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砂漠の図書館  作者: 梗崎凛
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プロローグ


 それは、たった一冊を探す者が訪れる、砂漠の中に佇む、どこにでもあり、またどこにもない図書館。

 膨大な量の蔵書数を誇るその図書館は、館長と呼ばれる者が一人と、青い瞳の黒猫がいるだけだった。

 今日もまた、図書館の扉は求めるものの『声』に応じて開くのだ―――


 扉がゆっくりと閉じていくのに合わせ、青年がゆっくりと頭を垂れる。その動きに合わせ、短く切り揃えられた黒髪がさらりと流れた。


「ありがとうございました。またのご来館を心よりお待ちしております」


 静かな、だが音のない室内にその声はやけに大きく響く。やがて重厚な一音と共に完全に扉が閉まると、その人物は身体を起こした。

 完全に閉まり切った扉を見つめる瞳は髪の色と同じ見た目の若さには似つかわしくない静謐な空気を纏った青年は、その口元に柔らかな笑みを浮かべて完全に閉まった扉を見つめていた。と、不意に小さく息を吐くと小首を傾げた。


「―――さて、果たして無事『返却』となるのでしょうか」


 カウンターの上にいた黒猫は、僅かな憂慮の滲んだ声に反応するように頭を持ち上げ瞼を開ける。だが視界に入った壮年の男性の様子を一瞥すると、すぐに興味が失せたとばかりに元の体勢に戻ってしまう。どうやら中断していた転寝を再開するようだ。

 そんな黒猫の様子に、しかしそれは男性にとって見慣れているものなのか、彼は相変わらず静かな笑みを浮かべるのみだった。




 カウンターの上に寝そべっていた黒猫の耳がピクリと動き、閉じられていた瞼が僅かに持ち上がる。


「ああ、どなたかいらっしゃったようですね」


 柔らかな声音と共に、カウンターに向って本を読んでいた青年が顔を上げた。

 入り口の方を見れば、確かにそこには見慣れぬ人影が。

 青年は立ち上がり、その人物に向って微笑みかけた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、当図書館へ―――」




 やって来たのは、50代も半ばと思われる男性。

 薄くなった頭部は油でてらてらと光り、僅かばかり残った髪も近い将来消滅の憂き目にあうのだろうか。

 見る者の気持ちを害させるような醜悪な容姿をしたその男は、常に快適な室温を保っている館内にいながら、持っていたハンカチでしきりに額を拭っている。

 男は、入ってすぐに青年を見つけた。青年を見るその眼差しはぎらぎらと輝き、まるで獲物を狙う肉食獣のそれだった。


「お探しの本が見つからない場合は、こちらでお探しいたしますので、お気軽にお申し付け下さい」


 丁寧な物言いに。しかし男は何が気に入らないのか目を眇めた。そして、


「お前が責任者か?」


 値踏みするように青年を上から下までねめつけ、あからさまに不快な態度を隠しもせず問う。


「はい。まだ若輩の身ではありますが、この図書館を預かる身として日々邁進しております」

「ここに来れば、未曾有の幸運が手に入ると聞いたが」


 青年、館長の答えなど初めから聞く気などないのか、間髪入れず告げられる更なる問いかけに、笑みはそのままで、だが少し困ったように眉根を寄せる。


「あくまでもここは図書館です。ご来館いただいた方々の望む本をお貸しするしか役割のない当館で、そのような大それたことは」

「出来ないだと?」

「はい。ですが、お客様がこちらにいらしたという事は、何かお探しの本があるのではないでしょうか」

「馬鹿馬鹿しい。本ごときが何の得になるというのかね。私はそんなくだらない事に時間をかけるほど暇ではないのだよ。まったく、あんな情報に踊らされてのこのこやって来た自分に腹が立つ」


 不快気に吐き捨てる男は、そのまま踵を返すと館長に背を向けた。

 だが、そんな失礼な態度にも気分を害した様子のない館長。彼にとってそんなものは何の意味も成さないとでも言うように。

 男は怒りのままに荒い足取りで出口へと向かい、扉に手をかけようとした。が、その寸前で何かに気が付いたか再び館内へと視線を戻す。男が館内の様子を確かめるようにぐるりと視界を巡らせれば、これでもかという数の本、本、本。見上げた先、己の背よりも尚高い棚の中には本が隙間なく整然と並べられている。男はそこで漸く、青年が言った『図書館』というフレーズを理解し、思い起こされる記憶の糸とこの図書館の存在が繋がった。

 そうだ、確かに『奴』は本を借りたと言っていたではないか。しかもここの雰囲気は、『奴』が言っていた何処かと似通っているように感じる。図書館などという利用価値もない場所に足を運んだこともない所為で思い付きもしなかったが、『奴』言っていたのはこの図書館ではないだろうか。それに、さっき館長だという若造は言ったではないか「お探しの本があるのでは?」と。ならば、


「おい」


 ボーっと突っ立っている(男にはそう見えた)館長へと視線を向ける。


「はい」


 尊大な態度にも、見下す視線にも、館長は笑みを絶やすことはない。そんな館長の態度が薄気味悪いとでも言うように眉を顰めた男は、そこで改めて館長へ向き直る。


「本、と言ったな。ならば、以前ここに来た男が借りた本を出してもらおうか」


 そこまで言うなら仕方がないと言わんばかりだ。だが誤解の無いように言っておくと、館長は一言も無理強いするような発言はしていない。そしてそれは、男がいかに何事も自分の都合で考えるかを示していて。


「以前来館されたお客様が借りていかれた本、ですか。それはいつごろの話でしょうか」


 笑みはそのまま、だが僅かに困惑気味な館長に、使えないとばかりに鼻を鳴らす男。だが、曲がりなりにも図書館であるのなら例え少なからず来館者があるのは当たり前で。それこそ老若男女関係無く。そんな中、男という情報のみで本を出せというのは一種の暴力とも取れるのではないだろうか。

 男はそんな基本的な事にも気付かない。否、気付こうとしない。ただ館長の怠慢であるという思い込みが、男にとって絶対であり、正義であるようだ。

 仕方ないという風に肩を竦める男。


「借りに来たのは随分前らしいが、返したのは一月位前だと言っていたな」


 記憶を辿るように虚空へ視線を投じた男は、すぐに館長へと視線を戻す。 まるで、ここまで言ったのに分からないなら本当の屑だ、と言わんばかりの。

 館長は、そんな男の視線など物ともせず、男の言ったことを脳内で反芻する。


「……ああ、それでしたら」


 僅かな黙考の後、一人の男の姿が脳裏に浮かぶ。

 館長は踵を返すと、丁度中間辺りにある本棚の間へと入って行った。

 男はそんな館長に着いて行くでもなく、腕組みをしてそれを見送る。まるでそれが当然というように。

 そんな男に向けられる一つの視線。いつの間にか身体を起こしていた黒猫が、その青い瞳で男を見つめている。男は気付いてはいなかったが、黒猫の眼差しは、まるで男を値踏みしているかのように見えた。


 館長が姿を消してどれ位経っただろうか―――実際には数分と経ってはいないのだろうが―――男にとっては早くも我慢の限界が来たようだ。いらいらと指で腕を打ち、不機嫌な表情で館長が入っていった棚を睨む。


「おい、私は忙しいと言っているだろうが。分からないなら分からないで誠意を見せたらどうなんだ」


 館長が本当は分かっていないのだと言わんばかりの男の様子に、黒猫がふいっと視線を逸らした。その時、


「お待たせして申し訳ありません。少々手間取ってしまいました」


 漸く現れた館長は、その腕に一冊の本を抱えていた。


「まったく、日和見な館長もいたものだな。道理で寂れるはずだ」


 馬鹿にしきった眼差しを、館長と、そして館内に向ける。だがやはり、そんな暴言を吐かれたところで、館長の笑みは僅かにも揺らがない。


「申し訳ございません。以後気をつけますので、ご容赦いただければ、と。お探しの本はこちらで宜しいでしょうか」


 館長が表紙を一撫でして本を差し出すと、男が館長の態度が気に食わないと言わんばかりに顔を顰めながら慇懃に手を伸ばす。

 受け取った本を矯めつ眇めつ眺めてみるも、男の目にはそこらにある本とさして違いのない本に見える。一つ変わった所といえば、本来あるはずの題名がない。ただ、鳥の片翼が表紙一杯に描かれているだけだ。

 試しにぱらぱらとページを捲ってみる。どうやらそれは一人の男の人生を書いたもののようで、その男がどん底から這い上がり頂点に立つまでの人生を描いた物語らしい。

 男には、これが何で『奴』にあそこまでの幸運を授けたのか分からなかった。だが、その本の特徴は、確かに『奴』の言っていた通りで。


 一平社員でしかなかった『奴』。強力なコネがあったわけでも、高学歴だったわけでもない。取り立てて仕事が出来るわけでもないただの平凡なつまらない男。

 だが、自分の部下であったあの男が何の因果か社長の目に留まり、今では自分の上司となっているのは紛れもない事実なわけで。

 人が良いのが唯一の取り柄といってもいいあの男から、幸運に恵まれたきっかけを聞けば、ある不思議な場所、そう図書館に訪れてからだと教えられた。そこで一冊の本を借りたのだと。更にはその本の特徴までご親切にも喋ってくれたのは、まったく感謝を通り越して呆れてしまう。そして馬鹿らしいと言いながらも、本の特徴はしっかりと脳内に刻まれていたようだ。

 これで自分ものし上がれるチャンスがあるのだと思って、必死に探して漸く辿り着いた薄暗い図書館。あいにくあいつの言っていた老人の姿はなかったが、黒猫は確かに言った通りそこにいた。だが、若造はそんな事は出来ないと言う。ならば怪しいのは、件の本。


「これを借りるとしようか」


 男が逸る気持ちを抑え、平静を装いながら言えば、そこで初めて館長が目に見えて表情を曇らせた。


「この本を、ですか」

「何か問題があるのか?」


 言い淀む館長に、男の機嫌がまたもや悪化する。

 『奴』には幸運を遣ったくせに、自分には渋る気か、と。怒鳴りつけたいのをぐっと堪える。ここで逃がすわけにはいかない。これが自分にとって最後のチャンスなのだから。


「いえ、問題といいますか……」


 本が渋っているのだ。そんな事を言っても恐らくこの男には通じないだろう。あからさまに機嫌の悪い『彼女』を果たして彼は宥めることができるのだろうか。無理であろう事は目に見えていた。だが、もしかしたら―――


「分かりました。ですが、一つだけお約束下さい」

「何だ」

「必ず最後まで読んであげて欲しいのです。それが、当館唯一の決まりとなっております」


 館長の言葉に男は、何だそんな事かと頷く。本を借りる以上最低限の事ではないかと馬鹿にさえしているように。だが、


(借りさえすれば良いんだからな)


 忙しい自分が、本一冊にかまける時間はないのだと、貸し出し処理のためにカウンターへと向う館長の背を冷ややかに見つめる男。彼は館長の真意をまったく理解してはいなかった。



「ありがとうございました。またのご来館を心よりお待ちしております」


 頭を下げる館長を振り返ることなく男は出て行く。その様子を冷ややかに見つめる青い瞳がある事には気付かずに。

 扉が完全に閉まるのを見届け、館長は珍しく溜息をついた。


「無事に『返却』……とはいかないかもしれませんね」


 館長は、男の心情を正確に見抜いていた。

 男が己の願望を叶えるためならば、平気で嘘を吐くであろう事や、人を蹴落とすのも厭わない人種である事も。

 それでも『彼女』に対し誠意を見せたなら、可能性はあるだろう。

 望みは限りなく薄かったが、願わずにいられないのは自分が『館長』であるから、としか言えなかった。


「まあ後は『彼女』自身の判断に委ねるだけですが」


 ふと視線を向ければ、黒猫が扉を見つめていた。彼もまた、この件に関しては自分と同じ思いらしく、導く様子さえ見せなかった。


「貴方がもう少し協力的になってくれれば良いのですけれど、ね」


 呟いた言葉をしっかり聞いていただろうに、黒猫は興味がないとばかりにあくびをし、さっさとお気に入りの本がある棚へと歩き出した。

 そんな黒猫のいつもの様子に館長は―――自分とて積極的に動こうとしていないのだから、黒猫を責める謂れはあるはずもなく―――ただいつものように微笑を浮かべるだけで。

 もう一度、扉の方へと向けられた視線は、だがすぐに逸らされ、後は意識の端にも上る事はなかった。


 『彼女』の判断。それは受容かそれとも――――――――


 その日は意外に早く訪れた。

 朝、館長がいつものように、外にある返却箱の中の本を持って館内へと戻ってくる。


 パタン―――


 扉を閉めると同時に響いたその音は、静かな館内にやけに大きく響いた。 館長にとってそれは時々聞こえる―――もう、馴染みとなってしまった音で。

 見れば視線の先、カウンターに一冊の本が置かれていた。


「やはり……無理でしたか」


 それは、あの男に貸し出した本。しかし、元々白かった表紙の片翼が黒くくすんでいて、その所為か全く違う印象を抱かせる。

 だがそれを見る館長の表情に驚きはない。寧ろその眼差しはそうなると最初から知っていたかのようにも見える。そして事実、理由を知っている館長にとってその変化など些末なものに過ぎず。

 黒猫が、どこか不機嫌そうに本を見下ろしていたが、それが一体どんな感情であるかは、さしたる問題ではない。


「ですから、最後までお読み下さいと申し上げましたのに」


 本を見下ろす館長の瞳に、悲しみの色はない。彼にとってはこれから『彼女』の機嫌を直すにはどうしたら良いのかということが唯一の、そして最大の問題だった。

 あの男が来館した時点で、『彼女』を持ち出す資格は少なからずあった筈なのに。手にしただけで良しとしてしまった男の所業は、自らその権利を放棄してしまったのと同義である。

 所詮、あの男にとって『彼女』の価値はその程度だったということなのだが、それを寛容に受け止めてくれるほど『彼女』は優しくはないのだ。

 男の末路に興味はなかったが、ここまで『彼女』を怒らせて無事だとは、口が裂けても言えないだろう。


「取り敢えず、貴女には暫くお休み戴いたほうが良いのでしょうね」


 これでは『他の者達』の機嫌まで損ねてしまいそうだ。

 館長は抱えていた数冊の本をわざわざ別の机へと下ろした。それほど広くは無いカウンターだ。本を置くスペースは十分にあったのに、館長はあえてそこには本を置かなかった。その行動はまるで『彼女』から遠ざけようとするかのようだ。

 一旦カウンターから離れた館長は、再び戻って来ると変わらずそこにある『彼女』を持ち上げ、暫しの沈黙と共にすっかり黒ずんでしまった表紙を見つめた。だが、いくら待ったとしても目の前の状態に変化が訪れる筈も無く。諦めたような溜息と共に表紙を一撫で、傍にあった棚へと丁寧な手つきで収めた。

 木製の簡素な、だがしっかりとした造りのその棚には、天板の側面にただ一言『閉架図書』と記してある。そこに収められる瞬間、僅かに『彼女』が震えたような気がしたが、館長は手を止める事無くその作業を終える。

 彼女の中に巣食ってしまった闇を完全に取り去るには、一体どれだけの時を有すれば良いのだろうか。


「何故、たった一つを守っていただけないのか……」


 図書館を預かる館長として、最低限のお願いをしているだけなのだ。

 己自身が発した言葉にさえ責任を持とうとしない者達が多くなってきているように思うのだが、恐らく気のせいではないのだろう。


「……私には『二度と』理解できないのでしょうが」


 だが、それが『人間』というものではないのか。そんな声が、聞こえた気がした。



 これは、砂漠の中に佇む、どこにでもあり、だがどこにもない図書館が織り成す物語。





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