うときの楽しみが増えてしまったな、シャムシール! いや、我が夫よ! ふははは!」


 俺は、目の前が真っ暗になった気がした。

 俺は、自らの過ちで地雷を踏み抜いたのだ。

 ネフェルカーラの美しい声が、冑の中で木霊する。

 俺は、ちょっとでもネフェルカーラに会いたいな、って思った事を後悔した。

 アイツは、夫になる人間に何をするつもりなんだ!

 俺なら耐えられるってなんだ! だからカイユームで試して殺すつもりだったのか!

 そんなの、アエリノールで試してくれ! アイツなら頭蓋骨が割れても死なないんだから! 


 俺はヘラートを包囲するナセルよりも、マディーナに侵攻するフローレンス帝国よりも、一人ネフェルカーラに怯えながら、眼下を再び見た。もう、ネフェルカーラに比べればボアデブルが率いる八万なんてゴミのようだ。いや、ゴミだ。恐くも何ともないからな……。

 俺に萎縮するボアデブル軍からは、祈りの様な、悲鳴の様な声があちこちから聞こえる。


 俺は一度だけアーノルドに声を掛けると、無造作に最も豪華な装備をしている人物の前に下りた。

 竜の羽ばたきで草原の草は揺れ、人々は悲鳴を上げる。

 アーノルドは着地すると、さらに威嚇するように長い尾を地面にたたきつけた。


 ――バシッ!


 俺は漆黒の竜から降りると、涙を溜めた目を見られないように面頬を下ろして、一際豪奢な白馬に跨る一人の男の前に立つ。

 その姿からして、ボアデブルだと察した為だ。

 男は銀を基調とした胸甲に金の装飾が施された、それはもう豪華な鎧を身に着けている。

 鞍は座る部分が赤、縁はやはり金と、まさに王様といった体だ。むしろこれで万人将だなどと言われたら、いっそ俺は困ってしまうだろう。

 

「シャ、シャムシール陛下……ですかな?」


「うっ……そうだ」


 男の問いかけに答えた俺は、うっかりネフェルカーラが恐くて嗚咽が漏れてしまう。

 俺は、ここで勝っても、ナセルを破っても、ネフェルカーラに実験で殺されてしまうのだろうか。

 でも、思えばカイユームを虐めようとした罰かもしれない。

 やっぱりイジメはいけないな。結局自分に返ってくるものな。

 

「下馬せよ! そしてまず名を名乗らぬか!」


 左手の中指で割れた眼鏡の中央を押さえ、右手をボアデブルに翳して叫ぶカイユーム。

 どうやらカイユームも、恐怖に張り裂けそうな胸を抱えて、ボアデブルと対しているようだった。

 そう、カイユームはジャムカとシャジャルを気にしているのだ。

 時折上空を眺め、シャジャルとジャムカの機嫌を伺っているのだから、きっと生きた心地がしないのだろう。

 空では、腕組みをしているシャジャルが二度、三度と頷いていた。

 ジャムカは眼光も鋭く、槍をカイユームに向けている。


「セムナーンがスルタンボアデブルにございます。シャムシール陛下……それに、闇隊ザラームの長、大魔術師カイユームどの」


 銀の刺繍が施された漆黒の長衣は、俺が誇る闇隊ザラームの証。

 そして、その長たるカイユームの特徴を、既にボアデブルは知っていたのであろう。

 白馬から下りると、恭しく膝を折り、そしてカイユームにも礼をした。


 って。え? カイユームが大魔術師って、どういうことだ?


スルタンだと? この期に及んでお主は我がスルタンの前で憚りも無く尚、スルタンを名乗るか? 無礼にも程があろう。それに私は大魔術師などではない。己を称して大魔術師などと言うほど自信過剰ではない」


 跪いたボアデブルを見て語調を弱めたカイユームはしかし、互いの見解が相違していることをいち早く指摘していた。

 何より、カイユームの瞳に淡い怒気が宿っている。これは、恐怖からのものではない。なんだかんだいって、カイユームは俺の為に怒ってくれているようだ。

 さっきはネフェルカーラに売ろうとしてゴメン、カイユーム。


「ふ、ふふはは。私は、未だスルタンのつもりでおりますぞ、カイユームどの。されど、シャムシール陛下に対する異心がある訳でもござりませぬ。ただ、私は聖帝カリフシャムシール陛下の御世に、セムナーン王として封じられるつもりでありますゆえ……」


 俺に恭しく頭を下げるボアデブル。

 恐らく、俺達が少人数で来たことを最初はナメていたのだろう。

 しかし、ありえないアーノルドの暴虐にドラゴンと今戦う愚を知ったボアデブルは、作戦を変更したのかも知れない。

 だが、どちらにしてもその野心は見え透いてる。

 なにしろ低く下げた頭の影で、ボアデブルの口元は薄笑みを浮かべていたのだから。


 ――ばかめ。


 俺の甲冑は足元まで真っ黒だ。

 そして毎日何故かドゥバーンが磨いてくれるせいで、いつだってピカピカだ。

 だからお前の薄笑みだって、俺の黒光りするつま先にしっかりと映っているんだぞ。


「俺がお前をセムナーン王に再び封ずるかどうかは、これからのお前次第だ。千人長ボアデブル」


 俺の言葉に、瞬時に引き攣ったボアデブルの顔はいっそ見物だった。

 しかしすぐにボアデブルは肩を震わせて、口元を歪に開き、笑声を上げる。


「ふ、ふふ……ははは! 黒甲王カラ・スルタンか。まったく、余の計画を全て台無しにした挙句、さらには余に千人長からやり直せとほざくか。兵共がいかに毒気をその竜に抜かれようとも、余が一声かければ皆立ち直るわっ!」


 顔を上げたボアデブルは、太い眉の間に深い一本の縦皺を作り、浅黒い顔を俺に向けて来る。

 右頬に大きな刀傷があって、それが元セムナーン王の表情に獰猛な気配を宿していた。

 ていうか、それ以前に立ち上がったボアデブルは、やはり俺よりも背が高い。

 銀色の高級そうな鎧のせいで見落としていたが、この男も生粋の武人だった。


「者共! ここにいるは黒甲王カラ・スルタン! 捕らえた者、殺した者には恩賞を思いのままぞっ!」


「おおお! 黒甲王カラ・スルタンを討て!」


「おお! 黒甲王カラ・スルタンからセムナーンを取り戻せ!」


 ボアデブルの大音声に、周囲の兵士たちが立ち上がって歓呼を上げる。

 あれ? 俺、かっこよく交渉して、適度に暴れて帰るつもりが、実際先手を取られました?

 あわよくばボアデブルをぶん殴って説教した挙句、千人長で妥協するなら配下に加えてもいいかな、強そうだし、なんて思ったのは虫が良すぎましたかね? うん、気合十分のボアデブルに改心の兆しはまるで無いしね。そもそも、説教さえ出来てないよ。何しに来たんだよ、俺。むしろピンチになっただけじゃないか!

 

「ああ、終わった。私、詰んだ。陛下……お別れです。私、自爆します。その隙にお逃げ下さい。シュラには今、連絡をしておきましたから。

 短い間でしたけれど、親しく接して頂いて本当に嬉しかったです……」


 なんだか、カイユームがまたも”ふるふる”と震えながら雰囲気を出している。

 確かに現状、三百六十度囲まれちゃったけど、アーノルドもいるし、俺、わりと一騎当千なんだけど?

 だからそんなに慌てないでくれるかな、カイユーム。俺も恐くなっちゃうから。


「でも陛下、私の素体、そっとしておいて下さいね。今度は平和に女の子として生きるんだ、私……そして……今度こそ普通に恋をして、普通に生きるんだ……ああでも、女になったら師匠に……ジャンヌにバレてしまう……でも男のままではネフェルカーラに逆らえない。ああ、私の人生って……ああ、ああ……どう足掻いても詰んでる……もっと陛下と親しくなりたかったなぁ……生まれて初めて人を好きになったのかもなぁ……これ、恋だったのかもしれないなぁ。――万物よ、我が内に宿りその力を顕現せよ――」


 震えながら視線の泳ぎまくるカイユームは、既にあちら側の世界に片足を突っ込んでいる。そして蹲ると、自爆用の呪文を唱え始めた。

 それにしてもカイユームは何を言っているんだ。

 途中から恐怖とは別の意味で、俺の背中に悪寒が走ったんだが。

 ともかく俺はカイユームを現実の世界に引き戻す為に立ち上がらせて、軽く頬を叩く。


「はっ、陛下!」


「しっかりしろ、カイユーム。自爆なんてしなくていいから! 防御結界を張って機動飛翔アル・ターラで逃げろ。お前が逃げるまで、俺が援護するから!」


 周囲の敵を切り伏せながら、俺はカイユームの左腕を掴んで言った。

 アーノルドは低空で飛行して、敵に炎を撒き散らしている。

 だが敵もさるもの、闇竜の炎は見事に魔法兵団が防ぐ。ボアデブル軍は炎で被害を受けることが無いようだ。


「いや、陛下。臣下がスルタンを置いて逃げるなど……せめて私も共に戦います」


 不意に、カイユームが俺を見つめた。その瞳が、少しだけ潤んでいる。さっきまで泣いていたからだと思うけど、少し気持ちが悪いのは何故だろうか。

 そしてカイユームは微笑むと、虚空に弓を引く動作をした。

 ちなみに、カイユームは弓などもってはいない。

 しかし、直後に淡く輝く黄金の弓矢がカイユームの手元に現れた。

 

光弓ヌール・サハム!」


 次々とカイユームから放たれる光の矢は、雷よりも早く、正確に敵の胸、腹、頭と射抜いてゆく。

 一々矢をつがえる必要の無い魔法の矢は、カイユームに魔力がある限り現われるのだから、敵にはとてもタチが悪いだろう。


「たった二人に何をしておる! 盾で囲んで槍で突け!」


 ボアデブルから的確な指示が飛んだ。

 うん、それをやられたら、俺、ちょっと嫌だ。

 その時、ボアデブルの誇る魔法兵団の列の中ほどが爆発し、悲鳴が上がる。

 そして敵軍の人垣を縫うように現れたのは、銀髪もまぶしい褐色の肌を持つ闇妖精ダークエルフのシュラだった。


「陛下、相変わらず戦がお好きですね」


 抜き放った曲刀は既に血塗れ。ぴったりと肌に吸い付くような純白の戦衣を着たシュラが目の端に俺を捕らえて、言う。

 え、俺、そんな風に思われていたの? と、ちょっとショックを受けたが、シュラが起こした爆発が合図となって、シャジャルとジャムカも俺達の元に駆けつけた。


 ああ、またやってしまった。

 

 八万人対五人。

 なに、この戦力差。


 この上はアーラヴィー王国の軍が来る前に、さっさと逃げよう。

 そうすればボアデブルは、俺が寡兵だから決死の覚悟でここに乗り込み、やはり勝てずに逃げたと思い追って来るはずだ。


 これでいい。作戦通りだ。

 

 そう、俺は今回も囮なのだ。

 巧妙な罠を隠す為、君主たる俺自らが囮となったのだ。

  

 だから決して俺は交渉に失敗した訳でもないし、交渉が苦手だった訳でもない。

 公式記録には、そう書いてもらおう。嘘はついていない。嘘は付いていないから、ギリギリオッケーな筈だ。

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