バレオロゴスの罠 9
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宮殿から抜け出した私は、すぐにハリム達と合流した。
解放した囚人たちは順次逃走しており、森の入り口に待機していた人数は少ない。
「あと三十人だ。十人ずつ、こっちの護衛を付けて送っている。闇に紛れているし土地勘もあるから、捕まるこたぁないだろう」
ハリムが胸をドンと叩きながら、私に言った。
「パヤーニー、敵は十分引き付けてから迎撃しろ。ここでも時間を稼ぐだけで構わない。、目的を達したら皆、一端土へ還せ。敵がどう思うかは知らないが――これを神聖フローレンスの罠だと考えてくれたら、ありがたい」
私に引き摺られて不貞腐れているパヤーニーに、陛下が仰った。
陛下は城門から迫る騎馬隊と上空で翼を広げる天使達を見据え、腕を組んでおられる。
「御意。では、失礼して――メタモルフォーォォゼッ!」
陛下のお言葉に、パヤーニーが立ち上がって頷いた。
そして自らのローブを剥ぎ取ると、全裸になり胸元に両手を当て、罰印を作る。あまり言いたくないが――表情はまるで、恥らう乙女のようだ。
それから桃色の光に包まれ、片足でクルクルと回り始めたパヤーニーは、次々に新しい装備を身に着けてゆく――。
まず、アクトンで全身を覆い、鎖帷子、全身鎧を順に装着。それから紺色のタバードに身を包み、パヤーニーは大きく頷いた。肝心の頭部は半円形の冑を被り、面貌と鎖帷子で顔も覆っている。
なんというか、装備が桃色の光の中からいきなり現われ、自動的にパヤーニーへ装着されてゆく様は異様だ。
「んんーっ、完・璧ッ!」
最後に武装を確認したパヤーニーは、金の鞘に収められた剣を見て満足そうにのたまった。
あまり考えたくないが兵を指揮するに際し、パヤーニーは将軍っぽい衣服を選んだだけではなかろうか。ついでに陛下の要望を取り入れ、フローレンス風にして……。
というか――魔法であれ何であれ、人目に付く場所で衣服を着替えないで欲しい。干からびた男の全裸など、一日に何度も見たくないのだが。
「パヤーニー。そういうのは、魔法少女がやるもんだって言ったろ。お前がやったら気持ち悪いんだって……」
「む……余は魔法ミイラ。あまり変わらぬと思いますが」
何が魔法ミイラだ。ほらみろ、陛下も呆れておられるだろうが。
それはさておき宮殿から突出した騎馬兵団は、先程の神殿騎士団ではなく、公爵直下の部隊だろう。完全武装には程遠く、手に槍を持ち、腰に剣を佩いただけの姿で馬を駆っている。
確かにただの賊が相手であれば、充分それで制圧出来る装備だろう。しかし――残念ながら、それがお前たちの命取りになる。
敵との距離が、いよいよ人の歩幅で三十歩を切った。天使達は騎兵に遠慮するかのように、上空で待機している。
パヤーニーは腰の剣を抜き放ち、頭上へ掲げた。それを合図に、闇に紛れて森の木々に登っていた骸骨達が、一斉に弓を構え、矢を番える。
「放て」
パヤーニーが剣を振り下ろす。号令一下、樹上から無数の矢が放たれた。
星明かりの中、黒く塗られた矢が不気味な唸りと共に敵へ迫る。
というか、不死骸骨共は、意外と芸が細かいな。そんなことまでしていたのか。
さらに私を驚かせたのは、彼等の絶対的な命中精度だ。矢は迫る騎兵を次々と射抜き、辺りの光景を地獄絵図へと変えてゆく。
「「ぐわぁっ!」」
そこかしこで矢に貫かれた騎士達が、苦痛の呻き声を上げている。
この惨状に耐え切れなくなった騎士が、手持ちの槍を投擲した。――しかし届かない。それどころか、不死骸骨達は樹上にいる。だからそれは、仮に届いたとしても無益なことだった。
まさか敵に伏兵がいるなど、バレオロゴス兵は考えもしなかったのだろう。
ただの賊が大公家の騎士に弓引くなど、あり得ぬことだからだ。
第二波の騎馬隊も混乱して、門の出入り口付近で立ち往生をしていた。
「どうした? 何故先へ進めぬ! 賊を取り逃がすぞっ!」
坊主頭の敵の隊長らしき男が、声を枯らして叫んでいる。私はそれを、冷笑しつつ眺めるだけだ。
「不死骸骨隊、前進。騎兵は側面へ回り、蹂躙せよ」
パヤーニーの指示は、何処までも的確だった。
いつの間にやら列を整然と整えた骸骨の軍団が、足並みを揃えて前進してゆく。同時に無数の馬蹄の轟きも聞こえた。
弓矢によって傷ついた敵兵の中へ、巨馬を駆る、巨躯の骸骨騎兵も突入した。漆黒のマントを翻し、彼が骸骨騎兵を率いる様は、闇の中でいっそ美しい。誰もアレには抗し得ない。無傷の者さえ一刀で葬られ、蹴散らされてゆくのだから。
骸骨騎士達の攻撃により、ただでさえ戦意を喪失していたところに、遅れて到着した不死骸骨が長槍を構えて突入する。もはやバレオロゴスの追撃隊は、心身ともに壊滅状態となった。
人間はもはや、逃げ惑うだけ。逃げられぬ者は奥歯をガチガチと鳴らし、この世ならざる軍団を前に祈り、そして絶望のまま死を迎えた。
気になるのは、その様を見ても援護に来ない天使達だ。こちらの弓兵を警戒しているのだろうか?
だが、パヤーニーが妙な事を言った。
「どうやら天使共は、あの二体を待っていたようですな……」
「ああ。だけど、あれはそれほどか……?」
陛下もパヤーニーに答えて、首を捻っておられる。
「……ひ、退け。退いてくれ! あれは智天使だ。智天使が来る――殺され――ぐえっ! く、首が締まるっ!」
陛下の足元で這い蹲っていたムニエルが、怯えた様に空を見ている。慌てふためくその様に、天使としての尊厳は感じられない。
すぐ陛下に縄を引っ張られてムニエルは黙ったが、それでも彼は落ち着かない様子だった。
だが確かに一際煌びやかな二体の天使が姿を現すと、天使達は一斉に此方へ向かって突進してきた。
あの二体は、ファンファーレと共に現われた個体だな。雰囲気からして、厄介そうではある。
「陛下、囚人達の退避は終わっております。また、地上部隊は全てが不死者ですから、どうあれ我が方に損害は無いかと。ここは退かれてもよろしいかと存じますが――いかがなさいましょう?」
私の進言に対し、陛下は「ふむ」と唸った後、ムニエルに問われた。
「ムニエル、智天使はそれほど強いのか?」
「あ、当たり前だ。智天使は、戦闘能力だけなら熾天使に匹敵する。だが――そんなことより、奴等は残虐なんだ。だから熾天使になることが出来ない……そういうヤツ等なんだ……!」
「そうか」
陛下はそれ以上、お答えにならない。代わりに迫る智天使を見て、眉を顰められた。
「ん? あれは――」
陛下が天使達の集団を指差された。見れば一頭の巨馬に跨る骸骨騎士が、空を翔けて二体の智天使に向かっている。周囲に群がる天使達を巨大な剣で両断しつつ、一気に迫る様は圧巻だ。
しかしいざ智天使達に到達するや、二対一では流石に不利だったようで、苦戦を余儀なくされている。
「パヤーニー、あの騎士は惜しいな。奴を援護しつつ、殿を任せてもいいか?」
「ふむ、殿ですか、承知しました。では上策、中策、下策とあるが、どの策でいきましょう、ご主君」
なにやらパヤーニーが、ドゥバーンさまの様な物言いをした。こやつも実は軍師だったのだろうか?
「策? へえ、策があるのか。どんな感じだ?」
陛下も興味を示された。なるほど、この状況を打開する方策が三つもあるなど、パヤーニーも中々やるな。
「はっ。上策は、ぶっ飛ばして破壊してから撤退。中策は、パヤーニー・レールガンで破壊してから撤退。下策は、我が魔法で木っ端微塵にしてから撤退。
――まあ、オススメは中策ですな。夜空に映える余のレールガンは、実に美しいことでしょう」
……パヤーニーに期待した私が愚かだった。陛下も同じように、ゲンナリした表情を浮かべておられる。別に今は戦争をしている訳ではないのに、目的を見失いおって。
「上策で。レールガンや魔法は使うな。目立つし、この後の収拾がつかなくなるだろ」
「ぎょい~……」
◆◆
パヤーニーがションボリしながら「機動飛翔」を唱えたのは、数分前のことだ。
「どうも、上策だと不利だったみたいだな」
陛下がパヤーニーの戦闘をご覧になって、こう仰った。
確かに有無を言わさず強力な魔法を唱えようとする智天使に対し、パヤーニーは防戦一方。とはいえ剣さえ抜いていないから、全力で戦っているとも思えない。
一方、もう一体の智天使と戦う骸骨騎士の方は、実に堂々としていてる。これでは、どちらが主従か分からない。
「とはいえ、敗北することも無いでしょう。パヤーニーどのは多分“ぶっ飛ばす”事に固執しているだけでは?」
私は陛下の不安を取り払う為、こう言った。
いくら私でも、串刺し公パヤーニーの伝説は知っている。彼の個人戦績はともかく、一軍を率いた戦いにおいて、彼が敗北を喫したことは一度としてない。それは、厳然たる事実だ。
先の大戦において不死隊が受肉し強力な部隊となったことも、結局は彼の作戦の一環だった。
つまりパヤーニーとは、自らの肉体を犠牲にしても絶対的な勝利を求める人物なのだ。それがむざと敗れるはずが無い。
「私もそう思うわ。あれが串刺し公なら、冗談の裏にも怜悧な計算があるはず……もしかしたら今は、何かを探っているのかも知れないわね」
私の意見に、シーリーンが一部、同意した。私との相違点は、パヤーニーの戦闘における意図だ。
「探る?」
シーリーンの言う“何か”が気になり、私は問うた。
「さあ? わからないわ。そんなことより、地上の戦闘が片付いたみたいよ。この場をパヤーニーどのに任せるなら、私達の用はもう無いと思うのだけれど?」
残敵を掃討し、森へ帰還しつつある不死骸骨達を見据え、シーリーンが言った。
「そうだな。囚人たちも脱出したし、長居は無用だ。戻ろうか」
陛下も頷いておられる。なんだか陛下とシーリーンの肩が触れ合っているのが気になるが――それはまあ、偶然だろう。
「ですが――今回は私も残りましょう。パヤーニーどのに撤退の旨を伝えなければなりませんし、何よりこれは、私達の囚人奪還作戦。陛下達ばかりに危険を押し付けていては、私達の立つ瀬がありませんから」
む? シーリーンが陛下の袖を掴み、胸を押し付けている。
おのれ、この女! わざと胸元を開けて、巨大な胸を陛下にチラつかせている。覆面を被ったままだから、なんだか逆にイヤらしいぞ! そうまでして、自らの意志を通したいのかっ!
「いや、しかし、シーリーンに万が一のことがあったら……」
「お願いします、陛下。今回、仲間達を救えたのは陛下達のご助力があってこそ。全てを甘える訳にはまいりません。ここは是非、私も殿に。きっとパヤーニーどののお役に立ちます」
くぅー! ここで片膝を付くだと! もはや陛下が、貴様の胸の谷間に釘付けだ。
「へ、陛下! そうであれば、私も殿にっ! 今シーリーンを放てば、そのまま帰ってこないかも知れませぬっ!」
私も悔しかったので、服の胸元を大きく開けて片膝をつく。どうだ! 私の胸だって形はよいのだ!
が――しかし陛下の目はシーリーンの胸に釘付けのまま。もういやだ……殴りたい、陛下もシーリーンも。
「そう? シュラが私を信用しないのなら、仕方が無いわね。今回は、貴女に譲るわ……」
シーリーンが立ち上がって、陛下の脇に立つ。
私は少しだけ、陛下に近づいた。もう、谷間だけじゃない。少しだけ、淡い果実も零してやる。どうだ、見ろ、見るのだ、陛下。
しかし陛下の目は、尚もシーリーンの胸に釘付けだった。
なんだろう? 陛下の目は節穴かな? 節穴なら、目玉なんていらないよね……じゃあ、短剣を両目に投げつけていいかな……いいよね……。
「そうだな、ここはシュラに任せよう。パヤーニを援護して、適度な所で宿に戻ってくれ」
陛下が私の肩をポンと叩き、頷いておられる。うわ、近いっ! 私は恥ずかしさの余り、さっと胸元を隠した。
……って、え? どうしてこうなった? 私がパヤーニーの援護? 陛下は一体、何を仰っているのだ? シーリーンだけでは不安だから私も残ると言ったのに、なんで私だけパヤーニーと残るハメになっているのだ?
「え? いや、その……私はシーリーンと一緒に殿を……」
「じゃあ、シュラ! 俺とシーリーンは、先に宿に帰ってるからなっ! 頼んだぞっ!」
「うふふ……じゃあね、シュラ、頑張ってね。私達も頑張っちゃうかもしれないけれど」
ぐぬぬぬ……おのれ、シーリーン! いったい何を頑張るというのだ、何を……! 断じて二人きりになどさせぬ! すぐに片付けて戻ってやるから、待っていやがれっ!
「機動飛翔ッ!」
私は大地を蹴って空へ上がると、「ふうむ」と唸るパヤーニーを引っ叩いた。
「な、何をするっ!」
「一先ず、敵を“ぶっ飛ばす”という上策は忘れて下さい。そして、あの髑髏の騎士と連携して、一端敵を、遠くへ吹飛ばして頂けますか?」
「そんなことより、何故、余の頭を叩いたのだ! 崇高なる余の頭脳が、ボロボロと崩れたらどうしてくれるのだ!」
顔をグルンと一回転させたパヤーニーが、私に文句を言う。しかし、知った事ではない。私はすぐにも宿へ戻りたいのだ。陛下と、あの淫売シーリーンを一秒足りとも二人きりにしたくない。
「――その間に、私がパヤーニーどのと髑髏の騎士に幻影を掛けましょう。されば、姿をくらまし撤退なされませ」
「なんだと? 余に退けと申すか?」
「今回の目的は、あくまでも囚人の救出。ですから、敵の撃滅に拘る意味などありません。何より、下をご覧になられよ。囚人の脱出は既に成功。敵の追撃部隊は、すでにこの天使達を残すのみ――となれば、これ以上の交戦は無意味です」
「むぐっ……よかろう。ここで悪戯に敵を倒しきるより、その方が良いのやもしれぬ」
パヤーニーが両目を赤く光らせている。何らかの感情が昂ぶったのかも知れないが、ともかく私の案を承知してくれた。
下方で髑髏の騎士が中空を蹴り、敵に突撃をした。盾を前面に構え、智天使に体当たりをする。
凄まじい勢いだった――智天使が、遥か彼方へ吹飛ばされてゆく。
獅子の鬣の如き金色に輝く髪を靡かせ、四枚の翼を備えた上位天使が吹飛ばされる様は圧巻だ。髑髏の騎士は中空で馬首を廻らすと、パヤーニーの下へ駆け寄り礼をする。実に貫禄のある所作だった。
一方パヤーニも貫禄はともかく、その力量は負けていなかった。
漸く腰の剣を抜くと目にも止まらぬ速さで、もう一体の智天使へ突進する。
同じく剣を抜いた智天使と中空で刃を交わすこと、数合。パヤーニーの鋭い突きが敵の胸板を貫くかと思われた瞬間――「吹き飛べ――爆風ッ!」
黒髪の美しい女天使が、鋭い刺突による死を覚悟した瞬間だっただろう。彼女は体をくの字に折って、遥か彼方へと吹飛ばされていった。その紫色の目は、驚きと屈辱に満ちている。
それはそうだろう。私だって、「そこは刺せばよかっただろう。別に殺しても構わなかったのに」と思ったくらいなのだから。
だが、一応はこれで時間が稼げる。
私はパヤーニーと髑髏の騎士に“幻影”を掛けて、地上へと降りた。
もちろん自分自身の姿も消し、闇に紛れると、急ぎ、宿へ戻ったのは言うまでもないことである。