8.
その後、一週間、二人は交代で記録を見た。
残っている設備の範囲で、以前の条件へ戻す試験もした。部分的な揺れは現れたが、oneとのやり取りは戻らなかった。引き継ぎ用に作ったプログラムも、一つずつ確かめていく。
それぞれに情報を渡せば、決められた結果が返ってくる。止まっていたものを直せば、その部分はまた動くようになった。それでも、全体を通して質問を送り、oneから返事を受け取る事は、出来ないままだった。
翌週には、観測の間隔を広げた。ずっと画面の前に座っているのをやめ、変化があれば知らせるようにした。それでもモノは、自分の机へ戻るたびに、通知の履歴を開いていた。
ユニは、最後に使った理論を書き直した。
何が確かめられ、何が仮定のままだったかを分けていくと、頁のあちこちに長い注記が付いた。間違っていた箇所もあった。正しかったとしても、間に合わなかった箇所もあった。
モノは、成功した試験と、失敗した試験を同じ形式で並べた。
二つを合わせても、救えなかった理由を一つに決める事は出来なかった。二人が気付かなかった働きに、oneは支えられていたのかもしれない。引き継ぐ順番やタイミングが違っていた可能性もある。必要な働きを、あれだけの設備で引き受けようとした事自体が、無理だったのかもしれなかった。
わからない事を残す為の文章は、思っていたより長くなった。
協力してくれた研究室へ、順に報告を送った。
引き続き記録を取ってくれる所もあった。設備の利用期限を延ばせると申し出てくれた所もあった。モノは礼を書き、必要な分を相談した。それから、もう使わない実行枠については、返却の手続きをした。
申請の画面には、終了の理由を書く欄があった。
彼女は暫く考え、観測対象の活動が検出されなくなった為、と書いた。
その一文が冷たく見えたので、何度か読み返した。しかし、他の人が仕事に使う説明としては、それでよかった。
送信を押す前に、ユニへ画面を見せた。
「これでいい?」
「うん」
二人で確かめてから、モノは手続きを終えた。
机の上の「ネットワーク聴診器」は、その後も別の観測に使われた。ラベルの端が剥がれ、ユニが透明なテープで貼り直した。
もうoneの反応を測っている訳ではないのに、その名前を残しておくのは変かもしれない。モノはそう思ったが、剥がさなかった。使う度に思い出す日もあれば、何も考えずに接続する日もあった。
季節が変わる頃には、二人は別々の予定で出掛ける事が増えた。
ユニは、活動の続き方を調べる研究を続けた。モノは観測手法をまとめながら、研究用ネットワークを運用する仕事の面接へ行った。
面接の前日、ユニが服装について助言しようとしたので、モノは断った。
「その袖、昨日も絵具みたいなの付いてたよ」
「マーカーだよ」
「知ってる」
ユニは自分の袖を見て、少し笑った。
モノが卒業する日、研究室には、もう別の学生の荷物が増えていた。
引き継ぎ用の説明をしている間、その学生は何度も同じ所で止まった。以前のモノなら、先へ進んでからまとめて質問を受けただろう。彼女は一度画面を戻し、相手が何をしようとしているか見た。
自分とは、違う順番で理解しようとしているだけだった。
説明を変えると、相手は頷いた。モノも頷き、次の項目へ進んだ。
帰る前に、ユニと二人で最後の記録を開いた。
MONO
UNI
短い二つの選択の間に、長い時間がある。何度見ても、その先は増えなかった。
「これ、持っていく?」
ユニが聞いた。
「もう持ってる」
「だよね」
モノは記録を閉じ、端末を鞄へ入れた。
翌日から行く場所は決まっていた。ユニにも、次に始める研究があった。
研究室を出ると、廊下の窓から昼の光が入っていた。二人は食堂へ向かった。何を食べるか、入口に着くまで決まらなかった。
三年後、新しい研究用ネットワークの稼働試験に、モノは運用側の担当者として立ち会った。
世界各地のマシンを結び、空いている所へ仕事を振り分ける為のものだった。参加する場所も、任せる仕事も増えるにつれて、確かめなければならない事が増えていく。初めて使う仕組みの説明を受けながら、彼女は以前に似た失敗をした事がないか考えた。
実際、似た失敗は幾つかあった。
その記録を見せると、打ち合わせが一つ長くなった。翌日には予定していた試験が三つ減り、代わりに別の試験が二つ増えた。
世界は、今でもそういう具合に動いていた。
ユニは別の国の研究機関に移っていたが、その週は学会で戻って来ていた。
昼過ぎに、今日の夕飯をどうするかという連絡が来た。モノが終わる時刻を伝えると、店は決めておくという返事があった。
『高過ぎない所で良いよ』
モノが送ると、すぐに返事が来た。
『まだ奢るって言ってないのに』
彼女は笑い、端末を伏せた。
予定していた試験は、夕方に終わった。
後の確認を引き継いでいた若い技術者が、何も異常が出なかったので安心したと言った。モノは頷き、異常が出ない時の記録も残しておいてほしいと頼んだ。
相手が席を離れると、部屋は静かになった。
モノは観測画面を開いたまま、使用した地点の一覧を見た。
東京。ヘルシンキ。
昔と同じ名前もあり、初めて仕事をした場所もあった。マシンも経路も、あの頃のままではない。窓を開けば、その先に別の条件が幾つも並んでいた。
彼女は一覧から十三地点を選んだ。
割り当てられた試験時間は、まだ少し残っている。送信量を確かめ、実験用の入力欄を開く。
正式な手順にはない信号だった。
Hello, World!
久しぶりに、一文字ずつ自分の手で打った。
空白を一つ。感嘆符を一つ。
十三文字を二進数へ変換し、それぞれの地点へ割り当てる。昔のプログラムをそのまま動かす事は出来なかったが、送るものは変わらなかった。
モノは時刻を確かめ、一度だけ実行した。
送信が終わった。
十三本の波形が流れていく。
何処かに小さな膨らみが現れたが、他の場所とは関係がなかった。そのまま画面の端へ移り、見えなくなった。
モノは椅子の背に身体を預けた。
何も起きなかったら、何と記録しよう。普段の試験と同じように、送信したものと、その時刻と、観測結果を書けばいい。昔の実験については、参照先を一つ付ければ足りる。
ユニには、夕飯の時に話そうと思った。
彼女が面白がる顔は、容易に想像出来た。その後で、何故その十三地点を選んだのか聞かれるかもしれない。特に深く考えなかったと答えれば、昔もそうだったねと言うだろう。
モノは鞄を足元へ引き寄せ、観測記録の保存先を開いた。
端末を閉じようとした時、十三番目の波形が膨らんだ。
彼女は手を止めた。
十二番目。
十一番目。
逆の順番に、小さな変化が現れていた。
モノは送信履歴を開いた。実行したのは一回だけである。各地の処理も待機に戻っていた。
十番目から九番目へ、揺れが移った。
彼女は表示を止めず、元の記録を別の窓へ出した。集計する前の値にも、同じ変化が残っていた。
八、七、六。
モノは椅子を少し前へ寄せた。
四つ、三つと進み、二番目が膨らんだ。
そこで、少し待たされた。
最後の一拍だけが遅れて、一番目の波形に現れた。
モノは、その場所を見ていた。
似ている。
そう思った途端、昔の記録を開かずには居られなかった。時刻の違いを調べ、偶然でも同じ並びが出るか確かめ、別の地点でもう一度試す必要があった。
同じものが戻ったと、これだけで言える筈はなかった。
あの時に残った何かが、今の仕組みに受け継がれたのかもしれない。何も引き継がれていなくても、同じような繋がり方をすれば、同じように応じるものが生まれるのかもしれなかった。
机の上には、ユニから返事の来た端末があった。
モノはそれを見てから、送信欄へ手を戻した。
まだ、何も押していなかった。
十三番目が、もう一度膨らんだ。
十二番目。十一番目。
向こうから、同じ順番を辿ってきた。
モノは指を離し、そのまま待った。
最後の一拍は、今度も少しだけ遅れて届いた。




