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バレオロゴスの罠 11

 ◆


 ベリサリウスの邸は、宮殿からも程近い一角にあった。といっても川を一本挟んでおり、最良の区画とは言えない場所だ。

 私は辺りの地形を観察し、宮殿が西側から攻められた場合、この一角が前線基地になるのだろうと当たりを付けた。

 つまり宮殿を城と見立てたならば、この邸は郭と呼ぶべき一角だろう。もっとも、辺りは開けた平野部だから、もしも大軍が押し寄せて来たら、この程度の防備では如何ともし難いが。


「こちらです」


 ベリサリウスに先導されて、私達は邸の門を潜った。

 それにしても私とベリサリウスが騎乗しているというのに、陛下が徒歩というのは申し訳ない。

 ああ――シーリーンはどうでもいいぞ。せいぜい私の従者らしく振舞うのだ。はっはっは。


 邸の中は外見とうって変わり、簡素だった。というより――有体に言えば荒廃している。

 庭園と思しき空間には雑草が生い茂り、噴水の水は流れることなく淀んでいた。中を覗き込んでみれば、大量に生えた藻が、緑を通り越して黒色になっている。

 陛下も眉を顰めて辺りを見回し、不信感を募らせておられるようだ。


 罠だったか?


 確かに生い茂った草木に隠れれば、兵も伏せやすいだろう。だが、人の気配は感じない。

 ふと横に目をやれば、シーリーンが苦笑していた。

 彼女は元々、諜報に関して一家言ある人物。それがこの状況に呆れているだけなのだから、単にベリサリウスが貧乏なだけであろう。

 ……別にシーリーンを信頼している訳ではないが、私は人を正当に評価するのだ。


「ベリサリウスどのは騎士団の副団長であり、上級貴族なのであろう? 何故、邸をこれほど廃れさせているのだ?」


 私は、前を行くベリサリウスに問うた。

 単に欲得で私を招いたならば、ここに居るレオ五世こそが偽物ということもあり得る。

 仮にそうだとしても、今の体勢を崩せる駒にはなるが――陛下が納得すまい。ならば適度な問答をして、この男の真意をある程度見極めておかねば。


「国土の荒廃は、私の邸以上のものと心得る。ゆえに私が得る俸禄など微々たるものだが、多少なりとも復興に役立てば良いと、全て修道院や寺院に寄付しております。

 まあ、そんな訳で、我が家は少ない資産で運営しているわけでして……はは、お恥ずかしい」


 ほう。ベリサリウスの言が事実だとすれば、まさに陛下の御心に適う武将だ。なにせ陛下は、皇帝こそが人民の奴隷と仰るお方だからな。


「良き心がけだ。色香で陛下を惑わそうとする、どこぞの佞臣とは訳が違うな。――そう思わんか、シーリーン?」


 私はここで、あえてシーリーンに話を振った。


「はい。陛下の関心を惹きたいのに、まったく相手にされない忠臣もいますものね。その方はたしか、胸が少し小さかった気がしますけれど……」


「うぎぎ……! 言わせておけば……!」


「ところでシュラさま。佞臣というのは、ジャンヌ・ド・ヴァンドームさまのことでしょうか? それともサラスヴァティさま? ああ、もしかしてシャジャルさまでしょうか?」


「な……なっ! 誰もそのようなこと、言っておらぬっ!」


 どういう訳か、シーリーンは陛下の下半身事情を既に知っているようだ。

 あ、陛下がワタワタと慌てておられる。ご自分で喋ってしまわれたのか?

 おのれ、いつの間にそれ程、仲良くなったのだ!


「大丈夫です。シュラさまがお三方を佞臣扱いしたこと、このシーリーン、決して誰にも喋りませぬ」


 お、お……この女! 既に陛下の前でべらべら喋っておる。しかもバレオロゴスの将軍の前でまで~!


「だから、言っておらぬと……! ええいっ、佞臣はお前だ、シーリーン! いい加減黙らねば、素っ首落としてくれるぞっ!」


「ああ、恐い、恐い」


 シーリーンが、走って私から逃げる素振りをする。

 おのれ、何処までも馬鹿にして! 

 実際の所、お前が本気になれば、多分、いや、きっと――十中八九、私より強いであろうに!


「ははは! 主従で随分と仲が良いようで、羨ましい限りです」


 無駄話をしていると、ようやく玄関前に到着した。ベリサリウスが笑顔で馬を下り、「ささっ」と言っている。

 流石に邸の入り口付近は、それなりに手入れがなされていた。といっても、素人が適当に雑草を抜いている程度のものだったが。


 ◆◆


 私達が邸の中に入ると、老人と子供達が「「お帰りなさいませ」」と頭を下げていた。


「我が家の使用人達です。ま、庭をご覧のとおり、皆、自慢できる程の働きは出来ませぬが、気のいい奴等ですよ」


 ベリサリウスは彼等に頷きつつ、私に語った。これも多分、この男の慈善事業なのだろう。

 使用人達のベリサリウスを見る目が、まるで神を崇めるかのように輝いている。

 それに小さな子供達が「今日はこれを教えてもらったのー」だの「じいちゃん、腰を痛めちゃったらしくて、今は寝てるよ。ベリサリウスさま、ゴメンね!」だのと言っているのを聞けば、大よその事情を察することは可能だ。

 恐らく彼は、街で働けない老人や身寄りの無い子供を引き取り、邸で働かせているのだろう。


 そんな中、一人だけ若い娘がいた。白と黒の侍女服を着た十五、六歳の少女で、妙に目立つ存在だ。彼女は老人と子供たちの列に混ざり、その中ほどで頭を下げていた。

 だが、ふとした瞬間に見せた少女の眼光が、強烈だった。緑色の目に覇気――いや、あるいは憧憬か? ――そんなものを乗せて、陛下の横顔を盗み見たのだ。

 私が睨むとすぐに目を伏せたが、どうにも怪しい少女だった。ベリサリウスの情婦であろうか?


 ――――


 私達はその後、応接室へと案内された。


 ベリサリウスに案内された応接室は、一階の広間を突き抜けた先にあった。

 中庭を囲む回廊を半周して、艶やかな赤色の壁面に彩られた部屋に、私達は通された。部屋の奥には金色で描かれた剣と薔薇の紋章があって、巨大な甲冑が飾られている。


「派手な壁だな」


「はは……我が家は武門でして。物騒な話ですが、始祖であるテオドシウス公がこの部屋にて、政敵の首を幾つも刎ね飛ばしたそうです。あの甲冑も公のもので――大きいでしょう? 万夫不当の勇将だったそうです」


 私のつぶやきが聞こえたのか、ベリサリウスは苦笑して答えた。髭面に白い歯が浮かぶと、この男の印象がガラリと変わる。見た目よりも若いのだろう。目元など、幼さを感じさせるほどだった。


「なるほど。それで部屋全体を赤く塗ったのか」


「ええ。赤い壁であれば、多少汚れが残っても目立たないだろうと……まあ、百年以上前の話なので、多少は誇張されているのかも知れませんが」


 ベリサリウスの言葉に、私は頷いた。

 それにしても、あの巨大な甲冑を私は昨夜、見た気がするのだがな……。


「ふむ。ところでベリサリウスどの。その始祖殿は、あれほど巨大な甲冑を纏い、あのような大剣をいつも振るっておられたのかな?」


「……記録によれば、テオドシウス公は私よりも頭半分ほど大きかったそうですから――それを考えれば、そうでしょうな」


「では、剣と薔薇の紋章は?」


「あれこそ、我が家の家紋にございます――それが何か?」


 私は唸り、甲冑とベリサリウスを交互に見比べた。

 ベリサリウスよりも、さらに頭半分は大きかったというテオドシウス。そして、剣と薔薇の紋章。

 この二つから、私は一つの推論を導き出した。

 それは即ち――昨夜現われた髑髏の騎士は、この家の始祖ではないか、ということ。

 だとすれば我等がベリサリウスの助けになると知って、姿を現したのやもしれぬ。


 巨大な甲冑に触れてみる。そこには金属の冷たい質感しか無かったが、私は確信した。やはり昨夜の騎士は、「お前」だったのか――と。


 私は一人納得するとベリサリウスに促され、長椅子へ座った。

 ベリサリウスは私と向かい合って座り、神妙な面持ちで膝の上に両手を置いている。

 陛下とシーリーンは私の背後に立ち、微動だにしていない。

 うむ……シーリーンは永遠に突っ立っていれば良いと思うが、陛下には申し訳ないな。あとでお詫びをせねば。


「ところで、レオ閣下がこちらにおわすと言われたが、何処に?」


 私は早速、本題を切り出した。


「今、すぐに参ります。少々お待ちを」


「ほう、私を待たせると? ベリサリウスどの――バレオロゴスとは、我がシャムシール帝国の何であったかな?」


「同盟国にございます」


「――だから対等であると、そうお考えか? よしんばそうだとして、私は貴様の急な招きに応じた。にも拘らず、今更このように勿体つけるのは、如何なる了見かな?」


 私は目を細めて、ベリサリウスを観察した。

 彼が嘘を言っているとは思わないが、万一、罠の可能性もある。もしもそうなら、早くボロを出して欲しい。その為にも、会話の主導権を握っておく必要があった。


「も、申し訳ございませぬ。この邸でも、大公閣下の正体を知る者は少なく――故に準備に手間取っておるのでございましょう。平にご容赦を……!」


「ふん……」


 私が足を組んでベリサリウスを睨み付けていると、先程の若い侍女が現われた。

 茶を淹れる道具とカップを乗せた盆を手に、彼女はゆっくりと部屋へ入ってくる。

 だが――その所作は侍女というより、武人のものだ。妙な違和感があった。

 

“コトリ、コトリ”


 侍女が丁寧にカップを二つ、私とベリサリウスの前に置いた。そこで彼女は首を傾げる。


「ベリサリウス……カップは二つで良かったのか?」


「はい、結構です。閣下とシュラどのの飲まれる分があれば、それで構いません」


 ベリサリウスは立ち上がり、代わりに少女が席へ座った。


「彼女こそがバレオロゴス大公、レオ五世閣下にございます」


 少女の背後に立ったベリサリウスが、厳かに彼女の名前を告げている。


「ふっふ――さよう。我輩がクロエ・レオ・バレオロゴスである」


 少女が口角を吊り上げ、ニヤリと笑みを見せる。それから足を組み、どこから取り出したのか、白金色の扇を“バンッ”と開いて言い放った。


 ん? どういうことだ?

 確かにレオ五世は、燃えるような赤毛だ。若干吊り上った大きな緑色の目を見て、生意気そうだな――と思った記憶もある。それに童顔と不釣合いな高い鼻筋、少し薄めの唇。


 ふむ――似ているような気もするが、分からんな。


 いくら私でも流石に四年前、陛下の戴冠式の折に少し見ただけの相手を、完璧に覚えている訳も無い。

 だが一つ言える事は、四年前、レオ五世は男だったはず。それが何だ――今、目の前にいる人物は、メイド服の良く似合う、勝気な少女そのものではないか! ……というか、些か勝気過ぎる気もするが。


「お主が……いや、失礼。私は西方巡検士のシュラ。以前、一度お会いしたことがございます、覚えておいででしょうか? ――と言っても私は閣下が男性であったかと記憶しておりましたので……覚えておられなくても、何ら問題ございませぬが――はは」


 私は内心の動揺を隠し、微笑を浮かべて立ち上がると一礼した。


「ああ、あの時(・・・)ドゥバーンさまの背後に控えておった騎士であるな、覚えておるとも。そしてあの時、我輩が男装しておったのも事実であるぞ。苦しゅうない――そなたは間違っておらぬ」


 クロエも微笑を返してきたが、尊大なまま椅子にふんぞり返っている。

 それでも彼女が私を覚えていたことで、確かに戴冠式の日、あの場にいた事が証明された。

 男装をしていたとなれば、少年と見間違えても仕方のないことだ。


「女性だったのですね」

 

「うむ――ああ、その――実はずっと、男で通しておったのだ……というより、大公位は男でなければ継げぬからな……」


 私の問い掛けにクロエは、バツが悪そうに額を爪でかいた。


「ああ、その辺の経緯は、私が詳しく話しましょう」


 クロエの背後に控えていたベリサリウスが、大きな声で言った。まるでクロエには罪が無い――とでも言わんばかりだ。


「元々クロエさまは武芸全般に秀で、男勝りな性格でした。それを面白がった先の大公閣下が、クロエさまを公子としてお育てになったのです。

 それゆえに廷臣達もクロエさまの性別を疑うことなく、またその勇猛果敢な性質から、十二歳にして“獅子リョダリ”の異名を得られました。

 そんなクロエさまご自身にも、当然ながら女子たる自覚などさらさらなく――」


「お、おい、ベリサリウスッ! わ、我輩、シャムシール陛下にお会いして以来、己を“獅子リョダリ”などと思っておらぬ! あの方の前では所詮――我輩は猫である!」


 説明を始めたベリサリウスに、クロエが文句を言った。

 拳を握り締めて力説する様は勇ましいが、クロエは女の子だと主張したいようだ。

 なんとも――男らしく女だと主張するクロエは、少し面白いぞ。


「ぶふーっ……名前はまだ無い……っ!」


 私の背後で、陛下も笑っておられる。だが、「名前はまだ無い」とはなんであろう?

 ベリサリウスは陛下をギロリと睨み、再び説明を始めた。クロエは腕を組んで不満顔を浮かべている。


「――ともあれクロエさまの男装は完璧でした。そんな折、先の大戦があり、あとはご存知の通り、我が大公国はプロンデルの侵攻によって壊滅状態となったのです。

 その際、先の大公もお亡くなりになり、大公継承順位が最上位であったのが、男児という扱いであられたクロエさまだった――という次第です。

 以来、クロエさまは女である事を隠し、大公としての責務を果たしててこられました。それが――」


 ここにきてベリサリウスが言い淀んだ。表情に浮かぶ苦味から大方を察したが、私は確認の為に問うた。


「何者かに取って代わられた――というのだな?」


「うむ、二年前の夜のことだ。我輩の寝室に、天使マラーイクが舞い降りてな。いきなり襲ってきおったから、返り討ちにしてくれようと思ったのだが、どうにも歯が立たなかった! 悔しゅうて悔しゅうてたまらなかったが、あの時は逃げるのが精一杯だったのだ」


 私の問いに答えたのは、クロエだった。下唇を強く噛んで、今もまだ悔しいのだろう。


「それでベリサリウスどのに保護を求めた――と?」


「そうだ。そして翌日、天使マラーイク共を討伐しようと宮殿へ向かったら、そこには既に偽者の我輩がいた。

 ベリサリウスは私が女であることを知っていたから、今のレオ五世こそが偽物であると――つまり私を信じてくれたのだ」


「なるほど。しかし何故、ベリサリウスどのはクロエさまが女だと知っていたのだ?」


 私はクロエの説明を聞くと、ベリサリウスに問うた。他の者は皆、クロエを男だと信じていた。それがこの男だけクロエの正体を知っているなど、おかしな話だ。


「我が家の始祖は、初代バレオロゴス大公の弟でした。ですが血筋が絶えて久しく、先代大公の温情をもって、私が家を再興したのです。

 なぜ私がこの家を継げたかと云えば――偏に武勲の賜物であれば良かったのですが――実は私の父も、先代のバレオロゴス大公だったのです。

 ただ母が奴隷でしたので、このような形になりました。そういうことです」


 つまりクロエとベリサリウスは異母兄弟、ということか。私は頷き、納得した。流石に家族であれば、知っていて当然だ。

 

「それより、今度は我輩から質問をさせてくれ」


 私が「ふむ」と唸っていると、目の前のクロエが細眉を吊り上げ、私の顔を素通りして陛下を睨んでいる。


「なんでしょう?」


 私は慌てて身体をずらし、クロエの視線から陛下を護るよう動いた。


「どうして巡検士ごときがここに座り、シャムシール陛下が後ろに立っておられるのだ? 

 茶を用意せずとも良いというし、ずっと不思議だったのだ。何か意図があるのかと思い質問も控えてきたが――もう限界である。我輩にも理由を教えてくれぬか? まさかその男は、陛下ではないのか? 偽物か? どうなのだ?」


 視線を遮られたクロエが、我慢できなくなったのか立ち上がり、陛下の側へ行った。

 そして南国の海のように美しい緑色の瞳をキラキラと輝かせ、陛下を見上げて首を傾げている。


“スンスン”


 鼻をヒクヒク動かし、クロエが陛下の胸元の匂いを嗅ぎ始めた。


「いや、本物だ。やはり、皇帝陛下でございましょう? この匂い――かつて獅子狩りの折、共に寝た時と同じでございまするぞっ!」


 クロエの言葉に二人の眉が吊り上がり、陛下の眉だけが下がった。むろん上がった眉の持ち主は、私とベリサリウスだ。


「共に寝たですとっ!? 陛下っ! いたいけな少女に、一体何をなさったのですっ!」


「何だとっ!? 妹に手ぇ出しやがって! 皇帝だろうがなんだろうが、ぶっ殺してやる! 獅子狩りの時っていやぁ、三年前! クロエさまはまだ、十三歳だったはずだぞっ!」


 私とベリサリウスが、陛下を左右から挟む。

 未だにクロエは陛下の胸に顔を埋めて、“スンスン”とやっている。

 これは――完全にクロだ。私の心に漆黒の炎が燈る。思わず曲刀に手が掛かった。

 ベリサリウスも剣に手を掛けている。

 よろしい――ここは共闘だ。


「ま、まて、誤解だ! あの時の俺はレオが――いや、クロエが男の子だと思って――! ていうか俺、顔なんて見せたか? 俺、殆ど鎧を着ていたのに……冑もかぶっていたし」


「あ……ご尊顔は、ありがたくも閨を共にしたとき、実は夜、コッソリと見ていたのです! いやあ、まったく、あの夜は激しゅうございましたなっ! だいいち、顔など重要ではありません! 我輩、匂いでも分かりますからっ! ああー、我輩の大好きな陛下の匂いー……――スンスン」


「ああ、そう? そうだね、あの日は――雷が激しかったね? 

 うん。あと閨とか、誤解を招く言い方は、ちょっと……あんまり激しい雷雨だったから、俺の天幕にキミを招いただけだしさ。

 ていうか俺、変な匂いしてないよね……? いつも鎧を着てるから、ほら、蒸れた匂いとかさ……」


「大丈夫! 素敵な匂いですっ!」


「あ、そう? じゃあいいんだけど……うん。良くないけど、まあいいや……」


 陛下が何だかんだ言って、納得しておられる。

 だが実際に陛下がクロエを男の子だと思っていたとすれば、なおさら問題であろう。「閨」と「激しい夜」。この二つの言葉から導き出される結論など、一つしかないのだ。

 しかもクロエは、陛下が匂いで分かるだと? ……むぐぐぐ……この小娘ぇぇ……!

 いやいや――問題は陛下だ。

 話を総合すれば、少年に興味を持たれたと言う事だろう。これは決して、あってはならぬことだぞ!

 

「……男の子に欲情したのですか、陛下? これはいけませんね、鉄拳による制裁が必要です。欲情するなら、女の子だけにしてもらえませんか? 

 いや、女の子なら誰でもいいって訳じゃないですよ? 基本は二百歳以上ですかね? それ以下は子供ですから。

 ほら――そう考えてみれば世界には私や私や私だっているのに、どうして陛下はそうやって、全然違うところへ行ってしまわれるのですか……――不思議ですねぇー……」


「いや、シュラ! まって! それ、俺の魔力を込めた曲刀! 鉄拳っていうか、魔剣だから! 俺の首も斬れちゃうからっ!」


「問答無用っ!」


 私と陛下の問答に、ベリサリウスが驚愕の表情を浮かべていた。


「ちょ、まて……何? 本当に、皇帝陛下……なのですか……?」


 慌ててベリサリウスは剣を収め、平伏している。

 クロエがベリサリウスに怒りの眼差しを向けたことも、ヤツが剣を収めた要因の一つだろう。

 一方、私はシーリーンにゴミでも見るような目付きをされて、ふと我に返った。

 はっ――そうだ、主君に刃を向けて、一体どうするというのか。

 私も一転、陛下に片膝を付き、謝罪の言葉を述べる。


「申し訳ございませぬ」


「陛下ー! 我輩、ずっとお慕いしておりましたー! むはー!」


 そんな中、クロエは相変わらず顔をグリグリと陛下に押し付けていた。


「シュラ、誤解だ。俺はレオを弟のように思っていただけで、だから今回のことが信じられなかったし、ええと――とにかく、女の子だなんて思ってなかったんだよ!」


 む、む? 本当だろうか? だが、陛下は本当に困った表情を浮かべておられる。ここは信じてみよう。


「我輩だって自分の気持ちに気付くまでは、男であろうと思っておりました! そうでなければバレオロゴスが守れませぬからなー! されど事ここに到り――もはや隠し立てに意味などありますまい! 我輩は意を決しました! 

 バレオロゴスを偽物の手から取り戻したら、我輩は陛下の妻になりまする! いやいや、妾でも構いませぬが、ともかく男児を産みまする! 産ませて下さいませっ!

 そしてその子をバレオロゴスの大公位につければ、万事めでたし! 万々歳でありまする!」


 一方でクロエの言い分は、とんでもない。

 が――しかし冷静に考えれば、一考の価値がある。

 バレオロゴスを属州にせず大公家に陛下の血を送り込めるなら、どちらにとっても旨味のある話だ。


 とはいえ、アレだな。バレオロゴスの問題を片付ける材料を得たはずなのだが、どういう訳か、面倒くさい荷物が増えたような気持ちになってしまうのは、私の心が狭いからだろうか……。

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