バレオロゴスの罠 17
◆
「ゆ、るさん――許さんぞぉぉっ!」
クロエの斬撃を受けた偽者が正体を現し、四枚の翼をはためかせて彼女の頭上に飛び上がる。
「空中戦が望みか? 我輩が以前の様に飛べぬと思っているなら、残念だったな」
対してクロエは口の端を吊り上げ、天使を見据えていた。
口ぶりからすると、どうやら“飛翔”を使えるらしい。だが、空を自在に飛ぶ天使が相手では、ちと厳しいであろう。
実際、飛翔を唱えて中空に上がったものの、その後、クロエは苦戦し始めた。
どうしても背後や横に回りこまれ、後手になってしまう。
それに天使は神殿騎士から盾を借り受けたので、防御も増強されている。それ故に、クロエの素早い攻撃も簡単に弾かれてしまうのだ。
「クロエさまっ! いったん後退をなされませっ!」
ベリサリウスが、クロエの苦境を見かねて叫んでいる。
自身はハゲの騎士団長を壁際に追い詰め、盾の上からお構い無しに長剣をガンガン振り下ろしながらだ。
しかし――ベリサリウスが顔を逸らした一瞬を、流石にヨハネスは見逃さなかったらしい。
盾を前面に翳して、巨漢のベリサリウスを突き飛ばした。
すぐさまヨハネスは身体を捻り、ベリサリウスの肩口を狙って長剣を振り下ろす。
「もらったっ!」
たたらを踏んだベリサリウスは、しかし逃げない。逆に体勢を立て直すと踏み込んで、ヨハネスの剣を肩に受けた。
“ゴンッ”
鈍い音がして、鎧が拉げる。だが、それだけだ。
ベリサリウスが踏み込んだ事によって、斬撃の威力は緩和された。
それでも無傷とは言えないが、あのまま受けていれば致命となっていたであろう一撃は、威力を減殺されて、鎧を破壊するだけに留まっている。
「おのれ、ベリサリウスッ!」
ヨハネスが額に血管を浮き上がらせて、痛恨の表情を浮かべた。
ベリサリウスは、ヨハネスの左腕を盾ごと弾き飛ばす。ハゲ団長の胴が、がら空きになった。
「逆臣ヨハネスッ! 天誅っ!」
すっぽりと空いたヨハネスの胸に狙いを定め、ベリサリウスが渾身の突きを放った。
私の隕石召喚によって作られた青空天井から燦々と光が降り注ぎ、ベリサリウスの長剣をギラリと輝かせる。
それは一瞬の出来事だったが、ヨハネスにとっては永遠にも感じられる時間だっただろう。何しろ、自らが致命の一撃を被った瞬間だ。
「ぐはっ……!」
甲冑ごと、ベリサリウスがヨハネスの胸を貫く。それでも巨漢の突進は止まらず、剣はヨハネスを突き抜け、背後の壁に刺さってようやく止まった。
こうしてバレオロゴスの騎士団長は、胸と口から血を流し、絶命したのだ。
「逆臣は討ち取った! バレオロゴスの忠勇なる騎士達よ、私、ベリサリウスは皆に告げる! 敵はフランチェスコ、そしてドゥーカスだ! 今こそ、大公閣下を護り参らせよっ!」
血に塗れたままの長剣を掲げ、ベリサリウスが宣言をした。声を聞いたバレオロゴスの騎士達は戸惑い、彼を見て――それから中空で戦うクロエの姿を確認する。
「た、確かに大公が天使に変わった……本当に、偽物だったんだ」
一人の騎士が口を開くと、誰もが自らの想いを語り始めた。
「ああ――本当に騙されていたんだ、ヨハネスの野郎に……!」
「くそっ! 元を糺せばフランチェスコだ! ……俺達の国は、聖教も真教も無いんじゃなかったのかっ!」
「そんなことは、どうでもいい! 俺達はどうすりゃいいんだっ!」
バレオロゴスの騎士達が武器を下ろし、頭を抱えている。
中には既にベリサリウスの下へ集まっている者もいるが、それはまだ、ごく一部だった。
「ベリサリウスッ! 大義! 以後は騎士団長として、バレオロゴスの全軍を率いよっ!」
陛下の大音声が響いた。もう、鼻血の影響はないようだ。
室内に入り込んだ風が、陛下の黒髪を靡かせている。
ベリサリウスが大きく頷き、「御意!」と答えた。
「皇帝陛下の命により、以後、私が指揮を取ることとなった! 天に二日なく、地上に二王なし! 唯一絶対たる皇帝陛下の命だ!
もとより我がバレオロゴス騎士団は、帝国騎士団の一つでもある――敵を違えるなよっ!」
ベリサリウスが雷鳴のような声を発した。そのまま剣を翳し、神殿騎士団へと斬り込んでゆく。
彼に続き、ようやくバレオロゴスの騎士団は、神殿騎士団へ一斉に突撃をした。
この間にクロエは、一端地上に下りている。空中戦の不利を悟ったのだろう。今は肩で息をしながら、陛下のお側に身を寄せている。
「クロエ、少し休むといい」
陛下がそう仰って中空を睨むと、レオ五世を騙っていた天使が、悔しそうに歯軋りをしていた。
「俺がお前を倒してもいいが――」
「へ、陛下! ヤツは我輩の獲物ですっ!」
「――と、いう訳だ。少しの間、首でも洗って待っていろ」
ふわぁぁ……こういう時の陛下は本当にもう、素敵過ぎて何も言えない。
◆◆
フランチェスコ達は状況の不利を悟ったのか、階の後ろから撤退を始めた。
天使達に援護させつつ整然と後退していくので、中々手出しが出来ない。
加えて宮殿内には無数の給仕や使用人など、一般の者が多かった。彼等を巧みに盾にする神殿騎士団は、非道だが合理的な集団であると言えるだろう。
「ええいっ、忌々しい! 全員斬り殺してやろうかっ!」
「シュラ……そんなことばかり言ってるから、殺戮隊なんて言われるのよ」
「むぐぅ」
私がイライラしていたら、シーリーンにポンと肩を叩かれた。
当然、私達はフランチェスコの後を追っている。
そんな最中、泣いてい怯える宦官が廊下にいて、陛下に縋りついてきた。
「おおお……フランチェスコどのといい、あなた方といい……一体何事でございます。ここは宮殿の中、武器をお納め下さりませ」
鬱憤が頂点だ。火山だったら、私はとっくに噴火しているだろう。このふざけた宦官を、私は嬲り殺してやろうかと考えた。
しかし、
「ここは危ない。どうか安全な所へ避難していて下さい」
と、陛下が仰るので私は黙っているしかなかった。
まったく――宦官など、元は男。「ならば黙って武器を取り、戦え!」と私などは思うのだがな。陛下は優しすぎるのだ。
ともかく、奴等は西門から逃れようとしていた。きっと、聖教国へ向かうつもりなのだ。
しかし、奴等には残念だが既に宮殿の包囲は、パヤーニーが終えている。どう足掻いたところで、逃げる術などないのだ。
だから――焦る必要もない。私は、そう自分に言い聞かせた。
「シュラ、うれしそうね。口元が笑っているわよ」
「当然だ、シーリーン。これでようやく、あのいけ好かない妖精を殺せるのだからな」
「ああ。本当に妖精と闇妖精は、仲が悪いのね」
こうして私達は神殿騎士団をゆっくりと――だが、確実に追い詰めていったのだ。
◆◆◆
今、奴等は西側の門を背に、私達へ向けて陣を構えていた。
平坦な宮殿の広場で、逃げ隠れする場所などない。しかも西側の門は、不死隊が既に制圧済みなのだ。
これを「詰み」と言わずして、何と表現すればよいのだろう。私は他に、適当な言葉を知らない。
しかしシーリーンは顎に指を当て、思い悩む様子を見せていた。
「上空に天使達、地上には神殿騎士団――陣は円を描き、中央にフランチェスコ。しかも彼等は防御魔法によって、強力な結界を築き上げているわ」
「それがどうしたというのだ? 敵は上空の天使共を合わせても、三百というところ。対して此方は不死隊が合流すれば、その倍だ。一気呵成に踏み潰せばよい」
私は眉を寄せて、シーリーンを睨んだ。隣で陛下が苦笑しておられる。
「フランチェスコは包囲されることも、考慮の上だったらしいな。まるで決戦の構えだ。もしかしたら、此方が誘き出されのかもしれないぞ……」
陛下が額を掌でペチリと叩き、仰った。言葉の割に、緊張感は無い。
「さすがは、皇帝陛下。私も、そのように考えます」
シーリーンが頷き、陛下に追随している。
でも、よく分からんな。
仮におびき出されたのだとしても、包囲して殲滅すれば良いだけの話だろう。ん、違うのか?
まてよ――このような場合、もしも敵がドゥバーンさまだったとしたら……。
「何か、現状を覆す方策が敵にあるのか?」
私の問い掛けに、シーリーンが難しい顔をしている。
こうしているうちに、パヤーニーが合流した。北側から侵入した部隊と共に、この場へ駆けつけたのだ。
パヤーニーと共に現われた不死骸骨達のせいで、辺りが途端に殺伐とした場所に変わった。
「ぎゃあああああ! ミ、ミイラ! ミイラ! それに、骨! おっきな骨まで出たぁぁぁあ!」
我等がいる本陣に、パヤーニーと大きな骸骨騎士――恐らくはテオドシウスであろう――が現れ、クロエがビックリして両手を振り回している。それから陛下の背中にしがみ付き、ブンブンと顔を横に振る姿は、まさしく、お子様に相違ない。
「ん? ああ。クロエ。これが俺の不死隊だよ」
「こ、ここ……これが、あの……でも、不死王サクルが居られぬようですが……」
「はは……このミイラが初代の不死王なんだ。――というより、コイツがいたから不死隊が生まれた」
陛下が優しく説明をすると、クロエはようやく陛下の背中から身体を半分だけ出し、ペコリとパヤーニーへ頭を下げた。
「わ、我輩、クロエ・レオ・バレオロゴスと申す者。以後、よろしく頼みます」
「くわっははは……余がパヤーニである。余の姿を恐ろしいと思うのも、無理からぬこと。だが大人になれば、この姿が、いかに麗しく美しいものであるか――きっと、分かるであろう!」
いや――分からぬわっ!
「ぐわっ! シュラ、何をするかっ!」
っと、思わずパヤーニーの後頭部を殴ってしまった。
「自己紹介など、後にしてもらえませぬか。今はバレオロゴス軍と不死隊、それぞれの部隊を再編の上、陣形を整えて頂きたい」
私は慌てて言い訳を取り繕い、彼等に背を向けた。
実際、統制が取れない両部隊が混在する状況で、敵に突撃でもされたら目も当てられないのだ。
「そういう事であれば、パヤーニーどのに右翼をお任せいたしたい。中央は陛下が直接指揮をお執りになり、私が左翼ということで如何でしょうか」
ベリサリウスが進み出て、進言をした。悩まず、迷わず、適切な意見だ。
奴の後ろへ骨の馬を寄せたテオドシウスも、小さく頷いている。子孫の能力に満足している、ということだろう。
「わかった、それでいこう。では、ベリサリウスに左翼を頼む。パヤーニー、お前は右翼だ。シュラ、シーリーン、クロエの三人は中央で、万が一に備えてくれ」
陛下も、ベリサリウスの意見を是とされた。
「シャムシール陛下、お待ちを。万が一と仰るのは、まさか自ら前線へ赴くつもり――だとでも仰るのですか?」
シーリーンの眉が、片方だけ上がっていた。胸の下で腕を組み、タプンとした双丘が自己主張をしている。
こうしてシーリーンが色香を振りまく時は、大抵、自らの要求を通したい時。
ちっ! 今度は一体、何だというのだ!
「いけないか?」
ほら見ろ! 陛下が答えながら、鼻の下を伸ばして胸を見ておられる! ああもうっ!
「いけません、危険です。陛下は後方で、督戦なさって下さい」
「おい、シーリーン、一体何を言っている? そりゃあ、この程度の戦であれば、陛下は我等を督戦なさるだけで充分であろうが……陛下なのだぞ? いったい何があるというのだ?」
陛下がお答えになる前に、思わず私はこう言った。
確かに、罠があるかも知れない。或いは、想像を絶する魔法の可能性も考えられる。
だが――陛下に対し奉り不安を申し上げるなど、臣下として余りに不忠であろう。
あれ? シーリーンは臣下だったっけ?
まあいい。全世界の者は皆、陛下の臣下だ。その意味において、シーリーンも臣下には間違いない。
「シュラ、分かっていないわね……考えてみなさい。この状況は圧倒的に私達が有利だけれど、全てを覆す手が、たった一つだけあるのよ」
シーリーンの眼光は、厳しい。褐色の瞳の内に、固い決意が感じられた。
「む……? “どげざ”というヤツか?」
暫く真剣に考えて、私は言った。
敵が現状を覆す方法――それは即ち、陛下に許されること。
陛下に許されてしまえば、もはや我等に手出しなど出来ぬ。だとすれば、これしかない!
「……な、なんなの、それは。シュラ、貴女……ふざけていると、耳を引っこ抜くわよ」
「ふざけてなどいない! これは陛下が仰った、起死回生の策だ! やり方は知らぬが――陛下がネフェルカーラさまに追い詰められた際、幾度もこれで窮地を脱されたのだと、そう仰ったのだ!」
陛下が何故か、そっぽを向いておられる。あ、下手な口笛を吹き始めた。ふふ――とても可愛らしい。抱きしめたいな。
「って……痛い痛い痛いっ! 耳がもげる! シーリーン、何をするのだ!」
私が陛下のお側に行こうとしたら、両耳をシーリーンに引っ張られた。酷い! そして痛い!
「馬鹿なことを言ってるからよ! ……いい? 敵がここで起死回生を図るなら、その方法はただ一つ。皇帝陛下を討ち取ること! それしかないわっ!」
「何を馬鹿な! 皇帝陛下を討ち取るだと? そのようなこと、一体誰が可能だというのだ! 或いはお妃さま方が全員で掛かれば可能かもしれぬが――それ以外にどうやって――」
「今、陛下の結界が四枚削られているのは、なぜか? そしてムニエルは、大司教が神だと言った。二つを繋ぎ合わせれば、自ずと答えは出るのよ」
シーリーンがしゃがみ込んで、足元にある玉石の一部を除けてゆくと、光沢を放つ白い線が露になった。
「これは……魔法陣?」
「そうよ。シャムシールの結界を奪う、専用の魔法陣ね」
「……お前、とうとう陛下まで呼び捨てに……」
「そんなことは、どうだっていいの。シャムシール陛下! 貴方、今は全ての結界を失っているわね?」
「……ああ」
陛下が照れくさそうに、頭を掻いておられる。
なんということだ! 最後の一枚まで結界を失ったということは、今の陛下は、生身の人間と同じ強度しか持たないということだろうか!?
シーリーンの手が、私の腕に触れている。だが――その目は愛しそうに、陛下の胸元を見つめていた。
「――理解しなさい、シュラ。ここまで周到に結界を喪失させられたということは――フランチェスコの狙いが、最初から陛下の命だったと考えられるのよ」
陛下から視線を外したシーリーンが、私に目を向けて言う。
「そんな馬鹿な! いや、仮にそうだとしても、どうしてフランチェスコが今、陛下の結界を奪うことが出来るのだっ!?」
「難しいことではないでしょう。
そもそも彼が聖教国と結んだのは、バレオロゴスに帝国を侵攻させるため。そして街の外壁を修復しないのは、帝国軍に容易く侵入させるため。
シャムシール陛下の気性なら、戦となればここへ必ず、自ら軍を率いてやって来るはず。そうしたら――」
シーリーンの説明に、私はようやく合点がいった。コンスタンティノポリスという街そのものが、陛下に対する巨大な罠だったのだ。
本来であれば帝国軍を呼び寄せてから発動させる予定だったそれを、フランチェスコは前倒しにしている。だから先程、ずっと呪文を唱えていた。そして今、結界の全てが完成したのだ。
「私が、迂闊だった……」
自らの無能に、吐き気がする。
私は奥歯を噛み締め、前方を睨んだ。
フランチェスコの姿は見えないが、高笑いをしているような気がしてならない。
「貴女が迂闊だろうが無能だろうが、そんなことはどうでもいいの。今、皇帝陛下が亡くなったら、世界がどうなるかを考えなさい」
シーリーンが、視線を私に向けた。
「再び、戦乱の時代となるだろうな……」
「そうね」
シーリーンの目が、悲しげに曇る。この時、私は唐突に悟った。
そうか――この女の望みは、平和だったのか。
理解出来てしまえば、何ということはない。
シーリーンは陛下の中に、平和を見ていたのだ。
この女が平和に固執する理由は分からないが、そういうことであれば、信用も出来る。
「ならば、どうする?」
私はシーリーンに問うた。
ドゥバーンさまのおられぬこの場で、もっとも知恵を借りるべき者こそ、この女だからだ。
「悔しいけれど、ネフェルカーラが来るまで待つしかないわね。敵を包囲して動かず――そして、私がフランチェスコを抑える。それで時間を稼ぎましょう」
そうか。確かに私は闇隊を使って、あの方に鎧を持ってきてもらうよう頼んでいた。
あの時は「しまった!」と思ったが、こうなってみれば、頼もしいな。
何より鎧があれば結界が無くとも、陛下の身体に触れることは、誰であれ適わぬ。
だが――待つ間、シーリーンだけでフランチェスコを抑えられるのか? 神というなら、陛下と互角という可能性も……。
「わかった。だがシーリーン。あの男をお前一人で、というのは……」
「大丈夫よ!」
ピシャリと言われた。有無を言わせぬ、シーリーンの口調だ。
已む無く私は頷き、正面を見据えた。
敵に動きが見える。盾を正面に構えて、ゆっくりと前進していた。
クロエがオロオロと、私達の会話を聞いている。それでも迫る敵に対し、きちんと対処をしていた。
「て、敵だ。全軍、構えよ!」
クロエの声で此方も、バレオロゴスの騎士達が一斉に構える。前進の命令は出していない。それは陛下が、何も命を下さないからだ。
「シーリーン……アイツの相手は俺だと、最初に言っただろう。覚えていないのか?」
陛下がそう仰って、無造作に歩き始めた。「君じゃ、勝てない」
シーリーンの両目が、じっと陛下に注がれる。
「時間を稼ぐだけです。いけませんか?」
「……無駄死にするだけだ」
「それは、陛下も同じこと。結界も無く、鎧も無い状況で、自分と同等の者と戦うつもりですか?」
「シーリーン、それでも俺は、大丈夫だ」
陛下がシーリーンの頬に手を当てて、優しく微笑まれた。
うわ、羨ましいっ!
「ぜ、前進!」
クロエが、慌てて全軍に号令をかける。陛下を単身、敵の中へ放り込む訳にはいかない。当然の指示だ。
「陛下、いけませんっ!」
シーリーンが剣を抜き、神速の抜刀術を見せた。
銀光が斜めの弧を描き、陛下の首筋に迫る。
って――シーリーン! 何をしておるっ! 陛下を止めるにしても、それはやりすぎであろうっ! 首が飛んだらどうするのだっ!
“ギィィン”
シーリーンが、陛下に斬撃を浴びせた。
しかしそれを容易く弾き、陛下がシーリーンの首筋に刃を当てる。
シーリーンの抜刀よりも、陛下の方が速かったのだ。しかも、背中に背負った長大な剣で。
私も剣を抜き、シーリーンに突きつけた。
陛下は笑って、
「当たらなければ、どうということはない。そうだろう、シーリーン?」
と、仰り、私に剣を収めるよう、手で示された。
「いいえ。陛下、首筋に傷が付いていますよ? 私程度に傷つけられて……これが互角の相手であれば、この程度では済まなかったはずです。お考え直しを」
陛下が困ったように眉根を寄せて、溜息をついておられる。
「分かった……ネフェルカーラが来るまで、ここで待とう。だが、シーリーン。君がフランチェスコと戦うことも、許可できない。奴の対処は、不死隊に任せる」
「分かりました。ありがとうございます、陛下。それでは――」
シーリーンが片膝を付き、頭を垂れる。首を刎ねろ――との意思表示であろう。
「なんだ?」
「陛下に剣を向けた罪は、万死に値します。このシーリーンめに、どうか死を賜りますよう」
陛下の問いに、シーリーンが答えた。
なんと愚かなことを言う女だ! 陛下であれば、この程度で怒りはせぬものを!
「お、お待ち下さい、陛下! シーリーンの剣は、途中で止まっておりました! 断じて、陛下を斬ろうとした訳ではなく、戦場へ出る危険をお知らせする為で――」
私は慌ててシーリーンの前に出ると、陛下に申し開きをした。
正直、自分でもなぜ、このようなことをしているのか分からない。
こんなおっぱいオバケ、私は大嫌いなのに……!
「シュラ、ありがとう。でも、私は陛下に剣を向けたわ。死んで然るべきよ。でも――陛下は大人しく、ネフェルカーラを待って下さいね」
この言葉を聞くと、陛下はしゃがんでシーリーンと目線を合わせた。
というか、顔を伏せたシーリーンの顎をクイっと指で持ち上げて、目を合わせることを強要したのだ。
ううっ、シーリーンが羨ましい。なんだ、ちくしょう!
「――本当はずっと、死に場所を探していたんだろ、シーリーン」
陛下の言葉に、シーリーンがハッと目を見開き、そして小さく頷いた。
「……そうよ。シバールは、貴方のお陰で平和になった。もう、私に居場所なんてないの。
でも、私はここの人たちに助けられた。恩を返さないうちになんて、死ねないじゃない。それで彼等を助けたのよ。だからもう、思い残すことは無い。あとは死ぬだけなの。
それなのに、シャムシール――貴方といたら、そんな自分が馬鹿馬鹿しく思えてきて……。
貴方なら、私を変えてくれるんじゃないか――って、そう思いはじめて。だけど、そう思えた自分が恐ろしくなったの。ナセルさまを、本当に忘れてしまいそうで。
だから、せめて戦って死のうと思ったのに……貴方の敵だった自分を、見失いたくないのに……はっ……何を……!?」
陛下が無言で、シーリーンを抱しめている。
おっぱいオバケが、声を上げて泣いた。
「うわあああぁぁん……!」
羨ましいと思うが――今は仕方ない。今だけは、譲ってやろう。
クロエでさえ、下唇を噛み締めて耐えているのだ。
「もういい、もう、いいんだ、シーリーン。君は、生きていていいんだ」
「うっ、うぐっ……ありが……とう……シャムシール。ありがとう……!」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、シーリーンが陛下に縋っている。
そうか――そうだな。この女は、自分なりに悩んでいたのだ。私達と共にいることが、辛かったのだ。
私はそのことを理解しているつもりで、そうではなかった。
シーリーンよりも……人間よりも遥かに長生きをしているというのに、情けないことだな、私は。
「クロエどの。迎撃を」
私は暫くシーリーンを陛下と二人にしてやると決めて、クロエに話しかけた。
何故かクロエも涙を零して鼻水を啜っているが、大きく頷き、自らの剣を掲げて命を下す。
「バレオロゴスの騎士達よ! 公国の興亡はこの一戦にあり! 者共、敵を左右両軍と包囲し、殲滅せよっ!」
こうして殿騎士団と、バレオロゴス騎士団は激突した。